南大阪線 バイパス新線 "陵神線?" 2.4Km の夢物語
21世紀も4半世紀を迎えようとしている昨今、近畿を取り巻く交鬱事情?は大きく変化しようとしています!
今の政府では、少子高齢化、首都圏への一極集中、による"地方"の衰退は止めようがありません!
地方交通事業者にとってはますます厳しい状況に追い込まれたわけです!
※つい先日2022年のダイヤ改正で南大阪線(古市⇔橿原神宮前)から準急が姿を消し!、南大阪線全線で最高運転速度の見直しが行われ100km/hで走れる区間は大阪市内の連続高架橋部分のみとなりました!
たった数分の為に、巨費を投棄!できるような、甘いご時世ではなくなりました。
というわけで、この夢物語は古狸にとってはまことに残念ではありますが未来永劫共に実現の可能性は無い!でしょう... (´;ω;`)
- 前章 大きく様変わりした南大阪線沿線
- 第1章 陵(みささぎ)新線建設案とは?
- 第1節 新線建設最大の目的は所用時間の短縮
- 第2節 新線建設費はどうする?
- 第2章 近鉄の大人の事情?と歴史背景
- 第1節 少子高齢化に伴う沿線利用客の減少問題
- 第2節 少子高齢化による乗客離れへの新たなるここみに...
- 第3章 何故現在の線形になったか?この路線の生い立ちとは...
- 第1節 嘗て路線切っての観光地で「交通の要衝」"だった道明寺駅
- 第2節 「道明寺駅」を分岐点と決めたことにより...
- 第3節 JR大和路線&和歌山線の高速化!による打撃
- 第4節 乗降客数の低下と営業収支の悪化!
- 第4節 近鉄道明寺線の辿った鉄路
※リンクについて
(参※xx) は当サイト内の参照関連記事リンクです。
但し、その他の直接 hyper-link は当事者・関連団体の公式サイト若しくはオリジナル各国語版Wikipediaへ直接リンクしています。
※本ファンタジーについて
本レビュー記事は、出来る限りの"記録(時系列)に下ずいた史実に、地政学的!・工学的 な検証"を行ってるセミドキュメンタリー!ですが...
筆者の億測を交えたファンタジー?でもあります。
後述する各団体とは直接関連はありません。
また各団体では"答え難い大人の事情、あまり触れられたくない内容!"も含まれています。
本件に関してのお問い合わせはご無用に願います。
※ここをクリックするとこのページの"Top index"にジャンプ出来ます!
★前章 不思議な大廻の訳は道明寺天満宮への...
近鉄ご自慢の通勤ライナー?吉野線特急電車は毎朝「橿原神宮前駅」から8両に増結され、通勤客を運んでいるが...問題になるのが古市駅ー藤井寺駅間の線形の悪さ!無駄な遠回りを解消すれば古市駅ー阿部野橋駅間の所要時間は5から6分ぐらいは簡単に時間短縮が可能となります!
嘗ては、現・藤井寺市船橋町のはずれにある現在の藤井寺市学校給食センターのあたりに御領駅?(現柏原南口駅)、誉田八幡最寄りには誉田八幡駅もあり、柏原駅と道明寺駅、富田林駅を汽車に曳かれた列車が通っていました。
その後、観光地?道明寺駅から西に90度急転回して、天王寺(現大阪アベノ橋)を結ぶようになり、こちらが本線となりました。
これが「不思議な大廻」をしている理由です。
大きく様変わりした南大阪線沿線
21世紀も4半世紀を迎えようとしている昨今、近畿を取り巻く交鬱事情?は大きく変化しようとしています!
今の政府では、少子高齢化、首都圏への一極集中、による"地方"の衰退は止めようがありません!
地方交通事業者にとってはますます厳しい状況に追い込まれたわけです!
