狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載『大阪市における市営モンロー主義(町衆利権!) の起源と変遷』ー第3回ー  

第2節 大阪市の"市営モンロー主義"と在阪私鉄ターミナルの関係

第1項 地方鉄道は幹線と鉱山・港を結ぶ支線・開発鉄道として登場

明治初期、文明開化の時代に、全国に多くの殖産鉄道を目的とした鉄道が私鉄として生まれたわけです。

(当時は)お手軽に敷設が出来て(※11)、大量の貨物を運ぶことができる、軽便鉄道・軽便軌道が日本各地の幹線(主要都市)と港や鉱山を結ぶ支線として、"人車鉄道"や馬車鉄道として開業したのです!

どの後、幹線にそのまま乗り入れられるように軌間1067mmの日本標準軌・狭軌に改軌されて、(※12)短軸貨車が港⇔主要都市間の生活物資輸送を担うようになったのです。

参※11)別項で記したように、敗戦後の復興期・高度成長期を通じて、アメリカから、大型土木機械が輸入されるまでは、道路建設は簡単には手が出せず、"人力"でRailway track(軌道)が敷設できる鉄道が、大量輸送手段としてもてはやされたわけです。

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参※12)軽便鉄道と言えば、直ぐに思い浮かぶのが軌間762㎜を代表とするナローゲージの簡易鉄道を思い浮かべる方も多いでしょうが、軌間をうんぬんするものではなく、当初から1067㎜の狭軌路線として官設鉄道への貨物車両直通を狙った路線も多かったのです。

更に、1910年に軽便鉄道法として、立法化されてからは、西武鉄道のように、鉄道路線から軽便鉄道に態々登記変更する鉄道会社も現れたました。

明治憲法に下ずく軌道法!は今も生き続けている

charter(特許)に縛られて「お伺い!(廃止許可申請)が必要な軌道法!」と、

「"廃止届"で済ませる、"鉄道事業法"」の違いは、遵守する constitution(憲法)の違いなのです。

敗戦後のDemocracy(民主主義)に下ずく日本国憲法を遵守した法律は少ない

(稀代の悪法)全幹法(※00)に繋がる日本鉄道建設公団法も、「国家公務員法、国家行政組織法の虚(不備)を突いて!

明治の大日本帝国憲法(1890年11月29日施行)以前の(平安時代!)からあった!官吏の分類(1886年)親任官制度を引きずる官僚制度!つまりAuthoritarianism権威主義!)に下ずいた「恣意的独裁主義!を大幅に認めた憲法違反の法令!」なのです。

参※00)当サイト関連記事 三無い!整備新幹線"神話"は「憲法違反!の全幹法」を盾に取る"建設推進派のペテン" ! はこちら。

第2項 鉄道事業独占にみる市営モンロー主義の略年表

1869年 - 大阪城下(天領)の大坂三郷を再編し、大阪市街地が東大組、南大組、西大組、北大組の4大組に分割される。

1879年 - 郡区町村編制法施行により、4大組が東区、南区、西区、(旧)北区の4大区(法人区:地方自治組織)となる。

1885年12月29日に現・南海本線 難波駅 - 大和川駅間が軌間838mmの軽便鉄道として初代・阪堺鉄道開業。

※後に南区に取り込まれた道頓堀川南べりの難波新地で興行を行っていた新興勢力である興行主達が株主・発起人となって、中央政府・大阪府と直接話を付けて自分たちの通勤手段!として軌間762㎜の軽便鉄道「初代阪堺鉄道(現南海電鉄の始祖)」を設立した訳です。

このことが、現在に至る大阪府と南海電鉄の強い絆と同時に大阪市交通局(大阪メトロの親玉)と南海電車の根深い確執につながっています!

