狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

fantasy『 常総線の交流電化で常磐線と直通できれば常総ニュータウンから都心まで座ったまま...』ー第2回ー

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★第1節 常総線が支えてきた常総ニュータウン開発

★第0項 お上?お仕着せの都市開発が...

旧自治省一派と旧運輸省(運輸続)が推し進めた、"まちづくり3法"(※00)の罠にまんまと嵌り!、始めた常総ニュータウン開発でしたが...

参※00)当サイト内関連記事 "まちづくり3法"は「持続可能な都市開発(税収UP)」を阻害!している はこちら。

第1目 常総線が支えた常総ニュータウン開発

  • ●1960年11月15日 守谷⇔稲戸井間に南守谷駅開業
  • ●1966年6月首都圏整備法制定取手戸頭団計画着手
  • ●1968年4月1日 新取手開村に伴い稲戸井⇔寺原間に新取手駅開業
  • ●1971年 日本住宅公団(現UR)が取手戸頭団地造成事業計画着手。
  • ●1973年 取手戸頭団地造成事業着手、
  • ●1975年3月26日:南守谷⇔稲戸井間に戸頭駅開業
  • 同年4月1日 戸頭団地"町開き"
  • ●1977年4月  取手 ⇔寺原間複線化
  • 同年5月11日 取手戸頭団地事業完了!完全Open
  • ●1979年12月1日 取手 ⇔寺原間に西取手駅開業
  • ※1981年4月27日 常磐自動車道柏IC ⇔谷田部IC間開通で、「谷和原インターチェンジ(つくばみらい市)」供用開始!
  • ●1982年3月27日 小絹⇔守谷間に新守谷駅開業 
  • 同年4月1日 北守谷地区街開き
  • 同年12月 寺原⇔南守谷間複線化
  • ●1983年5月 南守谷 ⇔ 新守谷間複線化
  • 1984年(昭和59年)11月新守谷 ⇔ 水海道間複線化で、取手 ⇔水海道間の複線化完成。
  • 1987年4月1日 国鉄分割民営化でJR東日本誕生。
  • ●2005年8月24日 TX"つくばエキス・プレス"開業!
  • ●2011年3月12日 ゆめみ野の"街開き" 稲戸井⇔新取手間にゆめみ野駅開業!

最盛期には、取手駅の乗降客数(JR乗り継ぎ客)は3万人!近くありました!

つくばエクスプレス開業以前、常総線内各駅から東京方面へ向かう際は、取手駅でJR常磐線に乗り継ぐのが一般的なルート...輸送密度が最も高い区間も取手 ⇔西取手間であり、上り列車は取手駅に近づくにつれて車内が混雑し、下り列車は取手駅から遠ざかるほど車内が閑散としていく...通勤路線...《Wikipediaより引用》

※参 常総ニュータウン計画が本格化?する以前の実体験

常総ニュータウン計画が本格化する前のことですが、小生が"堅気の会社員"をしていたころ1981年に、当時の上司が常総線沿線取手市内!の(民間デベロッパーが先行造成していた

)一戸建てのお宅にお住まいで、"一宿一飯のお世話"になったことがありました。

当時すでに取手 ⇔寺原間は複線化されていて、懐かしい通勤型のディーゼルカー4両連結!が走っていましたが...

小生の朝ラッシュ時間帯の4両連結の通勤型ディーゼルカーがギュウギュウ詰めの超満員だったことを覚えています。

1987年の国鉄ビッグバンによるJR各社の誕生で、大量に生じた「旧国鉄余剰ディーゼルカー」を購入して、改造を施して車両増備(更新)を行っていましたが...

1993年から"新車に置き換える"車両の近代化!が始まり、今に至っています。

第1項 常総ニュータウン開発は茨木県の財政を潤したか?

第0目 県の発展とは「県民生活が豊か」になることです

県民生活が豊かになるためには経済成長すなわち殖産が必要です。

水戸藩、の昔以来、藩の財政の健全化!を図るためには、地場産業を育てて"殖産"を図ることが一番重要です!

