狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載『 千歳空港に寄り添い、陽炎(カゲロウ)の様に"儚い使命"を終えた連山飛行場!』ー第2回ー

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★第1節 千歳飛行場(大日本帝国海軍航空隊基地)の変遷

1953年まで現在の千歳飛行場(空自基地)は下図のような形でした。

第日本国海軍千歳海軍航空隊の生い立ち

千歳海軍航空隊は1939年に木更津飛行場!で組織された大湊要港部に属した千歳空として誕生した航空隊が、

千歳海軍航空隊(ちとせかいぐんこうくうたい)および1942年(昭和17年)11月1日に改称された第七〇三海軍航空隊は、...大東亜戦争に戦闘機部隊、攻撃機部隊として従事した。

1941年(昭和16年)1月15日、四連空は第十一航空艦隊第二十四航空戦隊に改称...サイパン・パラオ・マーシャルで訓練後、秋に木更津へ帰還。ただし戦闘機隊は独ソ開戦直後に千歳へ帰還。

その後千歳空は七〇三空に改組されて

1942年(昭和17年)11月1日、「第七〇三海軍航空隊」に改称。...

千歳飛行場には隣接して第41空廠も建設されており、千島列島方面の哨戒任務に従事した各種航空隊にとって重要な補給基地として、また疎開してきた教育航空隊の訓練場として終戦まで活用された

第1項 陸自・東千歳駐屯地の生い立ち

千歳第2空港滑走路、第3空港滑走路は、敗戦後に進駐軍(米軍)が千歳空港と共に接収して、千歳飛行場の緊急時予備用として運用を始めました。

千歳飛行場は

●1939年11月5日 - 千歳海軍航空隊が開庁。1200m×80mの直角に交差した滑走路を有し、着陸場は大日本帝国海軍の飛行場となる。

1944,10,30撮影大東亜戦争中の日本海軍航空隊基地の様子

1948/04/22(昭23) 撮影米軍の航空写真

●1953年(昭和28年)10月 - 西側滑走路の改良を完了、2700m×45mとなる。

戦後進駐軍によって回収された姿1953,5,6札駅米軍撮影航空写真

現在の姿(千歳基地)になったのが1962,6,13で航空写真で伺えます。

戦後は米軍が進駐し、1951年(昭和26年)からは(千歳飛行場には)日本航空東京線の乗り入れが開始された。1957年(昭和32年)より米軍から航空自衛隊に所有権が移り、1988年(昭和63年)に新千歳空港が開業するまで、北海道の空の玄関口として、また、対ソ最前線の警戒基地としての二面性で広く知られていた。《Wikipediaより引用》

前途したアメリカ軍の縮小撤退に伴って第1・第2地区はキャンプ千歳補助施設(FAC 1002)と改称し、施設は次第に第3地区(キャンプ千歳、FAC 1054)へ集約されるようになりました。

第1・第2地区は部隊の撤退に伴う自衛隊への施設移管や一部返還を経てキャンプ千歳補助施設Camp Chitose Annex、FAC 1002)に名称変更し、1976年(昭和51年)に全面返還されましたが、一部のエリアは返還されずに残っています。

千歳空港の滑走路が1300m→2700mとなったのは1953年10月 になってから

ジェット戦闘機対応でその滑走路が1300m→2700mとなったのは1953年10月 の事で、

また、1957年(昭和32年)に千歳飛行場からアメリカ空軍の戦闘部隊が撤退して(三沢飛行場に移駐)変わって翌年には管制業務が航空自衛隊第二航空団設置に返還され、1959年(昭和34年)に飛行場は正式に航空自衛隊へ移管されました。

旧2・第3飛行場周辺は

1951年(昭和26年)にオクラホマ州第45歩兵師団12,000名がアメリカ本土から移駐した際に大量の兵舎が建設され、射撃場や弾薬庫の設置によって付近一帯は演習場として接収区域が拡大し、千歳第2地区(Chitose II)および千歳第3地区(Chitose III)として本格的なキャンプとなった。《Wikipediaより引用》

朝鮮戦争の休戦協定が成立した1953年にアメリカ陸軍の戦闘部隊は本土への帰還を開始して、1956年(昭和31年)までに撤退が完了しました。

1954年にそれまで警察予備隊だった陸上自衛隊が発足して東千歳駐屯地が新設されると同時に、

小月駐屯地、北千歳駐屯地、浜松駐屯地、北千歳駐屯地、館駐屯地から東千歳駐屯地へ連帯が移駐して集結してました、前途したように千歳空港滑走路の整備が進んだので、この時点で、ダート滑走路のままだっ第2千歳飛行場(連山飛行場)第3飛行場は使用されなくなりました!

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公開:2021年8月11日
更新:2024年2月21日

投稿者:デジタヌ

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