『タヌキがゆく』狸穴ジャーナル

大阪市・天王寺区とこれ迄の歩み《 タウンヒストリア 》アクセス史から見た歴史探訪

阪堺電車天王寺駅前がお隣阿倍野区に?

南海電車が走っていないのにJR天王寺駅コンコースに「南海そば」があり、ミオに南海が出資している訳は?

大阪市誕生以来の4大区と、4大区影響下で生まれた天王寺区の発展の歴史を、周辺アクセス網の整備発達の過程との関連から眺めてみたコラム。

交通網の変遷と大阪市・天王寺区

鉄道の夜明け

1874年(明治7年)5月11日:現東海道線大阪駅 - 神戸駅間(20M27C56L≒32.74 km)が旅客線として開業(三ノ宮駅 - 神戸駅間複線)。大阪駅・西ノ宮駅(現在の西宮駅)・三ノ宮駅(現在の元町駅付近)・神戸駅が開業。西成郡曽根崎村に大阪駅が開業。周辺はわずかの民家があるだけで荒地と梅田墓地が広がっていた。

1876年(明治9年)7月26日:向日町駅 - 大阪駅間(22M56C57L≒36.54 km)が旅客線として延伸開業。向日町駅・高槻駅が開業。(つまり東海道線開通には新淀川淀川開鑿工事は未着工であった。)

淀川の水運から鉄道利用に、京阪間の物流の変化

1877年(明治10年)2月6日:京都駅 - 大宮通仮停車場間(40C11L≒0.81 km)が延伸開業。大宮通仮停車場が廃止、京都駅が開業。神戸駅 - 京都駅間全通

1879年 - 郡区町村編制法施行により、4大組が東区、南区、西区、北区(旧)の4大区(自治組織)となる。

離合集散の歴史

1881年(明治14年)2月7日 -堺県を大阪府に編入合併。

※1704年10月大和川付け替え完成以来のこの辺の事情が「21世紀まで尾を引く」大阪府・大阪市と堺市の確執につながっている?。

1885年 (明治18年)6月17日~7月上旬の淀川洪水で大被害が出る。被害は納谷川以南にまで拡大し大和川付け替えで無くなったはずの「河内湖が出現」し始め最大で4ⅿも浸水した!大阪市内では上町台地以外はすべて浸水した。

1887年旧暦11月4日 奈良県を分離再設置し現在の府域が完成。

※つまり堺県を統合して大阪府としていた時は「奈良県も」含まれていた、この時の「遺恨」で奈良県は大阪府が提唱した近畿広域連合に入っていない!

1889年(明治22年)5月14日:大阪鉄道(現JR大和路線) 湊町駅(現JR 難波) - 柏原駅間(10M10C≒16.29km)が開し天王寺駅開業

同年7月1日:東海道本線・新橋駅 - 神戸駅間が全通。

1889年 - 市内4大区をのぞく大阪府下4区を大阪市とし市制施行、市制特例により市長を置かず、大阪府知事が市長職務を行う。

1892年(明治25年)2月2日:大阪鉄道・亀瀬仮停車場 - 稲葉山仮停車場間(64C≒1.29km)が延伸開業し、湊町駅 - 奈良駅間が全通。

1895年(明治28年)5月28日:大阪鉄道 天王寺駅 - 玉造駅間(2M28C≒3.78km)が開業(現JR環状線の東側一部)。
同年10月17日:玉造駅 - 梅田駅間(4M29C≒7.02km)が延伸開業(後の城東線・現JR環状線東側)が開通し大阪ー天王寺間の連絡鉄道完成。 

1897年4月1日、大阪市(旧4大区)の第一次縄張り拡張がおこなわれ、大阪鉄道(現在の関西本線・大阪環状線)の線路より北側の天王寺村が大阪市(4大区の南区)に割譲併合され現天王寺区の礎となった。

1898年淀川の洪水対策として新淀川(全長 約7km,川幅約 800m)着工,

同年11月18日:関西鉄道加茂駅 - 新木津駅間が延伸開業し、網島方面への路線(のちの片町線)に接続。名古屋駅 - 網島駅間が全通し、直通急行列車を運転開始。

天王寺区と市内交通の発展、大阪馬車鉄道の開通

1900年(明治33年)6月6日:大阪鉄道が関西鉄道に路線を譲渡し湊町駅(現:JR難波駅) - 名古屋駅間に昼間急行列車運転開始。

同年(明治33年)9月20日 大阪馬車鉄道が天王寺南詰(現在の天王寺駅前交差点付近) - 八弘社(現在の阿倍野) - 阿倍野(現在の東天下茶屋)間1.05マイル(1.7 km)を開業。

