連載《 路面電車・軽便鉄道・森林鉄道が日本各地から"消えた理由!"とは...》ー第9回ー
第9回 積極的にバス路線転換を図ってきた中京の覇者!名鉄
同じような事例では、2016年限りで廃止された名鉄岡崎市内線バス専用道(私道)の例があります。
第1項 名鉄岐阜市内線と近隣トラム網
大日本軌道に遅れること約1年後の1911年に美濃電気軌道(現名鉄電車の前身)によって岐阜市内線が開業して、その後長良軽便鉄道を買収するなどして周辺都市にまで広がり、忠節線、揖斐線、美濃町線、田神線、高富線などの大規模な高域トラム網を構築していましたが...
末端支線部分から徐々に路線を縮小して、
ついに2005年に市内線も廃止されて95年に渡る長い歴史を終えました!。
このトラム網の場合も富山地秘奥鉄道・石川鉄道同様に、市外は殆ど専用軌道と軽便鉄道区間!で一部区間では急行運転なども実施されて、速達性は平行バス路線と比べても差ほどの遜色はありませんでしたが...
前途した北陸のインターアーバン網同様に、並行した幹線道路が次々に舗装整備されて、最早鉄道事業の"旨み"が無くなったわけです!
市内の(併用軌道部分を含む)幹線道路の整備が進まずに、沿線利用者以外の市民・県民からは疎まれ邪魔者扱いされて他の大都市とほぼ同様のパターンで廃止に追い込まれました。
しかし廃止直後は皮肉なことにマイカーがあふれて渋滞が多発するようにもなりました!
参※)当サイト内関連記事 岐阜市内線 路面電車 の 廃止 は 失敗 ではなく 新時代の生みの苦しみにすぎなかった! はこちら。
第2項 静岡県の"軽便鉄道"
第1目 静岡鉄道 駿遠線
静岡鉄道 駿遠線は、私鉄による東海道線?目指し静岡県有数の規模を誇った軌間762㎜のナローゲージの軽便鉄道です。
大井川を木製橋!(ビデオ10:16~)で渡河していたことが仇となり...
架橋から30年余を経た大井川橋梁...費用面に阻まれて架け替えは不可能だった...1968年に大井川以南(袋井まで)を一気に廃止、残るはわずか6.3kmとなった。...大井川以南区間(地頭方・御前崎)からの長距離利用者の運賃で支えられている面が大きかったこと、そして路線規模が極小となったことで存在意義は失われ、遂に1970年(昭和45年)7月31日を限りとして終焉を迎えた。《Wikipediaより引用》
と記述されていますが...
この辺りが労働組合系!のWikipedia(寄稿者)が非難される要因の一つで、
omnibus も営む静鉄が、三重交通・神都線同様に、自主的に廃止!しただけです。
この路線の最後に残った区間も後述する西大寺鉄道同様に通勤利用客が多かったことでも有名で...
静岡市と旧清水市内(清水区)で軌道法に下ずく(チンチン電車)も運行していましたが、
鉄道路線は勿論のこと、道路に沿って走る軌道区間も「専用軌道」が多かった路線でした。
つまり渋滞の影響はあまり受けなかった!のですが...
軌道の保線(設備維持管理・更新費用が)負担となり儲けが無くなった!ので、
自主的に廃線にして保線経費の必要ないバス路線に転換したのです。
第2目 遠州鉄道 奥山線
遠州鉄道奥山線は、(旧河川に造られた)新浜松駅になる前の旧・遠鉄浜松駅⇔ 奥山駅間25.7kを結んでいた、全線単線非電化の軌間762㎜のナローゲージの"鉄道線!"でした。
1935開業の国鉄二俣線(現・天竜浜名湖鉄道)が開通するはるか以前の1914年!に"
浜松軽便鉄道"として開業した路線で、1923年4月15日:気賀 ⇔奥山間7.7kmが延伸開業して全通しています!
