タヌキがゆく《狸穴総研機関誌・狸穴ジャーナル》

千歳空港は2か所にあった!陽炎のように終わった連山飛行場!

空自千歳基地は連山飛行場に移転して陸自千歳駐屯地と統合すべきでは?

地元の方以外には現在の千歳空港以外に、"ほぼ同規模の巨大な軍用飛行場"があったことをご存じの方は少ないでしょう!

《 Future traffic network conceptionⅠ 》広域交通網提言 第1回

大東亜戦争中に開所されながらも、建設資材難と機材(飛行機)不足で十分に機能できず、1945年敗戦と同時に進駐軍が接収して飛行場として機能しだし、1950年の朝鮮動乱で兵員輸送の拠点として大活躍が始まり、1956年の米陸軍部隊の完全撤退と共に飛行場としての短い一生を終えた連山飛行場...

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《 Future traffic network conceptionⅠ 》の総合目次

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プロローグ 21世紀の交通網は発想の大転換が必要では!

明治維新後に訪れた文明開化の象徴"鉄道"が全ての陸上交通を担う時代はとっくに終わっています!鉄道万能論の発想は断捨離すべきでしょう!

第2回 青森県第2の都市 八戸 に海上新空港を!

インバウンド観光客を呼び込むには、東北新幹線だけでは力量不足です!新八戸空港整備事業こそが21世紀の八戸市と旧南部藩にある周辺都市の生き残り!のキーを握っているのでは?

第3回 ミニ新幹線 を採用した 秋田新幹線 山形新幹線 は 整備新幹線 が目指すべき姿!

秋田新幹線・と山形新幹線が、並行在来線問題がない在来線区間への「ミニ新幹線乗り入れ」こそが地方創生、地方経済活性化の決め手となることを立証しました!

第4回 第2・東北新幹線 で大宮⇔新宿⇔品川が結ばれれば...

北海道新幹線東京⇔札幌間4時間の壁を破るには、東北新幹線 の 速度向上 だけでは限界があります!根本解決するには第2ルート建設しか道は無いでしょう!

第5回 敦賀空港 建設で嘗ての敦賀藩・敦賀港の繁栄が...

敦賀湾に「敦賀空港」を建設すれば高速道路網で繋がった「空港を持たない」滋賀県・京都府北部の新たな空の玄関口として嘗ての国際港・敦賀市の栄華が戻るでしょう!

第6回 旧小浜藩・小浜県・現 小浜市 の皆さん 江若自動車道 を誘致しましょう!

旧小番藩領内?の アクセス改善には北陸新幹線小浜通過より無料自動車専用道「江若自動車道」を誘致したほうが良いのでは...

第7回 陰陽連絡鉄道整備が" ヤマカゲ "に隠れた 鳥取 島根 両県の存亡のキーを握っている!

現在陸運の99%はトラック輸送に頼っていますが、格段の技術革新を遂げない限りは、総重量25tonを超える大型トラックの完全EV化は困難!です!脱炭素社会の実現には電化鉄道!が必須なのです。

第8回 忘れ去られた嘗ての長崎本線!"大村線"

年老いた有力者?たちが「国民の血税」を使って、少年の頃からの夢であった「実物大のプラレール?」ごっこに邁進しているだけではないでしょうか。.

第9回 長崎新幹線 に代わる博多⇔唐津⇔伊万里⇔佐世保を結ぶ高規格鉄道"新北九州鉄道"設立提案!

与党運輸族が自らの責任問題を棚に上げて、長崎新幹線・全線開業を企てています!佐賀県知事も結局折れて、妥協案を飲もうと考えているようですが...佐賀県には隠し玉があることをお忘れでは?

Annnex1 " 軍部 "と" 政治家 "に翻弄された 大廻り迂回路 、廃線 の歴史

前代未聞の政治大廻り線「北陸新幹線・小浜・松井山手ルート」、中央東線の大八回りどころの騒ぎではありません!嘗ての長崎本線 佐世保回りをもはるかに凌ぐ168㎞もの大回が...

