狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載『 名鉄岐阜市内線・美濃電の廃止は失敗ではなかった!...が"嵌められた"のも 』ー第8回ー

第8回 先を急がない"国盗り物語"(都市計画)とは?

時系列の"史実"で眺めれば岐阜市のとった戦略は正しかった!といえるでしょう。

以下のシナリオ(施策)は一見遠回りですが、(財政に)無理のない「美濃(身の)丈に応じた」旧市街の都市再開発計画だったといえるのではないでしょうか!

  • 1)Interurban(都市圏近郊軌道)廃止→バス路線転換
  • 2)路線敷地買い上げ→道路用地転換
  • 3)周辺う回路(バイパス)整備で市街地通過車両締め出し!
  • 4)市街地改造都市計画(メインストリートの拡幅整備)で中心市街地の交通渋滞解消!
  • 5)都市機能回復

第1項 岐阜市は地方都市圏交通インフラ整備のお手本になるかも?

第1目 "鉄輪Tram"は数あるtransporterの一つにしか過ぎない!

撮り鉄などの「鉄オタ」は「鉄路」に拘るようですが、公共交通機関:トランスポーテーションシステムは「鉄道」だけではありません!(※10)

1980年代の「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」(※11)で明確に示された通り旅客輸送密度4,000人未満の地方鉄道路線は「公共インフラ温存・生き残りの為」にはバス転換が最適だったのです!

※参10)当サイト内関連記事 .鉄道 は陸上旅客輸送の1手段にしか過ぎない! はこちら。

※参11)「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」についてのWikipediaの解説はこちら。

第2目 岐阜市を活気ある街に再生するために頑張っている♥「BusTram」

災い転じて福となす、令和元年現在の岐阜旧市街の主要幹線は見違えるように立派になりトラムこそなくなりましたが、2011年3月27日からメルセデス・ベンツ・シターロ ・トラム型低床連接バス(※12)が登場して、当初岐阜大学・病院線の専用直行便に使用されていたこのバスも 2011年10月1日からは、途中3停留所に停車する都市型「BRT」となり120人の輸送力を生かして以前の名鉄チンチン電車以上に大活躍しています!

※参12)当サイト内関連記事、紛い物ではない!"本物"の ライトレール 擬き?『 Busse-Tram ( バス・トラム )』現る!はこちら

第2項 道路整備に掛けた岐阜市の歩んだ"道"

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Step1. 岐阜旧市街地を抜ける国道21号線ほかの通過車両対策

1950年代の終わりには、急激なモータリゼーションの津波に襲われて、岐阜市内の道路事情は急激に悪化していました!

岐大バイパス計画

当時の建設省の道路整備計画で、旧岐阜市街を東西に横断する21号線のバイパス構想が持ち上がり、1974年には岐阜市東中島から垂井町綾戸の23.9 kmの岐大バイパスが全線開通し、旧市街に流入する、通り抜け車両による渋滞も幾分緩和されるようになりました。

更に1997年の往復6車線化により、通過車両は激減しましたが...

旧市街地の道路事情は劣悪すぎました!

計画から完成まで
  • ●1960年(昭和35年):事業着手
  • ●1964年:岐大地区着工
  • ●1965年3月:岐阜地区着工、穂積大橋(長良川)が完成
  • ●1974年12月:全線開通(大垣地区供用)
  • ●1986年:岐阜、岐大地区4車線化供用
  • ●1997年(平成9年):岐大地区一部6車線化!
  • ●2010年:大垣地区一部6車線化!
岐阜県道77号岐阜環状線の取り組み

同時期に国道156号線(高富線)子混雑緩和の為に岐阜県道77号岐阜環状線計画も実施に移されました。

1974年(昭和49年)に鏡島大橋開通。

2003年(平成15年)3月21日に鵜飼い大橋(どちらも長良川)が開通して、全13.6キロメートルの全面開通で国道21号・156号と合わせて岐阜市中心部の外郭を環状に結ぶ道路が完成して市内を通過する車両は減少していました。

更には2008年(平成20年)3月頃に合流直後の岩戸トンネル、国道156号が4車線化し、合流部部での渋滞は解消されました。

つまり、この時点で残るは市街地の道路整備と市街地改造だけの問題となっていたわけです!

Step2. 鉄道廃止と敷地(買い上げ)転換による周辺道路整備

岐阜県・岐阜市・名鉄との不可思議な協調関係!?が...

●ブルーラインは自動車専用道と幹線網
長良橋から先に伸びていた軽便鉄道!高富線

高富線→国道256号線&都市計画道の流れ

開業数年後で美濃電気軌道に吸収合併されましたが、全線が軽便軌道法(※3)に下ずく軽便鉄道!として開業しており、廃止まで全線にわたり軽便鉄道線で併用軌道部分はありませんでした!