京阪神にある京都・大阪・神戸の3中(核)都市でも、従来の近畿州メガロポリス都市構想をあきらめて、21世紀は生き残りを賭けた「コンパクトシティー」実現に転線しています!(※00)
今後近鉄さんは、奈良県・奈良市、JR東海さんのリニア中央新幹線奈良中央駅実現に全力を注ぎ、近畿の観光拠点としての「平城京」復活(※01)に向かうでしょう...
参※00)当サイト関連記事 21世紀の大阪はコンパクトシティーを目指している!はこちら。
参※01)当サイト関連記事 2038年リニア中央新幹線開業で近鉄吉野線は標準軌になるかも?はこちら。
第1章 陵(みささぎ)新線建設案とは?
現在「南大阪線」は伝・応神天皇陵を大きく迂回しして、かつての河南鉄道線「道明寺駅」に接続されて、古市駅で長野線・吉野線に分かれていますが、藤井寺駅から南下して伝応神天皇陵の西側を経由して、古市駅に至る約2.4kmの新線計画案です。
第1節 新線建設最大の目的は所用時間の短縮
現在大阪府内はもとより古市駅から別れる吉野線が通過する奈良県の沿線人口は急増して、近鉄ご自慢の通勤ライナー?吉野線特急電車は毎朝「橿原神宮前駅」から8両に増結されて、通勤客を運んでいます。
そこで問題になるのが藤井寺駅⇔古市駅間の線形です。
無駄な遠回りを解消すれば、古市駅⇔阿部野橋駅間の所要時間は約5分ほど 時間短縮となります。
これによって奈良県側橿原神宮前からは勿論それ以遠にまで広がっている郊外分譲地の利便性が「大阪線」並に大幅に向上します。
第2節 新線建設費はどうする?
新線建設は、新たな「府道建設」と抱き合わせで「府、藤井寺、羽曳野市、近鉄」4者で第3種鉄道事業者の「陵(みささぎ)高速鉄道」を設立して事業主体となり、完成後は上下分離方式で、第2種鉄道事業者として近鉄に同区間の運行をゆだねる「上下分離方式」を採用すれば、「道路特定財源(ガソリン税)」の適用も可能となり、さほどの「長期債券」に頼らなくても建設が可能となるでしょう?
2.4Km全線高架で途中駅1カ所を作っても鉄道部分だけで建設費61.6億円/km(※1)で総工費約148億円程度(2017年現在)で建設できるはずです。
用地買収費&道路建設費を考えても、2~300億円もあれば実現可能でしょう。
※1、大阪東線総工費1,250億円/20.3kmより算定。
第3節 旧大廻ルートの処遇は...
旧大廻ルートについては 当サイト関連記事 陵(みささぎ)ライトレール㈱計画をご参照ください。
第2章 近鉄の大人の事情?と歴史背景
南大阪線沿線は大きく様変わりしています
幹線道路外環状線(国道170号)が物資・人の流れを大きく変え、宅地開発も外環状線沿道に移ってきています。
古市駅⇔藤井寺駅間はこの大動脈(国道170号)とは世界遺産百舌鳥・古市古墳群のある丘陵地帯で遮られて、近鉄と連れ添って傍を走る旧国道170号沿いは「農耕地が大部分を占めるのどかな郊外」つまり「ド田舎!」のままです。
新線を建設して「野中」の辺りに新駅を建設すれば、野中寺に近い幹線道路外環状線の要所は確実に住宅地となり市街化出来て藤井寺市・羽曳野市の両市にとっては悪い話では無いはずです。(但しいい話でもない?なんとなれば環境インフラ(上下水・公共サービス)整備にかなりの予算を割かれることになるからです!)
第1節 少子高齢化に伴う沿線利用客の減少問題
このエリアが抱える少子高齢化問題による市民流出が防がるかもしれません?
古市駅以遠の「長野線」沿線には、羽曳野ニュータウン、金剛ニュータウン、不動ヶ丘等のいわゆる大規模ニュータウンが民間デベロッパーにより開発されてきて、当初はヤングファミリーに人気で順調に推移しましたが...
いかんせんどのニュータウンも丘陵地を削って開発したために、入居当時の若年層が「親離れ」して「独立」した現在では、住人の高齢化と共にアクセスの悪さも表面化してきています!