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プロローグ 実業家の用地寄付で生まれた軍用飛行場!

※当サイトで用いた復元データは、全て国土地理院の公開航空写真データに基づいています。

但し数m程度の誤差があることはご了承願います。

現在東千歳駐屯地と呼ばれている陸上自衛隊の基地は、総敷地面積約590万m2という陸自最大の敷地面積を誇り、千歳空港の敷地面積 726万m2に迫る規模の駐屯地です!です。

開設は大東亜戦争中!

民間地を寄付された大日本帝国海軍が、1942年(昭和17年)に第2千歳飛行場滑走路(800m)として整備したことに始まります!その後1300mに延伸された滑走路の東隣、太平洋戦争真っただ中の1944年に1200mの第3千歳飛行場滑走路が完成しました!

勿論両滑走路共に非舗装の"ダートトラック"です!

完成したといっても、建設資材が極端に不足していた大東亜戦争末期のことです!

整備工場と駐機場以外だけはコンクリート舗装されていても、滑走路そのものは"ダート"です!

当時千歳飛行場(中央の十時の部分)ですら1200mしかなかった当時、終戦の1945年に第2滑走路(連山滑走路)の2500m延長が完成しました!がそれは皮肉にも8月15日でした。

第1節 千歳飛行場(大日本帝国海軍航空隊基地)の変遷

1953年まで現在の千歳飛行場(空自基地)は下図のような形でした。

第日本国海軍千歳海軍航空隊の生い立ち

千歳海軍航空隊は1939年に木更津飛行場!で組織された大湊要港部に属した千歳空として誕生した航空隊が、

千歳海軍航空隊(ちとせかいぐんこうくうたい)および1942年(昭和17年)11月1日に改称された第七〇三海軍航空隊は、...大東亜戦争に戦闘機部隊、攻撃機部隊として従事した。

1941年(昭和16年)1月15日、四連空は第十一航空艦隊第二十四航空戦隊に改称...サイパン・パラオ・マーシャルで訓練後、秋に木更津へ帰還。ただし戦闘機隊は独ソ開戦直後に千歳へ帰還。

その後千歳空は七〇三空に改組されて

1942年(昭和17年)11月1日、「第七〇三海軍航空隊」に改称。...

千歳飛行場には隣接して第41空廠も建設されており、千島列島方面の哨戒任務に従事した各種航空隊にとって重要な補給基地として、また疎開してきた教育航空隊の訓練場として終戦まで活用された

第3節 陸自・東千歳駐屯地の生い立ち

千歳第2空港滑走路、第3空港滑走路は、敗戦後に進駐軍(米軍)が千歳空港と共に接収して、千歳飛行場の緊急時予備用として運用を始めました。

千歳飛行場は

●1939年11月5日 - 千歳海軍航空隊が開庁。1200m×80mの直角に交差した滑走路を有し、着陸場は大日本帝国海軍の飛行場となる。

1944,10,30撮影大東亜戦争中の日本海軍航空隊基地の様子

1948/04/22(昭23) 撮影米軍の航空写真

●1953年(昭和28年)10月 - 西側滑走路の改良を完了、2700m×45mとなる。

戦後進駐軍によって回収された姿1953,5,6札駅米軍撮影航空写真

現在の姿(千歳基地)になったのが1962,6,13で航空写真で伺えます。

戦後は米軍が進駐し、1951年(昭和26年)からは(千歳飛行場には)日本航空東京線の乗り入れが開始された。1957年(昭和32年)より米軍から航空自衛隊に所有権が移り、1988年(昭和63年)に新千歳空港が開業するまで、北海道の空の玄関口として、また、対ソ最前線の警戒基地としての二面性で広く知られていた。《Wikipediaより引用》

