狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

Fantasy『河陽鉄道 開業以来 近鉄道明寺本線 沿線住人の120執念"近鉄特急 大阪駅発着の夢! 』ー第4回ー

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★第3節 "おおさか東線"と"吉野線"の相互直通構想とは

第1項 青のシンフォニー大阪駅(新大阪駅)・まほろば吉野近鉄吉野駅直通構想

両社の看板特急!"青のシンフォニー"と"まほろば"を、それぞれ大阪駅(新大阪駅経由)、吉野駅(吉野口経由)に相互に"別経路"で直通運行させます。

第1目 

青のシンフォニー直通JR線区間

大阪←(おおさか東線)→久宝寺←(大和路線)→柏原間←(JR道明寺線!)→道明寺! 32.2㎞

まほろば吉野号直通吉野線区間

吉野口⇔吉野間 15.7km

第2目 狙い

近鉄

長年の悲願!大阪駅(新大阪駅)⇔吉野間を乗り換えなしで看板特急アオノシンフォニーを直通運させて、山陽(新幹線)方面の観光客に"吉野への近鉄特急"のイメージアップにつなげます。

JR西日本

新に"まほろば吉野号"を和歌山線経由で運行することにより、同線の観光需要を掘り起こせます!

さらに、京都⇔奈良⇔王寺間⇔大阪(新大阪)にまほろばを延長運行!させて、王寺駅で新大阪行き下り"まほろば"と連絡を取ります。

これにより、南朝ライン!が実現できて、京都⇔奈良⇔吉野をJR特急で結ぶことが可能となります。

第3目 運行形態

両社ともに1日1往復(都合2往復)共同運行。

青のシンフォニー

3両編成

大阪駅(新大阪駅)⇔道明寺駅⇔近鉄吉野

新たにJR道明寺線の終点となる道明寺駅で、乗務員交代を行います。

まほろば・吉野号

3両編成

大阪駅(新大阪駅)⇔王寺⇔吉野口⇔近鉄吉野

共同使用駅吉野口駅で乗務員交代を行います。

第4目 前提条件!

  • ●近鉄道明寺"本線"のJR西日本への譲渡!を前提とします!
  • ●同じく(第三種鉄道事業)おおさか東線は、JR西日本のTrackage rights (第二種鉄道事業)営業区間にすぎませんが、清算!の都合上JR西日本の District として扱い、近鉄は第二種鉄道事業をJRに業務委託して直接営業しないこととします。

現状、柏原駅での乗り継ぎが悪く、いまいち利用者が少ない路線ですが...

道明寺駅よりむしろ、J大和路線"普通"と連絡を取ったほうが、利用率が向上するでしょう。

更に...

更に、両者の運行経費分担の為に、栗橋駅同様にデッドゾーンを設ける必要がありますが、吉野口駅には適当な渡り線(デッドゾーン)を設ける余地は残されているようですが、

柏原駅構内では、スペース的に問題があり、更に運行本数の多い区間(昼間8往復)なので、上り線逆走区間(時間)を最小限に抑えるためにも、敷地に余裕がある道明寺駅の方がデッドゾーンを設置しやすいはずです。

柏原以西のJR運行区間

JR柏原駅構内に、渡り線を「復活」して、柏原⇔久宝寺間はJR大和路線を利用して、久宝寺からはおおさか東線に乗り入れるようにします。

但し道明寺駅・柏原駅両駅での客扱いは行わないこととします、直通起点の道明寺駅!も含めてJR大和路線・おおさか東線内は新大阪まで、全駅通過として乗客扱いは行わないことにします!

道明寺駅以東の近鉄区間

柏原駅に渡り線を復活して、JR大和路線天王寺方面から乗り入れできるように構内配線を変更します。

柏原駅構内に残された待避線用地

柏原駅構内には、関西線貨物列車運行当時使用されていた、旧貨物上がり待避線が現・上り快速通過線に変更された際に、旧上り線が使用していた120mほどの、旧上り線の用地がに起こっており、これを乗務員交代用の待避線に充てれば、青のシンフォニー3両編成程度までは十分対応できます。

※航空写真モードでご覧ください!

●赤い線が下り渡り線と乗務員交代待避線案です。

第2項 嘗て行われていた国鉄直通旅客列車運行!

第1目 道明寺本線も吉野線も誕生当時は蒸気機関車が走っていた!