第2節 少子高齢化による乗客離れへの新たなるここみに...
トラム化により、停留所も増えてかえってこのエリアの利便性が増すでしょう!現在殆ど手つかずの古市⇔道明寺間の農地を市街化することも可能でしょう。
ここに来て、大阪市内ターミナルから30分程度と言う、至便でしかも「平地」に開発される「住宅地」には「大きな期待がかかっている」と言い切ってもよいでしょう。
第3章 何故現在の線形になったか?この路線の生い立ちとは...
1898年 河陽鉄道(柏原ー富田林駅間)開業し現近鉄では一番歴史のある路線である。
その後、1922年当時の2代目「大阪鉄道」が道明寺-布忍間を延伸開業し当時の大阪市内乗り入れを実現し、翌1923年には布忍ー大阪天王寺駅(現大阪阿部野橋駅間)を開業し全線開通した訳である。
1889年に大和川付け換えによる新田開発で「綿花」を栽培し河内木綿を生産その出荷に平野川沿いの水路を利用し「柏原船」で一儲けした人達を出資者に募り、旧大和川の支流の1つ旧平野川の河床跡地(当時畑地)を利用し「初代・大阪鉄道」が湊町(現JR難波) - 柏原間を開業させた。
元々天井川だった旧平野川の河床跡の痩せた耕地を利用したので、土盛りもせずに、柏原まで順調に敷設できた。
約10年後の1898年 河陽鉄道により柏原ー富田林駅間が開通したときは、「初代・大阪鉄道」も大阪ー奈良間に軸足を置いた、ローカル観光・産業振興鉄道であり、当時の始発駅湊町から道明寺駅に臨時直通列車を走らせるなど、両者は良好な関係にあった。
しかし「初代・大阪鉄道」が1900年に旧関西鉄道(当時三重県本社)に身売りし、営業の軸足が「名阪連絡鉄道」に変化した為、当時の河南鉄道は、単なる1ローカル線扱いとされてしまった!
1919年新たに(新)大阪鉄道としてスタートした現近鉄は危機感を憶え、自力で大阪市内乗り入れをもくろんだ!
この際、新・大和川により分断された大和川以南の地域を経由し大阪市内を目指した為、道明寺駅から大きく左折し、大和川以南の「交通空白地域」を経由して市内を目指しすこととした。
しかし、この地域には「大阪鉄道市内乗り入れ」に先立つこと7年前の1915年に 既に「大阪高野鉄道」が「現堺東駅」「住吉大社」を経由して終点汐見橋まで開業しており、旧・下除川沿いのルートで大阪市内を目指すこととなった。
為に「布忍(ぬのせ)駅」手前でも再び90度回頭!で右折して北上し大和川を渡り旧下除川沿いの集落から離れた「荒れ地」をルートに選び、大阪天王寺駅(現大阪阿部野橋駅)に結んだ訳である。
第1節 嘗て路線切っての観光地で「交通の要衝」"だった道明寺駅
1922年 (新)大阪鉄道が独自に大阪市内乗り入れを目論見・工事した当時は「道明寺駅」は観光輸送に頼る2代目大阪鉄道にとっては重要な要衝であった。
1908年開園の西日本初のレジャー施設「玉手山遊園地」と道明寺天満宮を控え、両所とも大阪市内からも多数の人が訪れる名所であり、特に道明寺天満宮が毎月25日に行なう恒例祭「縁日」には大勢の人で賑わう稼ぎ頭の重要な駅であり路線から外すわけにはいかなかった。
そこで、先ずは「道明寺駅」を経由する最短コースとして、道明寺駅で分岐させ、土師ノ里駅(1924年開業)藤井寺駅を経由する現在の南大阪線の線形となった。
しかも現状の線形とすることで、途中には伝・応神天皇陵の参拝口に最も近い御陵前駅(1924年開業1945年休止)を設けることが出来て観光路線としては誠に都合が良かったわけである。
更に大阪乗り入れを期に日本初の直流1500Vによる電化を達成し、当時SL列車を運行していた関西鉄道とは比較にならない「高速」で南大阪を駆け抜け、1929年の古市-久米寺(現橿原神宮)間の開通により、奈良中部エリアにおいても「旅客輸送の覇者」と成った。
この1923年の電化全線開業と1929年の現橿原神宮前延伸により、僚友「大阪線」と共に1973年の関西線電化まで半世紀に渡りこのエリア(中河内、南河内・奈良県中部)の旅客輸送をほぼ独占してきた訳である。
第2節 「道明寺駅」を分岐点と決めたことにより...
