狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

Essay『南海高野線汐見橋支線?は廃線などにはならない!...いつ迄も走り続ける!』ー第5回ー

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★第4節 年表で紐解く南海電車の難解な歴史?

第1項 大阪4大区の「市営モンロー主義」旗揚げまで

※印は 南海以外の鉄道事業者

  • 参※1874年5月11日  大阪 ⇔ 神戸駅間の鉄道開通と同時に官設大阪駅開業。
明治18年 阪堺鉄道開業!
  • ●1885年12月29日に現・南海本線 難波駅 ⇔大和川駅間が軌間838mmの軽便鉄道として初代・阪堺鉄道開業。
  • 参※1889年5月14日開業の初代大阪鉄道(後の関西鉄道→国鉄関西本線→現JR大和路線)  湊町駅(現JR 難波) - 柏原駅間(10M10C≒16.29km)が開通し天王寺駅を開業した。
  • 参※1895年5月28日:大阪鉄道 により天王寺駅 ⇔玉造駅間 (2M28C≒3.78km) が開業。桃山駅・玉造駅が開業し同年10月17日:玉造駅 ⇔梅田駅間 (4M29C≒7.02km) も延伸開業。京橋駅・天満駅・梅田駅がそれぞれ開業し。天王寺⇔大阪間がつながる!
1895年8月25日 南海鉄道設立

●1897年 阪堺鉄道  難波駅 ⇔ 堺駅間を1067mm軌間に改軌。

住吉駅 ⇔ 堺駅間を複線化。

難波駅 ⇔ 尾崎駅間で阪堺鉄道と直通運転開始。

●1898年1月30日 当時の大阪高野鉄道により大小路駅(現在の堺東駅) ⇔狭山駅間が開業し同年4月2日には狭山駅 ⇔長野駅(現在の河内長野駅)間も延伸開業。

●同年10月1日  阪堺鉄道が南海鉄道に事業譲渡。(晴れて全線南海鉄道となる!)

1900年 大阪高野鉄道大阪市内乗り入れが実現

●9月3日 大阪高野鉄道の道頓堀駅(どうとんぼりえき、現在の汐見橋駅) ⇔大小路駅間が開業しました。

※同年6月6日:大阪鉄道が関西鉄道に吸収合併し、併せて梅田駅を官営鉄道の大阪駅に統合する。(大阪⇔天王寺駅連絡線完成!※現大阪環状線東側)

●9月20日  大阪馬車鉄道(現阪堺電気軌道)が1067mmの軌道線(路面線)として天王寺南詰(天王寺駅前交差点付近) ⇔八弘社(現在の阿倍野駅) ⇔阿倍野(現在の東天下茶屋駅)間1.05マイル(1.7 km)を開業。

●同年10月26日 南海鉄道 天下茶屋⇔天王寺駅間2.4kmの天王寺支線を単線で開業。

1901年
  • ●10月5日:南海本線 住吉駅 ⇔天下茶屋駅⇔天王寺駅(関西鉄道)⇔大阪駅(関西鉄道)間で"乗り入れ"運転開始!(※当時は運転手も車掌もそのまま乗車したマルホンの乗り入れでした!)

  • ●1902年までに 大阪馬車鉄鉄道 天王寺南詰 ⇔天王寺3(現在の大阪市天王寺区四天王寺前交差点にあった駅)間延伸開業。

第1目 Communist が 好んで用いる表現"乗り入れ"と、直通運行の違い

Socialism,Communism に洗脳!された自称鉄道傾Youtyubeの Communist の戦闘員?共が好んで用いる"共産用語"(労組用語!)の"乗り入れ運行"ですが...

参※)当サイト内関連記事 今どきの 鉄道系Youtuber、 鉄道コラムニストとは?... はこちら。

労働組合用語"乗り入れ運行"とは...

乗り入れ運行とは、他社路線に乗務員込みで直接直通運行する形式を示します。

現在旅客鉄道では、3セク北越急行ほくほく線、3セク阿武隈急行など、rural line(地方ローカル線)で極稀に見られるだけです。

しかもほとんどは片乗り入れです。

関西空港線の例は...

そして本件にも絡む、なにわ筋線、関西空港線は共にLeasing (第三種鉄道事業)鉄道で、JR・南海両社は共に第二種鉄道事業として共同運行!しているわけで、"乗り入れ"てはいますが"相互乗り入れ"ではありま線(せん)!

