狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

温故知新《 大成功したBNSFと事業破綻したミルウォーキー鉄道から学ぶ持続可能な鉄道事業の姿とは...》ー第3回ー

第3回 USAでの Pacific Railroad Acts の成立と railway system の発達

Pacific Railroad Acts(太平洋鉄道法)の成立でtranscontinental railroad(大陸横断鉄道)の建設が進みアメリカ全土をカバーするrailway system(鉄道網)が完成したわけです。

米墨戦争に勝利したアメリカが1848年2月2日のグアダルーペ・イダルゴ条約締結で停戦して、Mexican territory(メキシコ領)だった旧Virreinato de Nueva Españaを格安で手に入れた訳ですが...

同年1月に都合よく?現カリフォルニア州のSacrament River上流部で金が発見されていたわけで、(勿論このことは当時のMexco政府は知らなかったわけですが)ゴールドラッシュ・西部開拓熱に火が付いたわけです。

そして南北戦争(1861年4月→1865年6月)中の1862年にリンカーン大統領が署名して発効したPacific Railroad Acts(太平洋鉄道法)の成立でtranscontinental railroad(大陸横断鉄道)への期待と関心が集まりだしたわけです。

有名なFirst transcontinental railroadの"Pacific Railroad"が、1869年5月10日に Promontory Summitでゴールデンスパイクが打たれて開通して、

その後1881年3月8日にAtchison, Topeka and Santa Fe Railway(1859開業)が、カンザス州Atchisonからニューメキシコ州DemingSouthern Pacific Railroad of Mexicoと接続して、東部とロサンゼルスとをつなぐ第二の路線となり、

1883年1月12日にはSouthern Pacific Transportation Company(SP)が、子会社のGalveston, Harrisburg, & San Antonio Railroad Pecos, Texasで接続してルイジアナ州New Orleans(メキシコ湾)とカリフォルニア州Los Angeles(太平洋岸)が、結ばれ、

1883年、現BNSF Railwayの起源の一つとなったNorthern Pacific Railway1864年創業)により、シカゴとシアトルが繋がるなどこの法律で19世紀中に4つの主要ルートが開業しました。

第1項 Pacific Railroad Actsとは?

この法律の骨子は、「政府の財政支援と国有地無償供与(土地開発)」にあります。

つまり、1803年にFrench territory(Louisiana)買収で、拡大したミシシッピー川以西のAmerican territory(District of Louisiana)の開拓を促進する目的で、西部開拓時代を通じて申請のあった各鉄道事業者に、軌道から100フィート(30 m)以内のすべての公有地と、更に敷設距離1マイル(約1.6㎞)ごとに 10平方マイル(26km²)の公有地が無償で供与されるというものでした。

Northern Pacific Railwayは鉄道建設と引き換えに6000万エーカー(2,430ha)!の国有地の無償供与の権利を受け取っていましたが...

1873年の金融恐慌のあおりを受けて12年間工事が中断して一番最後になってしまいました。

この12年間工事が滞っている間に、通過するエリアはどんどん開拓が進み、

最終的には、はるかに少ない土地利用にとどまりました。

但し、後発組の鉄道とは違い、既に開拓され終ていた都市部を除き、鉄道用地は無償で手に入れることが出来ました。

まとめると

一つ、ミシシッピー川以西のAmerican territory(District of Louisiana)にあるarea(空き地)内であること。

基本的には連邦議会が可決したUSA政府の連邦法なので、USAに加盟した各州も遵守する必要がありますが、各州の法律ですでに開拓(分譲)が行われたエリアについては適用外となりました。

つまり後発組にはUSA政府の国有地しか残されてなく、あまりメリットは無かったわけです。

しかし準州では自治は認められていても、"権限"の及ぶ範囲は狭く、入植地(払い下げ)に関する制度などはUSA政府の権限なので、各州がUSAに州として正式加盟するまでは、多少のメリットがあったようです。

一つ、投資(株式購入)・低金利融資は行うが、見返りの無い税金投棄!は行わない。

一つ、developerビジネスの基本となる、広大なAmerican territory(District of Louisiana)areaを無償で供与する。

と言うことになります。

つまり、日本のように国(国民)が鉄道建設の資金(税金・債権)を出して、JR各社のような"民間企業"にプレゼントする!などと言った馬鹿げた制度では無いわけです。(※31)

鉄道のみならず、その前身にあたる、CANAL(運河)事業も同様で、USA政府または州による直轄事業はほんの数例に限られています、勿論ダム建設も同様に民間企業による「設備投資」となっています。