「道明寺駅」を分岐点と決めたことによって、道明寺駅から急な左カーブでしかも坂道を駆け上がり、丘陵地の頂上を開削した「土師の里駅」を出てからは左カーブで急坂を下り、さらに右にカーブを描き「御稜前駅」に至り、藤井寺に向かうと言う何ともものすごい線形となってしまった。
道明寺駅出発後の左カーブは開通以来昭和年間に入っても、何度も脱線事故を起こす「魔のカーブ」として近鉄関係者を悩ませ続けて来た。
戦後の変遷
戦後、時代は移り変わり1945年 応神御陵前・誉田八幡両駅は共に休止(1974年正式廃止)され、道明寺天満宮も初詣位しか訪れる人も亡くなり、玉手山遊園地も「ジェットコスタ-」を備えた後発の各遊園地に客を奪われて次第に寂れ、「道明寺線」も貨物輸送以外旧国鉄線との行き来が無くなり、1957年のラビットカー(※3)登場後も1970年頃まで長年モ600型1両の電車が往復する単なる「盲腸線」に成り果てていた!
最も南大阪線自体も1970年代ですら準急・(通勤)急行が昼間3両、朝夕の通勤ラッシュ時でさえ5両連結と何とも可愛い編成の「吊り掛け電車」が轟音をまき散らしながら「のどかな(ド田舎丸出し?の)沿線」を「ガタンゴトン、ゴウォー」と怪走?していた。
1970年代に入り、沿線住宅地開発で利用者が増えて駅設備の増強(ホーム延長など)等を実施して、やっと通勤時間帯の朝夕のみ6両連結になり、1990年代になって南大阪線の大阪市内連続高架が完成してようやく現在の様に通勤時間帯で最大8両の電車が走るようになり大幅な所要時間短縮にも繋がった。
第3節 JR大和路線&和歌山線の高速化!による打撃
1973年10月の大和路線電化、1980年の王寺 - 高田駅間-五条駅間の電化そして1987年4月のJR西日本発足以来、JR難波ー高田間の直通快速など年々便利になり、現在では天王寺-JR大和高田 37分/580円/33.6km、
大阪阿部野橋ー近鉄・高田市駅 48分 560円/34.2kmと10分近く水を明けられる結果と成っている。
但し、同じ近鉄大阪線が大阪難波ー(近鉄)大和高田駅間31分/560円/31.9kmと時間料金共に最短で結んでおり、JR難波-(JR)高田間 44分 670円/37.1kmには大きなリードを保っている。
しかし、大規模な宅地開発で宅地開発の進んでいる南大阪線柏原神宮駅沿線の住人からは、依然としてスピードアップを要望する声も多い!
桜井-大阪難波 43分/快速急行(通勤急行)/690円/41.8kmと比べても
柏原神宮前ー大阪阿部野橋 39分/急行(通勤急行)/620円/39.7km
富田林ー大阪阿部野橋 29分(急行乗り換え)/440円/24km
かかり「大阪阿部野橋駅(大阪メトロ天王寺駅)から更に地下鉄乗り換え」で目的地まで通勤する事を考えると後5・6分の短縮要望は当然である。
第4節 乗降客数の低下と営業収支の悪化!
道明寺、土師ノ里両駅の現況
2005年11月8日調査 1日乗降人員 7,623人/道明寺駅、7,771人/土師ノ里駅
2015年11月10日調査 1日乗降人員 6,345人/道明寺駅、7,167人/土師ノ里駅
両駅とも毎年減少している。両駅合わせて2005年より12%減!
