狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

地方広域ライトレール網(併用軌道)の衰退《 電気軌道・軽便鉄道・森林鉄道 第10回 》

第10回  地方広域ライトレール網(併用軌道)の衰退

前途した道路整備に伴って陸運全体が「トラック・バス・乗用車」にスライドして「逆モーダルシフト?現象」が起こり、鉄道事業は時代に取り残されてしまいました。

第1項 On Time が何よりの現代社会では...

「on time(即時性)」が何より重要となった現代社会になって「軌道事業は敗退しました!」

サービス全盛の現代社会においては「即時性;スピード輸送」が重要視される中、前途のした様に「当面の陸運確保」の為に仮設?されたようなローカル鉄道線では、輸送力は確保できても利便性が悪く利用者からも見放され次々と終焉を迎えたわけです。

もはや全国規模の広域アクセスと地方規模のエリア内アクセスは別次元の代物になったといえます。

今や物流の99%はトラック運輸が担い、鉄道貨物輸送の占める割合は極端に低くなっています!

鐡道貨物は、大都市間の大量コンテナ輸送と、首都圏などのトランスポーター集中エリアでの定時性確保のための近中距離輸送に限られているといっても過言ではない状況です。

第2項 東北に於ける LRT・トラム網!

第1目 1910年開業の信達軌道(現福島交通)LRT の場合

福島県北部で現伊達市エリアの交通を一手に引き受けていた1910年開業の信達(シンタツ)軌道(現福島交通)の「日本初の広域トラム網!

1976年に廃止された板東線は1910年に軌間760mmの軽便鉄道として開業して16年後の1926年には1067mmの狭軌に改軌されて合わせて直流600v電化されたことにより実に半世紀以上にわたって伊達エリアの旅客・物流の主役でした。

このトラム網は併用軌道上!を走行していたチンチン電車ですが、貨物輸送も行っていました!

廃止まで地域の脚として重宝がられていた路線網でしたが、1961年に併走する東北本線が電化されて運行本数が増えると徐々に通勤客が東北本線にながれていって、併用軌道を走る路面電車であったことが災いして、道路整備(舗装化)で増えたバス、トラック、乗用車の渋滞に巻き込まれて、定時運行が"意地"できなくなり、大都市のチンチン電車と同じ運命をたどりました!

※関連記事 福島県 伊達市 《 タウンヒストリア 》 日本における 広域トラム 発祥の地はこちら。

第2目 忘れてな成らない花巻電鉄の『馬面電車』

※詳しくは廃線探索家の、個人サイトをご参照ください。

2花巻電鉄は、信達軌道同様に、地元有力者達が出資して、1913年8月30日に起業した 花巻電気軌道が路線を申請して、後を引き継いだ花巻電気(後の花巻電気鉄道)が1915年9月16日に部分開業した東北初!の Interurban (電気軌道)でした。

1921年6月26日に温泉軌道が"馬車軌道"として鉛温泉⇔西鉛温泉間を部分開業しました。

その後に盛岡電気工業(1921年12月25日)に合併されて、1922年6月30日には、温泉軌道も合併し!、1923年5月4日には松倉⇔志戸平温泉間(併用軌道線)で

車運行を開始しました。その後1925年11がつ1日に大沢温泉⇔西鉛温泉間も電化されました!(つまりこの区間は馬車軌道のままでした)

2-1-2 花巻⇔花巻温泉間の"鉄道線"

1925年8月1日に西花巻⇔花巻温泉間が鉄道路線として汽車列車!で開業し。

同年10月3日に、電車も運行開始されました。

慾1926年10月1日に新設・花巻温泉電気鉄道(花巻電鉄の起源)に譲渡されました。(※なので花巻電気鉄道は1926年設立となっています!)

その後花巻電気鉄道(1941年10月29日)に改称しました。

2-1-2-1 当時の軌道は

当時の軌道(鉄道)は、前途した福島交通の現飯坂温泉線同様に、県道297号沿いの"東側"を付かず離れずで敷設されていたようです。航空写真には当時の軌道跡がホボほぼ完全な形で残されているのが見て取れます。

2-1-3 敗戦後

敗戦後の1947年6月5日花巻温泉電鉄→花巻電鉄(1953年6月1日)となり。

2-1-3-1 鉄道・軌道事業の終焉!
  • ※1965年7月1日 中央花巻⇔西花巻間の軌道事業を廃止!
  • ※1969年9月1日 花巻⇔西花巻⇔西鉛温泉間の軌道事業を廃止!
  • ●1971年2月24日 岩手交通バスに吸収合併!
  • ※1972年2月16日 花巻⇔花巻温泉間の鉄道事業廃止で、全軌道・鉄道事業廃止!

第3項 身の程を弁えた堅実な地方都市では今も

つまり地方都市(中核市)では、大都市とは違い、商用車が道から溢れるほどには多くなく、チンチン電車が今も市民の足となってい活躍できているわけです。

東北のどこいぞやらの"痴呆大都市?"では身の程もわきまえずに、子々孫々に至るまで払いきれないような借金(市債)を背負いこんで迄、"思いっきり背伸び"をして分不相応なミニ地下鉄!(※61)を建設して手を焼いていますが...

質実剛健、質素倹約を旨とする薩摩っ子は、セオリー通り"道路拡幅整備"で身の丈に応じたチンチン電車(トラムカー)を見事生き返らせて、21世紀の都市計画を実践しています!

日本一整備された軌道を軽快にトラムカーが駆け抜ける、まるでヨーロッパの街並みのような!鹿児島市

参※61)当サイト内関連記事 リニア地下鉄 はリニアに"金食い虫"で厄介者のお荷物"公共交通効カン!" はこちら。

 

公開:2019年10月14日
更新:2025年7月12日

投稿者:デジタヌ

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