鉄道と" レール"のお話(副題;"木道"から始まった"鉄道"の発達史".)ー連載第4回ー
第4回 ♥平底レール と木製 ♥Railroad tie、♥ Rail spikes の発明
今日一般的に知られている、 平底のI型(H型)Railを Railroad tie(枕木)に Rail spikes(犬釘)を用いて固定するRail fastening system(軌条固定方法)は、
George Stephenson の息子で、アメリカ生まれの"アメリカ人!" の Robert Livingston Stevens が考案したRailway track(軌道)の敷設法です。
第1目 1830年着工の Camden & Amboy Rail Road and Transportation Company で実用化!
そして彼が社長を務めていた Camden & Amboy Rail Road and Transportation Company (1830年4月28日創業)が、1830年12月4日に着工した鉄道で初めて採用!されました。
第2目 イギリス製!平底レールを使用
この時用いられた♥平底レールは、当時長尺物の♥鍛錬技術が進んでいた、♥イギリスで製造された錬鉄製のレールでした。
以後、後述する transcontinental railroad(大陸横断鉄道)のゴールデンスパイクに代表される「レールを枕木に犬釘で固定」する Railway track(軌道)が"アメリカンスタイル"として定着しました。
第3目 北海道初の colliery railway 官営幌内鉄道では
アメリカ人の鉱山鉄道技師ジョセフ・ユーリー・クロフォードが建設を指揮して1880年11月28日に開通した♥官営幌内鉄道でも、USAのH.K.ポーター社製の蒸気機関車と共に、この Rail fastening system が♥採用されたのです。
更に、レールも鋼鉄製ではなく!鉱山軌道(軽便鉄道)で用いられる15 kg/m(30ポンド/ヤード)のH型の軽量錬鉄レールでした。
第4目 日本初の♥ passenger railroad は双頭レール!
これに対して1872年10月14日正式開業のイギリス人の Edmund Morel が指揮した日本初の passenger railroad 新橋駅(のちの汐留駅) ⇔横浜駅(現桜木町駅)間では、Consett Iron Campany が製造した1870年製イギリス式双頭レールが用いられました。
1-4-1 Consett Iron Campany 製の"双頭レール"を使用
※日本語ウィキペディア(※10)では Darlington Steel?製となっていますが、そのような「製鉄メーカーは過去現在通じて存在していません!」
1-4-1-1 Consett Iron Company の誤り!
★当時 Consett Iron Company は錬鉄製品製造で有名な企業でした。
前途したStockton and Darlington Railway 用に製造したレールを分けてもらった!?ので、レールには Darlington の刻印が残っており、日本語ウィキペディアの起筆者がDarlington Iron?社と言う幽霊会社!を思いついたのでしょう...
参※10)これこそが、当サイトの『日本語ウィキペディア が 鉄道系Youtuber から"こけ"にされる訳とは...』に当る訳です。
1-4-1-2 当時一般的だった50℔/yd の双頭レールでは...
規格については日本語ウィキペデアにも記述がありませんが、おそらく当時イギリスで一般的だった50lb /yard(23kg/m)双頭レールだったと推察できます。
材質についても、1875年に六郷川橋梁が鉄橋に架け替えられた際に輸入された部材もこの会社製の"錬鉄"だったので、前途した様にレールも同様の"錬鉄"だったのでしょう。
1-4-2 PS レールの云われも...
PSレールとは、Pennsylvania Railroad special Order の略です。
有名な Raymond Loewy の Design で語り草!になっているお化け機関車!S1を走らせていた Pennsylvania Railroad で用いられていたSpesial Order(特注)レールが採用した Rail profile
です。
1-4-2-1 長らく露西亜鉄道がPSレールを輸入していた理由は...
北海道の幌内炭鉱の出炭用に建設された、官営幌内鉄道で用いられた、日本国内初!の平底レール軌道もそうですが、
当時は、アメリカの鉱山技師が、各発展途上国(鉄道後進国!)の鉄道建設を指導していました。
なので、当時の露西亜帝国のシベリア鉄道開発でも、多くのアメリカ人鉱山技術者が建設を指導!していました。(※11)
なので、ロシアの幹線では長らくPSレールが使用されていたのです。
つまり、当時平底レールを独占的に製造していたイギリス帝国の Consett Iron Company が製造した PS 平底レールが露西亜にも普及したのです。
参※11)当サイト関連記事 シベリア資源開発とシベリア横断鉄道の生い立ち はこちら。
前途しましたように、
road と略される場合の多い rail road はもともとは 『wagon(荷馬車!)の通る"轍(わだち)"に板を並べただけの木道!』だったわけですが...