利用者を限定しない"社会資産"である「道路事業」でさえ、州の事業が主体で、USA直轄事業は、第2次大戦後にアイゼンハワー大統領が提唱して1956年に成立した連邦補助高速道路法National Interstate and Defense Highways Act)によるInterstate Highway (Dwight David Eisenhower National System of Interstate and Defense Highways)以外は殆どありません。(※32)

参※31)当サイト内関連記事 整備新幹線 建設における スキーム とは... はこちら。

(※32)Route 66でお馴染みのU.S. Routes米国全州道路交通運輸行政官協会(American Association of State Highway and Transportation Officials、)が指定しているだけで、

「統一規格に下ずいた州道」を連ねた一般道で日本で言うところの国直轄の国道ではありません

第2項 19世紀末に役目を終えた Pacific Railroad Acts

前途した Pacific Railroad Acts(太平洋鉄道法)による transcontinental railroad 助成の適用地域ミシシッピー川以西のエリアでは

District of Louisiana とOregon Country の分割米英(加)間border (国境)確定、旧Mexican territoryのVirreinato de Nueva España各エリアにでは

アイダホ州が、1890年7月3日(43番目)に州に昇格した時点で、まだ州になっていない州は以下の4州を残すのみとなっていました。

ユタ州/1850年9月9日ユタ準州/1896年1月4日(45番目)

オクラホマ州/1890年オクラホマ準州/1907年11月16日(46番目)

ニューメキシコ州/1850年9月9日ニューメキシコ準州/1912年1月6日(47番目)

アリゾナ州/1863年アリゾナ準州/1912年2月14日(48番目)

つまり、Pacific Railroad Actsの肝となる、鉄道用地の無償確保と開拓事業(デベロッパー事業)が成立しなくなっていました。

Pacific Railroad Acts(太平洋鉄道法)に依らない最初の鉄道となったGreat Northern Railway (U.S.)

なので、ワシントン州を目指したGreat Northern Railway (U.S.)はPacific Railroad Acts(太平洋鉄道法)に依らない独自調達した資金で、鉄道用地を購入して延伸したわけです。

1893年1月6日

現BNSFの始祖の一つ1889年創業の Great Northern Railway (U.S.)が、数々の鉄道を傘下に収めて、最後に残ったSeattle近隣の Cascade Mountains(カスケード山脈)のStevens Pass,を通るカスケードトンネルを完成させて、ワシントン州Scenicで最後のスパイクを打ち込みSt.Paul(Minneapolis)⇔Seattleの間が繋がりました。

★第3項 20世紀以降に生まれたtranscontinental railroadは

19世紀末には西海岸のシアトルにはすでに前途した2つのtranscontinental railroadが集結していて、当初は激しい争奪戦をしていました。

すでにシアトル⇔ミシシッピー川間にNorthern Pacific Railway、Great Northern Railway (U.S.)の2つの鉄道が開通していて、20世紀初頭までの20年間ほどはお互いに、リベート合戦、pooling(運賃割引)、rate wars (料金合戦)、支線網の拡張、などで熾烈な覇権争いが行われていました。

第1目 NP・GNの協調体制確立

そこで(カタカナ和製英語で言うアライアンス)communityを組織して、お互いに強調する方向に向かいました。

20世紀初頭にGNの社長James J. HillがNPの実質オーナーであった有名なJ. P. Morganの家を訪れてNPの社長Howard Elliottとトップ会談を行い、「ルートや料金の重複を避けるための鉄道間の"ゆるやかな提携"」に関するcommunity(共同体)を組むことを提案して協調体制が発足しました。(※41)

さらに進んで事業統合も協議されましたが、1902年には、日本で言うところの独占禁止法で訴えられ、1904年に敗訴して合併はかないませんでした。

その後も同じ資本系列の下に、バーリントンノーザン鉄道は、グレートノーザン鉄道、ノーザンパシフィック鉄道、スポケーン、ポートランド、シアトル鉄道、シカゴ、バーリントン、クインシー鉄道の4社は協調して歩み、再度1927年と1955年に経営統合(合併)を試みましたが、

何れも国家に阻まれて実現しませんでした。

参※41)アメリカでは100年以上昔から鉄道事業者が協調してお互いに共存共栄を図る時代になっていたわけです!

