狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載《親露派の売国奴!が信奉する世界最大規模の" 鉱山鉄道"シベリア鉄道 とは...》ー第4回ー

第4回 シベリア資源開発とシベリア横断鉄道の生い立ち

ロシアが大国の道を歩み出したのは、有名なイヴァン雷帝の統治時代からと言われています。彼はまずカザン・ハン国を滅ぼして、中央アジアを手に入れterritory(領土)として、ウラル山脈以東の極東への足掛かりを得て、以後歴代の皇帝が、モンゴル、も制覇して、金国(清国から)アムールを分捕り、オスマン帝国・インド(ムガール帝国)、中國を除く、ヨーロッパ?アジア、ゲーリング海を渡りアメリカ大陸のアラスカに至るまでの広大な領土を持つ大帝国を築いたわけです。

と同時に、これらのシベリア・アジア(Russian territory)は、鉱物資源に恵まれ、超大国ロシアの背景となる"軍事力"を支える「大事な金蔵」として、金・銀・銅・鉄鉱石などのmining が活発になった訳です。

当初は、ボルガ川、等の大河を利用した水運でモスクワにお宝が運ばれ、産業革命後にsteam locomotiveが発明されるといち早く取り入れ、陸路による輸送を目指したわけです。

第1項 鉄道黎明期は

当初はフランス人土木技術者主導で始められた鉄道建設も、シベリア鉄道建設を契機に、鉱山開発が盛んだったアメリカ人「鉱山技術者」「鉄道技術者」の協力を得て、河川沿いに分け入り、人手で資源探査を行い、通過ルートが決められていったわけです。

つまり黎明期の北海道開拓と同じだったわけです。

シベリア鉄道のnodeエカテリンブルクから伸びる多くのbranch lineは

当初はtrack gauge の2 ft 5+1⁄2 in(750 mm)のRussian Narrow gaugeでforest railway(森林鉄道)として敷設されて、多くのシベリア杉をエカテリンブルクを通じて本国に運びました。

次の段階として「大地を覆うシベリア杉」がはがされて露呈(露出)した鉱脈やCoal fieldのminingに進み、colliery railway(炭鉱鉄道)に発展したわけです。

20世紀後半になって、これらのmining railwayは1,520mmのSoviet Union gaugeに改軌されて、直接本線と繋がりましが、ソ連崩壊当時迄は、20,000㎞以上のRussian Narrow gauge railway systemが構築されていたわけです!

これは、北海道東部の釧路湿原を中心に殖民軌道」(※01)が普及したのと同様に、お手軽に敷設出来て、拡張・経路変更も容易に行えたからです。

参※01)当サイト内関連記事 嘗ては手軽な輸送手段だった?"鉄道" はこちら。

第2項 ソビエト時代

ロシア革命を境として「鉄のカーテン」"完全鎖国・時代"に入ったわけですが、

同時に海外へは、国防上の理由で完全に「情報封鎖」されるようになり、シベリア開発についてはプラウダ等の海外向けのプロパガンダ映像などで、時たま一部が紹介されるだけで全く詳細は不明となった訳です。

第1目 第1次大戦を境として

第1次大戦で、航空機が急速に発達して、「未踏の大地」だったシベリア全域の地形が、空から見渡せる(航空測量)ようになりました。

つまり、(主に大河川の流域についての)「詳細な地形図」が作成できるようになたわけですた。

そして、航空写真・地図を元に地質学者、鉱山技術者が、北極圏シベリアの「地質学的に有望な"鉱脈"」の見当をつけてから、実地調査を行い、搬送手段のある大河川流域から開発の手が入ったわけです!

第2目 第2次大戦後更なる航空機の発達で

第2次大戦後さらなる航空機の発達で大型(爆撃機)による1万メートル以上の高高度・長距離調査が可能となり、北極圏シベリアの、全容が明らかとなりました!