現在廃線跡拡幅されて一般市道及び国道256号線になっています。

地図の通り、軽便軌道の生い立ちにしては珍しく線形もよく!さらには廃止当時迄利用者も多い路線でしたが!...

全線にわたり30㎏軌条、一部20㎏の軽(ライト)レール!使用の単線軽便鉄道規格(※3)で敷設されていて、当時の使用車両だった2軸9m単行木製車両!では輸送力が問題となっていました。

更には高速走行していたのに、前時代的な"手回しブレーキ"!(機械式)なので暴走事故が度々発生していました!

※参3)1909年に公布された「軽便鉄道法」に関するWikipediaの解説はこちら。

一般的に軽便鉄道は軌間762㎜などの軌間1067㎜以下のナローゲージをイメージしやすいですが...軌間についての条項はなかった!ので貨物車両乗り入れを考えて全国各地に国鉄規格の軌間1067mmの狭軌軽便が敷設されていました。

設備改善もしないままに最初の餌食に

何故、7年後の1967年に行われた(市内線)12m級大型ボギー車への転換と路線改良を、前倒し出来なかったのか、悔やまれるところですが?...

前途したようにバス路線転換への地元住人からの強い要望!を受けた岐阜市が申し入れた結果、名鉄がこれ幸いと廃線にしたわけです!

戦前に合併を繰り返して巨大化しすぎていた名鉄は、1960年当時鉄道路線網のリストラ(廃止・縮小)を進めていました。

つまり戦前から続く繊維産業・アパレル産業の隆盛で郊外にまで広がった住宅地と、急増した沿線住人の「軌道廃止バス路線転換の声」に後押しされた岐阜市と、名鉄の利害がうまく一致したのでしょう?

沿革
  • ●1911年2月11日 美濃電気軌道が(旧東海道線岐阜駅)駅前⇔今小町間(後の長良川線)と美濃町線、神田町(後の岐阜柳ヶ瀬)⇔上有知(後の美濃町)間をチンチン電車で開業。
  • ●1913年12月25日 長良軽便鉄道が長良(長良村) ⇔高富(岩野田村)間を狭軌(.軌間1067㎜)で開業。
  • ●1915年11月20日 - 4代目長良橋(鉄橋)完成。美濃電気軌道の長良橋 ⇔ 長良北町間が開通。長良軽便鉄道市内直通運転開始。
  • ●1920年9月 - 美濃電気軌道が長良軽便鉄道を吸収合併。
  • ●1930年(昭和5年)8月20日 - 名古屋鉄道が美濃電気軌道を吸収合併。
  • 同年9月5日 - 名古屋鉄道が名岐鉄道に社名変更
  • ●1932年7月1日 - 長良村が岐阜市に編入され消滅。
  • ●1935年(8月1日 - 名岐鉄道が名古屋鉄道に再度社名変更
  • 敗戦後の1949年7月1日 - 岩野田村が岐阜市に編入され消滅。
  • ●1954年12月:(5代目)長良橋が高富線の延長上!に開通。
  • ●1956年11月:岐阜市内線が長良橋の東端に移設される。
  • ●1960年4月22日 全線廃止!。(開業後47年、市内線開通後45年!)

その後旧高富線区間は、都市計画道・及び県道→国道256号線となった!

鉄道路線!だった鏡島線→県道92号線都市計画道路整備の流れ

この路線は旧美濃電気軌道(その後の名鉄)が敷設した、鉄道線!です。

つまり専用軌道でもなければ、前途の軽便鉄道でもない、当時の地方鉄道法によるれっきとした鉄道路線!でした。

沿革
  • ●1924年(大正13年)4月21日 美濃電気軌道が千手堂 ⇔鏡島間を開業。
  • ●1925年6月1日 市内線の徹明町 - 千手堂間が開業し、接続。
  • ●1926年11月1日 弘法西口 - 鏡島間に川原畑駅開業。
  • ●1930年(昭和5年)8月20日 名古屋鉄道が美濃電気軌道を合併。
  • 同年9月5日 名古屋鉄道が名岐鉄道に社名変更。鏡島線となる。
  • ●1935年8月1日 名岐鉄道が名古屋鉄道に再度社名変更!
  • ●1941年10月21日 市民病院前駅開業。
  • 戦時中1944年12月11日 森屋 - 鏡島間 不要不急路線として休止

1950年6月10日 千手堂 - 森屋間が道路拡幅工事のため休止。

  • ●同年7月11日 千手堂 - 森屋間 併用軌道チンチン電車として運行再開。(※旧地方鉄道法のままで)
  • ●1954年9月10日 鏡島 ⇔ 合渡橋(廃線時西鏡島駅)間延伸開業とともに弘法口⇔ 鏡島間運行再開
  • ●1964年10月4日 千手堂 ⇔西鏡島間全線を廃止し、バスに転換。

 

公開:2019年10月31日
更新:2024年3月29日

投稿者:デジタヌ

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