『iron rail が登場して、鉄道になった!』訳です。
第1目 Track gauge の要となる Tie
Railway track では Rail とTrack gauge を規制する tie(sleeper)枕木が重要な要件となっています。
つまり英語圏で一般的に"枕木"がsleeperではなくtieと呼ばれているのは、Track gaugeを規制する tie (cross member)としての大事な役割を果たしているからです。
2-1-1 JR在来線では枕木本数; 丁/10mで等級分けを
日本のJR在来線を例に挙げると、JNR時代は長らく『国有鉄道建設規定』第61条で...
75 lb/yd ASCErail(37kgレール!) 使用を前提に、10m当りの枕木本数!長距離丁/10mによる線路等級が細かく規定されていました。
またrural line(田舎路線)harbour railway,colliery railwayなどの branch line では、60 lb/m ASCErail(30kgレール) と言うASCE(※27)最低ランクの鉄道用普通レールが使用されていました。
※KSとはローマ字の軌道が受ける静加重、つまりローマ字の"Kidou "と"static load"(静加重)を組みあわせた"ローマ字造語"キドウスタティクロードを略してKSと規定した値で、所謂 Axle load limitation(最大許容軸重)と同じ値です。
※1965年以降は次項に示す様に1級~4級に再構築されました。
2-1-1-1 1級(旧特別甲線) 50 kgレール(現60kgレールに更新中)
※高速コンテナ列車対応
- ※main line;幹線(110㎞/h)
- ●枕木本数 16丁/10m(62.5 cm 間隔)
- ●道床(Track Foundation)厚 200 mm!以上。
- ●Axle load limitation;18ton/axle(KS18)(1965年以降の改正1級線以降18ton/axle)
- ●payload limitation;6 t/m
※東海道本線・山陽本線の極一部の幹線(いわゆる本社線)では、東京⇔神戸間の特急こだま(1960年)運用に際して、軌道の強化を図る目的で50Tレール(53kg/m)をアメリカから輸入して使用しました!(1964年開業当初の東海道新幹線も同様)。文献の中には60㎏/mを輸入して使用した?と記載している文献もありますが...当時は53㎏/mを切り上げて60kg級?としたのでしょう。
2-1-1-2 2級(旧・甲線) 75 lb/yd ASCEレール(37kg/m rail)
- ※main line;幹線(100㎞/h!)
- ●枕木本数 15丁/10m(66.7 cm 間隔)
- ●道床厚 200 mm!以上。
- ●Axle load limitation;16ton/axle(KS16)(1965年以降の改正2級線以降17ton/axle)
- ●payload limitation;6 t/m
2-1-1-3 3級(旧乙線) 75 lb/yd ASCEレール(37kg/m rail)
- ※regional line;地方交通線(95㎞/h)
- ●枕木本数 14丁/10m( 71.4 cm 間隔)
- ●道床厚 200 mm!以上。
- ●Axle load limitation;15 ton/axle(KS15)
- ●payload limitation;5 t/m
2-1-1-4 4級(旧丙線) 60 lb/yd ASCE rail(30 kg/m !)
- ※rural line(regional line)harbour railway,colliery railwayなどのbranch line,(85㎞/h!)
- 相当こまめに保線を行わないと危険な速度!
- ●枕木本数 13丁/10m( 76.9 cm 間隔)
- ●道床厚 150 mm!以上。
- ●Axle load limitation;12 ton/axle(KS12)(1965年以降の改正4級線以降14ton/axle)
- ●payload limitation;5 t/m
参※00f)南海天王寺支線、や伊達軌道を始めとする併用軌道事業、の殆ど!
参)、当サイト関連記事 南海電鉄の持つ大阪市に対する根深い不信感! はこちら。
参)、当サイト関連記事 東北・関東における元祖!広域LRT網"伊達軌道" 発祥の地 "福島市・伊達市" はこちら。
2-1-1-5 簡易線(等級外!) 60 lb/yd ASCE rail(30 kg/m ) !
※spur track(引き込み線),や side-track(側線),Headshunt(機回し線),side-track(側線),rolling stock yard(車両留置線),などの yard track(構内線),及び一部の branch line!(45㎞/h!)
- ●枕木本数 規定なし!
- ●道床厚 120 mm!以上。
- ●Axle load limitation;10 ton/axle(KS10)
- ●payload limitation;5 t/m
※構内の様子ですが、本線?部分も同じ開業当初の60 lb/yd ASCE rail(30 kg/m )が殆ど,
"ひとの歩幅"よりも広い!枕木間隔がよくわかります。
しかも道床0・バラスト"0"です!
2-1-2 旧変丙線や簡易線では脱線は日常茶飯事!
前途したレールと合わせ、名鉄高富線(※31)や西武大宮線などの"簡易線"の軽便軌道や軽便鉄道では、脱線は(事故には当たらない?)日常茶飯事の出来事で!、その都度乗客が協力して車両を軌道に戻していました!
参※31)当サイト関連記事 長良橋から先に延びていた軽便鉄道高富線 はこちら。
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公開:2011年11月 7日
更新:2025年3月11日
投稿者:デジタヌ
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