同年10月26日:南海鉄道「天王寺支線」開業 天下茶屋駅 - 天王寺駅間2.4km(単線)

同年11月29日  大阪馬車鉄道「天下茶屋 - 上住吉(現在の神ノ木)」間延伸開業。

大阪馬車鉄道「天王寺南詰 - 天王寺(現在の大阪市天王寺区四天王寺前交差点にあった駅」延伸開業。

1901年10月5日:南海鉄道 天王寺支線開通により南海線 住吉駅 ー 関西鉄道大阪駅間で直通運転を開始。

市営モンロー主義の誕生

1903年(明治36年)9月12日 - 「大阪市営電気鉄道」 第1期線として、築港線(花園橋 - 築港桟橋 間約5km)を開業。

同年11月16日 - 市会で「市街鉄道に対する方針確定の件」を議決。正式に市内交通機関市営主義の標榜を宣言。

1907年10月1日 - 関西鉄道・国有化。城東線誕生(現大阪環状線東側)同時に南海鐡道の片方乗り入れ廃止!

1908年(明治41年)1月31日浪速電車軌道株式会社(旧大阪馬車鉄道・現阪堺電気軌道)天王寺 - 下住吉間の馬車鉄道による旅客営業を廃止し、路線を1067mmから1435mmへ改軌し電化・複線化する工事に着手。

同年8月1日 - 大阪市営電気鉄道第2期線として東西線(九条中通一丁目 - 末吉橋間)、南北線(大阪駅前 - 恵美須町、渡辺橋 - 大阪駅前間)を開業。

1909年 新淀川(放水路)完成。

1912年(明治45年)5月1日 -大阪電気軌道 堺筋線開業。により天王寺⇔大阪駅間に第2ルート完成。

近郊電車の誕生

1914年4月30日:大阪電気軌道により上本町駅 - 奈良駅(高天町の仮駅)間が開業。。

同年7月8日:大阪電気軌道(現近鉄奈良線)終点を高天町から東向中町の奈良駅まで延伸。「奈良駅前駅」開業。

1915年(大正4年)6月21日 南海電鉄、(初代)阪堺電気軌道を合併。阪堺線、大浜線、平野線とする。

1921年(大正10年)12月24日 - 大阪市が天王寺西門前駅 - 阿倍野橋駅間を南海鉄道から買収。

1923年4月13日:2代目大阪鉄道(現近鉄南大阪線)がお隣天王寺村(現阿倍野区)に大阪天王寺駅(現在の大阪阿部野橋駅)を開業、布忍駅から1500V電化(※1)で延伸開業し、天王寺⇔富田林間が全通。

1924年(大正13年)10月31日:大阪電気軌道・国分線として足代駅(現布施駅) - 八尾駅(現在の近鉄八尾駅)間が開業。

1925年 天王寺区が独立

東区から旧東成郡西高津村(1889年に東成郡へ転属)と東平野町にあたる地域が、南区から旧東成郡天王寺村・生野村の城東線内にあたる地域を割譲させて誕生。

1929年(昭和4年)7月18日:(南海系)阪和電気鉄道により阪和天王寺駅 ⇔和泉府中駅間(13.0M≒20.92 km)全線複線電化で完成。

1930年(昭和5年)6月16日:阪和電気鉄道・和泉府中駅⇔ 阪和東和歌山駅間 (40.3 km) が複線電化で延伸開業し全通。

1931年 - 大阪城天守閣記念館が鉄筋コンクリート造りで誕生。

1933年(昭和8年)2月16日:城東線の電化に伴い、南海電車、天王寺支線天王寺駅直通電車を増発。

1933年5月20日 - 日本初の公営地下鉄・大阪市営地下鉄(梅田-心斎橋間、)開通。

1935年(昭和10年)10月30日:大阪市営地下心斎橋駅 - 難波駅間 (0.9 km) が開業。

1938年(昭和13年)4月21日:大阪市営地下難波駅 ⇔天王寺駅間 (3.4 km) が延伸開業。天王寺―梅田(大阪)間に第3アクセス鉄道完成

1940年(昭和15年)12月1日:阪和電気鉄道が南海鉄道に吸収合併され、同社の山手線となる

1943年 、戦時決戦体制強化の名目で長年続いた4大区(東・西・南・北区)の自治権が無くなり大阪市と完全統合!その際末吉橋通以南・上町筋以東を東区から移譲され、千日前通以北・上町筋以西を南区へ移譲、松屋町筋以西を浪速区へ移譲して現在の区域となった。

