狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

George Stephenson と言う人物は《 鉄道と" レール"のお話第3回 》

第3回 George Stephenson と言う人物は

日狂祖が監修(干渉!)した検定教科書では、steam locomotive の発明者となっていますが...?!

第0項 共産主義者は"英雄伝説!"が大好き!

※日狂祖患部の Othority(権威主義者)である columnist は、レーニンや毛沢東等叙事詩(英雄伝説!)大好き!なのです。

なので、本来は historical context !であるべき歴史も、源頼朝の鎌倉幕府」とか「徳川家康の江戸幕府」とか言った様に、『"誰かを英雄に祭り上げる!″事が大好き!』

James Watt の蒸気機関!?」や「George Stephenson のロケット号?」という風に、"英雄に祭り上げて!"しまったのでしょう

これでは、歴史教育とは言えません!?!

産業革命?個人(英雄)の手柄?では無い!のです...

『沢山!の engineer の工夫改良』の上に成り立っている!のです。

第1項 steam locomotive の発明者は Richard Trevithick!

1802年に"高圧ボイラー"を用いた実用steam locomotive を発明したのは Richard Trevithick(リチャード・トレビシック)と言う engineer です。

第1目 G.Stephenson は土木技術者!

G.Stephenson は元々運河建設に係る土木技術者で、機械屋さんではありま線!でした。

しかも十分な専門教育を受けた specialist(専門家)でもありま線!でした...

日本で言えば本田宗一郎のように独学で学んだ技術者で、更にどちらかと言えば

engineer と言うよりは promoter,Manager に近い、そしてロビー活動(※10)をも受け持つ Lobbyist でもありました。

参※10)当サイト関連記事 『日本のロビー活動(政界工作!)を行う lobbyist(民間think tank)の正体とは...』 はこちら。

1-1-1 project manager "主査!" !だった

但し、優れた Innovations を持ち、優秀な engineer を"見つけ出し!″て、積極的に重用する「高い見識」を持った人物で日本語では"主査"に当る人でした。

なので、後にアメリカに渡り北部の鉄道網建設に貢献した、彼の息子 Robert Stephenson には engineer としての専門教育!を受けさせました。

1-1-1-1 零式艦上戦闘機も...

例えば式艦上戦闘機堀越二郎技師長一人の手柄ではありま戦!

当時の『設計陣!の総意!の賜物』です。

1-1-1-? 恥ずかしながら小生も...

嘗て、若かりし頃のい小生も、とある中小企業で、いっとき" project manager "を拝領しておりました...

第2項 Stephenson's Rocket

第1目 produce しただけ

彼が発明したとされる Stephenson's Rocket(ロケット号)は彼が produce しただけで、

実際の製作は彼の息子 Robert Stephenson を代表者にして設立した Robert Stephenson and Company で、R. Stephenson と彼の staff の engineer が考案したものが殆どで、彼が自ら考案・発明・設計したものは有りま線!

更に、彼が steam locomotive を発明したのでもありま線!

2-1-1 公開 competition に勝利して採用された!

Liverpool and Manchester Railway では機関車選択のための公開 competition (Rainhill trials)を開催!しており、

多くの"馬力機関車"!まで参加して、多数の観客に見守られた中で多数の steam locomotive が参加しており、Stephenson's Rocket はその中の1台!にしかすぎませんでした。

第2目 開業当初の″度重なる脱線事故!"は...

英語圏で一般的に"枕木"が sleeper では無く!tie と呼ばれているのは、Track gauge を keep(maintain)するcrossbeamtentionner の役割!を果たしているからです。

2-2-1 開通当初は"他意?(tie)"は無かった!...

開業当初の Liverpool and Manchester Railway ではこの tie (他意?)は無く!「crossbeamも無い飛び石」に固定されただけの rail を用いたRailway track で、カーブでは『過大な"側圧"Track gaugeが広がり、脱線!が頻発したのです。

更に開業当初は "speed mania の機関士"40 mph≒64 km / h!もの猛スピード運転!したために脱線転覆!の大事故も発生したのです。

2-2-2 Stephenson's Rocket の引き起こした数々の incident!
2-2-2-1 走行中にボイラー爆発!

営業運行開始後に16mph≒26㎞/hで走行中に、ボイラーが爆発!事故が起こりました。

2-2-2-2 脱線転覆!事故

40 mph≒64 km / hで走行中に動輪が壊れて脱線転覆する事故が発生して、強度的に問題があることが発覚し、即刻改良型の Planet に置き換わりました。

2-2-3 客車を牽引して最高速度64km/h !の大記録も

ブレーキ付き(ブレーキ手を乗せた)客車(※21)を引いて、 Liverpool → Manchester間50 km を走行時間1時間(平均速度50㎞/h)最高速度40mph(64km/h)の大記録も打ち立てましたが...

