狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載《 TokyoMetro 豊住線建設は区民・都民の為なのか?... 》ー第6回ー

第6回 江東区内の公共鉄道網発達史と豊住線妄想?の背景とは

第1項 江東区(江戸川区、西船橋)方面からの東西線の混雑緩和が最大の大義名分!

混雑率200%超!(※31)で"東京屈指の混雑区間"は東西線の木場⇔門前仲町 区間

その原因は東西線はnode station(結節駅)が充実した路線で、西船橋(八千代台中央)方面からの都内への通勤客の利用にとっては、非常に利便性の高い路線!であることがあげられます。

更に、多少余裕のある有楽町線を利用して池袋・有楽町←(東陽町)→住吉間に直通便を振り当てたとしても...

現状でも新木場での有楽町線⇔京葉線乗り換えは敬遠されがちです。(※21)、態々乗り換え接続が不利な有楽町線を、利用する江東区民はごく少数に限られるでしょう!

更には千葉方面(豊洲⇔新木場間)の減便に繋がってしまいます!

つまり、"虻蜂取らず"で「都民汲み出し効果」につながるどころか...

短絡線・豊住線(紫ライン)を建設しても、あまり効果は期待できません!

参※21)当サイト関連記事 東京メトロ 有楽町線 が JR京葉線 に直通するには... はこちら。

参※)定員とは「着座席数とつり革数」を足した数で、通常新聞・雑誌(スマホ)が読める程度の余裕を見込んで150%を"想定満員"状態として設計されていますつまり200%以上Max300%はもう限度を超えた"通勤地獄"状態です...謹んでお悔やみ申し上げます?

西船橋からだと

門前仲町(都営大江戸線)

茅場町(千代田線)

日本橋(都営浅草線、銀座線、)

大手町(日比谷線、丸の内線、千代田線、都営三田線)

とお堀端のビジネス街に至便となっています。

九段下(半蔵門線、新宿線)

更に、新宿新都心にも。

これらの通勤路線への乗り換えは有楽町線、半蔵門線では置き換えが出来ない利便性となっています。

第2項 江東区の鉄道発達小史

総武線

1904年3月29日:総武鉄道(現・総武本線)亀戸駅開業。(総武鉄道 市川駅 ⇔ 佐倉駅間が開業は1894年7月20日)

同年4月5日:両国橋駅(現在の両国)⇔本所駅(現錦糸町)間が延伸開業

1933年3月15日:両国駅 ⇔市川駅間が電化。

同年1933年9月15日御茶ノ水駅 ⇔中野駅間、両国駅 ⇔ 御茶ノ水駅間の高架路線完成により中央線と直通電車運転開始。

越中島支線

1929年(昭和4年)3月20日:亀戸駅 ⇔小名木川駅間が貨物専用線として開業。
1958年(昭和33年)11月10日:小名木川駅 ⇔越中島駅(現在の越中島貨物駅)間が延伸開業

1987年4月1日:国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道に承継。
1990年3月10日:京葉線越中島駅との区別のため、越中島駅が越中島貨物駅に改称。

同時に東京レールセンター開所、

1997年10月東京液体化成品センター東京営業所の川崎市へ移転で小岩駅 ⇔越中島貨物駅間の貨物営業廃止。以後はレール出荷のみ。(3便/日)

2000年(平成12年)12月2日:小名木川貨物駅廃止。

東西線

1962年10月19日:営団地下鉄第5号線としての着工。

1966年12月7日:東陽町 ⇔西船橋間 (15.0 km) 起工

1967年9月14日:大手町 ⇔東陽町間 (5.1 km) 開業

1969年3月29日:東陽町 ⇔ 西船橋間 (15.0 km) 延伸開業(全線開業)。

有楽町線 (豊洲駅) 

