タヌキがゆく

【狸穴総研報告】都市計画2017 レガシー・モールを取り巻く厳しい状況。

シリーズ「レガシー・モール」

シリーズを開始するにあたり『レガシー・モール』と言う呼び名を造語して見ました。

いわゆる、駅前にある『駅前商店街』や『アーケード街』のことです。

駅前・市街地空洞化は役人の一人芝居2017? シリーズ

第1回 レガシー・モールを取り巻く厳しい状況。

レガシー・モールの『シャーター通り』化問題がNewsで取りあげられるように成って早4半世紀が経とうとしています。

この間、全国各地にあるレガシー・モールでシャッター通り化が進み、活気が無くなってきているのも事実でしょう。

でも、行政当局が言うように

『旧大店法(大規模小売店舗法)の規制では郊外型大型複合商業施設(いわゆるショッピングモール)進出を阻止できず、その為客を奪われた地元商店街が疲弊した......』

だけでは無いと思い続け、このシリーズを書き始めたのが約10年前になります。

確かに、郊外の幹線バイパスに面した『ロードサイド』型の『ショッピング・モール』では、『車社会』に乗り遅れた?『交通弱者』である・お年寄りや・学生では、以前に示したような条件付きで出店を認める様な条例で対処しないと、気軽には利用でき無いのも事実でしょう。

その意味で交通アクセスの『ハブ』機能を備えた主要駅に隣接した『レガシーモール』は交通弱者にとっては有り難い存在でありました。

まちづくり3法』の登場

確かに『まちづくり3法』のうち遅れて施行された大店立地法(大規模小売店舗立地法/2000年施行)のお影で、かつてのような、既存の公共交通アクセス体系から隔絶した都市郊外の幹線バイパス沿いにある様な『ロードサイド型』の大資本による大型ショッピングモールの出店は無くなりました。

しかし「イオンリテール」をはじめとする大資本ショッピングモールは『鉄道駅隣接型』に路線転換し、工場跡地やローカル駅周辺への出店を積極的に展開するようになりました。

我が古里大阪をみても。大店立地法が2000年6月に施行された後も、旧大店法の駆け込み申請分も含め、、イオンモール茨城/2001年、イオンモールりんくう泉南/2004年、イオンモール堺北花田/2004年、イオンモール大日&イオンモール鶴見緑地/2006年、アリオ八尾店/2006年、イオンモール大阪ドーム・シティー/2013年、イオンモール四條畷/2015年、イオンモール堺鉄砲町/2016年、と相当数にのぼります。

新手の『ロードサイド』型の出現

『ロードサイド』型の出店も無くなった訳では無く、旧大店法区分第2種以下(床面積500㎡以下)に相当するような、民間のオーガナイザー・デベロッパーが企画したのロードサイドの『通路でつながった棟割り長屋風商業団地』に異業種の小売店がそれぞれ単独で出店申請し出店し、全体としては1つのショッピング・モールを形成する新たな手口?で、郊外展開を図っています。

ますます旧来の地元資本によるレガシーモール/商工会は苦しい立場に追いやられています。

そんな地元のレガシーモール/商工会を『大資本』から守る、切り札として大店法に変わって『まちづくり3法』が策定されたいきさつが有るわけです。

その三法のうちお役人と職者がかんがえた市街地活性化の切り札

が『TMO』Town Management Organization(トモ・チャン)でした。

しかしこの『トモ・チャンの輪』が政府・与党が思ったほど全国に拡がらなかったのです。

その訳は、ズバリ資金が集まらない。

地元の商工会、商工会議所、(地元行政当局出資の)第3セクターがトモチャン仲間に入れる資格があるわけですが、大都市近郊のちっぽけな自治体や地方都市等ではとても大資本に立ち向かうだけのにお金が集まりません。

だからトモチャンが大店立地法より2年も前に施行(1998年施行)されているのに、名乗りを上げるトモチャン仲間は少なかったのです。

トモチャンのは都市計画法に基づいて市街地を区分し、市町村が関係者と協議の上中心市街地活性化法、基本計画を国に認定してもらい実施団体としてTMO が誕生します。

(つまり都市計画の)形(ビジョン)が見えない・あっても実行出来ない(しない)のでは、TMOチャンは誕生出来ないのです。

だから、チャッチイ市町村では、縄張りが決まらず、中心市街地活性化法によるトモチャンの組織化模索できず、作ろうとしても、弱小赤字行政団体では基金が捻出(集められず)できず、右往左往で頭を悩ませている間に、民間デベロッパーに先を越されてしまうのです。