敗戦後の1947年5月1日に遠州鉄道に吸収合併されましたが、その後1963年5月1日に気賀口 ⇔奥山間7.7kmが廃止されて、翌年1964年11月1日に残る遠鉄浜松 ⇔気賀口間18.0kmも廃止されて全線廃止となりました。
ビデオ(13:07~)をご覧になればお分かり通り、廃止時点では並行する自社バス路線が走る県道は一部未舗装道路で埃っぽくて、 『田舎のバスはおんぼろ車...でこぼこ道をガタゴト走る...』の歌通りの状態でしたが、福井・石川両県同様に、その後廃線跡の多くは一般道路に整備されて、遠鉄バスが走るバス路線になっています。
第3項 中国地方の鉄道
第1目 西大寺鉄道
猫駅長で有名な和歌山電鉄の親会社両備バスグループが、運営していた鉄道路線が西大寺鉄道です!
1911年12月29日 観音(後の西大寺市)⇔ 長岡(後の財田;東岡山)間の一部区間から営業を開始して、旧西大寺市(現岡山市東区)の中心地元祖!西大寺駅から、山陽本線東岡山駅を経由して、観光名所後楽園とを結んでいました!
全線11.4㎞と規模の小さな非電化軽便鉄道でしたが、軌間914㎜!という全国的にも珍しい軽便鉄道でした。
更に、21世紀の最先端を行く「サイクル列車」を運行していて、地元住人から重宝がられていました!
更に増水時の放水路として、普段は通水していない百閒川(旭川放水路)の渡河には、
橋を架けずに、河川敷きを横断!していました、いわば沈降路線です!(このアイデア精神が子孫の猫電車にも脈々と受け継がれているのでしょう!)
1962年9月1日 に国鉄赤穂線伊部⇔東岡山間が開通して、9月7日に廃止されました!
が、廃止になるまで♥黒字運行を続けていました!
両備グループ代表 小嶋光信さんについて
ただの事業家なら、和歌山鉄道・貴志川線など引き受けません!
慶應義塾大学経済学部を卒業された小嶋光信さんは1968年に三井銀行に入行されて、
1973年から両備運輸の再建に係り、1999年には両備バス社長に就任されて、2004年には岡山大学理事に招かれ、2006年に海電気鉄道が運営を断念した貴志川線(※53)の経営を引き継いでに和歌山電鐵を設立されて社長に就任された偉人!です。
その内渋沢栄一翁同様に1万円札!になられることでしょう!?...
義父が両備グループに係っていたので、両備グループの再建に加わられたのですが...
1955年10月1日に両備バスが西大寺鉄道株式会社を合併して、
1960年に両備バス出身の社長が岡山電気御軌道に招かれ事実上の事業統合を計った両備グループでしたが...
2000年には社内カンパニー(独立採算)を打ち出し、
2007年からは現両備ホールディングス体制となっています。
しかしこの世に生まれて来るのが遅く!入社する以前の1962年に基幹事業の
「鉄道事業を失っていたことが悔やまれて...ならなかった?」のでしょう...
それが、和歌山鉄道を引き受ける決断に繋がったのではないでしょうか?
旧国鉄赤穂線開業で並行軽便線!として道を譲った西大寺鉄道が小島社長の原点になったのです!
参※53)当サイト内関連記事 和歌山線 を LRT 化して和歌山都市圏の活性化と ぶらくり丁 の再興を... はこちら。
第4項 交通渋滞に巻き込まれない!"大都市圏の専用軌道・鉄道路線"は廃止ではなく育てるべき!では...
つまり地方観光都市の伊勢市を除き、これら専用軌道網を有していた地方大都市圏では、市街地近郊の路線網を廃止することはなかったわけです!
これは一部の「鉄道崇拝欲ボケ老人(鉄道建設推進運輸族)」共(※54)が、搔き立ててプロモーションしているような!時代錯誤のノスタルジー・懐古趣味から言っているのではありま線(せん)!
21世紀の都市圏交通(※55)にこそ、専用軌道・鉄道を走るinterurban (都市近郊電車)網構築が求められているのです!
♥San Diego Trolly line
参※54)当サイト内関連記事 与党整備新幹線建設推進プロジェクトチーム とは... はこちら。
参※55)当サイト内関連記事 21世紀の 都市圏交通 のあるべき姿とは! はこちら。
公開:2019年7月23日
更新:2024年3月21日
投稿者:デジタヌ
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