"紀伊半島を活性化"するには「紀勢広域連合!」の結成と「Traffic Networkの見直し」が必要《連載第2回》
第2回 大宝律令(701年)以来続く線引き( district は)の根拠?とは...
大宝律令(701年)以来続く Boundary 線引き( district 分けは)何?を根拠に行われたのでしょうか...
下図をご覧になれば一目瞭然、今だ引きずっている administrative district (行政区)は、民の営み暮らし向き(l生活圏・経済圏)とはほぼほぼ関係がありません!
参※)以下用語(英単語)は当サイト関連記事 英単語表現"による"古文書"専門用語の"まやかし訂正"の試みについて... をご参照願います。
第1項 district は山峰と荘園境(用水路)で分けられた!
- ●landlord(荘園領主)・Ruler (為政者)間の「大人の事情」
- ●「地政学」(※11)と関わりのある(山地・山脈)(山峰)
本来は、「人の営み(経済圏)暮らし向き(生活圏)」つまりは「地政学」と関わりのある、山脈・山峰・河川で、決せられるべきなのですが...
当時の Local 為政者!間の「大人の事情(利害・思惑)」が大きく働いた!のです。
為にその後1500年!近くも、「民の営み暮らし向き」に影響を与え続けている!のです。
参※11)当サイト内関連記事 地政学・geopoliticsの"概念"とは... はこちら。
- ●♥こげ茶色が、山峰による Boundary
- ※濃紺が、小川・用水路(大人の事情)による Boundary
第1目 奈良県南端部、和歌山県東部、三重県南東部は、古代から過疎地域!だった...
奈良県南端部、和歌山県東部、三重県南東部の過疎地域は、古代から過疎地域だった!訳です。
これも下図をご覧になれば一目瞭然!
- ●グレーのマークは城跡・砦跡・関所跡
- ●旅人マークは古代:日乃本成立(伝741年)以前からある峠道
- ●紫ランドマークは古墳(王墓)
- ●緑色のさざ波マークは棚田
第2項 古代の Territory の根幹となる稲作の、起源は♥棚田!
第1目 城跡は Frontier を死守する為の砦!
城跡は、「河川流域を根城?」にする支配者のTerritory(実行支配地)を、"外的!"の侵略から守るためにFrontier(最前線)に建設された!のです。
例えば有田川流域などの渓流?沿いでは...
つまり、古墳(王墓)マークのあるエリアは、古代(神代の昔?)から、古代邪馬台国連邦!を形成していた稲作 Land-lord(荘園主)が勢力を広げていた zone で、例えば高野山に源を発する有田川流域では山峰で分かたれた渓谷の渓流?!沿いには、稲作に適する堆積盆地が連なって棚田が連なっているわけです。
当時の主要産業は「みかん」ではなく、もちろん稲作でした。
※googlearthモード(スパイ衛星画像)でご覧ください。
複数の Landlord が居た日高川沿い
複数の Landlord (荘園主)が居た、日高川沿い河口部では、荘園(現自治体)が旧 river(本流)や stream(小川)で区切られている!のがわかります。
つまり、付近に"溜池"が多い!ことからも察せられるように、三重県尾鷲銚子川流域とは違い、意外と渇水期の"水"不足(干ばつ)に悩まされてきた!わけです。
但し、瀬戸内運河?沿い同様に地中海気候で古代の製塩法にも適していたので、
"塩・米"の2大産品が揃った!ので、邪馬台国連邦の主要な地位(発言力)を得ることができた!のでしょう。
※★ご注意) Google七不思議?の一つ「尾鷲市内を流れる又口川!」
日本一の年間降雨量の記録ホルダーでもある尾鷲市ですが、更に Google 七不思議?又口川!?が...
"支流"とは異なる"分流"は河川の河口部つまり浅瀬にあり幾つもの流れに分かれて、三角州(湿地帯→平野部)を形成する分流となる!訳ですが、尾鷲市を流れる銚子川!?の支流"又口川!"は、GoogleMapでは山間部の中流部で分流???してしまっていますがこれは誤表記!です。
紀伊半島ではもう一か所、田辺市と十津川村を繋ぐ「県道735号」沿いの「引牛越」越え峠(標高771m)でも同様の誤表記がありました!
ユーラシア大陸を流れる長さ数千キロメートルの大河にはあっても...
河口部の川幅が「数十キロメートル!」にも及ぶロシアでは当たり前ですが、(信濃川放水路の様に)開削!でもしない限り(河口部以外の中流域・上流域)日本では山地・台地状の中州はありえません!