つまり、現南海電鉄の始祖である初代「阪堺鉄道」が生まれた1885年当時は難波駅周辺は西成郡難波村で有り「市営モンロー主義」の元凶の元である町衆の自治組織「大阪4大区」には含まれていなかった!「市営モンロー主義の縄張り」大阪市域が拡大する前に現市内中心部乗り入れを果たしていた現存する在阪民鉄は「南海電気鉄道」のみであるということになる。

1889年5月14日 大阪鉄道のちの関西鉄道(かんせい!てつどう)→国鉄関西(かんさい)線→現JR大和路線 の湊町(現JR難波)⇔天王寺⇔柏原間開業(10M10C≒16.29km)

  • 4月1日 大阪鉄道起点湊町駅が建設中であった西成郡西浜町が単独で町村制施行。※同じく初代大阪鉄道(現JR大和路線)が難波に侵攻できた理由でもある。
  • 同じく、難波村は西成郡西側町・材木置場町・西高津村字髭剃を取り込み、難波村大字難波・西側・材木置場・西高津となった。

第3項 旧大阪三郷「モンロー主義」一派の縄張り獲得戦術!

旧大阪4大区南区における隣接市外郡部の歓楽街「南新地」の「新興勢力」成金集団を取り込んだ(旧大阪三郷「モンロー主義」派)の Territory(縄張り)拡大戦法?とは...

歓楽街で大儲けしている、「おきなかし」の手配師(※40)から身を立てた土建業、や興行主(プロモーター)などの新興勢力であるエンタメ業(小屋主、興行主)と、「由緒正しいまち衆?」の勢力争いに終止符を打った手とは、大阪市域として「次第にその勢力範囲・縄張り」を広げていく手法でした!

そして、当初は敵陣営であった「新興勢力の土建業」も味方につけ、ますますその横暴ぶり?を発揮していったわけです。

参※40)もともと、道頓堀川の東端は難波津という船泊で、明治になるまでは内航船(百国船)でにぎわっていました。

なので、ミナミ・道頓堀界隈には仕事を求めて「おきなかし(荷揚げ人足)」が沢山いたのです。

1889年 - 大阪4大区が統合し市政制施行により、大阪市が発足!

同時に4大区の縄張りが拡大!(難波新地は)大阪市南区へ移行。

明治政府が定めた市制特例により市長は置かず、大阪府知事が名目上の市長職を兼任していましたが...

実務はそれぞれ独立した自治組織・4大区の"長"が取り仕切っていました。

実際に大阪市発足時1889年当初の大阪市には、市役所すらありませんでした!

1893年  谷新太郎外4名が神阪電気鉄道株式会社設立を発起(後発起人に鹿島秀麿外4名追加)大阪(出入橋/北区・旧福島村⇔神戸(三宮) 間の軌道特許申請。(開業は1905年4月)

1895年(明治28年)8月25日 南海鉄道誕生

1897年 - 第1次市域拡張 で大阪市はさらに広がり、市営モンロー主義ゾーンも拡大された!
  • 北区;西成郡下福島村・上福島村・曾根崎村・北野村の全域と野田村・豊崎村・川崎村・東成郡鯰江村・野田村・都島村の一部を編入。
  • 南区;西成郡西浜町・難波村の全域と木津村・今宮村・東成郡天王寺村・生野村の大阪鉄道(現在の関西本線・大阪環状線)以北・以西を南区へ編入。
  • 東区;、東成郡玉造町・清堀村・東平野町・西高津村の全域と中本村の猫間川以西・鶴橋村の大阪鉄道(現在の大阪環状線)以西を東区へ編入。
1898年 - 市制特例廃止と同時に大阪市が大阪府から独立して市役所と市長が誕生

1898年明治新政府が東京・大阪・京都の市制特例を廃止して、市役所が正式設置されることに伴い市長も選出されることになりおましたが...

1898年10月12日、初代市長には4大区の一つである南区の商人「田村太兵衛」が指名されています。

大阪市役所が機能しだしても、太平洋戦争中の1943年まで続く4大区(自治権をもつ自治体)の自治区拡大作戦と市役所に深く入り込んだ4大区出身者による働き?で、

4大区町衆の利権・権益がますます強化されました!

戦時中の4大区廃止大阪市政1本化まで、旧4大区出身者が市長を歴任していました。

20世紀

1900年9月3日に大阪高野鉄道(1898年開業)現・南海高野線の道頓堀駅(現・汐見橋駅) ⇔ 大小路駅間が延伸開業して大阪市内乗り入れが実現しましたが...