1944年(昭和19年)5月1日:南海山手線が国有化され阪和線になる。

1945年 - 大阪大空襲。

1955年 - 北河内郡1町および中河内郡1町4村を編入、旧摂津国と旧河内国にまたがるほぼ現在の市域となる。
1956年 - 政令指定都市に移行。

1964年9月24日:市営地下鉄新大阪駅 - 梅田駅間 (3.5 km) が開業。

同年10月1日- 東海道新幹線が開通し、新大阪駅が開業

1967年3月10日 : 阪神高速1号環状線全線が開通。

1968年(昭和43年)12月17日:谷町四丁目駅 - 天王寺駅間 (3.8 km) が開業。4両編成運転開始。天王寺検車場が開設。

1969年3月31日;今里車庫 - 戎橋(難波) - 玉船橋と阪急東口(梅田) - 都島車庫 - 守口間が廃止この日をもって大阪市電全廃!(※2)

1969年4月16日:現大阪メトロ千日前線  野田阪神駅 - 桜川駅間 (3.7 km) が開業。
同年7月25日:谷町九丁目駅 - 今里駅間 (2.6 km) が延伸開業。

1970年3月11日:桜川駅 - 谷町九丁目駅間 (2.4 km) が開業し野田阪神今里間が開通。

同年3月15日上本町(現大阪上本町)ー近鉄難波(現大阪難波)間近鉄難波線開業。

同年3月8日 : 阪神高速13号東大阪線(西横堀 - 法円坂)が開通。
同年3月13日 : 阪神高速14号松原線(環状線 - 阿倍野)開通

1995年 -1月17日、阪神・淡路大震災。大阪市内では震度4を記録し火災や停電などの被害を受けた。特に兵庫県尼崎市に隣接する西淀川区では家屋全半壊などの被害もあった。

2009年(平成21年)3月20日 阪神電気鉄道の西大阪線 西九条ー大阪難波駅間延伸開業、近鉄・阪神相互乗り入れ開始。

2018年 - 大阪市交通局が民営化され、地下鉄事業は大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)、バス事業は大阪シティバスに引き継がれた。

※参照覧

※1、「不要不急線」についてのWeblioの解説はこちら

※2、日本初の直流1500Ⅴ電化、当時は路面電車と同じ直流600V電化が普通で在阪私鉄に限らず全国の私鉄はすべて路面電車と同じ600V電化であった。

※3、当時地元民党?議員団が貧弱な道路網を棚に上げ、完成して("うまみ"が無くなって?)いた世界屈指のトラム網「市電・トロリーバス網」を「目の敵」にし、自己の利益誘導のために莫大な投資が必要な地下鉄網建設に目を付け活発な推進運動を展開した!

ために、道路整備に投資しておけば延命できた都市交通トラム網が灰燼に帰してしまった!

当サイト内 関連記事 第5節"市営モンロー主義"の誕生と在阪私鉄のターミナルの関係はこちら。

天王寺区のある大阪府・大阪市とは

大阪府

推計人口、大阪市8,819,416人/2018年4月1日

旧・摂津国の一部・河内国・和泉国からなる府。

かつては、都道府県で東京都に次ぐ第2の人口だったが、2006年5月1日に神奈川県が大阪府の人口を上回ったため、現在は第3位である。

大阪市

旧摂津国と旧河内国にまたがるエリアで、大阪市の府庁所在地

推計人口、2,716,989人/2018年4月1日。

天王寺区

旧摂津国東成郡東平野郷、旧東成郡天王寺郷・生野郷の大部分からなっている。

周辺区に移譲を繰り返した結果,誕生当時より小さな (4.84Hr)区になった。

推計人口、78,615人/2018年4月1日

令制国(律令国)

645年旧暦6月12日の「乙巳の変」以降 668年即位した天智天皇によって制定された令制国(律令国)による国分けにより704年の国割確定・国印鋳造を基本として明治初期の廃藩置県後も現在に至るまで行政区分の基本となっている.。

