狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載『 運輸賊が画策する新大阪駅・巨大ハブステーション妄想は実現し無い!』ー第2回ー

★第1節 どうしてこんなに不便な監獄駅!が出来たか?!

新大阪駅は、1964年の東京オリンピックに間に合わすために、急遽浮上した間に合わせの駅!として建設されたにすぎません!

第1項 新大阪駅周辺は市営モンロー主義者もノーマークの"川向うにある町はずれ"だった!

第1目 当時の天下の台所"なにわ"では期待もしていなかった!

東海道新幹線計画"自体が当時の天下の台所を預かる市営モンロー主義者(※11)達からは、あてにもされていなかった!?路線です。

当時は"日本の富を握っていた!大阪市"で、「澪標の鐘」を鳴らし続けていた彼らにとっては、"東京なんぞ"は眼中になく!上方にやってくる「お登りさんの田舎者・行商人!」なんぞは"どうでもよかった"!のです。

だから、市内乗り入れには拘らず(むしろ門前払い・拒否して)、将来の山陽新幹線接続の為?に 「川向うの町はずれ」にある湿地帯を"停車場"&乗り換え場所!"に選んだのです。

つまり"墓地"と"土田"しかなかった(大川の)川向うの"埋田"に大阪駅を作らせた!のと同じ理由です。

参※11-1)当サイト関連記事 大阪市における" 市営モンロー主義 "の起源と変遷はこちら。

参※11-2)当サイト関連記事 《歴史ファンタジー》大阪の 人権問題 の水種?は 幕府と大阪商人が企てた "大和川付け替え" 普請!が...はこちら。

町はずれの新大阪駅周辺を都心にするつもりも無く!

『地上の自由通路?北口?...ソンなもん、なんもいらん!

『こんな"田んぼの中"に誰がビル建てよるちゅうん(言う)や?!』というわけで、

大阪市内!に向けた南側の正面入り口しか作らせなかった!わけです。

第2項 1918年からあった北方貨物線はJR西日本が...

新大阪駅が誕生するはるか前の1918年に、大阪・梅田停車場を迂回して、東海道・山陽ルートに(軍事)物資を運ぶlogisticsとして、北方貨物線が生まれました!

現在は、網干総合車両所宮原支所や、吹田総合車両所京都支所へ回送される電車の経路としても利用されている訳で、JR西日本近畿統括本部が所有(第一種鉄道事業)して管轄している路線です。

副都心になる将来に"のぞみ"を掛けたのは...

唯一新大阪駅周辺が将来「新都心になる夢」に賭けたのは、御堂筋線延伸にも協力した阪急電車(※12)でした。

...が結局夢は潰えて、グランフロント計画にポイントを切り替えて、阪急新大阪駅建設予定地に阪急新大阪駅ビルを建てて野望は叶わずに...

参※12)当サイト関連記事 阪急 新大阪連絡線 は 幻の京神連絡線 として計画されていたが... はこちら。

 

公開:2020年8月28日
更新:2024年3月 7日

投稿者:デジタヌ

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