狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載《 阪神 姫路線の旅? 姫路行" 直通特急 "を乗り通してみて... 》ー第1回ー

前書き 山陽電車は阪神特急?最速区間!

阪神特急を乗り通してみて

阪神電車で大阪梅田⇔山陽姫路間を乗り通すのは1981年以来実に40年ぶり!

阪神・姫路線?を走行する阪神8000系電車正に特急電車!

阪神本線での欲求不満を解消?するかのように「水を得た飛び魚?」のごとく、最高速度110㎞/hで"飛ばす飛ばす"これぞ真の特急!

プロローグ 日本の"interurban "の歴史は近畿で始まった!

(2024年2月7日改定Version1,Revision18

※本節は当サイト関連記事 日本の "インターアーバン"と定番直流1500V 電化の歴史は近畿で始まった! の Digest editionです。

日本における Interurban (郊外電車!)の歴史は近畿で始まったといってもよいでしょう!

大阪の5大私鉄が、国内に持ち込んだ Interurban (都市近郊線)コンセプトは、それまでの electric train=チンチン電車=street car のイメージを一掃するものでした!

そして、大都市圏のライフスタイルを大変革させました。

★第1項 日本における"電気軌道"の先駆け京都

1895年(明治28年)に行われた第4回内国勧業博覧会(4月1日→7月31日)の会場アクセス手段として、同年2月1日 に伏見線 七条停車場(七条停車場・踏切南) ⇔下油掛(後の京橋)間に1067mmの狭軌路線として営業開始したのが日本初のチンチン電車京都電気鉄道でした。

そしてその後京都市電へと引き継がれ、1978年10月1日 の全線廃止まで、京都市電は京都市民に無くてはならない存在として親しまれ続けました。

旧省線(国鉄)の電化の流れ

国鉄電化の流れは、日本初の京都のチンチン電車と同じ直流600Vから始まり、高圧給電の実用化過渡期の直流1200vの実証実験をへて、1928年以降に直流1500V電化方式が確立されて、日本における電化の定番技術として全国に普及していきました。

※1928年以前は、車両・部品の共通化の為に、直流600Vで、電化工事が継続されていました!

近畿地区での電化は1934年からと遅れていたので、当初から直流1500Vでの電化が進んだと考えられます。

※1929年7月18日 開業の阪和線は当初は京阪電車の子会社阪和電気鉄道だったので、当初から当時の最新技術直流1500v電化が採用されたわけです!

第2項 近畿のインターアーバンの歴史 

冒頭で述べたように、日本の路面電車は1890年8月25日公布の 軌道条例で始められた馬車軌道が起源になるわけです、なので

当初は走行速度8mile/h!(12.9km/h)とママチャリ暴走族?並みに抑えられていたわけです。

なので前出の京都電気鉄道も1924年1月 1日施行の軌道法で25mile/h!(40km/h)に緩和?されるまでは、ノンビリ走っていたわけです。

第1目 いち早く Interurban に着目した阪神電車  

阪神電車は、軌道法施行(1924年1月 1日)以前の軌道条例1890年8月25日公布)時代の1905年!いち早くinterurban (都市近郊線)に目を付けて、三宮駅⇔出入橋駅(大阪)間に直流600v電化によるinterurban (都市近郊線)を敷設して『待たずに乗れる 阪神電車』 (※21)のキャッチフレーズで、当時汽車運行で、日に数往復だった阪神間の旅客を搔っ攫いました。

軌道条例(1890年8月25日公布)で敷設された、専用軌道上を、チンチン電車がスピード違反(※22)の猛スピードで駆け抜けて省線から、阪神間の旅客需要を勝ち取りました。

タダシ、その後"専用軌道"とは別に「通常の鉄道路線にあたる新設軌道なる"抜け道"」が設定されて、25mile/h!規制が除外され、1919年8月15日の地方鉄道法施行以後も、軌道条例遵守で1924年1月 1日の軌道法施行後は前途した新設軌道を建設して、正々堂々と?国鉄に戦いを挑んでいたわけです。

参※21)当サイト関連記事 "待たずに乗れる 阪神電車 の再来には巨額投資が... はこちら。

本来の interurban! 宅地開発殖産鉄道は...

阪神電車に遅れること5年の1910年に  箕面有馬電気軌道として 梅田 ⇔宝塚間、箕面線石橋⇔ 箕面間が直流600v電化で開業しました。

当時は併用軌道部分がかなりある路線で、ノンビリ丘陵地帯の新興住宅地をつないでいました。

第2目 国内初の直流1500v電化を果たした近鉄南大阪線!

  • ●1923年4月 2代目大阪鉄道(現近鉄南大阪線;地方鉄道)大阪天王寺駅(現大阪阿部野橋) ⇔道明寺駅間を国内初の直流1500v電化で開業。

2代目大阪鉄道(現南大阪線)が1929年3月29日:古市駅⇔久米寺駅(現在の橿原神宮前駅)間を延伸開業して大軌・吉野線と直通運転を行うようになりましたが...

同年1月に大阪線が直流1500vに昇圧されるまでは、現八木短絡線を経由して)上本町⇔大和八木⇔橿原神宮間に定期便の直通電車が走るメインルートとなっていました!

つまり近鉄黎明期には、南大阪線(2代目大阪鉄道)と橿原線(大阪電気軌道)が競合していた!わけです。

  • ●紫ライン 1500V昇圧区間
  • ♥ピンクライン渡り線

第3項 その後に続いた1500v電化開業の阪和線と、大阪以外の"地方"では

国内2番目は讃岐平野を走る琴電・琴平線が、1926年12月21日 - 栗林公園 ⇔滝宮間が直流1500v電化・標準軌(軌間1435㎜)で部分開業しています!

国内3例目は 1927年(昭和2年)4月16日 に武蔵水電(現西武鉄道)が 村山線の高田馬場(仮)駅 ⇔ 東村山駅間を、国内3例目となる直流1500V!電化で開業して、東村山駅 ⇔川越駅間も同時に直流1500V!電化して、本家中央線に次いで全線電化開通しました。

国電よりも早かった各私鉄の1500V電化!

つまり1928年2月:東北京浜線の田端⇔ 赤羽間、東海道線旧熱海線 小田原駅 ⇔熱海駅間の 直流1,500 V電化(および在来区間昇圧化)より各私鉄の直流1500v電化のほうが早かったわけです、勿論国内電業メーカーの直流1500v電化用の地上設備・車上機器開発を後押しした、国鉄電化事業の功績も大きかったわけですが...

●1929年7月 阪和電気鉄道(現JR阪和線)阪和天王寺⇔和泉府中駅間全線複線直流1500v電化で開業!

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(2024年2月29日改訂ーVersion5,Revision7 ー)

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本レビュー記事は、出来る限りの"記録"(時系列)に下ずいた史実と、科学(工学・地政学※000)的 な検証"に下ずく semi-documentary ですが...

筆者の"億測"を交えた fantasy(創作物)でもあります。

なので登場する各団体とは直接関連はありません?

また各団体では"答え難い『大人の事情(利害・思惑』つまりあまり触れられたくない内容!"も含まれています。

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参※000)当サイト関連記事 一研究分野にすぎない geopolitics(地政学)の"概念・研究 theme とは... はこちら。

 

公開:2020年10月28日
更新:2024年4月 4日

投稿者:デジタヌ

連載『 神鉄・粟生線 "緑ヶ丘駅"以遠の廃止は三木市・小野市の協議如何!に...』ー最終回ーTOP連載《 阪神 姫路線の旅? 姫路行" 直通特急 "を乗り通してみて... 》ー第2回ー


 

 



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