大東亜戦争「敗戦」後に訪れた地方ローカル鉄道の「廃線」期!《 LRT・軽便鉄道・森林鉄道が消えた訳は...第5回 》
第0項 廃止まで地域住人のlifelineであり続けた軽便鉄道、森林鉄道、路面電車
第1目 最後に残った殖民軌道・浜中町営軌道の廃止!は1972年3月!
北海道で最後に残った殖民軌道・浜中町営軌道の廃止は1972年3月!です。
つまり名神高速道路(1963年着工1965年完成)が開通した1960年代中期でも、北海道ではまだ♥殖民軌道が延伸!されていたのです。
軽便鉄道は高度成長と共に訪れた「モータリゼーションの激流に押し流された!?」として片付けられていますが、決してそうでは無い!ことを物語っています。
事実北海道の殖民軌道を除き、日本各地にあった「軽便鉄道、森林鉄道、路面電車」の殆どは廃止の前日!まで、地域住人の♥Lifeline として地域交通を♥担っていました!
第1節 森林鉄道の衰退
森林鉄道については、モータリゼーションの津波というよりは、林業自体の衰退!が1番の要因!です。
高度成長期の住宅建設ラッシュ!と時を同じくして、安い海外製の原材が大量に輸入!されるようになり、
各地の林業(材木出荷量)は急速に衰退!し、もはや森林鉄道による(出荷集積地までの)大量輸送も必要無くなりました! 。
林業衰退で減った出荷量ならば、トラック輸送で十分にまかなえる!ようになり、
「営林事業縮小とともに消えていった!」と解釈すべきでしょう。
逆に、道路環境整備を待たずに規模(路線)縮小が先行!して、森林鉄道軌道跡地が道路整備に転用!された例も全国各地にあります!
第1項 各地の森林鉄道の衰退期
1963年(昭和38年)武利意森林鉄道(むりいしんりんてつどう)廃止
(※関連記事森林鉄道《鉄道人気スポット ナビ》まるせっぷいこいの森はこちら)
1964年(昭和39年):3月30日魚梁瀬森林鉄道全線廃止となる。(※関連記事魚梁瀬森林鉄道 《 鉄道 人気 スポット ナビ 》魚梁瀬丸山公園はこちら。)
1976年(昭和51年) 鯎川森林鉄道(最後の木曾森林鉄道支線)廃止(※関連記事王滝森林鉄道復元軌道 《 鉄道 人気スポット ナビ 》松原スポーツ公園はこちら。)
第2節 発電ダム建設の為に敷設された鉄道
第1項 東京都・水道局軽便鉄道
1934年完成の山口貯水池(貯水ダム)建設の為に敷設された東京都・水道局軽便鉄道
工事にあたり、村山貯水池の資材運搬と導水管(羽村村山線)工事の際に敷設し廃線となった羽村-横田間の軽便鉄道の線路再敷設と横田-山口貯水池堰堤間の延伸工事を1928年に行い、1929年から砂利運搬に利用した。廃線跡の一部は武蔵村山市は野山北公園自転車道として、羽村市は神明緑地として整備された。《Wikipediaより引用》
第1目 多摩湖・狭山湖建設の為に
東京都の水瓶、村山貯水池(多摩湖)山口貯水池(狭山湖)は3つのダムからなる大規模な貯水池です。
なので建設時には、軽便鉄道以外にも(当時貨物輸送も行っていた)西武鉄道が西武多摩湖線、狭山線、狭山通り支線(廃線)、更には八高線(奥多摩工業セメント工場)からも専用線が伸びていたようです。
第2目 建設資材の入手が容易だった沿線...
1-2-1 石灰石鉱山が多い Region
青梅線、五日市線、八高線沿線のこの一帯には建設資材となる石灰石鉱山が多く、大規模なダムを建設するのに都合が良かったのでしょう。
1-2-2 川砂利採掘場も
また当時はコンクリートの骨材に川砂利を使用するのが一般的で、
有名な西武安比奈線をはじめ、青梅線沿線にも(小生が暮らしていた)河辺、小作辺りに採掘場が数か所あり、
京王線!の中河原あたりにも、
更に南武線(※31)はもともと多摩川沿いの川舎利採掘場からの川砂利出荷路線として誕生しています!
参※31)当サイト関連記事 南武線は並走する武蔵野貨物線を旅客化すれば混雑緩和できる はこちら。
1-2-3 三多摩に飛行場が多いのも...
前途したように、1960年代中期になるまでは舗装と言えばコンクリート舗装が一般的で、
(海外も含めて)飛行場も戦前戦中の軍用未舗装!飛行場かコンクリート舗装が一般的でした。(32)
なので武蔵野エリアには、旧所沢飛行場に始まり、横田基地、入間基地、立川飛行場、厚木飛行場、調布飛行場、旧府中飛行場、そして羽田空港と飛行場も多いのです!
参※32)当サイト内関連記事 南武線 と川崎市が 羽田空港アクセス線 開業で大ブレイクできるか? はこちら。
参※32)当サイトシリーズ記事 世界初の旧ブルックランズ (Brooklands )飛行場サーキットはこちら。
参※33)21世紀に入った頃、小生は東京都民!として青梅市(青梅村?)に住んでいました。
第3目 ダム建設の為の鉄道路線
- ●小河内ダム建設のための都営鉄道(東京都水道局小河内線)(※34)
- ●黒部渓谷鉄道
- ●井川ダム建設のための大井川鉄道井川線
- ●北陸鉄道・金谷線・白山下駅以遠の末端部
- ●九頭竜ダム建設のための越美北線
などなど
戦後高度成長期に数多くできた発電用ダムの建設には、セメントや骨材(砂利・砂)が必要になり、戦後間もない時期は、地方鉄道(ローカル線)も建設現場まで工事用仮設路線を延伸して、その輸送に当たっていました。
つまり、6トン積!(※33)のボンネットトラックと、未舗装の建設道路ではとても大量の資材を運ぶことが出来なかった!のです。
当時、度々避暑を兼ねて、小河内貯水池(小河内ダム)へ出かけていました。(勿論マイカーで...)
当時都営鉄道跡は、ほぼ完全な姿!で残されており、地図上にもはっきりと記載されていました!
そして2007年頃までは、Zenrin電子地図などにも記載されていて、廃ルートを辿ることが出来ましたが...
近年すべて削除されて、国土地理院データバンクで復元することもできなくなりました!
なので残念ですが、本稿では再現ルートは記載できませんでした!
但し遺構が残っている部分のみ汽車マークを記しました!
参※33)10ton積みの大型ディーゼルトラックが普及しだしたのは1970年代になってからです。
公開:2019年7月23日
更新:2025年4月18日
投稿者:デジタヌ
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