連載《 臨海鉄道 や 専用線 が日本の港湾都市から消えて行った訳は...》ー第5回ー
第5回 明暗を分けた岡山県の臨海鉄道
前項でも珍しく現在生き残り。しかも旅客扱いまでしている唯一の臨港鉄道として、知られている水島臨海鉄道があるが...
当鉄道以外にも
第1項 現在唯一旅客営業を行っている戦後生まれの水島臨海鉄道
現在も、健在な戦後生まれ(1970年開業)の水島臨海鉄道は、嘗ては現在よりも更に手広く?商いを行っていた!
この路線は、製鉄所と石油化学コンビナートという、お呼びがかからない、工業地帯に建設されたが...
三菱自動車工業水島製作所(※24)という、生産工場を路線に抱えたことが明暗を分けたようだ、ご存じの通り自動車工場は昼夜3交代で生産を行っていて、通勤利用者が多い、また重化学エリアにはコンテナ貨物駅を隣接して、製品輸送も担えるようになっている。
更に水島自体が、岡山・倉敷都市圏のベッドタウンとしても発展したために一定の利用客がいる。
参※24)小生が良く訪れていた1980年代には三菱自工前は未開業だったが、ホテル最寄り駅の常盤は旅客扱いをしていてたまに利用したことがあった。(通常は営業車を利用して日帰り出張していました)
参※当サイト内関連記事 三菱自動車の周回路 《バンク伝説》岡崎オーバル とその兄弟 はこちら。
第2項 不運としか言いようのない先駆者たち
登場が早すぎた?生活路線!。
両鉄道共に、同じような生い立ちで同じような運命を辿った臨港鉄道!
!令和の御代"迄持ちこたえられていたら...
市民生活に欠くことのできない生活路線LRTになっていた!
岡山臨港鉄道
岡山臨港鉄道(1947年開業)は、宇野線(本四連絡線)茶屋町と、現南区を結ぶ路線だった!
残念なのは、登場が早すぎた!事。
そして、専用線的性格が強かった同路線が、頼みの綱のクラレと汽車製造の両方に貨物輸送を無くし、業績が悪化してしまったこと!
もしも岡山県がもう少し持ちこたえてくれていたら、バスだけに頼っている現状の状況を打開する特効薬になっていたであろう路線だ(※25)
参※25)当サイト関連記事 岡山 都市圏交通網の再整備は都市型 BRT で はこちら。
別府鉄道!と加古川市
詳しくは 当サイト内関連記事 別府鉄道 をLRTとして復活できレバ新幹線加古川駅も夢では... をご参照願います!
加古川市
推計人口 259,947人!(、2021年7月1日現在)
人口密度 1,877人/km2!
中心駅加古川駅利用者
一日平均乗車人員 23,989人/日(降車客含まず)/2019年度
しかし廃止当時はボランティア駅?が設置されていた集落?以外は「工場と、耕作地!」が広がるルーラルエリアだった!
1984年(昭和59年)に鉄道事業撤退後は、タクシー・貸切バス事業者として営業継続した。本社は兵庫県加古川市。鉄道事業は貨物輸送が主体だったが、旅客営業も行っていた。輸送量減少により、1984年の国鉄ダイヤ改正を機に、貨物輸送の維持が出来なくなり、全線廃止された。《Wikipediaより引用》
とされているが、地図をご覧いただければ一目瞭然、もとをただせば地元大企業多木化学(元化学肥料工場)の専用線!として敷設した路線で、地元民の為に?旅客ボランティア営業をしていた路線。
創業 1915年(大正4年)7月5日!
主要株主 (2011年3月現在)
多木化学(株) 87.54%
その他株主 12.46%
公開:2021年7月21日
更新:2024年3月21日
投稿者:デジタヌ
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