狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載『 奥羽新幹線は"秋田・山形"両県に永年積もった"根雪"を溶かさないと実現できない! 』ー第3回ー

第3回 全国新幹線鉄道整備法は高度成長期の負の遺産

全国新幹線鉄道網 計画 所謂 全国新幹線鉄道整備法 で定められて整備新幹線"基本計画線"とされている 福島⇔秋田を結ぶ 奥羽新幹線 ですが、高度成長期に、一世を風靡した"列島改造論"に即して、当時の運輸省が勝手気ままに、地図上に曳いた"絵に描いた餅(線)"にすぎませ線!

もっと言えば、全国各地でバラバラの在来幹線網が繋がらないのも同じです!

全国新幹線鉄道整備法は、少子高齢化、東京一極集中、地方衰退の3つの潮流!が押し寄せてきている21世紀では、時代にそぐわない悪法です!

昭和の"生類憐みの令"ともいえる"全国新幹線鉄道整備法"そのものを廃止すべきでしょう!

そんな悪法を「錦の御旗」に掲げても...

★第1項 複雑な歴史背景をバックにした奥羽新幹線 構想

♥ピンクラインが 高規格化案

●ブルーラインが古規格整備新幹線新栗子トンネル(土建屋案)

※チャンバラマークは戊辰戦争時の国堺

●旗マークは新政府側(つまり新庄市は、庄内藩、天童藩と敵同士だった!)

1999年12月4日の山形駅 ⇔新庄駅間が延伸開業するまでにも紆余曲折が...

1988年4月:山形新幹線建設事業の推進母体として山形ジェイアール直行特急保有㈱を設立して同年8月25日に山形駅前で起工式を行い、

一方の秋田新幹線も1992年1月28日にはJR東日本が秋田・盛岡間のミニ新幹線化を運輸省に事業申請して同年3月13日に秋田駅前で起工式が行われていたわけで

1992年5月9日:福島駅構内でレールが繋がり同年7月1日に東北新幹線東京駅 ⇔ 山形駅間が直通運転開始される前から、秋田新幹線計画は走り出していたわけです!

そして1997年3月22日に秋田新幹線が開業して東京駅⇔秋田駅間に「こまち」が運行開始されたわけです。

つまりこの時点で奥羽新幹線の将来は無くなっていたわけです!

★第2項 羽越新幹線妄想?との比較でも...

山形県庄内地方(鶴岡・酒田両市)の発展だけに絞れば、羽越新幹線(※12)部分開業妄想のほうが、山形県主流派に属する庄内地方の発展につながるかもしれません?

更に、時間的・料金的にも有利?となるでしょうが...

山形県全体のことを考えれば、現在のスキーム制度(※13)の下では、断然「奥羽本線」「奥羽西線」の高規格化・高速化(※13)のほうが、県民全体の利便性が向上して"出血に見合う効果!"(※14)は大きくなります!

参※12)当サイト関連記事 整備新幹線妄想!" モグラ叩き ゲーム"シリーズ? 羽越新幹線 構想とは... はこちら。

参※13)当サイト関連記事 山形県 と 山形新幹線 には 伸びしろ がある! はこちら。

参※14)当サイト関連記事 整備新幹線 建設における スキーム とは...はこちら。

※直江津⇔青森 JR東日本在来線羽越線奥羽線区間一部秋田新幹線と共用する案?

  • ♥ピンクのライン 羽越新幹線案
  • ●ダーク グレーラインは 3セク転換予定ライン
  • ●土色ラインツルハシマークは県境

 

公開:2021年4月25日
更新:2024年3月31日

投稿者:デジタヌ

連載『 奥羽新幹線は"秋田・山形"両県に永年積もった"根雪"を溶かさないと実現できない! 』ー第2回ーTOP連載『 奥羽新幹線は"秋田・山形"両県に永年積もった"根雪"を溶かさないと実現できない! 』ー第4回ー


 

 



▲JR東日本新幹線・北海道新幹線関連調査室へ戻る

 

ページ先頭に戻る