狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載『 千歳空港に寄り添い、陽炎(カゲロウ)の様に"儚い使命"を終えた連山飛行場!』ー第3回ー

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★第2節 全国の保存鉄道愛好家が、よだれを垂らして羨ましがる軽便鉄道網が!

旧第2・3飛行場は、旧日本海軍の軍用飛行場の特徴がよく表れています!

艦上戦闘機・艦上爆撃機・雷撃機などからなる艦載航空隊のほか、戦闘機・大型陸上攻撃機などからなる陸上航空隊も充実していた。《Wikipediaより引用》

つまり、飛行場内に分散された、弾薬庫と軽便鉄道網!です

建設が行われた大東亜戦争中は、土木建設機材が珍奇(※41)で、米軍のように、大型ブルドーザーなどあるはずも無く、資材も困窮していたので、整備棟以外はほとんどが無舗装の状態でした。(つまり雨が降ると使えない!)

参※41)当サイト内関連記事 舗装技術の革新が はこちら。

道路建設技術革新から取り残されていた北海道では、1960年代中期でも殖民軌道が建設されていたように、駐機場以外の部分の舗装など、到底不可能に近い状況でした。

そこで、地図をご覧の通り飛行場内には、"軽便鉄道網"が張り巡らされていたわけです!

この鉄道は、"弾薬"を戦闘機・大型陸上攻撃機に運ぶために、敷設されたものです。

但し、後述するように「極端な機材不足で飛行場そのものが機能できなかった」上に、実際には殆どの部分が敷設もされずに、更に戦後摂取した進駐軍が、徹底的な機械化で主要移送路を再整備(舗装)したので、その時点で軌道は撤去されてしまい、実際には使用されなかった可能性もあります!

ピストルマークで一部のみ示しましたが、これが軍用飛行場の特徴の弾薬庫で、万が一の際に延焼を防ぐために、飛行場内に分散して設置されています。

お手軽に爆撃機(駐機場)迄運ぶ施設として、"軽便鉄道"が大活躍していた(する予定だった?)わけです、皮肉にも、現在は、陸自の実弾演習目標として再利用?されています!

飛行場の構造にも特徴が

一部の軍用飛行場には、敵の攻撃から航空機を護るために、掩体壕(英語版)や強化航空機用シェルター(英語版)、さらには、地下格納庫(英語版)などが設けられている。軍用機は、航空機用の武器弾薬等(英語版)の保管施設が必要になる。軍用飛行場には、防空のための対空兵器や部隊防護のための部隊が配置されることもある。《Wikipediaより引用》

地図をご覧いただければお分かりのように、主滑走路に並行した誘導路!が見当たりません!

これは、当時は、滑走路に沿った部分に駐機場と整備棟を作り、滑走路そのものを誘導路に使用していたからです。

特に第3滑走路は、端部に駐機場を設ける方式ですぐに飛び立てるようになっていました。

多分、当時としては立派なの2500mの連山滑走路は、重爆撃機に燃料を満載して対ソ戦(中国大陸往復飛行)を念頭に置いて計画されたのでしょう、勿論延長1200mの第3千歳飛行場滑走路も燃料を満載した護衛機が飛び立てるように配慮したものだったのでしょうが...

前途の通り完成が遅すぎ、かつ機材が極端に付属していたのでどちらも役には立てませんでした!が...

図らずも1950年に勃発した朝鮮動乱が

滑走路は、敗戦後に進駐軍が接収して整備した様で、1950年6月25日に勃発した、朝鮮戦争では兵員輸送B29の出撃基地として活躍できたようです。

その後は前途した通り、千歳空港に集約されて、陸自の基地となってからは演習場として使われ、滑走路としては使用されなくなったようです。

そして、燃料引き込み以外の弾薬搬送用の軽便路線網は撤去されて行き、現在では燃料引き込み線も廃線となりました。

千歳空港については、引き込み線(専用線)のみの記載で弾薬庫は記載しませんでしたが同様の分散配置となっていました。

1960年代の航空写真にも、(連山滑走路)同様に、滑走路周辺(現新千歳空港滑走路部分)に軽便致道跡が写っていて、弾薬庫が配置されているので、同じように軽便軌道が各倉庫を繋いでいたと推察できます!

旧旅客ターミナルビルが開業した1963年4月1日以降に取られた航空写真では、すでに軌道は撤去されていて、1970年代の旧旅客ターミナル完成以前に、弾薬庫そのものも撤去されたみたいです。(滑走路西側に移設)

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公開:2021年8月11日
更新:2024年2月21日

投稿者:デジタヌ

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