狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載《 臨海鉄道 や 専用線 が日本の港湾都市から消えて行った訳は...》ー第7回ー

第7回 20世紀後半から21世紀初頭に昇天!した臨海鉄道

第1項 嘗て日本最大の貿易港だった新潟市の臨港鉄道網

大東亜戦争以前には、大陸への玄関口・国際港として栄え、東京市・大阪市を押さえて日本一の大都市として栄えていた旧新潟市都市圏にあった日本有数の規模を誇る臨港鉄道網!

第1目 潟臨海鉄道は

東港と黒山駅(白新線)を結んでいた新潟臨港鉄道は県営鉄道となり、現在は運休状態で、新潟トランシスの出荷路線としてのみ途中までが再利用されているようだが...

元々終点近くには集落があった路線で、新港開削事業で路線そのものが消え失せたのは誠に残念ではある!

しかし大幅に迂回して迄路線を復活してもしょうがないので、国道7号を利用したBRT路線(※61)の新設で、利便性を計るほうが得策であろう!

沿道には新潟競馬場もあり、多くの利用客が期待できるエリアでもあり、今後の市街地化にも対応できる。

参※61)当サイト内関連記事 LRTにも通じる『 都市型 BRT 』は『 日本型 BRT 』のようなローカル線廃止の方便ではない! はこちら。

★第2目 一部が生き残った新潟の臨港鉄道

新潟臨海鉄道(新潟県営鉄道)とJR線臨港線

JJR新潟港線(新潟港駅)はイベント列車用としてかろうじて生きながらえているようだが、

JR新潟臨港線は早々と店じまいした様で、...

しかし、地図をご覧のように、嘗てこの路線はフェリーターミナル、都空の玄関口新潟国際空港!の近くまで繋がっていて、用地も遊休地として残っているので、LRTとして復活させれば。

空港・フェリーの利用客の助けになるだけでなく、市街地化した沿線住人の頼りになる"生活路線"として復活できる可能性が大いに残されている!

但し別項で述べたように、新潟都市圏交通のいオーソリティー化が必須となり、路線バスと・LRTが、異なった事業者で運営されれば、またぞろ赤字をばらまくだけの存在となってしまう事は目に見えている!

市内交通は新潟交通に一元化すべきだろう!

出来れば、新潟市が中に入り、新潟県・新潟市新潟交通・JR東日本の4社で、新潟トランジットオーソリティーを設立して、JR幹線・LRT・BRT・エリア交通を担うコミュニティーバスの有機的な一体運用が望まれる。(※71)

参※71)当サイト関連記事 21世紀の都市圏交通のあるべき姿とは はこちら。

第2項 その他比較的最近まであった臨港鉄道

第1目 和歌山県営鉄道

元々は西浜にあった広大な「木場」木材加工施設の搬出用として敷設されていた。

南海電車そのものが、貨物輸送も行っており、高野線(汐見橋支線)木津川駅にも川船に積み替える広大な貨物ヤードがあり、さらには和歌山市駅から紀勢本線と繋がっていたので、無蓋貨物車両に木材を積み込み出荷していた!

その後木場は無くなり、河口(木工工場)は残ったが最早トラック輸送の時代になっていた!

そして、明石大橋海峡が出来るまで、和歌山市駅⇔和歌山港間の南海和歌山港線が残り本四間の重要ルートとして、和歌山港から南海フェリーと"高速艇"が徳島航路(小松島航路)に走り、和歌山港駅まで南海特急サザンが走り、難波⇔徳島(小松島港)を2時間で結ぶ南海ラインが活躍をしていた。

20xx年までは、途中駅も設けられていたが、築港植松町には、15号・16号を走る路線バスが高頻度で走り、途中駅の利用者が無くなり2えきは廃止された。

 

公開:2021年7月21日
更新:2024年3月21日

投稿者:デジタヌ

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