狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載Essay『 西鉄貝塚線 は後数年の余命...箱崎線の直通運行の夢はとっくの昔に...』ー第5回ー

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★第4節 福岡市が九州経済の中心地に躍進!して...

戦後1960年代に"黒いダイヤ"ただの石炭に戻って糟屋郡などの周辺町村が急激にさびれたのとは対照的に、敗戦後の1945年頃から福岡市は急激な発展を遂げました。

1975年頃には、敗戦当時40万人程度だった人口が100万人を突破して毎年とどまるところを知らない勢いで増加し続けています!

★第1項 福岡都市圏公共交通網の問題点とは...

福岡市都市圏交通の問題点は、ズバリInterurban(都市圏近郊電車)とomnibus(乗り合いバス)が異なった企業(労総組合)で運行されて互いに協調できてい無い!ことです。

つまり冒頭で述べたように、労働組合の"ダム"が21世紀のtrend(潮流)を阻止!しようと抗っているのです。

第1目 西欧諸国では鉄道と路線バスは同一企業体(RTD)で競合していない!

西欧諸国では、都市圏公共交通は、同一企業体・オーソリティーとして一現運用されていて、互いに連携しあって役割分担を行っています。

※日本では富山市の富山地方鉄道、富山港線で採用されて成功しています!

参※)当サイト内関連記事 地域交通事業体 RTD(Regional Transportation District) の必要性! と実現への途とは... はこちら。

第2目 西欧諸国では同一事業体が常識に

つまり、西欧先進諸国では日本のような後進国?とは異なり、Interurban(都市圏近郊電車)とomnibus(commuter bus;通勤通学路線バスとcommunity Bus ;地域内バス)が、同一企業体の運営で、お互いに競合するのではなく・補完し合って、一体運用されている訳。

米国内に留まらず、ヨーロッパ各国の多くの地方都市でも、オーソリティーを形成して、都市圏交通を一体運用して、郊外のnode station(結節駅)でトラムカーとコミュニティーバスとのスムーズな乗り換えを実現しています!

ボストン中心部では、LRT路線とバス路線が地下駅で対面乗り換えができるように低床ホームを共用していた。(現在トラムカー路線は全て低床バストラム(※10)に置き換わっています)

参※10)当サイト関連記事 トラムといえば『 バス・トラム 』を指す日が必ずやってくる! はこちら。

♥RTD(Regional Transportation District,)の例

第2項 JR九州にとっては旧・国鉄時代の筑肥線分断の苦い思い出が...

※ 旧・国鉄・筑肥線の福岡市内路線図

第1目 筑肥線(北九州鉄道)の生い立ち

香椎線と同じような経緯で、1923年12月5日 に北九州鉄道が福吉 ⇔浜崎間で新規開業した旧国鉄 筑肥線が1925年1月20日 南博多 ⇔新柳町間を延伸開業して、南博多駅を新設

1925年6月15日 新柳町 - 姪浜間を延伸開業、新柳町・鳥飼・西新町の各駅を新設。虹の松原 ⇔ 東唐津間を延伸開

1925年(大正14年)11月20日 南博多 ⇔新柳町間を延伸開業、南博多駅を新設

1937年(昭和12年)10月1日 北九州鉄道を買収・国有化し筑肥線 (86.1km) なった。

第2目 梯子を外されて孤立路線?となった旧国鉄筑肥線!

1983年(昭和58年)3月22日:1号線 姪浜 ⇔室見間・中洲川端 ⇔博多(仮)間延伸開業。

当時の国鉄は同日 博多⇔姪浜間を廃止!筑肥線は姪浜 ⇔ 唐津間に。

やっとの思いで 唐津 ⇔姪浜間を電化(直流1500V)して、福岡市地下鉄と相互直通運転開始を開始しました。

その後、鹿児島本線との連絡が途絶え「梯子を外された」形となった筑肥線は、地下鉄の成功で、福岡市営地下鉄の支線?となってしまって...

唐津行の優等列車は長崎本線⇔唐津線経由となり、その後の新生JR九州にとっては悔やんでも悔やみきれないトラウマ!となった訳です。

1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化にともない九州旅客鉄道が筑肥線を承継。

第3項 福岡市は東区雁ノ巣地区のアクセス改善が課題に...