現在乗り入れ運行が実施されているのは (第三種鉄道事業)関西空港連絡線などの一部のTrackage rights (第二種鉄道事業)契約区間に限られています。

参※)当サイト内関連記事 Communist 翻訳家がわざと間違える英語表記とは... はこちら。

現在関東で行われているのは"相互直通運行"!

現在主に関東で行われているのは、鉄道会社相互間の車両レンタル(貸し出し)による"車両直通運行"方式です。

つまり車両は直通していますが、お互いの District の Boundary に当たる組合用語!分界駅?で乗務員交代をしています。

これはお互いの運賃体系が異なるのと、運転士の"大人の免許"だけではない、別社内規定(乗務区間制限)によるためです。

この料金体系の違いが、南海電車の難解な歴史に大きな関係があるわけです...

★第2項 狡猾な「市営モンロー主義」一派は...

鉄チャンが心配する?汐見橋線の"鉄道免許召し上げ!による"廃線問題の可能性については全くゼロと言う訳ではありません!が...

後述するように令和元年現在 1960年当時の岸里玉出以北の連続高架事業の時と同様に、大阪市南部で唯一残された"踏切路線"南海荒野?線の連続立体交差事業(都市計画)(※31)と交換条件に汐見橋本線廃止を迫られている可能性はあるにはあります。

参※31)冒頭で述べた様に、高野線大阪市内連続立体交差化事業の障壁は、(地質)技術的な問題では無く!べらぼうな沿線地価によるものです。

つまり、南海電車の独自事業としては、取り組めない!訳です。

なので、大阪市の都市計画指定が必須となる訳です。

第1目 1903年市営モンロー主義旗揚げで"大阪市の嫌がらせ"が始まる!

この時期を境に、大阪城築城以来の歴史を持つ大阪三郷(旧四大区)なにわ町衆の市営モンロー主義一派(01)による露骨な嫌がらせの歴史が始まりました!

1906年 鉄道国有化法が公布されそれまで天王寺から先の大阪駅まで"乗り入れ"ていた関西(かんせい)鉄道が国有化された!

参※01)当サイト関連記事 大阪市における" 市営モンロー主義 "の起源と変遷 はこちら。

1907年
  • ●3月29日 大阪馬車鉄道から大阪電車鉄道株式会社に社名変更し、資本金を50万円に増額。
  • ●同年7月 南海本線一部区間(難波⇔浜寺間) 直流600V電化完成
  • ●同年10月29日 大阪電車鉄道株式会社から浪速電車軌道株式会社に再度の変更。
  • ●同年11月 大阪市と軌道および車両の共用契約を締結。
  • ●同年11月11日 天王寺支線 天下茶屋駅 ⇔天王寺駅間も直流600V電化して電車併用運転を開始。

※この時点では、国有化された城東線は非電化だったので直流600V電化した「南海電車!は乗り入れ運行できなくなりました!が浜寺以遠は非電化万であり、貨物輸送も行っていた南海鐡道では、SL牽引の客車列車が運行されていたので、直通乗り入れは継続されました!

もっと細かく言うと、当時は旧かんせい鉄道・関西本線&城東線は旧天王寺鉄道管理局のTerritory(縄張り!)で、阪和間に鉄道路線を持たず、しかも旧城東貨物線(現おおさか東線)(※02)も開通していなかった頃は、大阪駅(馬田貨物駅)と関西線・南海線の貨物列車は城東線(大坂環状線)を経由していたわけです。

なので天王寺鉄道管理局と南海鐡道の両者は友好関係にありました。

つまり、天王寺鉄道管理局のおかげで大阪駅乗り入れが可能!だったわけです!

参※02)城東貨物線が開通したのは...

