狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

Essay『北陸新幹線・米原ルート(北陸中京新幹線)が無いと越前、加賀は...』ー第6回ー

★第4節 整備新幹線の壮大な"歴史絵巻"とは...

前途したように、整備新幹線の起源は戦前の大東亜縦貫鉄道弾丸列車構想にまでさかのぼるわけですが...

第1項 1964年の東海道新幹線の誕生と共に始まった歴史

私たちが「新幹線と認識」している高速列車は、

当時切迫していた東京⇔大阪間の transportcapacity(輸送力)を改善する♥ solution として、 1964年10月1日に貨客分離に下ずく東海道新幹線として生まれた訳です。

つまりは国土開発・故郷創生が目的ではありませんでした!

第1目 実は全国高速道路網構想のほうが先輩

1956年(昭和31年)4月16日の日本道路公団法に基づき設立された日本道路公団が、

後述する鉄拳公団の雛型であり、それを機能させるために制定された高速自動車国道法(1957年公布)が、1970年の全幹法のひな型とも言えるわけです。

共に(首相主導の)閣議決定に下づいて大臣(現国交大臣)の裁量で着工できる、

恣意的独裁を認めた Constitution (憲法)違反の法令です。

第2目 東海道新幹線構想が生まれた頃の日本の国情は

1954年には神武景気が始まり高度成長期を迎えて帝都東京と「日本経済の中心地"天下の台所"(だった)大阪」とのビジネス需要が一気に高まったわけですが...

当時の日本は

1950年6月25日 に朝鮮動乱(1953年7月27日停戦成立)が始まり、朝鮮特需の"神風"が吹き、日本の戦後復興を一気に加速させましたが、

(小生が生まれた)1951年9月8日に対日戦線連合国UN48ヶ国と日本政府によってサンフランシスコ平和条約サンフランシスコ条約が調印されて、翌年1952年4月28日に発効して、

ようやく国際社会に復帰できて、戦後復興期の後に訪れた高度成長期の先駆け神武景気(1954年12月→1957年6月)のおかげで需要が高まった大阪⇔東京間のビジネス需要にこたえるために、1956年5月10日に日本国有鉄道(通称国鉄)が第2東海道線の調査会を設置したことが始まりとされていますが、建設資金の目途など全く立っていませんでした!

今なら国債発行で済ます建設資金ですが

前途したように当時は国際社会に復帰したばかりで、日本はまだまだ後進国!でした。

つまり、今なら日銀が全額買い取ってくれる"国債"も当時の日銀にはお金が無く!(※10)

発行しても"国際市場"からは見向きもされず、

れる(引き受けて手の)見込みが無く! 世界銀行から借り入れる以外には調達手段が無かったのです。

なので鉄道建設にかかわらず、戦後復興に大きな働きをした佐久間ダムや黒四ダムなどの国家プロジェクトは全て、世銀からの借入金で賄われていたわけです!

参※10)本来国債は、日清日露戦争当時のように、国際金融市場から資金調達する手段で、現在中共を始め世界各国も同様の方法で資金調達しています、だからデフォルト(踏み倒し)も生じるわけですが...

日本では経済発展に裏打ちされて、日銀が強大な資金運用をできるようになって、

現在日本国内で発行される国際・公債(自治体借金)は全て日銀が引き受けてくれていて、国際市場に流す必要が無くなっています。

第3目 1956年に計画開始!時は東海道線全線電化完成!したばかりの頃...

電車特急すらなかった電化完成当時は、電気機関車に引かれた列車最初の電化特急!列車「つばめ」「はと」が東京⇔大阪間を7時間30分もかけて走破していました!

当然、現在のように高頻度運行などされておらず、1日たった1往復!の運行でした。

当時は東京⇔大阪間のビジネス利用は硬座車(3島客車)の夜行列車が主役の時代(※11)でした、

寝台列車、所謂ブルートレインはビジネス特急初代こだまの登場と同じ1958年になってからです。(※12)

参※11)1951年生まれの小生も、1978年10月の東京モーターショー見物の為に、当時まだ臨時列車として運行されていた旧型客車!の(客車列車!)で、大阪→東京を体験したことがあります!

