狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載《親露派の売国奴!が信奉する世界最大規模の" 鉱山鉄道"シベリア鉄道 とは...》ー第5回ー

第5回 USAより先行していた黎明期のロシア鉄道!

ロシアの鉄道網は1837年10月30日開業のЦарскосе́льская желе́зная доро́га(ツァルスコエセロ鉄道)と言われています。

Санкт-Петербург(サンクトペテルブルク)にあるстанция Павловск(パブロフスク駅)⇔станция Царское Село(ツァルスコエセロ駅)間(27 km)を、6ft!(1,829 mm)のTrack gauge"超広軌"で結びました。

第1項 世界最大規模のMining-railway(鉱山鉄道)シベリア横断鉄道

そして世界最大規模のMining-railway(鉱山鉄道)Транссибирская магистраль(シベリア横断鉄道)の建設に繋がったわけです!

第1目 現在のシベリア横断鉄道は

Транссибирская магистраль(シベリア横断鉄道)は元々、exploitation railway(開拓鉄道)Mining-railway(鉱山鉄道)としてシベリアの資源開発の為に誕生した鉄道です!

つまり当初は鉱山技師が「地質学的に有望な鉱床エリア」を結ぶ鉄道としてルート設定を行い、実際に敷設されたために最短ルートとは関係なく、鉱山地帯を這うように結ぶルートで建設されています!

なので、Забайкальскаяжелезнаядорога(トランスバイカルロード)と呼ばれるMysovaya⇔ Sretensk間の区間と、Иркутск(イルクーツク)⇔Mysovayaを結ぶКругобайкальская железная дорога(Circum-Baikal鉄道)は、共に後年両端部分が放棄されて、新ルートに置き換わっています!

第2項 但し1904に完成した対岸のБайкал(バイカル)からMysovayaまでの区間では

特に1900年開通したИркутск(イルクーツク)⇔Листвянка埠頭(リストヴャンカ)までのアンガラ川右岸のroadは完全に放棄されて、abandoned railroad(廃線)となり大部分が正しく地方道に転用されたので、何処を走っていたかも公開されておらずルートは全く不明です!

第3項 後回しにされたバイカル湖西線?

Иркутск(イルクーツク)⇔Mysovaya間に完成したКругобайкальская железная дорога(バイカル湖西線?完成したのは日露戦争の最中の1904年9月です。

Слюдянка(スリュジャンカ)⇔Байкал(バイカル)間は1949年の山岳越えのバイパス新線が完成した為に、Иркутск(イルクーツク)⇔Байкал(バイカル)間がstopped the traffic(休止線)となり。

さらにイルクーツク水力発電所のダムの建設の為に1956年には撤去されてabandoned railroadとなり、1958年にはバイカル湖から続くアンガラ川のダム湖に水没しました。

残りの区間Байкал(バイカル)⇔Слюдянка-2(スリュジャンカ-2)間89kmは現在Кругобайка́льская желе́зная доро́га(バイカル湖西線?)として、一日1往復!のDL列車と、夏場に限り観光用のSL臨時列車が運行されています。

第1目 この区間は

イルクーツクの60km東にある「長さ640km、最深部1600mのバイカル湖」が、沿線最大の障害物となった。バイカル湖南岸は山岳地帯で難工事となり、予定を大幅に遅れた。このため、1900年から工事が完成するまでの間の暫定措置として、イギリス製砕氷船を使った鉄道連絡船による(Листвянка埠頭⇔Mysovaya埠頭)鉄道車両の輸送を行った(冬は湖上に線路を敷いて列車を走らせたこともある!(※11)《Wikipediaより引用》

と言う風に日本語Wikipediaではバイカル湖の全長680kmが問題だったように表現されていますが...

参※11)当時の鉄道では、氷上の仮設線による運行はさほど珍しくはありませんでした、USAでも「大河川の架橋」が完成するまでは、各所でフェリーに代わって行われていました!

さらにバイカル湖を含むシベリアでは現在も当たり前に、厳冬期のtruck氷上輸送が行われています!

バイカル湖は地峡線にあたり

バイカル湖は"インド亜大陸"が"ユーラシア大陸"に食い込む境界に出来た湖で、北側が急峻な山岳地帯になっています、日本で言えば、山陽線沿いの六甲山系のような山系がバイカル湖に迫っている地形(、いやそれ以上)で、つまりいシベリアの玄関口モスクワからИркутск(イルクーツク)までは途中にウラル山脈もありますが比較的「なだらかなarea(空き地)」が続く丘陵地帯なので、地形的には航空写真モードで地図をご覧いただければお分かりのように、バイカル湖の西岸がびわ湖の湖西側にある比叡・比良連山のように険しい山岳地帯となっているわけです。

第2目 5年を要したのは東岸沿いではなく湖西側です!

険しかったのは、Култук(クルトュク)⇔Байкал(バイカル)間のКругобайка́льская желе́зная доро́гаで、38のトンネルと、15の石造りの橋、3つのコンクリートの橋、248の橋、268ケ所の擁壁を建設したわけです!

実際に建設費は嵩みましたが、1899年の建設開始から1904年の完成までわずか5年で完成させており、さほどの難所でもありませんでした!

※参考までに、スリュジェンカからバイカル湖の北岸沿いに、バイカル湖からИркутск(イルクーツク)に至るリカ・アンガラ川渓谷の入り口"バイカル"迄建設された、バイカル湖西線?を記入しておきましたが、御覧のように、山陽新幹線同様に「トンネルの連続」となっています!

しかし後述するように、「時間とお金」さえ費やすれば、当時の技術でも充分に建設が可能な経路でした!

 

公開:2021年11月10日
更新:2024年3月21日

投稿者:デジタヌ

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