第1目 福岡市が選んだ東区へのアクセス改善策は市営地下鉄建設

高度成長期の1970年代筑肥線の通勤混雑が目立つようになりましたが、もはや旧国鉄には、自力で輸送力増強を行える体力はなくなっていました!

福岡市は、慢性化する交通渋滞を解消するために、手っ取り早い?地下鉄建設を選んで、1973年(昭和48年)12月22日:福岡市議会で、高速交通事業を行なうことを議決して、弱り目に祟り目状態の旧国鉄に話を持ち掛け、1975年(昭和50年)11月12日に姪浜 ⇔博多間(1号線)、中洲川端 ⇔ 貝塚間(2号線)を起工しました。

第2目 地下鉄西鉄貝塚線直通構想の狙いJR香椎線和白⇔西戸崎直通だった!

前途したように現在早良区の通勤事情改善の為に、「空港線」が姫浜から先のお隣の糸島市のJR筑肥線筑前深江駅まで、直通していることは"市民の皆さんはよくご存じのはず!"(一部列車は佐賀県の唐津!までも)

福岡市営地下鉄の真の狙い、香椎線(和白⇔西戸崎 間)への直通構想!は、

同じように東区雁ノ巣地区の、アクセス改善を狙っているのです!

つまり「福岡市営地下鉄の西鉄貝塚線直通構想の真の目的」は、JR香椎線への乗り入れが狙い!となります。

というわけで、2020年3月16日 のJR香椎線 西戸崎⇔鹿児島本線・博多駅間直通運転開始!で事実上消滅しました!

参※01)当サイト関連記事 全国の 中核都市 は コンパクトシティー を目指している!福岡市の場合は はこちら。

★第3目 今回は維持(意地)を通したJR九州!

福岡市・西鉄・JR九州の3者協議では、後述する「唐津線の教訓!」から、JR九州さんが和白⇔西戸崎間の香椎線譲渡を断り第一種鉄道事業として引き続き自社便を運行を継続することで、3社協議が成立したわけです。

そこで2020年3月16日に蓄電池駆動電車BEC819系「DENCHA」を香椎線の香椎⇔西戸崎に投入して、鹿児島本線直通運行を開始したわけです。

つまり「香椎線の博多駅延伸運転」により、福岡市営地下鉄の貝塚線経由香椎線への直通構想も必要無くなった!わけです。

香椎⇔西戸崎間の乗客をたやすく手放す気のないJR九州

福岡市(地下鉄)は、西鉄経由貝塚線経由で、香椎線乗り入れを目指していましたが...

香椎線のおいしい部分?である福岡市・東区(和白⇔西戸崎間)の乗客を,鹿児島本線(博多駅)からたやすく手放す気のないJR九州との間で"直通協議"を重ねていたわけですが...

2018年の福岡市のアドバルーン?は...

前途したように、1972年4月1日に東区が誕生して以来、急激に人口が増加して、長年半島部分にある西戸崎のアクセス改善を、国鉄と進めてきたわけですが、前途したように、九州鉄道管理局は極貧!状態で、直通運行どころではなく!

仕方なく1986年11月12日 に地下鉄2号線(箱崎線)を貝塚駅まで延伸させて西鉄 宮地岳線と乗り換え接続を図ったわけです。

そして1987年4月1日 以降は跡を継いだJR九州と引き続き根気強く交渉を続けてきたわけですが、JR九州の経営改善は遅々として進まず、その間も東区の住人は増え続け...

2018年に、しびれを切らした福岡市が、西鉄接続駅貝塚駅から「直通するぞ!」

と態度(香椎線博多駅直通)を保留し続ける「JR九州」のおしりをたたいた!わけです。

脅し?が功を奏した!

この"揺さぶり(脅し!)"が功を奏して?、その後JR九洲が折れて、2019年3月16日の西戸崎⇔鹿児島本線・博多駅間直通運転開始!となった訳です。

新開発の蓄電池駆動電車BEC819系「DENCHA」を香椎線に投入して電化に頼らずに電車並みの快適性と所要時間の短縮で、福岡市の(東区⇔博多駅間直通アクセス改善)要望に応えたわけです

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公開:2019年10月24日
更新:2024年3月27日

投稿者:デジタヌ

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