狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

遣る事成すこと"裏目裏目"の125年!の歴史《 西武新宿線 第4回 》

★第4回 遣る事成すこと"裏目裏目"の125年!の歴史

第1目 生い立ちからズッコケた!

前途した様に...私鉄!として開業(1889年4月)した甲武鉄道(現・中央線)が出資!して、1894年に国分寺駅⇔川越間の支線!(現国分寺線)として、汽車列車!で開業した川越鉄道が起源!となりました。

親会社甲武鉄道が、(1906年10月1日 )国有化!されて国鉄中央本線!となって、それまで行われていた直通運転がオジャン!になってしまいました。

★第2目 1927年開業の高田馬場⇔ 東村山駅間は"駅間距離の短い屈曲!"した路線

並行する青梅街道には、先行!して田無⇔新宿を結ぶ"乗合馬車"が先行!して(1869年)開業!していました。

私設鉄道として生まれた西武線は「ナローゲージ」ではありませんでしたが、『青梅街道沿いに"簡易軌道"(ライトレール)を敷設!したために、(初代)高田馬場⇔ 東村山駅間が、駅間距離の短い屈曲した路線!となってしまいました!。

新宿線開通より先の1903年以来「まっすぐに整備されてきた青梅街道!」を渡る為に、東小平駅跡付近(当時は踏切)が、S字になってしまった!のです。(※10)

※参10)、当時の地方鉄道では鉄道が、先行してあった道路に遠慮して?蛇行する例が多くみられました!

第1項 2度の都内地下鉄線乗り入れのチャンスを失う!

第1目 営団地下鉄東西線乗り入れのチャンス

戦前の1917年(大正6年)当時!からあった地下鉄東西線計画が、敗戦後に帝都高速度交通営団により具体化して、1964年12月23日には一部区間(高田馬場⇔九段下間 (4.8km) )が開業しました。

さらに1966年3月16日には、東西線の中野 ⇔高田馬場間 (3.9km)と九段下⇔竹橋間 (1.0km)が開業しています。

1969年3月29日には、東西線の東陽町 ⇔西船橋間 (15.0km) が延伸開業して全線開業しましたが...

第2目 地下鉄大江戸線乗り入れのチャンス

更に2度目のチャンスとして1974年8月に都営地下鉄大江戸線計画が具体化して地方鉄道敷設免許が交付されて1985年頃の全線開業を目標に建設計画を進めていました。

この時点では西武新宿線と同様の大型車両(20 m 車両による10両編成)対応で建設することが計画されていました!

つまり、現在乗り換え連絡を行っている中井駅付近で、23区内の環状路線に乗り入れられるチャンスが巡ってきていました!

しかし、1982年12月に策定された「東京都長期計画」の10ヵ年計画ではmini地下鉄車両(※25)(16.5m車両による8両編成)を走らせてトンネル断面の縮小と駅設備を縮小する方針で建設費を抑える決定がされました!

西武としては両計画とも承知していたはずですが?特に積極的には働きかけしなかったのが災いして?

乗入れたくても乗り入れ出来ないミニ地下鉄計画に変更されてしまったことになります。

参※25)当サイト関連記事 ミニ地下鉄 はリニアに"金食い虫"で厄介者のお荷物"公共交通効カン!" はこちら。

第2項 追い越し可能駅増設と長大編成化で何とか...

第1目 増結の自助努力!も...

西武新宿線では、1967年1月からは 田無⇔新宿駅間で急行8両運転を開始して、更に1975年6月2日 からは本川越駅⇔西武新宿間で急行10両運転を開始しています。

つまり大江戸線、計画がスタートした時にはすでにかなり混雑していたわけです。

更にうがった見方をすれば、1986年に西武鉄道は、本社を東京都豊島区から埼玉県所沢市に移転したので、(東京都の)感情を害したのかもしれません?

大江戸線が具体化したのは、1988年7月に東京都地下鉄建設(株)が設立されて、第3種鉄道事業者として環状部の建設が開始されてからのことで、この時点まではミニ地下鉄計画は未決事項で、(大型車両使用と西武線乗り入れの)交渉の余地は残されていました!