前途したアメリカ軍の縮小撤退に伴って第1・第2地区はキャンプ千歳補助施設(FAC 1002)と改称し、施設は次第に第3地区(キャンプ千歳、FAC 1054)へ集約されるようになりました。

第1・第2地区は部隊の撤退に伴う自衛隊への施設移管や一部返還を経てキャンプ千歳補助施設Camp Chitose Annex、FAC 1002)に名称変更し、1976年(昭和51年)に全面返還されましたが、一部のエリアは返還されずに残っています。

千歳空港の滑走路が1300m→2700mとなったのは1953年10月 になってから

ジェット戦闘機対応でその滑走路が1300m→2700mとなったのは1953年10月 の事で、

また、1957年(昭和32年)に千歳飛行場からアメリカ空軍の戦闘部隊が撤退して(三沢飛行場に移駐)変わって翌年には管制業務が航空自衛隊第二航空団設置に返還され、1959年(昭和34年)に飛行場は正式に航空自衛隊へ移管されました。

旧2・第3飛行場周辺は

1951年(昭和26年)にオクラホマ州第45歩兵師団12,000名がアメリカ本土から移駐した際に大量の兵舎が建設され、射撃場や弾薬庫の設置によって付近一帯は演習場として接収区域が拡大し、千歳第2地区(Chitose II)および千歳第3地区(Chitose III)として本格的なキャンプとなった。《Wikipediaより引用》

朝鮮戦争の休戦協定が成立した1953年にアメリカ陸軍の戦闘部隊は本土への帰還を開始して、1956年(昭和31年)までに撤退が完了しました。

1954年にそれまで警察予備隊だった陸上自衛隊が発足して東千歳駐屯地が新設されると同時に、

小月駐屯地、北千歳駐屯地、浜松駐屯地、北千歳駐屯地、館駐屯地から東千歳駐屯地へ連帯が移駐して集結してました、前途したように千歳空港滑走路の整備が進んだので、この時点で、ダート滑走路のままだっ第2千歳飛行場(連山飛行場)第3飛行場は使用されなくなりました!

第4節 全国の保存鉄道愛好家が、よだれを垂らして羨ましがる軽便鉄道網が!

旧第2・3飛行場は、旧日本海軍の軍用飛行場の特徴がよく表れています!

艦上戦闘機・艦上爆撃機・雷撃機などからなる艦載航空隊のほか、戦闘機・大型陸上攻撃機などからなる陸上航空隊も充実していた。《Wikipediaより引用》

つまり、飛行場内に分散された、弾薬庫と軽便鉄道網!です

建設が行われた大東亜戦争中は、土木建設機材が珍奇(※★)で、米軍のように、大型ブルドーザーなどあるはずも無く、資材も困窮していたので、整備棟以外はほとんどが無舗装の状態でした。(つまり雨が降ると使えない!)

参※★)当サイト内関連記事 舗装技術の革新が はこちら。

道路建設技術革新から取り残されていた北海道では、1960年代中期でも殖民軌道が建設されていたように、駐機場以外の部分の舗装など、到底不可能に近い状況でした。

そこで、地図をご覧の通り飛行場内には、"軽便鉄道網"が張り巡らされていたわけです!

この鉄道は、"弾薬"を戦闘機・大型陸上攻撃機に運ぶために、敷設されたものです。

但し、後述するように「極端な機材不足で飛行場そのものが機能できなかった」上に、実際には殆どの部分が敷設もされずに、更に戦後摂取した進駐軍が、徹底的な機械化で主要移送路を再整備(舗装)したので、その時点で軌道は撤去されてしまい、実際には使用されなかった可能性もあります!

ピストルマークで一部のみ示しましたが、これが軍用飛行場の特徴の弾薬庫で、万が一の際に延焼を防ぐために、飛行場内に分散して設置されています。

お手軽に爆撃機(駐機場)迄運ぶ施設として、"軽便鉄道"が大活躍していた(する予定だった?)わけです、皮肉にも、現在は、陸自の実弾演習目標として再利用?されています!

