連載『 名鉄岐阜 市内線・美濃電の廃止は失敗ではなかった!...が"嵌められた"のも 』ー第9回ー
第9回 1988年の市内線(長良線)の廃止は第一歩...
2005年の市内線&ライトレール全廃は最後の詰め?
1914年3月29日 岐北軽便鉄道により開業した旧名鉄揖斐線と1911年開業の旧美濃電気鉄道・市内線・美濃町線が1954年(昭和29年)12月21日 に忠節駅(3代目)で接続して1967年(昭和42年)12月17日から 2005年の市内線全線廃止までの長きにわたり、市内線(併用軌道区間)⇔揖斐線間でトラム型の高速軌道車両が直通運行されていました!
岐阜市内線の生涯
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沿革
- ●1911年2月11日 美濃電気軌道が(旧東海道線岐阜駅)駅前⇔今小町間を開業
- 同年10月7日 今小町 - 本町間が開業
- ●1912年(大正元年)8月28日 本町 - 長良橋間が開業
- ●1913年8月21日 国鉄岐阜駅移転に伴い、駅前(後の岐阜駅前)停留場を移転
- ●1915年11月20日 長良橋 ⇔長良北町間開業。長良軽便鉄道(後の高富線)と接続
- ●1925年6月1日 徹明町 ⇔ 千手堂間が開業。前年開業の鏡島線と接続
- 同年12月11日 千手堂 ⇔ 忠節橋間が開業。北方線(後の揖斐線)とは徒歩連絡
- ●1930年(昭和5年)8月20日 名古屋鉄道が美濃電気軌道を岐阜市内線となる
- 同年9月5日 名古屋鉄道が名岐鉄道に社名変更
- ●1935年8月1日 名岐鉄道が2代目名古屋鉄道に再度社名変更。
- ●1954年12月21日 揖斐線が経路変更され忠節駅(3代目)で接続
- ●1959年4月1日 - 合渡村が岐阜市に編入され、合渡村(揖斐線沿線)が消滅する
- ●1960年4月22日 高富線全線廃止!。(開業後47年、市内線開通乗り入れ後45年!)
- ●1962年1月 - 羽島新線の建設計画を示唆
- ●1963年5月 -名鉄・羽島新線事業 免許取得。
- ●1967年7月24日 全車両ボギー台車化
※つまり、高富線廃止時点では、2軸木製単行車両で運行されていた!
- 同年12月17日 揖斐線直通の急行を運転開始
- ●1970年6月25日 田神線各務原線田神⇔競輪場前 連絡田神線開業、新岐阜(各務原線)⇔美濃町間運行開始。新岐阜 - 美濃間に急行を運転開始。
- ●1975年12月 - (用地買収及び、先行着工1978年(昭和53年)3月30日から羽島新線本格着工
- ●1982年3月 新岐阜駅前 - 新岐阜(各務原線構内)間の連絡線廃止
- ●1988年6月1日 通称長良線(市内線本線) 徹明町 - 長良北町間3.9km廃止!
- ●2005年(平成17年)4月1日 岐阜駅前 - 忠節間3.7kmが廃止され全廃
その後旧市内線部分の道路拡幅整備事業に着手!
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- ●1911年(明治44年)2月11日 美濃電気軌道が神田町(後の岐阜柳ヶ瀬)⇔上有知(後の美濃町)間を開業。
- ●1915年(大正4年) 神田町駅を美濃電柳ヶ瀬に改称。
- ●1921年7月1日 に初代名古屋鉄道が名古屋電気鉄道が所有していた郊外5路線 54.9kmを譲渡され、
- ●1923年10月1日 松森 - 新美濃町(後の美濃)間を移設し新美濃町駅に改称。
- ●1924年 新美濃関駅を新関駅に改称。
- ●1928年(昭和3年) 赤土坂駅休止。
- ●1931年1月1日 美濃電柳ヶ瀬駅を岐阜柳ヶ瀬駅に改称。
- ●1930年8月20日 名古屋鉄道が美濃電気軌道を合併。美濃町線となる。
- 同年9月5日 名古屋鉄道が名岐鉄道に社名変更。
- ●1935年8月1日 名岐鉄道が名古屋鉄道に再度社名変更。
- ●1941年8月12日 : 新名古屋地下トンネルが竣工。東枇杷島駅(移設) - 新名古屋(現、名鉄名古屋)駅間が開業。
※名古屋鉄道(旧名岐鉄道)は敗戦後
- ●1949年10月1日 せ1944年(昭和19年)野一色駅再開(戦前1944年休止駅)。
- ●1950年4月1日 徹明町 - 梅林間の新線開業。美濃町線の起点を徹明町駅に変更
- ●1953年4月12日 徹明町 - 梅林間が複線化。
- ●1954年10月1日 新美濃町駅を美濃駅と改称。
- ●1970年6月25日 田神線の開業により、新岐阜駅(現・名鉄岐阜駅)に美濃町線電車が乗り入れ開始。
- ●1975年9月16日 急行廃止。
- ●1983年6月15日 新関 - 美濃間が昼間ワンマン運転化。
- ●1999年(平成11年)4月1日 新関 - 美濃間6.3kmが廃止、新関 - 関間が開業(手続き上は新関 - 関間0.3km線路移設、関 - 美濃間6.0km廃止!