河口部?の川幅が約90kmにも及ぶオビ川や、約390㎞!にも及ぶレナ川が流れる広大なロシアでは、河口部に近い下流部(河口から約690㎞!)等では「幅20数キロメートルの中州!?」は当たり前にあり、しかももはや中州=低湿地帯というイメージではなく!
日本で例えるならば、信濃川放水路でできた白山島?(標高29m)の様な台地で、さらに標高も数十メートル!にも及び、周りを絶壁で囲まれた完全な小島"が連なる、永久凍土でできた湿地帯?(ツンドラ!)となっています。
参※)当サイト内関連記事 親露派・売国奴!が信奉する世界最大規模の" 鉱山鉄道"シベリア鉄道 とは... はこちら。
第3目 稲作の存在は天満宮・水宮でわかる
自然崇拝(八百万の氏神様)を基本!とする、女性シャーマン(祈禱師)を中心とした、古代王族(領主)の都市国家!のFederation であった「邪馬台国」(※30)を認めると...
「専制君主」の率いる Authoritarianism(権威主義!)をコンセプトとした「大日本帝国」の"国体護持"と"相いれない矛盾"が生じる!ので...
維新新政府が「旧神社庁」を創設して、「全国の氏神様」八百万の神々を「恣意的!に統合」したのです。
参※30)当サイト関連記事 "邪馬台国"は都市国家の連合体で"都"など無かった! はこちら。
天満宮は菅原道真を祭った社では無い!
天満宮といえば菅原道真を祭った天満宮(てんまんぐう)を思い起こされるでしょうが...
天満宮は菅原道真以前から存在して、正しく「天の神、水の神、古代稲作の神」な訳です! 五穀豊穣の氏神「稲荷神社!」も同じです。
「水宮」「荒神」は」治水の神様
これに対して、暴れ川を象徴する治水の神様が「水宮」などの「荒神」様などの氏神様です。
つまり荒神様がある一帯は、古代より治水(河川氾濫)に苦労!してきたのです。
近畿の屋根「大台ケ原」周辺は...
いくら探しても、山城(砦)ぐらいしかなく!熊野古道として、重要?ではあったのでしょうが、
"経済域・生産域"では無かった!ようです。
強いてあげれば、稲荷大明神(鳥居マーク)がある、
野迫川村あたりの一部で、古代から稲作が行われていたようですが、経済域を形成するほどには...
第4目 防衛線が途切れる奈良県南部は
一部和歌山県の飛び地(北山村&新宮市の飛び地)があるエリアは、退避王立量以降に"鉱山開発"で目が向けられたエリアで、その他のエリアは、「街道防衛の拠点」に過ぎなく、自給自足の域を越えてはい無い!もともとの"過疎地"だったわけです。
砦群で囲まれているのは
このエリアが注目を浴びたのは、山林資源開発が盛んになった維新以後から戦後復興期の短い間だけ?でした。
なので、熊野勢(旧縄文人系統?)と大和勢(弥生人)がお互いに、「非武装地帯」として、積極的には進出しなかった(出来無かった)訳けです。
稲作伝授を条件に非武装地帯として、その後「仏教国教指定・新生日ノ本連邦(741年)成立」時に、日ノ本連邦のテリトリーにしてしまった!のでしょう。
河川水系図をご覧いただければお分かりの様に、奈良県南部はもともと熊野川(十津川)水系であり、本来は熊野本宮を守護神?とする、縄文人系熊野王族のテリトリーであるはずです。
あまり古墳が見つかっていないのは、大化の改新(645年 → 650年)による「大規模王族墳墓」自粛令によるものでは無く、縄文人にはシャーマン(祈禱師)を祭る王墓の風習が無かった!からでしょう。
つまり古代(石器時代)末期の飛鳥・奈良時代には、まだ倭国連邦には加盟していなかった!のでしょう。
現・熊野市の井戸川・宮川以北では、険しい山峰が熊野灘に狭し!さらに、日本一の年間降雨量を記録している尾鷲市にかけては、急峻な河川の為に、流域の土砂堆積も進まず、農耕(稲作)には適さなかった!と考えられます、なので当然熊野市を境に水利用の"溜池"もに当たらなくなり、治水ダム(砂防ダム)が目立つようになります。
第3項 「平成の大人の事情?」田辺市の district は...
「平成の大合併」で、大・田辺市が誕生しましたが... この時に分水嶺(水系)を跨った大合併を実現させたfixer(ドン)は誰だった?のでしょうか...
公開:2022年4月17日
更新:2024年4月 5日
投稿者:デジタヌ
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