狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載『大阪市における市営モンロー主義(町衆利権!) の起源と変遷』ー第2回ー  

第1節 大阪市 が拘り続けてきた"既得権益構造"『市営モンロー主義』とは?

大阪市・中央区《 タウン ヒストリア 》「成り上がり新興勢力」と「旧町衆・大商人」の利権争い」で記したように最初は「大商人や武家屋敷の下働きの使用人などの町衆」の自治組織(公共団体)として江戸幕府から認められていた「大阪三郷」後の4大組・4大区(東区・西区・南区・北区)、すなわち「町衆」が中心となって行っていた"自治組織"が自分たちの"利権・権益"を守るために、行っていた「商取引」全てに関する施策(届け出許可制度でした。

明治維新で「交通アクセス手段」としての鉄道が脚光を浴びるようになり、特に「人の移動・旅客輸送」が注目されだすと、市内(4大区)内についての公共交通アクセスの権益を一手に独占しようと一般鐡道会社の市内(4大区)乗り入れお断り!を打ち出したわけです。

第1項 大阪市で生き続けた"既得権益構造・市営モンロー主義"

大阪では旧城下の町衆による大阪三郷を母体として生まれた、独立した自治体・大阪4大区(東区・西区・南区・北区)が連合して寄り合い所帯としての「大阪市」が誕生して、当初は大阪市会も存在しなければ、全体を束ねる市長すらいない ある種放任された自治区の集合体でした。

そして『大阪市にありながら大阪市の権限の及ばない"独立した自治体!"としての旧4大区の自治体資格(※01)は戦時体制下の「1943年」まで続くこととなりました!

参※01)、地方税(予算)を原資とした、公共サービス事業(道路・鉄道・学校・消防・上下水道・警察!)役人の人事権などの行政全般に係る執行権!つまり大阪府と対等の権限(権益)を各区毎に持っていたのです。

見かけ上は単なる鉄道鎖国?

1903年(明治36年)9月12日に開業した花園橋西詰(後の花園橋) ⇔築港桟橋(後の大阪港)間5.1km(当時の公式記録では、3マイル15チェーン)「大阪市営電気鉄道」築港線の成功を受けて、(4大区から選出された)当時の第2代鶴原定吉市長が、

『市街鉄道のような市民生活に必要な交通機関は、利害を標準に査定されるものではなく、私人や営利会社に運営を委ねるべきではない』

と市会(4大区の寄り合い所帯)で市営モンロー主義の採択と議決を迫りました!

これを受けて同年末に大阪(4大区)市議会で

「市内交通を営利企業に任せず、市民の利益が最大となるよう市営にて行う」とした都市計画に関する基本方針が、満場一致で採択されて「市電路線網拡張」を旗頭として正式に市営モンロー主義宣言が公表されたとされています。

勿論、これにはそれなりの『屁理屈!』が...

「大阪市は、100年の計を考えて、南北を貫く各筋と東西を結ぶ各通りで構成された秩序正しい整然とした町並み作りを、都市計画の根源として実践している。そこに、鉄道事業者が営利目的で、好き勝手な路線を闇雲に引かれては、整然とした街作りがかき乱されてしまう」

とまあコンナ具合です。

別のとらえ方をすればまさしく新興住宅地に良くある『私道に着き通り抜けお断り』的発想です。

よって市内を縦貫、ないしは横断して周辺都市を連絡するinterurban (都市近郊線)は 1997年!3月8日の『JR東西線の開通』まで一世紀近く認めてこなかったわけです。

新幹線も然り、もっと昔に返れば東海道線ですら当時は町外れの摂津郡『梅田郷』に作らせました!

大阪市の木っ端役人共は、大阪は『実質的な日本の首府』であると思い上がっている!が...

実は単なる一痴呆都市にすぎないのに!)

今も尚「毎朝、周辺の属国から通勤する多数の人々はターミナル駅という城門で、通行税かわりに初乗り運賃を再度徴収!されて、無理矢理地下鉄に押し込められ

夕方には同じ門から退去させられており、市(が)営(える為!の)モンロー主義者にとっては

『神聖なる大阪中心部を通り抜けて、別の属国に赴くなど、言語道断?の話なのでしょう!