- ●2005年4月1日 市内線廃止と共に徹明町⇔関間18.8km全線廃止!
新関 ⇔ 関間の軌道は、新設後(手続き上は線路移設)わずか6年で廃止された。
※"なにわ"在住の小生ですが、1983年当時、"故あって"新岐阜駅から美濃町線に乗車したことがありました!勿論鉄道線(各務原線)の一部区間もTram Carで走行したわけですが...長閑なRural line(肥えたご路線)だった印象しか...
最後までInterurban(都市圏近郊電車)としての役割を全うしたのが揖斐線でした!
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※名鉄揖斐線を快走する在りし日のチンチン電車(その後一部の車両は福井鉄道にも譲渡されている)の雄姿!
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開業から廃線まで辿った波乱万丈の鉄路
- ●1914年(大正3年)3月29日 岐北軽便鉄道が高富線同様に忠節⇔北方町(後の美濃北方)間を木造電車!の軽便鉄道法で開業。
- ●1915年4月6日 鉄道免許状下付(本巣郡席田村-揖斐郡大野村間)開業。
- ●1921年11月10日 美濃電気軌道が岐北軽便鉄道を合併し。美濃電・北方線となる。
- ●1926年4月6日 美濃電気軌道北方線 北方町 ⇔黒野間開業。
- ●1928年(昭和3年)12月20日 美濃電気軌道北方線 黒野 ⇔本揖斐間開業。
- ●1930年8月20日 名古屋鉄道が美濃電気軌道を合併。
- 同年9月5日 名古屋鉄道が名岐鉄道に社名変更。北方線を揖斐線と改称。
- ●1935年8月1日 名岐鉄道が再度・名古屋鉄道に社名変更。
- ●1938年8月4日 長良川改修工事のため忠節 ⇔尻毛間休止!。
- ●1939年2月13日 近ノ島(西) ⇔尻毛間運行再開。
- ●1941年12月20日 忠節⇔近ノ島(西)間運行再開。
敗戦後1948年8月1日 岐阜市内線忠節橋停留場が忠節駅(2代目)前の後の早田停留場の場所に移転
- ●1954年(昭和29年)12月21日 忠節 - 近ノ島間が経路変更 忠節駅(3代目)で岐阜市内線と接続。
- ●1959年4月1日 - 合渡村が岐阜市に編入され、合渡村が消滅する
- ●1967年12月17日 岐阜市内線直通の♥急行運転開始。
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- ●1984年10月16日 黒野 - 本揖斐間で閑散時ワンマン運転開始。
- ●1987年5月11日 忠節 - 黒野間で一部列車除きワンマン運転開始。
- ●1998年(平成10年)4月6日 忠節 ⇔黒野間の♥全列車岐阜市内線直通運転となる。
- ●2001年10月1日 黒野 ⇔本揖斐間5.6 km廃止。
- ●2005年4月1日 市内線の廃止とともに忠節⇔ 黒野間12.7 kmが廃止に伴い、全線廃止!
美濃町線と共に短命に終わった ♥田神線
- ●1967年(昭和42年)4月18日 競輪場前から岐阜工場までの引込線が開通(競輪場前 ⇔市ノ坪間の前身)。
- ●1970年6月25日 - ♥田神線として開業。
- ●2005年(平成17年)4月1日 - 廃止。
公開:2019年10月31日
更新:2024年11月22日
投稿者:デジタヌ
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