1897年以前の大阪府西成郡木津村当時鉄道免許が下りていたので開業できました!)(※3)

町衆の利権体制"市営モンロー主義"は、後述の通り、今を遡る116年前の1903年に日本最初の公営路面電車が花園橋(現在の九条新道交叉点)と 築港桟橋(現在の大阪港/天保山)間5.1kmの間に「大阪市営電気鉄道」築港線として開業した時点で「大義名分化」された!わけです。

※参3、関連記事 南海汐見橋支線は生き続ける!《鉄タヌ・ファンタジー》赤字でも南海汐見橋線が複線で頑張っているわけ はこちら。

大阪市営電気鉄道築港線の開業

1903年9月12日 -「 市営モンロー主義・大義名分化」の旗頭として大阪市営電気鉄道築港線(花園橋 - 築港桟橋 間約5km)が開業。※以降は4大区出身者で固められている大阪市内への鉄道乗り入れは事実上不可能になった!

1905年4月 阪神電車 大阪(出入橋/北区)旧福島村⇔神戸(三宮) 間の営業を開始

1906年(明治39年)1月15日 箕面有馬電気鉄道(現阪急)創立発起人会設立。

1908年9月26日 京阪電車やっと大阪市との間で協定が締結でき軌道特許が下り、北区東野田網島(現・都島区網島町)の車両工場、車庫の建設にこぎつけた。

1910年(明治43年)3月10日に現在の宝塚本線・箕面線にあたる梅田(北区・旧曽根崎村) ⇔宝塚間、石橋 - 箕面間を開業したのが始まり。阪急は梅田までは侵攻できた!

1910年9月16日:奈良軌道(現近鉄)設立。

1914年(大正3年)4月30日:生駒トンネルの開削により上本町駅 (東区・旧鶴橋村)⇔奈良駅間が開業。

1923年(大正12年)4月13日:(2代目)大阪鉄道(現近鉄南大阪線)大阪天王寺駅(現大阪阿部野橋駅/旧住吉郡・天王寺村) ⇔布忍駅間が延伸開業し大阪天王寺駅 ⇔道明寺駅間が1500V電化で開通。

※近鉄が南区(現天王寺区)に隣接した現大阪阿倍野橋に侵攻できたのは、大阪市外の旧天王寺村(市営モンロー主義が及ばないエリア)だったからです!

1925年の 第2次市域拡張で大阪市域西成郡・東成郡が消滅する!

1925年に東区から旧東成郡西高津村と東平野町にあたる地域が、南区から旧東成郡天王寺村・生野村の城東線(現大阪環状線)内にあたる地域が分区されて天王寺区が誕生。

1925年4月1日 - 12か町村が大阪市に編入され現阿倍野区は「住吉区(第一次)」となり現大阪阿倍野駅が大阪市内となった!

つまり「市営モンロー主義」とは、

旗頭である大阪市営電気鉄道による市内軌道網建設以前から「旧大阪三郷」時代から面々と受け継がれた?「大阪町衆・大商人」の「既得権益防衛・利権闘争」シンジケート集団がぶち上げたアドバルーン?と言い換えることもできるのです。

太平洋戦争中と敗戦後に2度の転機が....

最初に転機が訪れたのは太平洋戦争突入後の1943年に、

軍事政権が「戦時体制下」を理由に、目障りな危険分子の一掃を狙い、自由主義者の巣窟(と見做されていた)大阪4大区を解体して大阪市政を一本化した時でした。

更に敗戦後、食うのもままならない世評の中で再度の転機が訪れたのですが...

1950年日本国憲法の発布とともに、公職選挙法が交付

闇市等で巨万の富を得た「成り上がりもの (-_-メ) 」達が立候補して、

戦争協力者の公職追放の機に乗じて大阪市議会を乗っ取り?自らの事業(不動産、土木建設業)拡大のための利権確保手段として、

「大阪市交通局」に残っていた「市営モンロー主義者」の残党と結託して、

大阪市の土建事業の多くの利権をほぼ独占して「市民の生き血(血税)を吸い出し始めた?」のです。

リベラル派で有り国家権力に抗して「モンロー主義;純血主義」を標榜していた一派が「戦後の闇市」で一儲けした成り上がり者連中?の、私服を肥やすための「地下鉄建設推進シンジケート」へと様変わりしたわけです!

 

公開:2019年7月29日
更新:2024年3月11日

投稿者:デジタヌ

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