勿論リクライニングもしない向かい合わせの"木製フレーム"の"軟座"車両です。

そんなに混んではなく、友人と2人でボックスシートを占領!出来たので、

お互いに足は延ばせました!しかし『何とも腰が痛かった』思いでしかありま線(せん)が...

参※12)1980当時とある輸入商社の大阪支社勤務の営業マンをしていたころ、毎月一度の東京本社での営業会議に出向く際には「寝台急行"銀河"」を良く利用しました!

当時の寝台急行にはシャワーなどと言う便利な設備は有りませんでしたが、

東京駅には"東京温泉"と言う24時間営業の"サウナ"があり、早朝6時320分に到着して、ひと風呂浴びてさっぱりしてから、渋谷にあった本社に向かうことが出来ました

第4目  初代「こだま」の登場

20系電車が開発されて1958年11月1日に「初代こだま」が「ビジネス特急こだま」として東海道本線にデビューしました。

当時高度成長期真っただ中とは言うものの、東京⇔大阪間を6時間50分!もかけて走行する昼間特急を利用する人(※13)など少なく、、東京出張には前途したように

"夜行列車"を用いるのが通常で、初代こだまデビュー時は1日僅か"1往復"の運行でした。

参※13)当時、小生の父は町役場で、役人をしていましたが...

東京に出張する場合は、港町駅(現JR難波)から、寝台急行を利用して、中央省庁(旧・自治省)へ"陳情"に出向いていました。

なので小生も、度々湊町駅までお見送りに参じていました!(もちろん母に連れられて...)

意外と早かった電気機関車牽引・高速コンテナ列車の登場

1959年には国内初となる"高速コンテナ列車「たから」"の運行が開始されています。

第2項  1964年鉄道建設公団の立ち上げと東海道新幹線の誕生

1958年12月19日:東海道新幹線建設計画が閣議決定されましたが...

前途したように建設資金は全額世界銀行からの借入金を当て込んでいました!

そして翌年1959年4月13日"東海道本線線路増設工事"として認可され、
同年4月20日に新丹那トンネル東口で起工式が行われ東海道新幹線が着工されましたが...

第1目 東海道新幹線誕生開通当初は東京⇔大阪4時間!

ご存じのように、1964年東京オリンピックの年の1964年10月1日に東海道新幹線が開業しました。当初は東京⇔新大阪間を4時間!(2台目こだまは5時間!)もかけて走行していました。

翌年の1965年11月1日のダイヤ改正でやっと「ひかり」が3時間10分となりました。

しかしのんびりしていた?当時は、ひかり・こだま共に30分間隔!時間当たり2往復!つまり、上下合わせても時間当たり4往復しか運行されていませんでした。

1967年になってやっと"ひかり"が、時間当たり20分間隔6往復となり。

Expo'70大阪日本万博開催を控えた1969年12月8日に「ひかり」の16両編成運転が開始されました。

第2目 鉄拳公団の誕生

そして1964年に後の全幹法に繋がる日本鉄道建設公団いわゆる"鉄拳"公団が生まれました。

そしてこの時後述する(首相主導による内閣閣議に下ずく)運輸大臣(現在は国交大臣)の裁量・決済で鉄道新線を増産できる体制が整った!わけです。(つまり独裁!です。)

第3項 全幹法の成立

全幹法(全国新幹線鉄道整備法)は東海道新幹線開業後6年も経過した1970年5月18日に公布され、更に鉄建公団→日本国有鉄道清算事業団→JRTT(※13)の発足に連れて「部分修正され現在に至る法律」なのですが。

驚くべきことに敗戦後の日本国憲法には準じていま線(せん)!

