狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載《 鉄道の歴史は Wagon(荷馬車)用の"木道" から始まった !》ー第4回ー

第4回 George Stephenson と言う人物は

日狂祖が監修(干渉!)した検定教科書では、steam locomotive の発明者となっていますが...?!

※日狂祖患部の Othority(権威主義者)であるcolumnist共は、レーニンや毛沢東等叙事詩(英雄伝説!)が大好き!で、

本来は historical context であるべき歴史も、源頼朝の鎌倉幕府」とか「徳川家康の江戸幕府」とか言った様に、誰かを祭り上げる!事が大好き!、「James Watt の蒸気機関?!」「George Stephenson のロケット号?」という風に祭り上げて!しまったのでしょう

こんなのは、歴史教育とは言えません!産業革命?個人(英雄)の手柄ではない無い!のです...

沢山の engineer の工夫と改良の上に成り立っているのです。

例えば零式艦上戦闘機堀越二郎技師一人の手柄ではありま戦!

当時の設計陣の総意の賜物!です。

第1項 steam locomotive の発明者は Richard Trevithick!

1802年に高圧ボイラーを用いた実用 steam locomotive を発明したのは Richard Trevithick(リチャード・トレビシック)と言う engineer です。

第1目 G.Stephenson は土木技術者!

G.Stephenson は元々運河建設に係る土木技術者で、機械屋さんではありませんでした、しかも十分な専門教育を受けた specialist(専門家)でもありませんでした!

日本で言えば本田宗一郎のように独学で学んだ技術者で、更にどちらかと言えば

engineer と言うよりは promoter,superviser に近い人物でした。

但し、優れた Innovations と、優秀な engineer を見つけ出して、積極的に重用する「高い見識」を持った人物でした。

なので、後にアメリカに渡り北部の鉄道網建設に貢献した、彼の息子 Robert Stephenson には engineer としての専門教育を受けさせました。

第2項 Stephenson's Rocket

彼が発明したとされる Stephenson's Rocket(ロケット号)は彼が produce しただけで、

実際の製作は彼の息子 Robert Stephenson を代表者にして設立した Robert Stephenson and Company で、R. Stephenson と彼の staff の engineer が考案したものが殆どで、彼が自ら考案・発明・設計したものは有りません!

更に、彼が steam locomotive を発明したのではない

証拠に、Liverpool and Manchester Railway では機関車選択のための公開 competition (Rainhill trials)を開催しており、多数の観客に見守られた中で、多くの"馬力機関車"!まで参加して、多数の steam locomotive が参加しており、Stephenson's Rocket はその中の1台にしかすぎません!でした。

第1目 開業当初の度重なる脱線事故は

英語圏で一般的に"枕木"が sleeper ではなく tie と呼ばれているのは、Track gauge をkeep(maintain)する crossbeam、tentionner の役割を果たしているからです。

開業当初の Liverpool and Manchester Railway ではこの tie (他意?)はなく「crossbeamも無い飛び石」に固定されただけの rail を用いたRailway track で、カーブでは過大な側圧Track gaugeが広がり脱線が頻発したのです。

更に開業当初はspeed mania の機関士が40 mph≒64 km / h!もの高速走行したために脱線転覆の大事故も発生したのです。

開業後・半世紀も経過してから「枕を高くして眠れる」ように?

Liverpool and Manchester Railwayでは、鉄道が誕生して約半世紀が経過した1837年になり、やっと50lb /yd(23kg/m)の双頭レールを、一般的な"tie"に、clampで固定する軌道に改修されました。

つまり、開業当初はスピードは出るが(と言っても 開業後の改良型Planetで)、大量輸送(重量物輸送)には適していなかったのです。

つまり日本の整備新幹線と大して変わらない役立たずの代物(※24)でした!

お判りですか、speed maniaの"先代鳥徹"、運輸族御用達の"鉄棒頭"ご両人!(※25)

参※14)Stephenson's Rocketは、営業運行開始後に16mph≒26㎞/hで走行中にボイラーが爆発する事故と、40 mph≒64 km / hで走行中に動輪が壊れて脱線転覆する事故が発生して強度的に問題があることが発覚して、即刻改良型のPlanetに置き換わりました。

客車を引いての最高速度が40 mph≒64 km / h!、 Liverpool → Manchester間50 km を1時間で走った大記録(平均速度50km/ h)も打ち立てましたが...

実際の定期運行ではこの間の旅客列車の所要時間は2時間を要し表定速度25km/ hで、ノーブレーキの貨物列車でも 8 mph≒13 km / h!に留まっていました。

つまり前途した Stockton and Darlington Railway の12 mph:19km / hより遅く

G.Stephensonが考え出した crossbeam も無い飛び石作戦は明らかに失敗でした!

参※24)当サイト内関連記事 整備 新幹線 建設推進プロジェクト は国を亡ばす! はこちら。

※当サイト内関連記事 Vintage Car の系譜 とコーチビルダーの変遷 はこちら。

参※25)当サイト内関連記事 今どきの鉄道傾!Youtuber、タレント、シナリオライター、 コラムニストとは?... はこちら。

第2目 pneumatic brake が発明されていなかった当時は...

更に開業後の脱線事故の原因にもなっている、over speed の要因の一つは、前途したように開業当初の各車両には brake が無く!下り坂での速度調節が難しかったことも遠因の一つですが...

pneumatic brake が発明されていなかった当時は、開業後数年たってからやっと!passenger car(客車)では、各車両に1名ずつの brakeing man が乗車して、手回し式の mechanical brake を操作するようになりました。

但し Freight Car ではそうもいかず、のろのろ運行(average velocity 8 mph≒13 km / h!)をする以外に、駅で「停止する」手立てが無かった!わけです。

勿論"緊急停車"などと言う芸当は出来ませんでした!

※最も station 以外のほどんどの区間が bank と、切通し高架橋!で建設された立体交差!Shinkansen だったので、緊急停車の必要もありませんでしたが...

第3項 貨物営業では苦戦!

貨物営業では、当時 Canal system(運河網)が完備されていたこの Local Area では激しい競争に巻き込まれて苦戦しています! 

Liverpool and Manchester Railway が19世紀の Shinkansen となったのは、貨物輸送を担う Bridgewater Canal や、Macclesfield Canal などの Canal が先に建設されていたからでした。

 

公開:2011年11月 7日
更新:2024年3月21日

投稿者:デジタヌ

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