第4章 近鉄道明寺線の辿った鉄路
※以下()内は当時の起点「柏原駅」に係わりの深い初代「大阪鉄道」現JR関西線とその生い立ちに深い関わりのある旧大和川支流の一つ「平野川」についての概略沿革です。
(1704年 大和川川違え(付け替え)完工、同時に水門により分流した旧大和川である支流「平野川」沿いの運河を使って「柏原船」が物資輸送をはじめる。
同時に旧狭山藩狭山池から同じく天王寺の旧平野川に至っていた「下除川(しもよけがわ)」を使って栄えていた水運が、大和川により「分断」され新大和川南岸の旧下除川一帯は堺に依存する経済圏となった。
(1868年(明治元年)堺県!誕生。同時に県境を大和川に変更。淀川以南、中河内、南河内一帯が堺県となる。)
(1876年 奈良県を廃止、堺県に編入。)
(1881年 堺県廃止、大・大阪府誕生、)
(1885年 難波 - 大和川(後に廃止)間で阪堺鉄道(現南海本線)開業)
(1887年 大和地域分割「奈良県」最発足。)
(1889年 当時の「初代・大阪鉄道」が、旧大和川の1つ平野川の河床跡地(当時畑地を利用し) 湊町 - 柏原間開業)
(1892年 亀瀬隧道完成、大阪鉄道、湊町 - 奈良全通)
(1898年 関西鉄道(本社三重県) 大阪・綱島駅(現大阪市立東高等学校敷地)ー名古屋間全線開通 夜行列車運行開始!
1898年 河陽鉄道(柏原ー富田林駅間)開業。
(1898年1月30日 高野鉄道(現南海・高野線)大小路(現堺東)ー狭山駅間開業、同年4月2日長野駅(現河内長野駅)まで開通。)
1899年「河南鉄道」に営業譲渡、
(1900年6月6日初代「大阪鉄道」も 関西鉄道(三重県)に事業譲渡)
(同年9月3日高野鉄道 道頓堀駅(現在の汐見橋駅) - 大小路駅間が開業、)
1902年 富田林駅 - 長野(現河内長野)間が開通、「河南鉄道」全線開業
1908年 道明寺駅を最寄り駅とする西日本最古の「玉手山遊園地」開設。
1911年 誉田駅開業
(1915年 高野山鉄道 汐見橋ー橋本駅間全通 同時に「大阪高野鉄道」に改称。
1919年 「河南鉄道」が2代目「大阪鉄道」に社名変更、
1922年 道明寺-布忍間延伸開業、
1923年 布忍ー大阪天王寺駅(現大阪阿部野橋駅間開業・全線開通、同時に大阪天王寺ー道明寺間国内初の直流1500V電化完成!)
1924年6月、土師ノ里、御陵前駅誕生、同時に大阪天王寺駅を「大阪阿部野橋駅」に改称。
1929年古市-久米寺(現橿原神宮前駅)開通
1943年に関西急行鉄道(現近畿日本鉄道)に吸収合併され、現在に至っている。
1945年 応神御陵前駅・誉田八幡駅休止(1974年正式廃止)
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運悪く?3セク転換して無理やり開業に持ち込んだものの、すでに鉄道一辺倒の時代では無くなり、沿線住人からもソッポを向かれて!
破滅 への(鉄)路をひた走り、最後は莫大な赤字(借入金)を残して事業破綻に追い込まれて、abandoned railroad となり無残な廃墟をさらしている路線が数多くあります!
無謀な計画がどうして実行に移されたのか?そして今もなを"くすぶっている"無意味で無謀な路線路計画"が後を絶たないのか?
計画だけに終わった暴挙!も含めて、その背景を邪推?してみました。
狸穴総研 公共交通網調査室 出自多留狸
公開:2017年12月12日
更新:2022年6月25日
投稿者:デジタヌ
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