狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

Fantasy『 蒲蒲線妄想は実現出来ない!と東京都(庁患部官吏)はタカをくくっている... 』ー第4回ー

★第3節 東急・池上線・多摩川線とは...

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東急電車の創始者は、日本の数々の鉄道事業にかかわってきた渋沢栄一とされていますが...

実際には、私鉄経営セオリーを確立した阪急電車の創始者小林一三氏の愛弟子ともいえる五島慶太氏が育てた企業グループです。

そして皆様ご存じ、踊り子号の直通先伊豆急の親会社でもあります。

第0項 東急が辿った鉄路

第1目 黎明期と始祖達

玉川電気鉄道 
  • ●1907年(明治40年)3月6日 玉川電気鉄道軌道条例に下ずく軌道として道玄坂上 ⇔ 三軒茶屋開業。
  • ●同年4月1日 三軒茶屋 ⇔玉川間 軌間1067mmの狭軌で開業。
  • ●1920年(大正9年9月11日 東京市電の軌間1372mm(※10)に合わせるため、全線改軌

参※10)偏軌と呼ばれる軌間1372mmの軌道線は、1882年開業の東京馬車鉄道以来の伝統で、その後20世紀初頭に開業した東京市街鉄道、東京電気鉄道の3社合併で、1909年に東京鉄道となり1911年に東京市電となった。

★池上線はチンチン電車だった

池上線は元々は世田谷線同様に1922年(大正11年)10月に蒲田駅 ⇔池上駅間 (1.8km) 開業した「池上電気鉄道」によって開業した電気軌道で、

1928年(昭和3年)6月17日 になって大崎広小路駅⇔ 五反田駅間 (0.3km)が延伸開業して全通した路線です。

その後1934年(昭和9年)に目黒蒲田電鉄(現東急)に買収されて現在に至りました。

また多摩川線は 1923年(大正12年)3月に目黒⇔丸子間に開業した目黒蒲田電鉄(現東急)が同年11月1日に 丸子 ⇔蒲田間開業を延伸開業して全通させた電気軌道です。

その後、丸子(現玉川駅)⇔神奈川駅間に東京横浜電鉄(現東急が)開業して相互乗り入れするようになり目黒⇔神奈川駅かんがメインルートとなり、更に1927年(昭和2年)8月28日に 渋谷駅 ⇔ 丸子多摩川駅間が開業して、渋谷駅 ⇔神奈川駅間の直通運転が開始されてそちらが「東横線」として本線化して再び目鎌線として目黒⇔蒲田間で運行されたわけですが、(※21)

昭和最後の年1988年(昭和63年)11月に始まった田園調布駅⇔多摩川間の連続立体交差事業で1994年11月に田園調布駅 目蒲線のホームを地下化されて続いて1995年の6月下り12月上りと 東横線のホームも地下化されて。

1997年(平成9年)6月 - 改良工事が完成して多摩川駅が完成して目蒲線は地下ホームと、東横線は高架駅となり、その後2000年8月に 多摩川 ⇔ 蒲田間が分離されて東急多摩川線に改称されると同時に池上線同様の盲腸線!になりました。

参※21)多摩川線が目蒲線であった頃の1994年の年末に目黒から蒲田まで乗りとおしたことがあります。

池上電気鉄道(池上線)の開業
目黒蒲田電鉄大井町線の開業
  • ●1923年(大正12年)3月11日 蒲田線として 目黒⇔ 丸子(現沼部)開業。
  • ●同年11月1日   丸子(現・沼部)⇔ 蒲田間 延伸開業で目蒲線として全通。
東京横浜電鉄神奈川線の開業
  • ●1926年2月14日 - 東京横浜電鉄・神奈川線として丸子多摩川(現多摩川)⇔ 神奈川(1950年4月8日 廃止)間 開通、目蒲線との相互乗り入れ開始、目黒 ⇔ 神奈川間直通運転開始、丸子多摩川 ⇔ 蒲田間は折り返し運転となる。
  • ●1927年7月6日 目黒蒲田電鉄が大井町 ⇔大岡山間を 軌間1067mmの旧・地方鉄道法に下ずく鉄道事業として開業。
  • ●同年年7月15日 玉川電気鉄道が玉川⇔ 溝ノ口間(溝ノ口線)延伸開業で。玉川線全通