(が勿論極秘次項(軍事機密)なので、一般人と海外には非公開でした。)

そして、大河川流域以外の地域でも、新たな鉱床が発見されて、航空測量に下ずいたpioneer road(踏査用道路):scouting road(斥候・偵察活動用道路)(※02)が建設されて資源開発が進んだわけです。

長らく西側の世界地図上では、「シベリアは白くなっているだけで」旧樺太以外は全く白地図に近い状態でした。(※1951年生まれの小生が未成年 の頃の地図帳(世界地図)では真っ白でした)

その後、有名なUSAのU2型偵察機(スパイ機)による偵察撮影で、西側にも徐々にシベリアの詳細地形が判明しだしました。

参※02)おそらくはこれらのpioneer road(踏査用道路)も前途したお手軽に建設できるRussian Narrow gauge のRail-roadだったのではないでしょうか?

第3目 科学技術の発達で

その後、"スパイ衛星"(資源探査衛星)技術が発達して、西側でもシベリアの"詳細な資源地図"がは枠出来るようになり、ソ連でも旧来の地質学(者)・鉱山技師による、埋蔵資源調査から「新しい資源探査」の時代に入ったわけです。

しかし旧ソ連の体制化では、「シベリアの資源開発」は、"軍需産業に直結するmining"以外では進まず、ソ連崩壊までその状況は続いたわけです。

第3項 社会主義王国?ソ連崩壊→新ロシア帝国の復活?で...

20世後半に統制経済・計画経済が破綻して、1991年12月26日についにソ連が崩壊して、開放経済によるロシア連邦に移行して、「欧米資本」の積極的な導入(投・融資)を仰ぐ体制となりました。

但し従来通り積極的に「資源輸出をする気は無い」のですが、資源以外に輸出するものが無く、何よりロシア本土?に効率的に資源を運ぶ手段として「第3シベリア鉄道が欲しい」わけです!

なので初めて「シベリア開発の実情」が公表されて、日本にも「ヤクート油田開発」(の国際協力?(投融資)の話が舞い込んできたわけです。

第1目 Yakutian Railwayも

Yakutian Railway(ヤクート鉄道)も前途した各地にあったRussian Narrow gauge のforest rail-roadとして建設されて、フェリー経由でЯкутск(ヤクーツク)と繋がっていましたが...

その後ソ連崩壊後にアルダン川(станция Томмот;スタンツィヤ・トモット)以遠のroadはabandoned railroad(廃線)となり、Бестужевоベストゥジェヴォ( 〒676252 アムール)駅からстанция Томмот間は1,520mmのSoviet Union gaugeに改軌されてБайкало-Амурская магистраль(バム鉄道・第2シベリア鉄道)と繋がりました。

つまりЯкутск⇔Лена(レナ)駅Байкало-Амурская магистраль間は"レナ川"で繋がっており、水運で代行できて、夏季は北極海経由で石炭・木材輸送が代行できたわけです!

更に、Oil,GasはPipelineを建設すれば鉄道より安上がりで、態々鉄道に拘って永久凍土地帯のシベリアに、後述するように無理をしてまでRoad(鐡道)を建設する必要も無かった訳です!

※」Youtubeコンテンツによれば、今もヤクーツク⇔Олекминск(オリョークミンスク:レナ川上流(約600km!)を水中翼船が14時間!表定速度23kn(約43㎞/h)で結んでいるそうです。

で結んでいるそうです。

ヴィデオ中でも触れていたようにレナ川流域の町には定期便が飛んでいるregional airport(地方空港)landing strip(滑走路、簡易空港)の整備がいきわたって無く!高速バス(どころか道路も無い!)も無く、陸の孤島状態の鉱山町が残っているので、Олекминскより上流のバム鉄道との接続駅Лена(レナ)間の1,320km!の間も、同様に、途中の町々を高速渡し舟!(水中翼船約30時間!)が結んで(乗り継ぎ)いるのでしょう?

★現在も地域住人の大事な life lineとなっているヤクーツク⇔チクシ間のレナ川航路フェリー

 

公開:2021年11月10日
更新:2024年3月21日

投稿者:デジタヌ

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