★※21)前途した様に、当時はまだ Railway air brake が発明されておらず!Railway brake は機関車にしか装備されていませんでした!更に、時代が進んでも、客車?(coech)各一台ごとに、break man が乗車して、手回し式の機械ブレーキ(リンク式)を操作していました。

更に、時代が進んでも、比較的平坦に建設された路線が多かったイギリスでは長らくFreight car(貨車)にはブレーキが備わっていませんでした!、

貨車にブレーキが装備されたのは第2次大戦後で、20世紀後半になって、Intermodal container(海上コンテナ)輸送を行うようになり)flat car(コンテナ積載貨車を供用しだしてからの事です。

なのでイギリスでは長年に渡り、貨物列車は20mph!(約30km/h)程度で運行されていました。

2-2-3-1 営業運転では表定速度 25km/h

実際の定期運行ではこの間の旅客列車の所要時間は2時間を要し表定速度25km/ hで、前途した様にノーブレーキ!の貨物列車でも 8 mph≒13 km / h!に留まっていました。

★つまり前途した Stockton and Darlington Railway の12 mph:19km / hより遅く

G.Stephensonが考え出した crossbeam も無い「飛び石作戦は明らかに失敗!でした。

2-2-2 開業後・半世紀も経過してから「"枕"を高くして眠れる」ように?

Liverpool and Manchester Railwayでは、鉄道が誕生して約半世紀が経過した1837年になり、やっと50lb /yd(23kg/m)の双頭レールを、一般的な"tie"に、clampで固定する軌道に改修されました。

つまり、開業当初はスピードは出るが(と言っても 開業後の改良型 Planet で)、大量輸送(重量物輸送)には適していなかったのです。

つまり日本の整備新幹線と大して変わらない役立たずの代物(※24)でした!

お判りですか、speed maniaの"先代鳥徹"、運輸族御用達の"鉄棒頭"ご両人!(※25)

参※24)当サイト内関連記事 整備 新幹線 建設推進プロジェクト は国を亡ばす! はこちら。

★当サイト内関連記事 Vintage Car の系譜 とコーチビルダーの変遷 はこちら。

参※25)当サイト内関連記事 今どきの鉄道傾!Youtuber、タレント、シナリオライター、 コラムニストとは?... はこちら。

参※)当サイト関連記事 『海上コンテナ鉄道輸送の"持続可能な営業規模"など運輸賊・経産族には理解の範囲外!? はこちら。

2-2-3 over speed が原因で脱線が多発!

開業後に多発!した脱線事故の原因にもなっている)over speed の要因の一つは、開業当初の各車両には brake が無く!下り坂での速度調節が難しかったことも遠因の一つとなっています。

2-2-3-1 pneumatic brake が発明されてかった!

pneumatic brake ;空気ブレーキが発明されていなかった当時、

開業後数年を経てやっと!passenger car(客車)に、各車両毎に1名ずつの brakeing man が乗車して、手回し式!の mechanical brake を操作作するようになりました。

但し Freight Car ではそうもいかず、のろのろ運行(average velocity 8 mph≒13 km / h!)をする以外に、駅で「停止する」手立てが無かった!わけです。

勿論"緊急停車"などと言う芸当は出来ま線!でした。

※最も station 以外のほどんどの区間 bank と、切通し高架橋!で建設された立体交差! Shinkansen だったので、緊急停車必要もありま線!でしたが...

2-2-2-2 カタカナ日本語のエアーブレーキ表見について

空気式ブレーキは同じ英語圏でも、英国では、pneumatic breake と呼ばれ、米国では air breake (※26)と称されます。

カタカナ日本語では、発音しやすいので米語をカタカナ表記してエアーブレーキと呼ばれるようになりました。

参※26)当サイト関連記事 連載『英語圏のYoutube鉄道動画や出版物で用いられる単語・用語・慣用句・記述について』続編 はこちら。

第3項 貨物営業では苦戦!

当時 Canal system(運河網)が完備されていたこの Local Area では、freight transportation では、canal を利用した水運!との激しい競争に巻き込まれて苦戦しています! 

Liverpool and Manchester Railway が19世紀の Shinkansen (旅客高速鉄道)となったのは、freight transportation を担う Bridgewater Canal や、Macclesfield Canal などの Canal が先に建設されていたからでした。

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公開:2011年10月14日
更新:2025年5月 6日

投稿者:デジタヌ

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