  • ●1928年6月17日 大崎広小路駅 ⇔ 五反田駅間 延伸 開業により池上線全通。

  • ●1929年11月1日  目黒蒲田電鉄が 自由ケ丘(現・自由が丘)二子玉川間を二子玉川線として開業。
    ●同年12月25日  目黒蒲田電鉄・大岡山 ⇔ 自由ケ丘間延伸開業により二子玉川線全線開業。二子玉川線を大井町線に統合、大井町 ⇔ 二子玉川間の直通運転開始

  • ●1934年10月1日 池上電気鉄道が目黒蒲田電鉄吸収合併される。
  • ●1938年4月1日 旧東京横浜電鉄が 玉川電気鉄道を吸収合併

現東急電鉄の礎完成
  • ●1939年10月1日 - 目黒蒲田電鉄旧・東京横浜電鉄を吸収合併
  • ●同年10月16日 - (新)東京横浜電鉄㈱に改称
  • ●1940年12月1日 大井町線・二子玉川駅玉川線・よみうり遊園駅を統合、二子読売園駅に改称。

第2目 大東亜戦争

大東急時代
  • 1942年5月1日 戦時統合により京浜電気鉄道・小田急電鉄を合併、東京急行電鉄に商号変更

  • ●1943年7月1日  玉川線(溝ノ口線)二子読売園⇔溝ノ口間を軌間1067mmに改軌し、大井町線に編入。
  • ●1944年5月31日 京王電気軌道を戦時統合
  • ●同年6月1日 相模鉄道の運輸事業を受託。相模管理部を新設し神中線(後の厚木線→相鉄本線)の運行業務を開始。
  • ●同年10月20日 二子読売園駅を二子玉川駅改称
1945年9月2日 大日本帝国政府が無条件降伏文書へ調印し正式敗戦!

第3目 日本国憲法施行と日本国政府誕生

  • ●1947年5月3日 日本国憲法施行により日本国・新政府 Renewal open?!
1948年6月1日 大東急解消!

京王帝都電鉄(現・京王電鉄)、京浜急行電鉄と共に小田急電鉄株式会社が分離再発足。

  • ●1963年10月11日  大井町線を「田園都市線」!に改称。
  • ●1952年10月1日 東横線・架線電圧を直流600Vから直流1,500Vに昇圧
  • ●1958年1月15日 - 大井町線架線電圧を600Vから1500Vに昇圧
  • ●1966年4月1日 溝の口⇔ 長津田間開業
  • ●1969年5月11日 三軒茶屋 ⇔下高井戸間(現世田谷線)を除いて廃止。以降新玉川線開業までバス代行。
  • ●1977年4月7日 渋谷 ⇔二子玉川園間が新玉川線として開業。
  • ●1979年8月12日 ダイヤ改正で、田園都市線全列車が新玉川線経由で半蔵門線方面への直通運転開始。同時に大井町⇔二子玉川園間を大井町線として再分離。二子玉川園 ⇔つきみ野間が田園都市線となる)。
  • ●1984年4月9日 つきみ野 ⇔ 中央林間間延伸開業で田園都市線全線開業
  • ●1993年以降大井町線に、田園都市線の混雑緩和を図る為に、大井町線にバイパス路線としての機能を持たせるための大規模な改良工事が行われた。
  • ●2008年3月28日 ダイヤ改正で大井町線内で急行運転開始。
  • ●2009年7月11日 ダイヤ改正を実施。二子玉川⇔溝の口間が複々線化大井町線が溝の口駅まで乗り入れ。
  • ●2010年3月25日 ダイヤ改正で。夜間大井町⇔長津田まで延長される急行を1本から4本に増発。
  • ●2011年3月14日  東北地方太平洋沖地震(東日本大震災2011年3月11日発生)による電力供給逼迫のため、東京電力が輪番停電(計画停電)を実施。これに伴い、田園都市線と東武伊勢崎線・東武日光線の相互直通運転が休止される。大井町線の二子玉川 ⇔溝の口間への乗り入れも朝夕の数本を除き休止される。
  • 同年4月2日 東武伊勢崎線・東武日光線との相互直通運転が再開される。
  • 同年5月28日 日中の大井町線の急行が長津田 - 大井町間で直通運行を開始する。
  • ●2012年3月17日 。土休日の日中の大井町線の急行の長津田⇔ 大井町間での直通運行が復活。大井町線の急行の半数毎時2本が乗り入れる。
  • ●2019年10月1日 ダイヤ改正。大井町線直通急行が平日・土休日とも中央林間まで乗り入れる。

★第1項 大田区は蒲蒲線妄想に耽っている場合では!