古代から近世を通じ、大阪平野を形作ってきたのは、淀川(神崎川・大川)水系、旧大和川(石川)水系、猪名川水系、武庫川水系であった。

特に淀川・大和川水系は「河内湖」(内海)に注ぎ、河内湖がほぼ消滅してからも長らく河内は湿地帯であった。

有名な、古市、百舌鳥古墳群は、河内湖周辺の先に堆積した比較的標高の高い堆積平野に作られている。

奈良時代においてはこれらの水系が旧大川(上町大地北端・現大阪城北側天満)の辺りに集中し、流域はたびたび洪水に見舞われるとともに、「肥沃な平野」を形作っていった。

つまり、これら旧河川を境に、上町大地周辺と淀川以北・以西を摂津国、上町大地の東側を流れる下除川(現下除川・現今川)以東を「河内国」、上町台地以南の下除川以西の地域を「泉国」と律令体制で定めた。

これら3国が元となり現在の大阪府が形造られている。(摂津国の猪名川以西は現・兵庫県域)

天王寺区のある元摂津国のこれまで

淀川(大川本流)以北の六甲山系と伊丹台地に挟まれた三田から流れる武庫川、伊丹台地、と千里丘陵に挟まれた能勢郡から流れる猪名川、淀川分流の神崎川、の各河川流域の比較的早く形成された平野部と古くは難波宮が置かれた上町台地とその周辺部で構成されている。

江戸幕府の「入組支配」

入組支配;江戸幕府が行った政策で、かつての律令国家の上に成り立つ、地方豪族・大名に対し頻繁に転封(国替 )・減封(領地召し上げ)を行い地方の統一・団結を阻む政策。このため明治維新後も府県、郡村の離合集散が重ねられた。

廃藩置県と明治新政府の行政改革

江戸時代、徳川政権の幕藩体制下で有名無地となった「令制国」の復活・修復と、入組支配の結果生じた近隣地区(村)同士の待遇(租税)格差をなくし、「地方創世の基本となる行政区分再編成」を行ったのが一連の廃藩置県政策であったともいえる。

教科書!では1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の明治新政府の布告日が知られているが実際には1867年11月9日(慶応3年旧暦10月14日)の大政奉還から版籍奉還 (1868年8月1日)( 旧暦6月24日)を挟み、1871年8月29日の廃藩置県布告を経て1872年の 第1次府県統合、1876年の第2次府県統合終了まで明治新政府によって進められた一連の行政改革でその後の離合も含め大阪府(旧摂津国)も幾多の行政変遷にさらされた。

大阪府の成り立ち

1868年(慶応4年)旧暦1月22日大坂鎮台設置。

1868年同年旧暦1月27日大坂鎮台を大坂裁判所と改称。

1868年同年、旧暦4月大坂裁判所に町地(天領)を除く周辺部を管轄する司農局設置。

同年旧暦5月2日大阪府を置き大阪市街地を管轄させる。

大阪府発足当時の管轄地域は、摂津国東成郡61村、西成郡132村(中心部大阪3郷をのぞくほぼ現大阪市域)、住吉郡37村、河内国交野郡1村(加納藩預地)であった。

同年旧暦6月8日大阪府司農局が南北に分割。

同年旧暦6月22日 堺県設置。

1869年 - 大阪城下(天領)大坂三郷を再編し、大阪市街地が東大組、南大組、西大組、北大組の4大組に分割される。

同年10月25日(旧暦9月21日) 東成郡・西成郡が大阪府の管轄となる

1871年8月29日(旧暦7月14日)廃藩置県布告。

1871年12月31日(旧暦11月20日) - 第1次府県統合により、猪名川以東の島下郡・豊島郡・能勢郡・西成郡・東成郡・住吉郡および島上郡の大部分(山崎村を除く)が大阪府、猪名川以西の5郡が兵庫県の管轄となる。

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市営モンロー主義 の起源と変遷 のご案内

2022年6月12日更新版・公開

要約

私鉄に対抗した"公営交通事業者の思想論"として語られることの多い『市営モンロー主義』について、その"真実の姿"を大阪市を例にとって"生い立ち"と"歩み"そして"現在の姿"を、過去の事例と事実を時系列に沿って組み立て直して多面的に眺めた「歴史ファンタジー」です。

続きはこちらから...

 

公開:2016年10月29日
更新:2022年9月12日

投稿者:デジタヌ

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