当サイト内関連記事 鉄道事業者 同士が覇権を争うライバル 関係の ご時世 では無くなっている! はこちら。

第2目 BN成立とその後

Burlington Northern Railroad(BN)として正式に事業統合出来たのは、全米の鉄道事業が衰退してきた1970年3月2日になってからのことです。

1972年にパウダーリバー盆地(地図中小豆色のエリアが)にMining branch line(鉱山鉄道支線)を建設して沿線の採炭場開発を支援しました。

この新規路線は、米国の鉄道史上前例のない大成功をおさめ、BNの大国柱を支える"お宝路線"となりました

開通初年度の1971年には、年間64,116百万ton・mileの貨物輸送密度を叩き出し、1979年までに年間輸送密度は135,004百万ton・mileになりました。

別項でアメリカが、ゼロカーボン社会になれない理由の一つとして挙げた"石炭火力発電"を賄っている炭田地帯の一つがPowder River Basinで露天掘りされている石炭なのです。

この盆地から算出される石炭は、国内で使用されるだけでなくシアトルやオークランドから東南アジアに輸出されています。

そして現在も鉄道事業の大黒柱の一つとして石炭輸送は続いています!

★第4項 参照データ USA成立までの主だった出来事

第1目 1795年 USA独立戦争停戦確定時

ニューハンプシャー植民地(ニューハンプシャー)
マサチューセッツ湾直轄植民地(マサチューセッツ)
ロードアイランド植民地(ロードアイランド)
コネチカット植民地(コネティカット)
以上は後に「ニューイングランド」と総称されるようになる各地域。

ニューヨーク植民地(ニューヨーク)

ニュージャージー植民地(ニュージャージー)

ペンシルベニア植民地(ペンシルベニア)
デラウェア植民地(デラウェア)

メリーランド植民地(メリーランド) en:Chesapeake Colonies
バージニア植民地(ヴァージニア) en:Chesapeake Colonies
ノースカロライナ植民地(ノースカロライナ)
サウスカロライナ植民地(サウスカロライナ)
ジョージア植民地(ジョージア)

1791年3月4日、バーモント共和国が大英帝国を離脱してアメリカ合衆国14番目の州としてUSA加盟

第2目 1803年 旧District of Louisiana買収後

以下に示した"準州"とは、簡単に言ってしまえばAmerican territory(領有地)にあるUSA政府

に属していても、「国政への"参政権"を持たない"自治州"」のことです。

つまり、USA政府のPacific Railroad Actsが有効だったAmerican territory areaです。

ルイジアナ州/ー/1812年4月30日(18番目)

ミシシッピー州/1798年4月7日ミシシッピ準州/1817年12月10日(20番目)

アラバマ州/1817年3月3日アラバマ準州/1819年12月14日(22番目)

ミネソタ州/1849年3月3日ミネソタ準州/1858年5月11日(32番目)

カンザス州/1854年5月30日カンザス準州 /1861年1月29日(34番目)

ネブラスカ/1854年5月30日ネブラスカ準州/1867年3月1日(37番目)

ノースダコタ州/1861年3月2日ダコタ準州/1889年11月2日(39番目)

サウスダコタ州/1861年3月2日ダコタ準州/1889年11月2日(40番目)

オクラホマ州/1890年オクラホマ準州/1907年11月16日(46番目)

テキサス州併合

テキサス州/1836年3月2日テキサス共和国独立/1845年12月29日(28番目)

第3目 1846年6月15日 旧Oregon Country Disputed Area(旧米英間領有権紛争エリア)紛争解決後

オレゴン州/1848年8月14日オレゴン準州/1859年2月14日(33番目)

1862年Pacific Railroad Acts成立以降

モンタナ州/1864年5月28日モンタナ準州/1889年11月8日(41番目)

ワシントン州/1853年2月8日ワシントン準州/1889年11月11日(42番目)

アイダホ州/1863年3月4日アイダホ準州/1890年7月3日(43番目)

ワイオミング州/1868年7月25日ワシントン準州→1868年7月25日ワイオミング準州/1890年7月10日(44番目)

第4目 米墨戦争停戦後 1848年2月2日 旧Virreinato de Nueva España エリア買収後

カリフォルニア州/ー/1850年9月9日(31番目)

第5目 1862年Pacific Railroad Acts成立以降

ネバダ州/1861年3月2日ネバダ準州/1864年10月31日(36番目)

コロラド州/1861年2月28日コロラド準州/1876年8月1日(38番目)

ユタ州/1850年9月9日ユタ準州/1896年1月4日(45番目)

ニューメキシコ州/1850年9月9日ニューメキシコ準州/1912年1月6日(47番目)

アリゾナ州/1863年アリゾナ準州/1912年2月14日(48番目)

 

公開:2021年10月15日
更新:2024年4月 5日

投稿者:デジタヌ

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