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大田・品川両区を取り巻く環境は激変!しています。

何時までも暢気に蒲蒲線妄想に耽っている様な時節ではありません!

★第1目 東京モノレールは風前の灯火に?!

大田区民・品川区民がしっかり共闘を組まなければ、生活路線を守れない状況に近づいています!

大田区民の足東京モノレールの存続が風前の灯火に...(※91)

大田区民が守らなければならないのは東京モノレールです!

参※91)当サイト内関連記事 東京モノレール は JR羽田空港アクセス線 開業後も生き残れるか? はこちら。

JR東日本は営利企業です慈善団体ではありません!

JR羽田空港アクセス線が着工されて、JR東日本の羽田空港アクセスのtrend(主流)は新線に移るでしょう。

何故なら、モノレールでは関東一円と直接結べない!からです。

つまり、車両基地のある整備場⇔天空橋(node station)⇔第3タ-ミナル(国際線)⇔新整備場⇔第1・第2ターミナル間の空港島内旅客ターミナルアクセスコミューター路線としての利用価値しかなくなる!からです。

鉄道不毛地帯の区民の大事な生活路線としてのモノレール!

但し、大田区(民)、品川区(民)にとっては無くてはならない local-road であるはずです。

更に大田区(民)が出汁に使われた都営地下鉄大田区方面線妄想では、元方大田区民の生活路線にはならない沖合の江東区ゴミ処理場を経由して羽田区港に至る妄想!で...

都営大田区方面線は詐称!ということです。

つまり、東京モノレールが無くなると、鉄道空白地帯が生まれてしまうわけです。

但し、夜盗運輸賊が妥協!して、東海道貨物線ルートを表舞台に引き出し、ガメツイ東京都(庁患部官僚)が、請願駅設置費用を全額拠出すれば、倒壊寸前の!寿命に達した"東京者レール"が廃止となっても、沿線住人の鉄道アクセスは守れ、更にJR蒲田駅を経由し無くとも、JR全路線とシームレスに行き来できるようになるわけです!(※92)

参※92)当サイト内関連記事 東京モノレールは羽田空港アクセス線とは"社内競合"し無い!...が東海道貨物線を旅客化すると... はこちら。

★第2項 大田区の交通の要衝は蒲田だけではない!

第1目 田園調布は大田区にある!

高級住宅地田園調布は、世田谷区ではなく大田区にあるのです!

そして交通の要衝!でもあります。

第2目 品川区の交通の要衝は品川駅ではない!

品川区の交通の要衝は、区役所のある大井町線の終点大井町であり...

山手線・りんかい線(埼京線)・湘南新宿ラインが一堂に会する大崎であり...

都営線、池上線、山手線のnode(結節点)五反田であり...

同じく目黒線、都営線(東京メトロ)、JR線のnode目黒駅であり、

お隣港区の品川駅ではありません!

★第3項 大田区と品川区は多くの点で利害が一致する!

つまり、多くの鉄道路線が♥両区民共通の「日常の足」となり、両区民の日常生活(経済活動)を支えているわけです。
なので、大田区が単独で蒲蒲線建設などと言う「子供じみた"おねだり"」を東京都(庁)にする前に...

第1目 東京モノレールの都営化!と大井町線の地下化延伸

東京モノレールを都営化!又は3セク化でJR東日本から切り離し、

区民の為に利用促進(存続)を計り、

なおかつ東京都(庁)交通局には、大田・品川両区民の総意として、♥大井町線地下化と"りんかい線直通化"の「都市計画事業」を求めるべきでしょう。

第2目 JR羽田空港アクセス線内新駅設置要望も

合わせてJR東日本へは、羽田空港アクセス線・大汐線(現休止線)・東海道貨物線に、

大井埠頭(城南島)京浜島 、天空橋駅(東海道貨物線)等の新駅設置(請願駅?)を求めて、

区民の利便性(アクセス)向上に繋げるべきでしょう!(※92)

それが太田・品川両区の発展(商工業振興→税収UP)にもつながる(鉄)路だと確信します!

並行して、池上線・多摩川線への「超低床トラムカー」の導入を進めて両線のLRT化を計れば、

♥21世紀中の両区民の日常の足は確保できる!訳です。

参※92)当サイト内関連記事 羽田空港アクセス線 全体構想が"骨抜き"では?総事業費4,000億円超!の公共性は... はこちら。

続きはこちら

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公開:2021年1月24日
更新:2024年2月21日

投稿者:デジタヌ

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