一方 田無以遠の狭山市駅 ⇔新狭山駅間複線化を完成させて全線複線化できたのは、1991年7月27日 になってからの事です。

つまり当時は、所沢以遠では競合する東武東上線やJR埼京線がシェアを確保していて、新宿線には余裕があった?(需要が無かった)ことになります。

第2目 追い越し可能駅増設も

新宿線では、地味に待避線のある追い越し可能駅を増設して何とか凌いできましたが...

1955年 沼袋駅の島式ホーム1面2線外側に、上下それぞれの追い越し線を新設して新宿線初の(待避線のある)急行追い駅となる。

1960年代前半 上石神井駅の島式ホーム1面2線を島式ホーム2面3線に変更。

1961年 田無駅 構内改良工事により、島式ホーム1面2線を島式ホーム2面3線に変更上下兼用追い越し可能駅となる。

1963年10月21日 井萩駅が島式ホーム1面2線から、対面式2面3線の上下兼用追い越し可能駅となる。

同年11月1日 - 中井駅も島式ホーム1面2線から対面式2面3線となり、上下兼用追い越し可能駅となる。

1967年1月13日 - 新宿線西武新宿駅 - 田無駅間で急行8両運転開始

1975年6月2日 - 新宿線西武新宿駅 - 本川越駅間で急行10両運転開始

1983年3月24日 東伏見駅 島式ホーム2面3線を島式ホーム2面4線に変更し上下ともに追い越し可能駅とする。

  • ♥緑 電車マーク 上下ともに待避線有(上下追い抜き可能駅
  • ●黄色 3線並列、上下線兼用追い越し可能駅但し追い越し線ホーム無!(井萩、沼袋、中井3駅)
  • 赤い色 下り線のみ追い越し可能※但し、特急退避以外退避無し

第3項 21世紀になって中央線への振り分け輸送?を狙うが...

2003年3月12日 のダイヤ改正で新所沢駅から国分寺線国分寺駅への直通運転が始まりました。

つまりこの時点で万策尽きて?旧知の仲で有った旧甲武鉄道(中央線)への振り替え輸送を狙ったわけですが...

2008年6月14日 、国分寺線との直通運転が本川越駅まで延長される。

国分寺駅 ⇔本川越駅間の定期列車の運行は1927年の村山線開業以来81年ぶり。

しかし中央線でも、三鷹⇔中野間の「急行線休行問題」(※3)で混雑は解消されておらず、思ったほどの乗客振り替え(押し付け)効果は無くて、諦めたのか2019年3月16日に廃止となりました。

※参3 本サイト関連記事 中央線 三鷹⇔中野間は 複々線 ではない!リニア中央新幹線開業で"あずさ"ちゃんは家出する!? はこちら。

第1目 現状残る手立ては団子運転で増便するしか?...

残る手立ては、京王線や埼京線の様に団子運転で増便する以外には...

現在 通勤時間帯8時台上り25本(2~3分間隔)が運行されており、京王線同様に複線ではほぼ限界に達しています!

後はホームドア設置に伴い順次採用しているデジタル制御ATCATOの力を借りて、京王のように、ぎりぎりまで列車間隔を詰めて何とか後5本増発して30本/時間とするしか...

但し、1列車1500人程度x200%以上(殺人的混雑!)の電車を5本を増便しても1時間当たり7,500人程度増やせるだけ!

第2目 最終的には田無⇔高田馬場間15.6㎞の複々線化が必要!?なのでは...

西武がいくら頑張っても、東京都が(踏切解消の為に)田無⇔高田馬場間の連続立体交差事業ぐらいしか継続支援してくれないのでは...

おまけに前途しように、複々線化計画が2019年に東京都の都市計画事業から抹消!されて梯子を外された格好。

更に言っては失礼ですが、今の西武には自力で複々線化するほどの力はないし!(西武に限ったことではありませんが)

また仮に意地で複々線化したとしても、先が無い(繋がっていない)新宿線では乗換駅の高田馬場駅の混雑が助長される!結果に...

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公開:2019年11月 4日
更新:2025年7月 3日

投稿者:デジタヌ

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