  • 1929年3月 吹田操車場(現在の吹田貨物ターミナル駅)⇔放出駅間 開通
  • 1931年8月 城東貨物線南線(放出駅⇔ 平野駅間)開業
  • 1939年10月 放出⇔久宝寺駅 ⇔ 竜華操車場(現久宝寺駅)⇔八尾駅間 開業

1909年12月24日 浪速電気軌道株式会社(現阪堺電気軌道)が南海鉄道株式会社と合併。

1910年

9月 大阪市との軌道共用契約に基づき上町連絡線用電動客車(チンチン電車)30両新造!
上町連絡線・ 天王寺 ⇔住吉神社前(現在の住吉)間が大阪市電に合わせて軌間1435㎜に改軌および電化・複線化工事が完成。

同年10月1日 軌間1435㎜に改軌して電化した南海鉄道・上町連絡線が天王寺(西門前)⇔住吉神社前間で電車の運転を開始。

1911年

1月29日 大阪市との軌道共用契約に基づき、上町連絡線の大阪市電・上本町線(1968年12月18日廃止) 天王寺西門前 ⇔上本町二丁目間および大阪市電玉造線(1961年11月1日廃止) 上本町二丁目⇔谷町六丁目間への※乗り入れ運転開始。
8月20日 上町連絡線の大阪市電への乗り入れ区間を延長して、大阪市電・谷町線(1944年6月1日廃止) 谷町六丁目 ⇔天満橋南詰までの※乗り入れ運転開始。

第2目 1911年11月21日 南海鐡道 南海本線 全線直流600v電化完成!

大坂では4例目となる郊外電車の全線電化は、1934年の関西地区省線(東海道線)電化より実に23年も早くから果たされたことになります!

※この時点で直流600V電化で全旅客列車が電車運行となった南海電車!は、非電化だった城東線には乗り入れ運行できなくなり城東線旅客列車乗り入れ運行が廃止!となりました。

※電化が早かったので、1973年10月の南海本線・高野線全線 1500Vに昇圧工事完成まで40年間も直流600v時代が続いたともいえますが...

  • ●1912年1月12日 大阪市電全線の運賃均一制の実施のため、上町連絡線から大阪市電との相互乗り入れ契約解除

※当時の"乗り入れ"運行では、前途した様に現在とは異なり乗り入れ会社の運賃収入となっていました!

つまり南海は区間制(距離制)をとっていたので、均一料金制を開始した大阪市電とは矛盾が生じて!

結果的に体(てい)よく旧大阪市街から追い出され!、

おまけに、天王寺駅前からも締め出された!わけです。

なので現在あべのハルカス前にある駅なのに天王寺駅前を名乗っている!訳です。

  • ●同年2月13日 上町連絡線の大阪市電上本町線 天王寺西門前 ⇔上本町二丁目間、大阪市電玉造線 上本町二丁目 ⇔谷町六丁目間、大阪市電谷町線 谷町六丁目 ⇔天満橋南詰間への直通運転を廃止。上町連絡線が大阪市電と連結する役目を終え、「上町線」と改称した。
  • ●1921年12月24日 上町線 天王寺 ⇔公園東門間を大阪市へ(仕方なく)譲渡。
  • ●同年:尼崎・平野線の道路建設を口実に、天王寺駅前停留場を0.1km(営業キロ)南側の現在地(あべのハルカス前)当時の西成郡へ追い出す!

第3目 1922年 9月6日  南海鉄道が大阪高野鉄道、高野大師鉄道(未開業)を合併し南海鉄道・高野線となる

  • ●1925年3月28日 橋本⇔高野間を結ぶ「 高野山電気鉄道」設立。
  • 1929年7月18日:阪和電気鉄道(京阪系列!)により阪和天王寺駅 ⇔和泉府中駅間(13.0M≒20.92 km)、支線 鳳駅 ⇔ 阪和浜寺駅間(1.0M≒1.61 km)が全線複線1500V電化で開業。
  • ※1930年6月16日:和泉府中駅 ⇔阪和東和歌山駅間 (40.3 km) が複線電化で延伸開業して阪和線全通。
  • ●1931年8月20日:天王寺支線;天下茶屋駅 ⇔天王寺駅間を複線化。
  • ※1933年2月16日:城東線(現大阪環状線東回り)の天王寺駅⇔大阪駅間 直流1500V電化完成(※03)。桜ノ宮駅 ⇔大阪駅間が高架化。電車運転開始。
  • ●同日:国鉄・城東線の電化に伴い、南海本線→南海天王寺駅直通電車を増発。
  • ※参同年5月20日:大阪市営地下鉄・1号線 梅田駅(仮)⇔心斎橋駅間 (3.1 km) が開業
「関西鉄道乗り入れ、大阪駅直通運転廃止!