そして、「"民"は地場産業の働き手」として必要なわけです。

明治維新の文明開化以降、日立での鉱山開発がうまくいき、お隣「いわき」で発見された常磐炭田と共に、茨城県の沿岸部は、"殖産"が成功して、20世紀後半に訪れた、"高度成長期"の波に乗り、新たな企業進出もあり、兼業農家が増えて、庶民の暮らしも豊かになってきたわけですが...

第1目 一般人は人口増加=繫栄と"勘違い"しやすい訳ですが...

「地場産業に必要な労働力」以上の住人はハッキリ言って必要無いわけです。

大阪でも、高度成長期には労働力を確保するために、千里ニュータウンや泉北ニュータウンなどの大規模ニュータウン開発を行ったわけですが...

ニュータウン開発は大きなリスクが伴う!

ニュータウンを引き受けた地方自治体財政にはインフラ整備という大きな負担がかかる!わけです。

ニュータウン開発には、道路整備、上下水道、教育インフラなどの膨大な公共インフラ投資が必要となります!

つまりそれに見合うだけの税収「企業・事業所」が必要な訳です!

つまりニュータウンを開発するだけでは、「県の繫栄」に繋がら無い!訳です。

常総ニュータウンの微妙な立ち位置
  • 1966年6月首都圏整備法制定取手戸頭団地を造成に着手
  • ●1971年 日本住宅公団(現UR)が取手戸頭団地を開村!
  • ●その後「常総線」にそって"企業(税収確保)誘致と共に宅地開発がすすめられました。

共働き世代の「ヤングジェネレーションファミリー」には首都圏の奥座敷「千葉県下総」同様に、首都圏から切り離された?北関東エリア(東北の玄関口)Rural areaというイメージで敬遠されがちですが...

敗戦後の戦後復興期から高度成長期にかけて日本を背負ってきた、団塊の世代にとっては憧れの戸建て「マイホーム」が叶うニュータウン帝都東京のベッドタウンとして脚光を浴びて、宅地開発が進んだAreaなわけですが...

行政は、必ずしも必要以上?の転入者(都内通勤者)も望んでいない訳です。

当初は国土計画として

高層成長期の真っただ中の国土計画の一環として、茨城県の殖産事業と、増えだした東京都民のベッドタウン開発の目玉事業として、首都圏整備法が制定されて、「都民を受け入れていただく!」条件として、大生郷工業団地(現常総市)の開発とともに、常総ニュータウン事業が始まったわけです。

強欲な東京都が住人の押し付け

官民の垣根を超えた?デベロッパーが、地価の安い茨城県に目をつけて、耕作地や、荒れ地(山野)を買いあさり、「宅地開発を行って一儲け」した結果が常総ニュータウンです。

更に、バブル景気(1986年12月→1991年2月)崩壊の後始末としての「金融ビッグバン」で、全国各地にあった"優良地場企業の本社"を、「東京都が根こそぎ搔っ攫い!」富(企業=税収)を手に入れたわけです!

但し、企業だけではなく、そこで働く人たちも、東京に呼び寄せて、東京の一極集中が起こってしまったわけです。

そこで、周辺諸国?への「厄介な住人」の押し付け・汲み出しが」(※10)が加速しだしたわけです。

参※10)当サイト内関連記事 首都圏の" 通勤5方面作戦 "の実態は"都民汲み出し作戦! はこちら。

第2目 守谷市大発展させた常総ニュータウン!

  • ●守谷市 推計人口 69,434人(2022年10月1日現在)

前途した様に、TXが開業するずっと以前の

  • ※1981年4月27日 常磐自動車道柏IC ⇔谷田部IC間開通で、「谷和原インターチェンジ(つくばみらい市)」供用開始!
  • ●1982年3月27日 小絹⇔守谷間に新守谷駅開業 
  • 同年4月1日 北守谷地区街開きで大躍進が始まりました。
  • ●1983年5月  取手 ⇔ 新守谷間常総線複線化完成。
国勢調査では
  • ●1980年 人口17,585人
  • ●1985年 人口 23,856人
  • ●2000年 人口 50,362人!
  • ●2005年 人口 53,700人!

