狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載《 臨海鉄道 や 専用線 が日本の港湾都市から消えて行った訳は...》ー第6回ー

第6回 時代に押し流され!て計画だけに終わった幻の臨海鉄道

第1項 大阪府

産業都市・大阪府下には日本有数の大阪港と、堺高石重工業・石油化学コンビナートが存在するが...

ゆめさき線(桜島線)以外にも臨港線は存在していたが、臨海鉄道は存在していなかった!

が、幻の臨海鉄道、臨港線計画があって、実現していれば21世紀の新たな通勤インフラとして、脚光を浴びていたかもしれない!

大阪市にあったもう一つの臨港鉄道計画

さらに大阪市南部大和川沿いにはもう一つの幻の臨港鉄道計画も見っることができる!

こちらは"南港"造成が始まった1958年当時、営業路線だった阪和貨物線(関西本線貨物支線)から延伸して、南港を結ぶ計画だった、こちらも用地は確保されていて、いつでも着工できる状態だったが...

すでに、有蓋貨車によるバルク積載の時代では無くなってきていた、更に計画されていた用地の一部が大阪市営地下鉄御堂筋線の我孫子延伸(1960年)により車両基地として転用されてしまった!

そこで、当計画もお蔵入りとなり、用地の大部分は一般道(生活道路)と一部が阪神高速湾岸線用地に転用されて今日に至っている。(※31)

参※31)当サイト関連記事 おおさか東線 おおさか東線 を 延伸 して『おおさか南線』を建設しませんか? はこちら。

堺泉北臨海鉄道

京阪神にある(あった)幻の臨海鉄道構想として有名なのが堺高石臨海鉄道。

そこで、比較的古く(北部堺市沿岸部1957年→ 1966年南部高石市1961年→1972年)から、埋め立て造成が始まった・堺・高石工業地帯では計画当初は臨海鉄道が張り巡らされる予定で、その用地も確保されていた!

堺側には現コスモ石油、高石エリアには現エネオス、もあり臨海鉄道による燃料輸送も計画されていたが...

臨海センターに展示されていたジオラマ!

1970年当時迄現サントリーロジスティクスの有る石津西町に「臨海センター」という建物があり、堺高石臨海工業地帯の進出企業の交流館(企業となり組み?の事務局)となっていて、貸し会議室レストラン、小規模ホールなどが設けられていたが...

そのエントランスホールにジオラマが展示してあって、臨海鉄道路線が示されていて!有蓋貨車の模型も配置されていた!

頼みの綱が市街地を通過する生活路線 南海電鉄では?...

上図の北端南海電鉄堺駅周辺を拡大していただければお分かりのように、

堺駅が地上駅時代の南海電鉄は広大な貨物ヤードを持っていて、国鉄同様に貨物営業を行っていた!更に天王寺支線で天下茶屋⇔天王寺間が繋がっており、貨物対応していた!

そこで、南海電鉄接続案がとられていたが...

南海電鉄は阪和間の町々を結ぶをインターアーバン(高速電気軌道)であり、市街地を通過する燃料輸送には(当時の運輸省・通産省当たり?)クレームがついた!

更に、1986年に国鉄の貨物営業が縮小を待たずに、南海電鉄そのものも1980年代に貨物輸送事業から撤退して旅客輸送増強に向かい、堺駅(1983年)も高架化され天王寺支線(1984年天下茶屋⇔今池町)間が廃止されたために、国鉄との連絡が絶たれて、この計画は日の目を見ることはなかった!

!但し用地はその後の阪神高速湾岸線や、一般道路に転用されて、無駄にはなっていない?

造成時に態々開けておいた鉄道用地は一部はその後に出来た阪神高速道路湾岸線に転用されたが、大部分は今も大阪府の所有する"遊休地"として残存している!

夢に終わった玉名臨海鉄道

岡山県にあるもう一つの夢の臨海鉄道が、玉名臨海鉄道だ。

水島臨海鉄に対して幻に終わった玉名臨海鉄道は、造成自体が未完の状態だったことと、石油精製工場も無く、沿線自体も今ほどには宅地化されていなかった為に、需要が見込めずについに着工されることはなかった、但し取得済みであった用地は、その後一般道などに利用されている!

 

公開:2021年7月21日
更新:2024年3月21日

投稿者:デジタヌ

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