嘗て、柏原駅、吉野口駅の2駅では、関西本線(大和路線)と和歌山線に(構内渡り線で)線路が繋がっていて、貨物車両の受け渡しが行なわれていました!

元々和歌山線は、現大和路線を建設した初代大阪鉄道が建設した路線で、吉野口駅では吉野杉を積んだ貨物列車を和歌山線に渡し...

そして当時道明寺駅にあった(サントリー子会社の)清涼飲料水メーカー"寿屋"の出荷貨車を、関西線・柏原駅迄運んでいました。(※09)

これらの構内施設は1984年2月1日の関西線・和歌山線・桜井線全線の貨物営業廃止を契機に撤去されました!

※小生が子供の頃には、可愛い電気機関車が3両ほどの有蓋火車と無蓋火車を引っ張りのんびり行き来していて、踏切際の現在自転車置き場になっているところに"日通"の貨物取扱所があって、オート3輪が常駐していました!

第2目 両線共に、関西線、和歌山線と不定期臨時直通旅客運行が...

道明寺線では

道明寺線は誕生当初25年間は、本線として「蒸気機関車にひかれた列車」が運行されていました。

2代目大阪鉄道となって1923年4月に南大阪線が天王寺(現阿部野橋)まで開業するまでは、(初代)大阪鉄道時代、関西鉄道時代を通じて、当時の国鉄と道明寺天満宮の月例際に合わせて、湊町(現JR難波)から、不定期の臨時旅客列車が、直通乗り入れる運行も行われていました!

1923年4月に道明寺駅 ⇔ 大阪天王寺駅(現・大阪阿部野橋駅)間が、国内初の直流1500V電化・全線複線!路線として延伸開業しました。

同年10月16日には道明寺駅 ⇔ 長野(現河内長野)間の電化工事も完成して、大阪天王寺⇔河内長野駅間が2代目大阪鉄道の本線となりました。

1924年6月1日:道明寺線本線 電化完成!

道明寺線の電化と同時に、大和橋駅を現在地に移転して、柏原南口駅に改名しました。

※つまり道明寺駅 ⇔ 大阪天王寺駅開通後も、翌年1924年6月に道明寺線が電化完成するまでの半年間は、柏原⇔道明寺間を、蒸気機関車に引っ張られた客車列車がはしっていました!

当時の汽車列車では、柏原駅を発車してすぐに始まる勾配を登るのもきつくて、電化が完成するまでは、現在"給食センター"がある付近に停車場が作られていました!

1928年には大阪鉄道・本線(南大阪線・長野線)に、当時国内初最大の20m級(19.5m)電車デニ500形が登場しました。

一方吉野線でも

一方南和鉄道(和歌山線)国有化後の1912年10月に開業した吉野鉄道(吉野線)でも、

吉野山の花見シーズン(3月下旬から4月上旬)には、国鉄湊町駅から汽車に曳かれた"臨時お花見列車"が旧吉野駅(現六田駅)まで直通運行していた記録も残っています!(運行期間は不明ですが、おそらく2代目大阪鉄道が古市⇔畝傍(橿原神宮前)を、吉野鉄道が吉野口⇔畝傍(橿原神宮前)間をそれぞれ延伸開業して直通運転を開始した1923年までの何年間かの"お花見時期")

※詳しくは後半付属年表で

※参8 当サイト関連記事 アーバンネットワーク から見放された 西武新宿線 と沿線住人?!はこちら。

第3項 幹線並みの"重軌条"を使用している道明寺本線?

道明寺本線は近鉄の"幹線"並み扱いで全区間50kgNレールが用いられています!

現状は、本線?区間のみ50kgN軌条で、道明寺駅構内渡り線は37kgレールで、全区間コンクリート枕木・木製枕木併用で、ロングレール化はされていませんが、特急が走行する"本線"となればいつでも改良工事は行えるでしょう。

JRでもローカル線は40kgNレールが主流で一部区間では未だに37kgレールが残っている区間も多く、さらに地方の零細弱小私鉄では30kgレール!の路線も多く見受けられます。

注意深く観察すれば、表(ホーム側)か裏側(内側)面に25mおきに必ず刻印されています!ので素人でも確認できます!(スーツ君ご存じでしたか?)

続きはこちら

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公開:2018年11月23日
更新:2024年2月23日

投稿者:デジタヌ

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