狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載『 勝田線廃線跡の"遊歩道もLRTとして復活 !できる...』ー第6回ー

第6回 勝田線廃止で明暗を分けた糟屋郡の今は

第1項 鉄道不毛エリアとなった志免町!

推計人口、45,819人!2019年6月1日

志免鉱業所最盛期の1928年(昭和3年)頃から、1939年4月17日 の志免町発足 当時迄は福岡県最大・全国でも屈指の規模を誇る"村"でした、村内は炭鉱従事者とその家族で溢れ、栄華を極めていました!

敗戦後も、復興需要で賑わって戦後の最盛期にあたる1955年頃には炭鉱労働者を主体に2万人近くの住人が暮らしていましたが、1964年(昭和39年) 6月30日 の志免鉱業所と周辺の炭鉱閉山によって大量の離職者が発生して全国各地に転出していき、2万人いた町民が1万7千人程度まで減じていました。

その後福岡市の発展とともにベッドタウンとして見直されて転入者が増加!

1970年代に2万人台に回復して、1985年4月1日の勝田線(全線 13.8 km) が廃止されたころには3万3千人台まで回復していました!

しかしその後は3万5千人台で推移していた人口も2000年以降にまた急激に増加し、2005年頃には4万人を突破して嘗て昭和初期の"黒いダイヤ"でにぎわっていた炭鉱最盛期の頃を凌ぐ"町"となり、単独で"市制"を敷ける程度まで発展しました。

令和の御代の現在も尚人口増加を続けている"町"です。

志免町の生い立ち

1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制度発足により、志免村他6村が合併し、志免村が発足。
1939年(昭和14年)4月17日 - 志免村が町制施行。志免町となる。

1885年4月に勝田線が廃止されて以来現在4町の中で唯一鉄道路線の無いエリア!となった。

第2項 鉄道は残ったが陸の孤島が出現した「宇美町」

鉄道(香椎線)は残りましたが広範囲にわたって陸の孤島が出現した「宇美町」。

推計人口、37,683人 2019年6月1日現在。

嘗て炭鉱で栄えた時期の1950年頃には人口2万2千人を誇っていましたが相次ぐ炭鉱閉山で1965年には人口2万人を割っていました。

1975年からは志免町同様に福岡市の発展とともに宅地開発が進み「転入者の増加」で1980年には以前より多い2万4千人近くとなり2005年には3万8千人まで達しましたがその後は微減に転じています。

転入者の多くは香椎線宇美駅以遠に造成された郊外住宅地に転入しており、1985年4月1日の 勝田線 全線 (13.8 km) 廃止バス路線転換以前から、不便な勝田線は利用していなかったようで、廃線の影響をあまり受けずにその後も人口増は続いていました。

しかしこの時期の人口増を支えてきた転入者の多くは当時40代後半の働き盛りの人たちいわゆる「団塊の世代」の人たちで退職の時期を迎えだした2000年以降は10代を中心に転出者が増加して少子高齢化が進展したようです。

沿革

1889年4月1日 - 町村制実施により、宇美村が発足。
1920年10月20日 - 町制施行。宇美町となる。

第3項 福岡市周辺の粕屋郡部に残された単独町は

近くて遠~町、志免町を筆頭に、(ベッドタウンとして)福岡市の経済圏に取り込まれてしまった?宇美町、須恵町、粕屋町、久山町、新宮町、久山町の7町は、嘗ての栄華を懐かしむのではなく、未来の発展に向かって、福岡市に吸収合併されるか、新たなる自治体を誕生させるべきなのかもしれません?...

糟屋郡の将来は福岡市に併合していただく"令和の大合併"しか残されていないのか?

前回平成の大合併の際には、住民投票で採択された周辺自治体との合併案が、長老が仕切っていた町議会で否決されたそうですが...

例えば新宮町では

1990年代一時停滞時期はあったものの、2010年3月13日に鹿児島本線新宮中央駅(乗車人員4,946人/日/2018年度)が新規開業して以来、ヤングジェネレーション中心のヤングファミリー層の転入者が更に急増して開業以前20000人に届かなかった人口が令和元年現在32、539人(6月1日現在推計人口)まで膨れ上がっており、長老たちの夢見る単独市制の目安40000万人も夢ではなくなってきていますが...

所詮福岡市のベッドタウンで有り人口の43.9%が福岡市への通勤者で占められる状況をよく理解している現町長は、「寄らば大樹の陰」で福岡市に合併された方が何かと都合がよいと判断して、福岡市編入の条件「公共インフラ整備」を満たすべく熱心にinfrastructure(上下水道、道路整備、鉄道駅、病院、教育環境)整備を推進しています。

第4項 福岡市を当てにせずに公共交通不毛地帯を救う(鉄)路を模索する必要が

福岡市はコンパクトシティー(※21)実現を目指しており、現状では今後ともに令和の大合併の可能性は有りません!

周辺都市からの侵入?を防ぐための防塁「板付け空港」(※22)も無くならないでしょう!

しかし、福岡市の"野望"とは違い今後も福岡都市圏は広がり、糟屋郡の果たす「衛星都市・ベッドタウン化」は衰えないでしょう!

参※21)当サイト関連記事 全国の 中核都市 は コンパクトシティー を目指している!福岡市の場合は? はこちら。

参※22)当サイト関連記事 福岡空港 が 移転 しない理由は 糟屋郡 から攻め入る"倭寇"から守る" 防塁 "?... はこちら。

 

公開:2019年10月22日
更新:2024年3月22日

投稿者:デジタヌ

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