第4目 南海本線沿線の大阪駅へのアクセスは天王寺駅乗り換え!となった。

  • ●1935年10月30日 難波⇔梅田間に大阪市営地下鉄1号線(現御堂筋線)が開通。
  • ●1938年4月21日 難波駅 ⇔天王寺駅間 が延伸開業

南海・難波(南海・天王寺)から大阪駅へは地下鉄ルートが開業していましたが、地下鉄開業当時の運賃は天王寺乗り換え省線・城東線経由大阪駅ルートに比べかなり高額!でした。(04)

今でいえば、りんかい線!並の高額運賃!でした。(※05)

参※04)当サイト関連記事 チンチン電車の市内均一料金に比べて高額運賃設定だった大阪市営地下鉄はこちら。

参※05)当サイト内関連記事 りんかい線利用者は"JR東日本と東京都庁(Puppeteer)"に騙されている!! はこちら。

第5目 1940年12月1日:阪和電気鉄道が南海鉄道に吸収合併され、南海鉄道山手線となる

  • ※1941年(昭和16年)5月1日:西成線 大阪駅 ⇔西九条駅 ⇔桜島駅間が電化
  • ※1944年5月1日:国有化され国鉄阪和線が誕生。
  • ●1944年6月1日 戦時統合により関西急行鉄道と南海鉄道、が合併、近畿日本鉄道となる。

第3項 難解な略年表 その2  戦後 の南海電気鉄道

  • ●1947年3月15日 高野山電気鉄道が南海電気鉄道に社名変更。
  • ●1947年6月1日 近畿日本鉄道が、旧・南海鉄道の路線を南海電気鉄道へ分離譲渡し現・南海電気鉄道の路線が確立。
  • ※1961年4月25日:国鉄・西九条駅 ⇔大正駅 ⇔天王寺駅間 (7.4km) が開業。
  • ●城東線 (10.7km)、西成線 (大阪駅 ⇔ 西九条駅間 (3.7km))、野田駅 ⇔大阪市場駅間 (1.3km) を合わせて大阪環状線が誕生したが、この時点では西九条駅で外回り・内回りそれぞれ折り返しの「のノ字」運行だった。
  • ※1964年3月22日:大阪駅 ⇔福島駅間の複線化による全線複線と西九条駅が高架化西成線接続一体化が完成して、環状運転開始。同時に国鉄・新今宮駅が開業。
  • ●1966年12月1日:南海本線の今宮戎駅⇔ 萩ノ茶屋駅間に、新今宮駅が開業して国鉄・環状線との乗換駅になる。これ以降天王寺支線の乗客が激減した。
  • ※国鉄大阪環状線が開業し国鉄・南海「新今宮駅」が乗換駅として開業してからは、天王寺駅乗り換え内回り(旧城東線)利用で大阪駅に行くより新今宮駅乗り換え「外回り」の大阪環状線利用のほうが「大阪駅」には至便で、南海沿線住人はこちらを乗換駅として利用するようになった!
  • ●1969年12月6日:当時大阪市営地下鉄堺筋線、天神橋筋六丁目駅 ⇔ 動物園前駅間 (7.0 km) が開業した。
  • ●1972年1月10日:天下茶屋駅付近における南海本線の大阪市内連続立体化事業、および都市計画が決定。

この間、南海電気鉄道が天下茶屋駅付近における南海本線の大阪市内連続立体化事業に関連し、天王寺支線 天下茶屋駅 ⇔ 天王寺駅間2.4kmの廃止の方針を発表する。

  • ●1973年10月10日:南海本線・高野線全線 600Vから1500Vに昇圧工事完成。
  • ●1977年:天王寺支線貨物営業廃止。(※この時点まで貨物列車が走っていた!)
  • ●1984年11月18日:天下茶屋駅 ⇔ 今池町駅間1.2kmが(地下鉄工事のために)廃止。

今池町駅⇔ 天王寺駅間が単線化。南海天王寺駅が今池町駅寄りに100m移転し、路線距離が0.1km短縮。

今池町駅と南海線(高野線)萩ノ茶屋駅間が徒歩連絡となる。

  • ●1993年3月4日: 市営地下鉄・堺筋線、動物園前駅 ⇔ 天下茶屋駅間 (1.5 km) が開業し全通。
  • ●1993年3月31日:南海天王寺支線さよなら電車を運行。
  • 同年4月1日:今池町駅⇔ 天王寺駅間1.2km廃止に伴い、南海天王寺支線全線廃止。

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公開:2019年2月24日
更新:2024年2月23日

投稿者:デジタヌ

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