つまり2005年8月24日のTX"つくばエキス・プレス"開業!以前にすでに5万人を突破していたわけです。

守谷市は経済的にも発展した

勿論、ベッドタウン受け入れの条件、新守谷工業団地の誘致もありましたが、なんといっても流通サービス業の大躍進が、"市の持ち出し"をカバーしました。

現在市内には、5個所ものショッピングモールが進出しており、

その他のロードサイド型量販店も数多く出店しています。

つまり、USAの地方都市の例でもわかるように、雇用創出(&税収Upには、流通サービス業、金融サービス業、の充実が不可欠なわけです!(※11)

参※11)医療保険制度が無いUSAでは、日本とは異なり、"医療サービス"の充実も都市発展のカギを握っています。

守谷・新守谷駅前は元々商店街も無かった

この手の大規模小売店舗進出で問題となるのは、駅前通りのシャーター通り化問題ですが...(※12)

取手駅周辺とは異なり、守谷・新守谷駅周辺には、元々商店街もありませんでした!

なので、シャッター通り化の問題も生じなかったわけです!

参※12)当サイト内関連記事 中心市街地空洞化、シャッター通りは役人の一人芝居、都市は活き物、為政者の都合道理には... はこちら。

第2項 2005年にTXつくば"エキス"プレスが開業して...

2005年8月24日につくばエクスプレス(※11)が開業しました。

つくばエクスプレス開業で、今度は「つくばエクスプレスの支線扱い」になってしまい、node station(結節駅)守谷⇔取手間の利用者が減少してしまったわけです。

2019年現在1万6千人ほど、つまり最盛期3万人!ほどいた取手駅での乗降客数(JR乗り継ぎ客)が半減したわけです!

この影響で2005年以降は、全列車1 ~2両のワンマン運転化されました。

但しつくばエキスプレスに定期客利用者が完全移行?するまでの経過処置として平日朝の5往復が4両編成(車掌乗務)に戻された時期もありましたが、現在は全ての列車で、1 ~2両のワンマン運転化が実施されています。

また同年7月には京成電鉄がTOBを行って、株式の過半数56.46%を手中に収めて、京成電鉄の連結子会社となりました。

参※11)ややこしい話ですが...関東鉄道は"つくばエクスプレス"を運行している「首都圏新都市鉄道㈱」の出資者の一員でもあります!

つくばエクスプレスはバブル景気の"置き土産!

  • ●1986年12月 バブル景気(地上げ開始)
  • 1991年2月バブル崩壊!
  • ●1991年3月15日 TX 首都圏新都市鉄道株式会社 つくばエキスプレスライン設立
  • ●1994年、着工
  • ●1997年 橋本内閣 金融ビッグバン政策開始!
  • ●2005年8月24日 開通 

つくばエクスプレスはバブル景気の"置き土産!です。

TXはバブル景気の真っ最中に計画されて、バブル景気の終焉とともに会社が設立されて、1994年に着工して、21世紀に入って開業したわけです。

つまり、着工以来11年かかりましたが、東京都の税収が伸びるのと並行して、建設にも拍車がかかったわけです。

言ってみれば、「東京都の思う壺に嵌った」わけです。

第3項 取手駅周辺の商業施設の衰退は...

『つくばエキス?プレスの誕生で、常磐線(千代田線)利用者が減少して、取手駅周辺の商業施設が衰退した?』

等と単細胞直情的に、受け取っている"大バカ者の鉄オタ(Youtuber)"が多いようですが...(※何のために大学に通っていいたのか?...)

第1目 常総線沿線の経済地図が大きく変貌した

「転入者の暮らし向き」の変化が大きく影響しています!

小生が1晩?取手市民を体験したころ(1981年当時!)の転入者(都内通勤者)は、マイカーなど持っていませんでした。

またその必要もありませんでした!

つまり、当時から発達していた都内の鉄道網は、マイカーを必要としていなかった!わけです。

当然一宿一飯の恩義になった小生の上司も、マイカーは持っていませんでした!

実は道路交通網の発達が

都内では、相変わらず役立たずのマイカー!ですが...

