狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

米本土爆撃!に利用するはずだった千歳飛行場第2滑走路《 新千歳空港 第1回 》

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★プロローグ 米本土爆撃!重爆撃機連山の為に建設された軍用飛行場!

現在東千歳駐屯地と呼ばれている陸上自衛隊の基地は、総敷地面積約590万㎡!という陸自最大の敷地面積を誇り千歳空港の敷地面積 726万㎡に迫る規模の駐屯地です!です。

★Map1

第1項 開設は大東亜戦争中!

民間地を寄付された大日本帝国"海軍!"が、1942年(昭和17年)に第2千歳飛行場滑走路(800m)として整備したことに始まります!

そして(同年11月)1300mに延伸!されました。

太平洋戦争真っただ中の1944年に1200m第3千歳飛行場滑走路!が完成しました。

第1目 勿論両滑走路共に非舗装の"ダートトラック"でしたが...

完成したといっても、建設資材が極端に不足していた大東亜戦争末期のことです!

整備工場と駐機場だけはコンクリート舗装されていても、滑走路そのものは"ダート"です!

★当時千歳飛行場(下図中央の十時の部分)ですら1200m!しかなかった当時、終戦の1945年に第2滑走路(連山滑走路)2500m延長!が完成しました!がそれは皮肉にも8月15日でした。

※連山滑走路はアメリカ大陸爆撃!を目指した、4発重爆撃機連山の為にデザインされた発進基地でしたが...

皮肉にも、終戦後に進駐した米軍が、9月18にB-29(3機編隊)を用いて、連山滑走路から飛び立ち旧シカゴ市営空港迄、戦後初の"太平洋無着陸横断飛行"を行い、有用性を実証!しました。

第2項 軍用飛行場としての特徴

★第1目 飛行場の構造にも特徴が

一部の軍用飛行場には、敵の攻撃から航空機を護るために、掩体壕(英語版)や強化航空機用シェルター(英語版)、さらには、地下格納庫(英語版)などが設けられている。軍用機は、航空機用の武器弾薬等(英語版)の保管施設が必要になる。軍用飛行場には、防空のための対空兵器や部隊防護のための部隊が配置されることもある。《Wikipediaより引用》

2-1-1 分散された弾薬庫と大規模な♥構内軌道!網

飛行場内に分散された弾薬庫と大規模な軌間2ft(610mm )構内軌道網が整備されていた!のです。

2-1-2 当時の軍用飛行場の理想形!

旧第2・3飛行場は、旧日本海軍の軍用飛行場の特徴がよく表れています!

艦上戦闘機・艦上爆撃機・雷撃機などからなる艦載航空隊のほか、戦闘機・大型陸上攻撃機などからなる陸上航空隊も充実していた。《Wikipediaより引用》

2-1-3 現千歳基地も同様の配置 

★Map2

千歳空港については、引き込み線(専用線)のみの記載で、弾薬庫は記載しませんでしたが同様の分散配置となっていました。

1960年代の航空写真にも、(連山滑走路)同様に、滑走路周辺(現新千歳空港滑走路部分)に軽便致道跡が写っていて、弾薬庫が配置されているので、同じようにトロッコ軌道が各弾薬庫を繋いでいたと推察できます!

旧旅客ターミナルビルが開業した1963年4月1日以降に取られた航空写真では、すでに軌道は撤去されていて、1970年代の旧旅客ターミナル完成以前に、弾薬庫そのものも撤去されたみたいです。(滑走路西側に移設)

第2目 戦前は舗装など考えられなかった

建設が行われた大東亜戦争中は、土木建設機材が珍奇(※41)で、米軍のように、大型ブルドーザーなどあるはずも無く、資材も困窮していたので、整備棟以外はほとんどが無舗装の状態でした。(つまり雨が降ると使えない!)

参※41)当サイト内関連記事 舗装技術の革新が はこちら。

2-2-1 軌間2ft(610mm )の構内軌道網

★Map1

※飛行機マークの部分を拡大!してみてください

道路建設技術革新から取り残されていた北海道では、1960年代中期でも殖民軌道が建設されていたように、駐機場以外の部分の舗装など、到底不可能に近い状況でした。

2-2-1-1 弾薬輸送用に付設された軌間2ft(610mm )のトロッコ!軌道網

そこで、地図をご覧の通り飛行場内には、鉱山の採掘坑道などで、重宝がられている軌間2ft(610mm※20 )の構内軌道網が張り巡らされたわけです!

参※20)当サイト関連記事 Narrow gauge(狭軌)の盛衰史《 国際標準軌と各国標準軌 第7回 》 はこちら。

2-1-1-2 重爆撃機のサプライ路線

この軌道網は燃料や、"弾薬・爆弾"を戦闘機・大型陸上攻撃機に運ぶために、計画されたものです。

但し、後述するように「極端な機材不足で飛行場そのものが機能できなかった」上に、実際には殆どの部分が敷設もされず!に、更に敗戦後に摂取した"進駐軍"徹底的な機械化で主要移送路を再整備(舗装)したので、その時点で軌道は撤去!されてしまい、実際には運用され無かった!可能性もあります!

2-1-1-3 弾薬庫間の移送に用いる予定!だった

ピストルマークで一部のみ示しましたが、これが軍用飛行場の特徴の弾薬庫で、万が一の際に延焼を防ぐために、飛行場内に分散して設置されています。

お手軽!に爆撃機(駐機場)迄弾薬・爆弾を運ぶ手段として、"軌間2ft(610mm )のトロッコ!"が大活躍!する予定だったのです

2-1-1-4 陸自の射撃目標!に

皮肉にも、現在は陸自実弾演習目標!として再利用されています。

第3目 誘導路は併設され無かった

地図をご覧いただければお分かりのように、主滑走路に並行した並行誘導路!が見当たり魔線!

当時(も今!も)軍用飛行場では、滑走路に沿った部分にエプロンと整備棟を作り、滑走路そのものを誘導路!に使用していたからです。

特に第3滑走路(連山爆撃機専用滑走路)は、端部に駐機場を設ける方式ですぐに飛び立てるようになっていました。

当時としては立派(国内最大!)な2500mの連山滑走路は、重爆撃機"連山"に燃料を満載してアメリカ本土!爆撃を念頭に置いて計画されたのすが、開所当時の1200mの第3千歳飛行場滑走路も、燃料を満載した護衛機が飛び立てるように配慮したものだったのでしょうが...

前途の通り完成が遅すぎ!、かつ極端な資材(設備未整備)不足!でどちらも役には立て魔線!でした。

第3項 図らずも1950年に勃発した朝鮮動乱が

第1目 敗戦後に進駐軍が接収!

滑走路は、敗戦後に進駐軍が接収して整備された連山滑走路は、

1950年6月25日に勃発した、朝鮮戦争では兵員輸送B29の出撃基地として活躍!できたようです。

第2目 朝鮮戦争停戦後に廃止

その後は前途した通り、千歳空港に集約されて、陸自の基地となってからは演習場として使われ、滑走路としては使用されなくなったようです。

そして、(燃料引き込み線以外の)弾薬搬送用のトロッコ網は完全撤去!され、現在では燃料引き込み線も廃線!となりました。

続きはこちら

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公開:2021年8月11日
更新:2025年9月23日

投稿者:デジタヌ

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