日本で聖域などと嘯いても文句のでないのは、伊勢神宮と恐れ多くも天子様のおわします宮城らいです。

今の今まで、近畿の屋台骨、京阪神を結ぶ京阪、阪神の両私鉄が市内を通り抜ける連絡鉄道で結ばれていなかったことは、前途した役人共の思い上がりが原因でした!

つまり、発展どころか現状の近畿の凋落?を招いたのは、大阪市(役所患部官僚)の取ってきた『市営モンロー主義』に基づく「鉄道事業者の締め出し施策」に他ならないわけです!

第2項(令和元年補筆) 大阪市における「市営モンロー主義」の真の姿とは

江戸時代以前の豊臣政権の築城時代から徳川政権まで面々と続いた「城下の町衆」である大阪3郷の3組(北組、南組、天満組)が、

明治維新後の1869年に旧4大組→大阪4大区(1~4大区、)となり、

1879年の郡区町村編制法施行で自治4区(東区・南区・西区・北区)に改組され、

1943年の軍事政権による戦時決戦体制整備で「大阪市に完全統合」されるまで延々と長きにわたり続いた「町衆に寄る自治組織が育んだ利権と既得権益への執着!の歴史」が生んだ「既得権益主義」なのです。

言い換えれば大阪市における「市営モンロー主義」の真の姿とは、

大阪市政の基礎を築いた「町衆自治」から生まれた「利権と既得権益への執着!」が起源となり、変態を繰り返しながらもシブトク生き抜いた既得権益集団であり

利権」と「権益」を守るための「組織構造」で有り「業者をも巻き込んだシンジケート」と言えるでしょう。

町衆は"大坂"とは縁も所縁もないよそ者集団

しかもこの町衆・商人共の祖先の大半は、摂津・河内以外からの転入者、つまり"よそ者"でした!

織田信長の安土城下町造営の際に楽市楽座政策で集めた、美濃商人、近江商人、を主体に大和(奈良県)からもはせ参じた、「狡(こす)っ辛い」行商人どもの寄せ集めで、『ほとんどが大阪には"縁も所縁も無い"よそ

で占められていました!』

なので、その後徳川政権下で「天下の台所」となってからも、金儲けの為に新田開発や、大和川付替え普請(※11)などで、『"土着の農民"を平気で?苦しめることができたのでしょう!

参※11)当サイト内関連記事 大和川付け替え が 人権問題 差別問題 に繋がった"水種?(火種!)"に... はこちら。

堺商人は真の"自治"を行っていた!

堺商人は、戦国時代から南蛮貿易を行っていて、オランダ人などからPuritanism(清教主義)を学んでおり!早くからPopular sovereignty主権在民)、human rights(人権意識),autonomy(自立思想)つまりDemocracy(民主主義)!を学んでいたのです。

だから、Authoritarianism権威主義)に凝り固まった独裁者秀吉の誘いには"載せられず!"

民主都市(自治都市)・堺にとどまったのです。

第3項 区長も含む大阪市職員は公選ではないので 大阪市民(住民票)の必要は無い!

この「利権擁護」の組織構造は、極端なリベラル思想の職員組合や各種共済組合、(一社)(一財)などの外郭団体などにも及び、職員総ぐるみで「継承・踏襲・温存」が図られているいわば役人・職員による「大阪版フリーメーソン組織」と言えなくもありません!

驚いたことに、彼らの多くは大阪市民ではありません!

つまり、市長・市会議員は公選なので、一応?市内に転入して住民票(市民税納税者)を持っていますが...

区長も含むOfficer(役人)職員は公選ではないので、大部分は大阪市以外の市町村?に暮らし、場合によっては県外からの通勤者も含まれています。

つまりそんな人達(患部 Officer)が「澪標の鐘」を鳴らし続けているのです。

これでは、自分の家族に類が及ばない「大阪市民の為に献身的になれるわけがありません!」

今後は、人事規定で、少なくとも、『部長以上の幹部職員への昇進条件として"大阪市民"でなければならない"人事規定』を追加すべきでしょう!

現状では、"平"の木っ端役人連中は「家賃の安い市営住宅」に入居して、"患部職員"になると、「泉北辺りの分譲地(高級住宅街)に"御屋敷"を構える傾向!にあるようです。

※事実、小生の親類縁者がそうでした!