トモチャンに期待しようにも都市計画そのものが実効性の少ない絵に描いた餅では、それを元に組織化されるTMOもあり得ないのです。

シャッターが目立つレガシーモールの問題点を洗い出して見ますと。

1)駅前の一等地にあるが、2車線以上の目抜き通りの両側に面して立地している場合。

車の往来で、左右の歩道(店舗)間の自由往来が阻害されている例が多くみられます。

こういう場合市当局が、車の駅への車両アクセス(往来)を重視するのか、レガシーモール/地元資本の存続振興を図る為、都市計画で駅前改造を行うのか、都市計画の見直しも含めて、行政側に再検討を求める必要があります。

2)放置自転車問題を解決できず、歩行者(買い物客)の通行もままならない例。

放置自転車は駅前活性化にとっては大きな問題です。
この問題の解決無くしてレガシーモールの再興はあり得ません!

駅前の駐輪場の整備が極端に遅れている場合。

路上は放置自転車で埋まりせっかくの時間歩行者天国も意味が無くなり、買い物客の足は遠のきます。

3)駅前再開発を行う場合、マイカー族の取り込みは必すう条件です、

見栄えの良い。ロータリーや。バスターミナルも必要ですが、公共駐車場の確保が最重要項目です。
駐車場を探して、しかも空きを待つぐらいなら、郊外の大規模モールに回った方が楽なのです。
例えば堺東駅/南海高野線 周辺では、有料駐車場の空き状況を示す案内電光掲示板が数多く見られますが、細い裏道を通りたどり着くのは大変です。

例えば南海電鉄と市が協力し合って、駅の線路上に人工地盤(古い言い方でスミマセン?)を作り2000から3000台クラスの駐車場を設ければ、駅周辺は今以上に賑わうでしょう。

現状南海電鉄が作ってきた駅隣接型の駅横・商業施設はどの施設もマイカーでの来店者数をかなり甘く見積もっている様で、堺駅/南海本線のある南海直営のプラットプラットモール/2000年開店の駐車場はたったの510台と収容台数が少なく、隣駅の七道駅に昨年OPENしたイオンモール堺鉄砲町の2600台には遥かに及びません。

堺東駅との間に無料シャトルバスを運行するなど、集客に懸命になっていますが、堺東駅周辺も駐車施設が不足している状況では勝負は明らかでしょう。

同じく旧南海都市創造が手がけたなんばパークス/2003年開業が先行していたナンバSITY/1978年開業と合わせてたったの647台、ノバティーナガノ/1989年開店が450台、いずみおおつCITY/1994年開業が530台と、1972年開業奈良ファミリー2000台を確保していた時代に上記の数字では、時代感覚のずれとしか言いようがありません。

南海電鉄はモータリゼーションがすでに訪れているにもかかわらず電車利用を前提とした、駅横施設にこだわったのでしょう。

プラットプラットモールはレガシーモールではありませんが、テナントにとっては良い迷惑です。

勝負の先行きと、新たな救世主の登場が楽しみです。

4)駅自体が新設で都心部からは離れ、しかも地域交通アクセスの『ハブ』機能も備えいない所に、行政当局の甘い誘いに乗り出店してシマッタ商工会の皆さんへ。

そんなところにあるレガシーモールに出店したかたはさっさと諦めて店をたたんで、新天地に移転して下さい、関わりが長引けば、長引くほど泥沼に入るだけです!

レガシーモールの当事者・商工会の皆さん、救世主TMOの出現を待ち望むより、レガシーモール自体にも自助努力が必要な時代なのです。

目先の利便に囚われて、歩行者(買い物客)に負担を強いると、手痛いしっぺ返し(客離れ)を招くだけです。

最後に都市計画を見直しうまく行った例をご紹介。

うまくいった例は、さいたま市の浦和区、浦和駅周辺の裏道の拡幅と車両締め出し!

これにより歩行者(買い物客)の流れが代わり疲弊していたレガシーモールに活気がよみがえり、小売店が建ち並ぶ『新しいレガシイモール?』も出現しました。

公開:2017年7月13日
更新:2017年9月17日

投稿者:デジタヌ

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