茨城県では、日常生活に欠かせないトランスポーターとなっています!

並行する地域高規格道路国道R224(常総バイパス)の整備とR168圏央道の影響のほうが大きいでしょう!

更に、一戸建てマイホームを夢見て常総ニュータウンに転入して来た人たちは、高度成長期を生き抜いた、企業戦士の生き残り、つまり結構裕福な人たちです!

なので、平成生まれの"共働き世代"とは異なり、"専業主婦"の人たちも結構います!

つまり、取手駅前がさびれたのは、TXが開業して取手駅乗り換え利用者が減ったからではなく...

住人の"生活モード"が変化したからです!

ショッピングモールを利用するのは専業主婦!

つまり、

昼間に常総線を利用して、態々取手駅前に出かけなくとも、日常の"お買い物"(お出かけ)なら、(マイカーで気軽に行ける)守谷駅近くに出来たロードサイドショッピングモールを利用したほうが、手っ取り早くてしかも安上がりなのです!

  • ●常総線 新守谷⇔取手間 片道¥500-!(現金利用)
取手ウェルネスプラザ(駅前再開発)モールに行くには
  • 戸越派出所交差点⇔国道294入口交差点間の拡幅工事業が滞っているために、この区間のR294がボトルネックとなっています!

新守谷大通を経由して市民交流プラザ前交差手か、乙子交差点から県47新利根大橋道路経由で、取手駅西入り口交差点間の常総ふれあい道路を利用する以外ないわけです!まさしく常総ニュータウン開発の切っ掛けとなった、取手市内の乱開発が響いて、国道294号をトウセンボしているわけです!

つまり態々、遠回りして迄行きづらい、取手行き前に足を延ばさなくても利用しやすい守谷駅周辺に、

クロスモール守谷、イオンタウン守谷、守谷楽市楽座、レイト守谷、ブランチ守谷、ヨークタウン守谷、などの利用しやすいモールが多数開業しているわけです!

なので戸越団地以西のニュータウン住人の取手駅前離れが一層進んでいる!わけです。

取手市は、駅前商業施設の衰退!を受けて、西口駅前再開発事業を行っていますが、

戸頭交番前⇔国道294号入口交差点間の道路拡幅事業を行わないと、市内の新取手エリア、中央タウン、ゆめみ野、そして戸頭団地の住人も、すべてお隣守谷市の商業施設に搔っ攫われてしまうでしょう。(事実そうなっています!)

第2目 トナリエつくばスクエアも危ない...

更に高規格幹線道路R408圏央道の整備の影響も見逃せません!

つまり、圏央道の整備で、IC周辺に物流業などの新たな企業進出があった反面、圏央道沿道に「あみプレミアムアウトレットモール(2009年7月9日開業)」なども誕生して、常総ニュータウン住人の休日の過ごし方が変化しているわけです!

つくばエクスプレスの影響???等無い!

2017年2月28日 -西武筑波店閉店したTXつくば駅前の「トナリエつくばスクエア」ですが...

この施設だけではなくお隣の研究学園駅近接のイーアス筑波も"苦戦"を強いられています。

つまり、「お買い物客がTXで都心に流れる?」のではなく、マイカーで、前途したプレミアムアウトレットなどに流れてしまうわけです。

さら縫い前途したように、常総ニュータウンの住人は生きずらい「つくば市」より、常総バイパスで気軽に行ける守谷市のロードサイドモールに出かけるほうが都合いいわけです!

つまり、つくば市市民の"日常のお買い物"程度しか利用客がないわけです!

それも広大なつくば市では...

「あみプレミアムアウトレットモール」が開業する前だったら...

「みんな大好きアウトレットモール?」が阿見に開業する前に先手を打って、「つくばプレミアムアウトレット」を開業できていたら、近郷近在の村々?か客が押し寄せて大当たりしたかもしれませんが...

筑波都市整備株式会社の「口車に乗り」押し付けられた日本エスコンさんにはお気の毒なお話ですが、トナリエつくばスクエアも失敗するでしょう!

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公開:2021年3月12日
更新:2024年2月23日

投稿者:デジタヌ

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