飛行場の構造にも特徴が

一部の軍用飛行場には、敵の攻撃から航空機を護るために、掩体壕(英語版)や強化航空機用シェルター(英語版)、さらには、地下格納庫(英語版)などが設けられている。軍用機は、航空機用の武器弾薬等(英語版)の保管施設が必要になる。軍用飛行場には、防空のための対空兵器や部隊防護のための部隊が配置されることもある。《Wikipediaより引用》

地図をご覧いただければお分かりのように、主滑走路に並行した誘導路!が見当たりません!

これは、当時は、滑走路に沿った部分に駐機場と整備棟を作り、滑走路そのものを誘導路に使用していたからです。

特に第3滑走路は、端部に駐機場を設ける方式ですぐに飛び立てるようになっていました。

多分、当時としては立派なの2500mの連山滑走路は、重爆撃機に燃料を満載して対ソ戦(中国大陸往復飛行)を念頭に置いて計画されたのでしょう、勿論延長1200mの第3千歳飛行場滑走路も燃料を満載した護衛機が飛び立てるように配慮したものだったのでしょうが...

前途の通り完成が遅すぎ、かつ機材が極端に付属していたのでどちらも役には立てませんでした!が...

図らずも1950年に勃発した朝鮮動乱が

滑走路は、敗戦後に進駐軍が接収して整備した様で、1950年6月25日に勃発した、朝鮮戦争では兵員輸送B29の出撃基地として活躍できたようです。

その後は前途した通り、千歳空港に集約されて、陸自の基地となってからは演習場として使われ、滑走路としては使用されなくなったようです。

そして、燃料引き込み以外の弾薬搬送用の軽便路線網は撤去されて行き、現在では燃料引き込み線も廃線となりました。

千歳空港については、引き込み線(専用線)のみの記載で弾薬庫は記載しませんでしたが同様の分散配置となっていました。

1960年代の航空写真にも、(連山滑走路)同様に、滑走路周辺(現新千歳空港滑走路部分)に軽便致道跡が写っていて、弾薬庫が配置されているので、同じように軽便軌道が各倉庫を繋いでいたと推察できます!

旧旅客ターミナルビルが開業した1963年4月1日以降に取られた航空写真では、すでに軌道は撤去されていて、1970年代の旧旅客ターミナル完成以前に、弾薬庫そのものも撤去されたみたいです。(滑走路西側に移設)

エピローグ 第2千歳飛行場の復活で空自の移転を

第2滑走路は完全になくなってはいない!

Googlarthをご覧になれば一目瞭然、第2・第3滑走路共に復元!再利用可能です!

現在頻発している新千歳空港御侵入の問題解消にも

現在千歳空では新空港(民間機専用)と千歳空港(空自専用基地)との御侵入の問題が大きくなっています。

空自を連山飛行場に移転して、陸自と基地を統合すれば、この問題はなくなるでしょう!

滑走路・誘導路、格納庫・整備工場などを再整備する際に、米軍と共用している無線等塔も移設すれば問題はありません!

日本国政府に返還されたが民間には...

590ヘクタールもの広大な敷地は、前途したように、もともとの第2千歳空港滑走路(2700m)第3滑走路1200mの用地以外に、敗戦後進駐軍が民間(牧草地?)からも用地を摂取して拡張したものですが...

日本国政府に返還された後も"国有地"のまま民間には返還されていません!

つまり、陸自の演習場(遊び場?)だけに使用するのはまことに「モッタイナイお話」となります!

移転が必要な訳

その1)軍事基地は駅から離れていても問題ない

現状ジェット燃料輸送は(テロ対策上)「秘密ルートのパイプライン」で輸送されていて貨物線・タンク車による搬送の必要はなくなっています!