第4項 市営モンロー主義が「府」と「市」の仲の悪さに!

モンロー主義(権利擁護主義)は、何も大阪市の十八番(オハコ)ではなく、大阪府と末端の市町村、自治会組織にまで浸透?しており、このことが大阪市役所vs大阪府庁のお互いの覇権争いと確執の原因の一つにもなっています。

このことが、某党が主張している大阪都構想・近畿州構想の進展につながらない大きな要因でもあるわけです。

つまり前・前大阪市長の橋下徹氏が引退前に行った都構想の前提となる現行の「行政区割り見直し・区統合」の住人投票で惨敗したのはこのためです!

現行の各区での説明会でも、区民を代表する?自治会組織の自治会や市民団体の「モンロー主義者」たちが、『彼らの持つ「既得権益」が侵されると大反発した!のです。

事実平成の大合併で某市と合併し損ねた「千〇赤X村」も、両自治体の既得権益の調整が噛み合わずに空中分解しています!

出自多留狸の体験談 2題

その1

今を返る四半世紀前1985年ころ、持ち家の測量を行った時の出来事。

(測量)を嗅ぎつけた、当時の自治会長が血相を変えて怒鳴りこんできた!

『自治会(長)に断りも入れずにこんなこと(測量)を勝手にされたら困るがな!』

???である、当時我が集落は都市化もそれほど進んでおらず、新規転入者(建売住宅)も多くなく、新築・改築は自治会長の口コミで「xx工務店」不動産売買も自治会長の口コミで「xx興産」が慣例?となっていた。

つまり、市役所も含め土地建物業者と深~い(不可解な)絆があった!

ちなみにこの御仁は元衆議院議員の私設秘書で、事件?当時は「お若いのに、引退して無職」でおられた?

その2 桜並木伐採・撤去事件!

大阪では、『他人の家の前に平気で吸い殻を捨てても、(首都圏でよく見かけるような)早朝に家の前に出て"桜の花びらの絨毯"を掃除す奇特な御仁?はいらっしゃらないのでしょう!

つまり、市民一人ひとりに至るまで「既得権益」に拘り「共存共栄助け合い」などというお為ごかし?は、

何アホナこと言うとんねん!になってしまうのでしょう。

首都圏・東京・"ダサいたま"に10年以上暮らしたことのある小生にとっては信じられない???(信じたくない!)!事実です。

これも今を返る20年ほど前の1990年頃の出来事

近くにある1960年に完成した水道局敷地のフェンス際には樹齢30年以上の立派な桜が並び、フェンスに沿った立派な市道は、

近くの工業団地の送迎車やスクールバスの待機場所になっており、

通勤・通学の人たちの目を楽しませていました。

ところが...、ある日「住人の代表と称する"とある人物"が市役所に殴り込み?を掛け」、

『あの桜の木を何とかシテエな!、桜の花びらの掃除がカナンし、夏になったら毛虫が落ちてキヨルし、ホンマに迷惑しとるんや!...』

(彼以外からは苦情など出ておらず...???ではありしたが...)

市当局の答えは『ハイ畏まりました、2・3日中に早速伐採処理いたします!』

1週間足らずで、立派な桜並木は数本を残すだけとなりました。

当時32年の長きにわたり、ただ時の流れを見守っていた(傍観していた)某市長(※2)が即決した醜業でした。

※2 当サイト関連記事 懐かしいレトロシティー柏原!?はこちら。

数少ない美談紹介

京阪萱島駅(Wikipedia)、の高架ホームのど真ん中に「推定樹齢700年」のクスノキがにょっきり!

京阪電車は前途したように、「東京から来たインテリと地元京都の旦那衆」が作った会社!京阪電車(※20)だから残してくれたのでしょう。(※実は阪神電車も甲子園駅の中に巨木を取り込んでくれています)

参※20)当サイト関連記事 頑張れ「 お 京阪 」!...近畿の数多くの鉄道建設に関わり「理想を追求し続けてきた京阪魂!」はこちら。

 

公開:2019年7月29日
更新:2024年3月11日

投稿者:デジタヌ

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