連載《親露派の売国奴!が信奉する世界最大規模の" 鉱山鉄道"シベリア鉄道 とは...》ー最終回ー
バイカル湖は Trans-Asian Railway としての Транссибирская магистраль 建設の問題ではありませんでした!
何故ならバイカル湖は"びわ湖"同様にほぼ南北に横たわっているので、東西交通である"シベリア横断"にはさほどの障壁でもありません!
現に後年建設された Байкало-Амурская магистраль(バム鉄道;第2シベリア鉄道)は北をかすめています。
Транссибирская магистральの最大の problem&barrierは永久凍土上にあるтундра(ツンドラ) & Тайга(タイガ)で覆われた湿原・湖沼地帯なのです!
ロシア(シベリア)を流れる大河がけたはずれな規模で、例えば有名なオビ川では日本で言うところの"河川敷き"の幅は狭いところでも10㎞→50㎞!以上あり、支流と交わる個所では湿原・湖沼地帯(тундра & Тайга)が250㎞以上の範囲に渡って広がっているからです!
北海道にある釧路湿原などの"チッポケ"な規模?ではなく、北海道全域がすっぽり収まるぐらい広大だからです!
実際に、当初計画されたТомск(トムスク)⇔Москваを直接結ぶルートは、当時の技術では建設できないとして断念されています。
※オビ川河口部Яр-Сале(ヤル=サレ)⇔Салехард(サレハルト)間約275㎞を5時間40分から6時間40分で結ぶフェリーの動画。
スマホのGPSで分かるように、分流の一本を航行している状態で、湖と勘違いしそうなスケールです!
第1目 Томск経由を目論んだのは...
Томск(トムスク)経由を目論んだのは...
彼の地がロシアのWater transportationの大動脈オビ川の支流に当たるトミ川河畔に1604年に建設したfort(砦・交易所)が元になり、1782年にcolony(植民地)の中心地Townとなり、1804年にはTomsk Prefectur(県)としてロシアに"完全併合"されて、Prefectural capital(県都)となっていたからです。
トミ川河畔に開けたТомскは後述する エカテリンブルク同様にロシアの"金蔵"の出入り口・拠点であり、当時からオビ川、トミ川水運で上流部、下流部とも繋がっていて、両河川沿いの鉱山開発が進んでいました、なのでモスクワと最短距離で結びたかったわけです!
東端区間では後述するように、旧満州を通過する東清鉄道を満州国に召し上げられたために、新たに現行のルートを引き直したわけですが...
クエンガから先のスレテングスを通過するシルカ川沿いのルートは、後年破棄されて(時期不明)新たに山間部を縦走すコースに付け替えられています!
これも、このルートの途中に有望な鉱床が発見されたためです。
参※)当サイト内関連記事 日本人(日本国政府)には、理解しにくい大陸民族の"ご都合主義"とは はこちら。
第1目 日露戦争が停戦できたのはシベリア鉄道が未開通だったから!
(※南側のラインが、元祖シベリア鉄道)
北側が、20世紀になってから開通した第2シベリア鉄道
1904年2月6日 の日露戦争開戦当時シベリア鉄道(1904年9月全通)のИркутска(イルクーツク)から先のバイカル湖を通過する区間は開通していませんでした!
つまり当時の大日本帝国はシベリア鉄道が全通していないことを、事前に察知していたのではないでしょうか?
なので短期決戦を狙い、1904年2月6日 に宣戦布告したのでしょう?
狙い通り当初は極東に配置されたロシア軍は"logistics(兵站)"が確保できなくて!
兵員輸送・食料・弾薬輸送共に困難を極めて苦戦しましたが、
シベリア鉄道が全通後は機関銃のおかげで善戦して、大日本帝国の予想とは異なり、戦争は長引いて日本海海戦(1905年5月27日→5月28日)でのロシア海軍の敗北で!和平協議にこぎつけ、大日本帝国が"清国にあるfort・colony(植民地)の租借権(間借り契約)を手中に収めたわけですが...
第2目 Иркутск⇔Култук間の新線区間は
最2次大戦後1949年に完成したИркутск(イルクーツク)⇔Култук(クルトュク)間も、距離短縮の為に、新線に付け替えたのではありません!
航空写真モードにすれば一目瞭然、Большой Луг(ボリショイ・ルク)に有望な鉱床が発見されたために鉱山開発が目的でした。
つまり湖西岸のКругобайка́льская желе́зная доро́га沿線には、思ったほど鉱物資源が露出していなく、再度山間部を再調査した結果、有望な鉱脈が発見されたので、新たに路線を引き直して旧線は、abandoned railroadにしたわけです!
保線を怠るとТрансполярная магистральの掲載画像のように数年で見るも無残な状態となりました。
ロシアが北極圏に近い極寒の永久凍土地帯や、ツンドラ&タイガの湿原・湖沼地帯で恒久的な?Rail-roadを,建設できるようになったのは...
USAで実用化された新技術のおかげで?
※エストニアの保線
※この動画で使用されている、軌道に埋設されたネット状のrug(敷物)が極寒エリアの不当沈下(凍土対策)に用いられるgrid-sleeperです!
フロリダなどの湿原地帯での"不当沈下"を防止する目的で開発された工法、Sleep latticeと呼ばれるLattice(格子状)のrug(敷物)grid-sleeperを応用したからです。
この手法が開発される以前のМурманск(ムルマンスク)への「最北の鉄道」では、毎年膨大な、「手間暇(人命!)とお金」をかけて、保線作業を行っていました!
しかし、冷凍倉庫内よりも低いー70℃以下!などという、極限状態ではこの手も使えません!
つまり、前途した理由でコンクリート枕木が使用で出来ない状況では耐荷重も稼げず、しかも永久凍土が"緩む"夏季数か月間は、路盤が沈み!、再び厳冬期にいると、路盤が隆起するようなシベリアでは高速鉄道の建設は不可能!な訳です。
更に、建設できても、ホッキョクグマ・シベリアタイガー、トナカイ、オオカミさんたちでは、旅客収入になりません!
今まで通り、飛行場(ヘリポート)を整備するほうが、コスパが良い現実的な解決方法なのです。
ーシリーズの続きはこちらー
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公開:2021年11月10日
更新:2024年3月21日
投稿者:デジタヌ
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