狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載《 路面電車・軽便鉄道・森林鉄道が日本各地から"消えた理由!"とは...》ー第6回ー

第6回 実は一般道の舗装率と強い相関関係がある「モータリゼーションの津波!」

爆発的な「モータリゼーションの津波!」は、一般道の整備(舗装率)と強い相関関係!!があります!

第1節 日本もそうですがアメリカの地方鉄道は道路整備と共に...

"鉄道全能神"を崇拝する?懐古趣味の老人たちは"痴呆鉄道"を必死で擁護していますが...

広大な国土を持つアメリカでは、1913年に全米リンカーンハイウェー協会が設立されて、嘗ての西部開拓時の馬車ルートを改良した、リンカーンハイウェーが全通したわけですが、ハイウェーとは名ばかりの"ダートトラック"で、1950年代の日本同様に晴天時には砂塵が舞い、降雨時には泥道と化して、とても実用には向かないような代物でしたが...

それでも、1908年に登場していたフォード・モデルTの"価格破壊"で馬車に代わって一般大衆のパーソナルトランスポーターとなると、リンカーンハイウェーを使って、長距離家族"冒険旅行"に挑戦する人たち?が増えていったわけです!

※フォード・モデルT登場当時は、舗装と言えば都会でも"レンガ舗装"が当たり前の時代でした!

1909年に完成した有名なIndianapolis Motor Speedway(※41)がレンガ舗装で今もスタートラインとして一部(90cm巾)が残されているのはこのためです!

但し、1907年6月17日にオープンした世界初の常設クローズドサーキット 旧ブルックランズ (Brooklands )サーキット(※42)は全コースコンクリート舗装でした!

参※41)当サイト内関連記事 Indianapolis Motor Speedway はこちら。

参※42)当サイト内関連記事 旧ブルックランズ (Brooklands )サーキット はこちら。

第2節 アメリカで始まった道路建設の technological innovation が..

第1項 technological innovation!

発明を軸に企業家が新しい商品の生産、企業経営の新しい発展方向を打ち出すことによって社会的に展開されると説いた。《コトバンクより引用》

第1目 アメリカで本格的な高速道路網が整備されだしたのは

アイゼンハワーがヨーロッパ戦線に従軍していた際にドイツのアウトバーン網にいたく感動して、1956年度版の連邦道路整備補助案で州間高速道路の整備が決まり整備されだしたインターステーツ(州間高速道路)からだといわれています!

つまりアメリカでも1964年開通の名神高速道路と10年程度の開きしかありません!

第2目 米国全州道路交通運輸行政官協会

機械化が進んでいた米国では、アスファルトフィニッシャ(1938年特許確定)が登場する第2次大戦以前から、ブルドーザー(1923年登場)やグレーダー(1920年登場)が普及しており、コンクリート完全舗装道路が全米に広がっていきました!

1925年に米国全州道路交通運輸行政官協会(American Association of State Highway and Transportation Officials、以下AASHTO)が誕生して、1926年に有名なアメリカ最初の国道ルート66が完成してアメリカの舗装国道の歴史が始まったわけです。

しかし各州が独自に行う事業では大規模な土木工事(自動車専用道)は少なく、現在・日本の一般国道程度の代物でした。

第3節 日本におけるモータリゼーションの津波

一般的には、日本におけるモータリゼーションの津波は、高度成長によるマイカーブームで「急激なモータリゼーションの津波!」が発生して「地方のローカル鉄道網を押し流した!」と吹き込まれ(洗脳!され)ていますが...

事実はそうではありません!

第1項 舗装道路の普及

舗装道路の普及により、幹線道路を大型化したトラックやバスが我が物顔に暴走?(※45)するようになり、大都市近郊から徐々にモータリゼーションの"津波"が地方に押し寄せたわけです。

参※45)2021年6月現在約7万人が暮らす田舎町!の大阪府柏原市でさえ、小生が中学2年当時の1964年の段階では、国道以外は幹線道(府道)ですら未舗装!で、いたるところ"ラフロード"だらけで、「我がもの顔」で暴走していたのは小生も含めたガキどもの"チャリ暴"ぐらいでした!近くにあった国道170号(旧道)は既に立派な"全面コンクリート舗装路"でしたが、ところどころに信号があるだけで走行する車両もほとんどなく、柏原市からPLランド(プール)迄、仲間と連れ立ってよく自転車で泳ぎに出かけていました!その時に中央ラインをスラロームごっこしてよく遊んだものです!

つまりそれくらい通行量が少なかったわけです。

※、国交省が国道の舗装普及率を示した資料を公開していたのですが...

2019年に突如として非公開!となりました!私達 citizen に因果関係がバレル!とまずいことがあるのでしょう?!

  • ●整備新幹線建設推進プロジェクト!に悪影響する!
  • ●EV化政策(モーダルシフト)推進の裏側に隠された経産省関係者の「大人の事情(利害・思惑)」がバレル!
  • ●旧・運輸省派(キャリア官僚)と旧・建設省派(キャリア官僚)とで手打ちが成立した。

等の諸々の大人の事情」が交錯しているのでしょう...

参※当サイト内関連記事 懐かしいレトロシティー柏原!? はこちら。

第2項  高度成長期でもまだまだ日本のモータリゼーションは黎明期だった!

敗戦後の高度成長期でもまだまだ日本のモータリゼーションの聡明期は続いており、小生の幼い時期の記憶でも、1950年代の「ダットサン1000(ブルーバードの前身)」のTVコマーシャルは長閑(のどか)な郊外ドライブ風景...等ではなくて「豪州ラリー」で荒れた荒野を力走する姿でした!

つまり、高速性能などという以前に「当時の酷道」における高い走派性・耐久性が必要とされていた時代でした。

第1目 1964年以前道路整備も人力主体!

1964年以前の日本は、舗装がどうのこうのという以前に、未舗装の一般道の凸凹を馴らす補修作業ですら大変な時代!でした...

ツルハシ・スコップ・もっこを使った人力が道路整備の主役でした!。

なので雨上がりの凸凹道でのスタック(※43)やパンクで路上に留まっているトラックも当たり前!の時代でした。

正に、当時大ヒットした流行歌の歌詞『田舎のバスはおんぼろ車凸凹道をガタゴト走る...』の通りの状況が田舎だけではなく全国至るところで繰り広げられていたわけで、Omnibus(乗り合いバス) はとても実用的な公共交通機関とは言い難い状況でした!

※43) 小生が小学校の頃(1950年代後半)でも我が村?は未舗装であり、近くの幹線道路(国道)もやっとコンクリート舗装に...

もちろん集落の中や国道に繋がる準幹線道(府道)も含めすべて完全未舗装!のダート・ロード!?が数km以上も続き、雨上がりや晴天が続いた後は道路は凸凹だらけ!

パンクでもないのにあちこちの「公道」のど真ん中で「スタック!」する車両が続出する有様で、村の万屋(よろづや)に、週一度位しか来ない500kg積のバタバタ(オート3輪)が村はずれでスタックするたびに、村人総出?で押す光景をしょっちゅう目にしたものでした!(勿論小生も手伝いました)

 

公開:2019年7月23日
更新:2024年3月21日

投稿者:デジタヌ

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