1988年6月8日:豊洲⇔新富町駅 ⇔ 新木場駅間開業、全線開業。

京葉線 

1983年7月:東京貨物ターミナル駅⇔西船橋駅間旅客化認可(現りんかい線)及び東京駅⇔新木場駅間(現京葉線)の追加認可(着工)。

1990年3月10日:第3期の東京駅 ⇔ 新木場駅間が開業し全通。

りんかい線

1996年3月30日:新木場 ⇔東京テレポート間開業。
2001年2月8日:八潮車両基地(東京貨物ターミナル隣接)供用開始。

大江戸線

1991年12月10日:都営12号線として光が丘駅 ⇔練馬駅間部分開業。

1992年2月1日:東京都地下鉄建設が環状部を着工。

2000年12月12日、全線開業。

半蔵門線 水天宮⇔押上間 (住吉駅)

1993年12月6日:水天宮前⇔ 押上間の着工。

2003年3月19日:水天宮前 ⇔押上間 (6.0 km) 開業(営団最後の新規開業区間!)

♥ゆりかもめライン

1995年11月1日 - 東京臨海新交通臨海線(愛称・ゆりかもめ)として新橋駅(仮駅)⇔有明駅間部分開業。

2006年3月27日 - 有明駅⇔豊洲駅間延伸開業。

第3項 バブル景気を境に国と袂を分かった東京都!

通勤5方面作戦が始まったのは、国鉄時代にさかのぼり、敗戦後の復興期から高度成長期の真っただ中にかけて、日本経済が急成長して、帝都を取り巻く鉄道網の貧弱さが露呈した時代にさかのぼります!

旧国鉄幹線と山手線・京浜東北線などでは列車便数の少なさもあって、300%を超える通勤地獄が続いていました。

(東京メトロ東西線などでは今も変わらない?!)

第1目 新宿宮殿は見栄の塊にすぎない東京都は財政破綻寸前!だった

美濃部共産党知事時代は、「共産党特有の見栄」を張り北朝鮮のように「絢爛豪華な都庁宮殿」を作って、お気楽な都民の目をくらましていましたが...

実際には、事業税を払ってくれる本社は少なく!膨大な事業所数(中小零細)に働く人達の住む「都下のベッドタウン」のインフラ整備に見合う税収はありませんでした!

何故か...答えは簡単で、大企業は"支社を構えていましたが意外や事業税の頼みの綱本店、本社」は少なかったのです!

つまり、人ばかりが増えても「思ったほどには財源(税収)」が無かったわけです。

そこで、ド派手な宮殿「都庁」とは裏腹に「地方交付税」頼みの「自転車操業」!を行っていたわけです。

(※当然この頃は旧運輸省が幅を利かせ東京都が運輸族の先生方に"日参"することになった訳ですが...)

第2目 バブル景気崩壊による不良債権処理と金融ビッグバンが

バブル景気、正確に言うと"後始末"の金融ビッグバンが火事場泥棒の成金東京都を生んでしまい、富(豊富な税収)を手にした東京都は政府(地方交付金)に頼る必要がなくなりました!

つまり...

バブル景気崩壊→不良債権処理問題→金融ビッグバン→優良企業本社の東京一極集中→財源確保→黒字財政→政府依存(地方交付金依存)体質脱却!

つまり総務省から派遣(出向)されている東京都(庁患部官吏)が、中央省庁(官僚の言う事を素直に聞かなくなった!です。

その表れが東京都都知事直轄の「東京都政策企画局調整部渉外課」が行っている首都移転断固反対プロパガンダ であり、

国土交通省が中心となって煽動!している「首都機能分散」プロパガンダです。

都民汲み出し作戦に転じた東京都

つまり、首都圏交通網の縮図?「東京メトロ」、この両派の「覇権争いの場」になってしまったわけです!

そして、東京都は通称「通勤5方面作戦」実質"都民汲み出し作戦"を推進するようになったのです!(※11)

参※11)当サイト関連記事 首都圏の" 通勤5方面作戦 "の実態は"都民汲み出し作戦!" はこちら。

 

公開:2021年3月30日
更新:2024年4月 2日

投稿者:デジタヌ

連載《 TokyoMetro 豊住線建設は区民・都民の為なのか?... 》ー第5回ーTOP連載《 TokyoMetro 豊住線建設は区民・都民の為なのか?... 》ー最終回ー


 

 



▲首都圏交通問題と Proposal reportへ戻る

 

ページ先頭に戻る