嘗ては千歳飛行場(現千歳基地)、第2滑走路(連山飛行場)共に図中に占める燃料輸送専用線で、航空機燃料(ガソリン)が運ばれていましたが、現在は両線共に廃止されて、千歳空港への燃料(ジェット燃料)ゆいそうはパイプライン化されています!

その2)安全性の確保

新千歳空港、空自千歳基地の御侵入防止のためにも

第2滑走路側を最オ整備し直して、第3滑走路側の広大な敷地を演習場に使用すればよいのではないでしょうか?

千歳飛行場側には、滑走路は平行に2,700mと3,000mの2本がある。後者は900mの過走帯があり、実質4,000m級である。新千歳と併せて4本の滑走路があり、これらはほぼ並行している。2本ずつ同じ方向に隣接した滑走路は、パイロットからも混同される場合がある。大事には至っていないものの、空港北側からアプローチする場合を中心に、千歳飛行場との滑走路の誤認が、2006年までの3年間に11件発生しており、その対策が課題となっている。《Wikipediaより引用》

つまり、民間機専用の"国際空港"と軍用空港は離すべきです!

現状千歳基地・新千歳空港の管制業務は自衛隊で一元化されています、、両空港合わせて2本づつ滑走路があり合計4滑走路が運用されているわけですが、実質空路の重複部分があり!国防上

大切なスクランブル発進にも田町の支障が...

その3)24時間国際ハブ空港として

現状、コロナ過で大減便されている空輸業界ですが...『悪いこともそう長続きしません?』

航空需要が回復(コロナ終息後早くても5年はかかるといわれている)すれば、"北海道国際空港"はアジアのハブ空港として、旅客・物流の拠点空港になれる可能性があります!

現状旅客はは、point to pointの時代となり、世界の都市間を直移設結ぶ時代となり、ジャンボ機やエアバス380が大活躍する時代では無くなりましたが...

コロナ過の現状でも衰えを見せない航空貨物が航空業界を下支えしている状況です。

ICTが今以上に進めば進むほど、ますます航空貨物尾の重要性が増すことでしょう!

滑走路4本を以上を備えた24時間空港はまだアジアでも少なく、北海道国際空港が、世界に打って出れる良いチャンスです!

その4)千歳基地の立地は危険

千歳市の都市化(宅地化)がすすみ、千歳基地の飛行経路には民家が増えました!

現状のままだと、予備燃料タンク落下事故などの航空機災害も懸念されるようになってきました!

連山飛行場ならば、近くに民家が無いので、軍用機による事故防止にもなります!

さらにt連山滑走路西側に新第4滑走路を新設すれば、大型輸送機の離発着も可能になります!

5)国有地の有効利用

590ヘクタールもの広大な国有地を、陸自の演習場だけに使うのはいくら北海道と言えども「もったいな」すぎます!

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後書き《 Future traffic network conception 》シリーズについて

本シリーズでは、トランスポーターの種類に拘らず!に『近未来の"交通網"のあるべき姿』を模索してみました。

"利用者"であり出資者(納税者)でもある一般市民の立場に立って、コストパフォーマンス(費用 対 効果 )について総合的な検討を加えて、その地域にあった"交通体系"を提言しています。

森羅万象すべては"お互い相互に影響しあってカオス状態"で変化しており、"何かをいじれば、バタフライ効果"で、思わぬ結果を生んだりもします。

到達時間を最優先にスピードだけを追求すれば、莫大な設備投資が必要となり、結果きわめて非効率な高額交通機関に...

"都市機能の変化"(成長・衰退)を無視した構想では、需要と供給の関係がアンバランスで結局は大失敗に...

長年培ってきた"経験(職歴&見識)と勘(アルゴリズム)"に下ずいて"これからの広域交通網"の向かうべき姿を検討してみました。

狸穴総合研究所 広域交通問題研究室 出自多留狸

 

公開:2021年8月11日
更新:2021年9月16日

投稿者:デジタヌ

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