狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載『 京阪・中之島線 "阪神直通の夢"は何処へ...』ー第11回ー

★第2節 手を広げすぎて苦境に絶たされた時期に次々と襲い掛かる不運 

この時期「阪和電気鉄道」(現在のJR阪和線)、和歌山市内線、奈良電気鉄道(現在の近鉄京都線)などにも多額の積極投資を行っていた京阪系列の経営は極端に悪化して...

1927年の下半期には当時の金額で6752万円、1929年の下半期には1億721万円というにも途方もない巨額に達し、(どこかのXXメトロ某路線同様に)旅客収入では利息の支払いすらまかなえない状況となってしまいました!

昭和大恐慌がとどめを

1929年(昭和4年)10月にニューヨークのウォール街で始まった世界恐慌が1930年(昭和5年)には日本へも飛び火し1931年(昭和6年)にかけて"昭和大恐慌"が発生し、チンチン電車なのに「自転車操業?!」であった京阪電車を襲い、もはや新線建設などの余裕はありませんでした。

倒産寸前の京阪は1930年には野江駅からの延伸申請を取り下げ、戦前の1942年には(天六⇔京阪本線間の)関連免許が失効しました!

その後1940年には巨大負債の一因ともなった「阪和電気鉄道」を南海鉄道に売却。

1943年には陸上交通事業調整法で阪神急行電鉄株と戦時統合して京阪神急行電鉄株式会社(現阪急)の一部に組み込まれました。

敗戦後に『出発信号・進行よし』となっても... 

1949年(昭和24年)になってやっと京阪神急行電鉄より、京阪本線・交野線・宇治線・京津線・石山坂本線の各路線が分離譲渡される形で京阪電気鉄道株式会社として再出発できましたが、この時に戦前に京阪電鉄が建設した新京阪は、千里線ともども阪急京都線としてそのまま阪急(※41)に分捕られてしまいました!

1962年には共同出資していた奈良電気鉄道(現近鉄京都線)の株式を近畿日本鉄道へ譲渡(売却)

1963年4月16日:淀屋橋駅 ⇔ 天満橋駅間が地下線で延伸開業。

1968年12月には近鉄京都線(旧奈良電気鉄道)の1500V昇圧のために、1945年12月以来23年にも及ぶ長年に渡る近畿初の相互乗り入れ事業、(近鉄西大寺⇔丹波橋⇔京阪三条)(宇治⇔中条島⇔たん丹波橋⇔近鉄京都)は廃止されて、完全に奈良電とは縁切れ?となりました!

1970年11月1日:京阪本線の天満橋 ⇔ 野江間を複々線化。

1976年9月12日: 京阪本線の守口市 ⇔ 門真市間高架完全緩急分離複々線化。

1978年7月30日:京阪本線の門真市 ⇔ 寝屋川信号所間の高架複線を使用開始。

参※41)当サイト関連記事 『絶対に損はしない 阪急 商法』...日本の私鉄におけるフィロソフィー抗争?の歴史はこちら。

京都市交通局とは永年仲良くしており...

同年10月1日 京都市電全線廃止。河原町線 京都駅前 ⇔七条河原町、七条線 七条河原町⇔東山七条、東山線 東福寺 ⇔高野、北大路線 高野 ⇔ 千本北大路、西大路線 千本北大路⇔西大路九条、九条線 西大路九条 ⇔東福寺を廃止し、市営バスに転換。烏丸車庫廃止。

1980年3月16日:京阪本線の土居⇔ 寝屋川信号所間が高架複々線化。京阪本線の天満橋 ⇔ 寝屋川信号所間14.1㎞が私鉄最長(当時)の複々線区間となる。(※42)

1983年12月4日:京阪本線・宇治線・交野線の架線電圧を直流600Vから1500Vに昇圧。

※42)これにより当時私鉄初の試み!として当時私鉄最長だった京橋⇔寝屋川信号所間12.6km区間の完全緩急分離複々線が完成しました!)

※43)大手私鉄の中で唯一1500v昇圧が遅れたのは、京都市内で平面交差していた京都市電のが1978年まで運行されていたために京都市電(600v)との平面交差が多く、市電の廃止を待って昇圧が実施されたためです、西鉄さんのように市内線との平面交差部分をデッドセクションとする手段も考えられましたが...

交差部分の、真近に駅が設けられていたために、助走区間が設けられなくてこの手も使えませんでした!

地下線・連続高架事業で立体交差事業に貢献!

1987年(昭和62年)5月24日:京阪本線の東福寺 ⇔ 三条間が地下化(総工費580億円)。

1989年(平成元年)10月5日:鴨東線と三条間⇔ 出町柳間を延伸開業して、叡山電鉄(旧京福電鉄2002年より京阪ホールディングス完全子会社化)とつないで、現在の京阪グループ鉄道網が完成しました。

1997年10月 京津線 京津三条 ⇔ 御陵間3.9km廃止。

京津三条駅、東山三条駅、蹴上駅、九条山駅、日ノ岡駅を廃止して御陵府道東踏切付近 ⇔御陵間を同日開通の市営地下鉄新線方乗り入れに変更しました。

同時に前例が少ない(※44)併用軌道区間もあるLRT路線・京津線の架線電圧を600Vから1500Vに昇圧!して、更に新幹線車両より高価な全長60m!4両連結の登山電車?でstreet running(※45)を行い、京都市営地下鉄東西線京都市役所前まで片方乗り入れするという先進的な事業を貫徹しました。(※46)

参※44)当サイト関連記事 第1節 トラムトレイン方式(カールスルーエタイプ)とは?日本初の嘗ての新潟交通電車線 はこちら。

参※45)当サイト関連記事 日本の私鉄は" street running "ではじまった! はこちら。

参※46)当サイト関連記事 京阪電車 と京都市だからなしえた LRT の 地下鉄 乗り入れ! はこちら。

ー続きはこちらー

ここをクリックするとこの Content の Opening に戻れます!

ここをクリックすると"要約"付き Category Top menu table に戻れます!

 

公開:2007年11月 6日
更新:2024年2月23日

投稿者:デジタヌ

連載『 京阪・中之島線 "阪神直通の夢"は何処へ...』ー第10回ーTOP連載『 京阪・中之島線 "阪神直通の夢"は何処へ...』ー第12回ー


 

 



▲京阪 電車調査班へ戻る

 

ページ先頭に戻る