詳細は別稿(※14)で詳述しましたが、基本となっていたのは戦前の大日本帝国が制定した国有鉄道法と、運輸省令に基づいて、法制化された「封建制独裁制)」に下ずいた法制度で、制定当初から憲法違反!の法律です。

参※13)当サイト内関連記事 JRTT 独立行政法人 鉄道建設・運輸施設整備支援機構 が改組して総合リース業になれば.. はこちら。

参※14)当サイト内関連記事 三無い!整備新幹線"神話"は全幹法を盾に取る"建設推進派"の"ペテン" ! はこちら。

第1目 そして当初の新幹線は標準軌鉄道!として規定

当初は、東海道新幹線・山陽新幹線を後追いする形で、の新幹線特例法に下づき

「東京都と大阪府とを連絡する日本国有鉄道の幹線鉄道であって、その軌間が一・四三五メートルであるもの」(※14)として規定されていましたが。

最初の改正で

『主たる区間を列車が二百キロメートル毎時以上の高速度で走行できる幹線鉄道」を「新幹線鉄道」とする』と改正され現在に至っています。

これは、標準機そのものの"国内申し合わせ"が間違っていて、USAのASCE(米国土木学会)の規定1420mm (4 ft 8 in) に配慮したためでしょう...

参※14)当サイト内関連記事 標準軌 は1420mm (4 ft 8 in) !だった... はこちら。

第2目 "新幹線の路線計画"は国土交通大臣が定める!

"新幹線の路線計画"同法第4条に基づきは国土交通大臣が「建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画」を決定して公示し、調査の上、(第7条)に下き整備計画を決定して、(内閣)国交大臣が建設指示を行う!ことになっています。

この部分が主権在民を謳う日本国憲法違反!

つまり、"国民の歯止め"は国会の予算委員会での「国交省予算案の可否審議」しかない

訳です。

つまり最初から、納税者・有権者の意思を完全無視!しているにのです

国鉄ビッグバンでJR東海が誕生

1987年4月1日:国鉄分割民営化(国営企業化)で、JR東海が生まれ東海道新幹線の運行はJR東海が行う事となりました。形態は第一種鉄道事業者ですが...

JR東海設立当初は新幹線鉄道保有機構からLeasing(※15)されていました!

1991年10月1日:JR東海が旧新幹線鉄道保有機構から新幹線施設を押し付けられて、晴れて

JR東海の"可処分資産"(且つ課税対象)となりました。

1997年10月8日JR東海は東京証券取引所、大阪証券取引所、名古屋証券取引所、京都証券取引所 に株式上場(公開)して晴れて"民営企業"となりました。

つまりこの時までは特殊法人(※16)として、固定資産税、及び事業税(国税)は免除されていました!

参※15)当サイト内関連記事 日本人(鉄オタ!)が間違いやすい重要な慣用句 はこちら。

参※16)第2回参照

第3目 1973年11月13日に決定した整備新幹線だけが基本ルートに拘っている!

東北新幹線,北海道新幹線,北陸新幹線、九州新幹線、九州新幹線長崎ルート(西九州新幹線)が、

更に2011年(平成23年)5月26日に整備計画が決定した路線として中央新幹線(リニア中央新幹線)が整備新幹線とされているわけですが、

通過ルートは曖昧で未決事項

現在紛争中の西九州新幹線(九州新幹線長崎ルート):福岡県福岡市 ⇔長崎県長崎市間と記されているだけ。

北陸新幹線

同様に北陸新幹線も、東京都 ⇔大阪府大阪市間とされているだけで途中経由地についての名文条項は見当たりません。

実際に北陸新幹線も、その通過ルートは工事の難易度(フォッサマグナ横断)や、政治的駆け引きで、1992年に暫定整備区間として着工されていた富山・石川県境にまたがる加越トンネルのが途中放棄されたり、幾度となく紆余曲折を経て2015年3月15日に金沢まで開業したわけです。

更に途中放棄された整備新幹線も

成田新幹線が代表となるでしょうが西九州新幹線と同じくStructure(基本構造物)が完成していながら、途中放棄されてAbandoned Road(未成線)となった整備新幹線もあり。

更には鉄拳公団を使って建設された在来線は「北海道の未開の原野」も含め"全国至る所"に残されています!そして線路が引かれることも無く、無残に朽ち果てています!

第4目 先輩格の高速自動車国道法では「着工したものの長年工事中断放置状態!」の高速道路も

高速道路建設では

前途した先輩格の高速自動車国道法(1957年公布)による高速道路建設事業では、その後生まれた高規格幹線道路・地域高規格道路共に、ルート変更は当たり前となっていて、

地元自治体の大人の事情(地元反対運動・誘致運動)で常にルートが変更(迷走)されています!

更に全国にはE76今治小松自走車道のように、地元自治体(住民)の「大人の事情(利害関係)」の調整が付かずに完成見透しさえ立っていない、着工済の高速道路がわんさかあります。

つまり、西九州新幹線、や北陸新幹線のルート決定が混迷し続けても、別段「不思議でも無い!」わけです。

更には前途した成田新幹線のように、unfinished line(未成線)として「途中放棄!しても構わ無い」わけです。

第4項 夜盗整備新幹線CPPTと小早川 秀秋;福井県知事は焦っている!

2021年の"ハピラインふくい㈱"設立以来、小早川 福井県知事は焦っておられるようです!

現職 杉本達治知事プロフィール

1962年7月31日 出生地 岐阜県中津川市
出身校 東京大学法学部卒業

  • ●1986年4月:自治省(現総務省)入省。
  • ●1986年7月:長野県地方課(出向)
  • ●1987年12月:自治省大臣官房総務課
  • ●2000年:総務大臣(旧自治大臣)秘書官
  • ●2004年:福井県総務部長(出向)
  • ●2007年:内閣参事官
  • ●2010年:総務省市町村税課長、地方債課長
  • ●2013年:福井県副知事(出向)
  • ●2016年6月:副知事を退任、総務省消防庁国民保護・防災部長
  • ●2018年:総務省公務員部長
  • ●2019年4月7日 前西川一誠知事を破り初当選!
  • ●2019年4月23日 - 福井県知事就任!

第1目  更に実現性の乏しい「ヘリコプター空輸」の big talk (大風呂敷)まで"浮上?"させて...

最近(2022年5月)地元の小浜ルート誘致派の嫌疑(けんぎ)団、私擬(しぎ)団、等の小浜ルート建設推進派が(支持母体の)地上げ屋(不動産屋)からの突き上げで、

不要不急?の福井空港をヘリポートとして復活させ?東京・大阪航路の定期ヘリコプター便を立ち上げるのろし!をぶち上げましたが...

北陸東海新幹線(米原ルート)♥支持者に対する嫌がらせ妨害プロパガンダ!

根強く残る中京経済圏、帝都東京との絶縁!を危惧する米原ルート支持派に対する、単なる妨害工作の嫌がらせプロパガンダ!でしょう...

実現しても、精々「小浜ルート着工」までの「本のごくわずかな期間」のDEMO運行で、帝都と大阪の経済"怪"への時短アピールにすぎないでしょう。

しかし中京経済界無視の姿勢は後々後悔することになるでしょう!(※16)

参※16)当サイト内関連記事 リニア中央新幹線 開業で 名古屋 が"日本のウォール街"経済の中心地に変身するかも... はこちら。

第2目 "軍義"に大阪府知事を始めて招聘!

更に夜盗整備新幹線CPPTと共同で開催した2022年5月25日の北陸新幹線建設促進同盟会総会に宇喜多秀家大阪城主を始めて招聘して、次期整備新幹線予算獲得に向けて"軍議"を行いました。

続きはこちら

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公開:2017年9月14日
更新:2024年2月21日

投稿者:デジタヌ

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