狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載《 臨海鉄道 や 専用線 が日本の港湾都市から消えて行った訳は...》ー第3回ー

第3回 海沿いに細長い島国日本における臨港鉄道・臨海鉄道の歴史

日本では、工業都市(生産地)、大都市(消費地)が港から数十キロ圏内にコンパクトに!まとまっていて、ほぼ直結しているので陸揚げ後の貨物輸送は、近距離・小分け輸送に適したトラック(セミトレーラー)輸送に取って代わられたわけです!

第1項 鉄オタたちは、単なるノスタルジーで、臨港鉄道・臨海鉄道・開発鉄道が全国から消えていったことを懐かしむが...

一部のYouTuberを除き、いい加減なYou tuberたちは、臨海鉄道が何故無くなったか?については言及していない(出来ない?)

つまり、彼らは、土建屋、や鉄道事業者その物から"拝領"した歴史資料(シナリオ?)?に下ずいて、しゃべっているだけで、突っ込んだ考察はしていない(出来ない?)訳。

鉄道事業者は、単に(貨物を含む)輸送密度が低下して、営業係数が悪化したために、廃線に追い込まれた!と"嘆く"だけだが...

何故輸送密度が低下(貨物輸送が無くなった)かは、理解していない!

つまり単なる懐古趣味、に終始している訳!

第2項 鉄道の優位性は"陸蒸気!?"

鉄道輸送の一つの利点は、船舶同様に、一度に大量の貨物を扱える点にある!

つまり、嘗て(明治維新以前は)、海路以外では不可能だった、大量の貨物を一度に捌ける点にあった。

その代表的なものが、木材(原木輸送)と、主に石炭・石灰石などの鉱物輸送、そして、液体燃料輸送!

信越本線が新潟県で算出される"原油"輸送に用いられ軽井沢⇔横河間の碓氷峠アプトラインに日本初のパイプラインが埋設されたのは有名なお話!

現在でも活躍している、臨港鉄道はいずれか一方もしくはその両方を運んでいる開発鉄道であり、旅客扱いを行っているのはごく一部に限られている!

しかも、ほとんどの路線は殖産路線(貨物輸送)が目的で、貨物駅が主体で貨物輸送開業後に後追いの形で旅客扱い駅が親切(新設)された路線も多い!

九州の筑豊炭田を網の目のように張り巡らされた出炭路線網が典型的(※11)

黒いダイヤの産出地の九州・北海道では、鉱山から船積港までの輸送手段として、多くの石炭路線が生まれ、同時に多くの殖産・開発鉄道も敷設された。

手宮線、香椎線,筑豊本線(若松港線)など

例外的に漁港からの水産物輸送の為に敷設された福島臨海鉄道、なども見られるが...多くの場合は、国鉄幹線の支線扱いのXX港線という風に港湾支線の形態をとっている路線が多い!

参※11)当サイト関連記事 もったいない 勝田線 跡地も LRT なら 復活 できる! はこちら。

第3項 臨海鉄道は幹線と港を結ぶ支線・開発鉄道として登場

第1目 鉄道黎明期の関連法規

明治初期、文明開化の時代に、全国に多くの殖産鉄道を目的とした鉄道が私鉄として生まれたわけです。

(当時は)お手軽に敷設が出来て(※11)、大量の貨物を運ぶことができる、軽便鉄道・軽便軌道が日本各地の幹線(主要都市)と港を結ぶ支線として、"人車鉄道"や馬車鉄道として開業したのです!

どの後、幹線にそのまま乗り入れられるように軌間1067mmの日本標準軌・狭軌に改軌されて、(※12)短軸貨車が港⇔主要都市間の生活物資輸送を担うようになったのです。

参※11)別項で記したように、敗戦後の復興期・高度成長期を通じて、アメリカから、大型土木機械が輸入されるまでは、道路建設は簡単には手が出せず、"人力"でRailway track(軌道)が敷設できる鉄道が、大量輸送手段としてもてはやされたわけです。

当サイト内関連記事 森林鉄道・軽便鉄道・路面電車が日本各地から消えた理由とは? はこちら

参※12)軽便鉄道と言えば、直ぐに思い浮かぶのが軌間762㎜を代表とするナローゲージの簡易鉄道を思い浮かべる方も多いでしょうが、軌間をうんぬんするものではなく、当初から1067㎜の狭軌路線として官設鉄道への貨物車両直通を狙った路線も多かったのです。

更に、1910年に軽便鉄道法として、立法化されてからは、西武鉄道のように、鉄道路線から軽便鉄道に態々登記変更する鉄道会社も現れたました。

 

公開:2021年7月21日
更新:2024年3月21日

投稿者:デジタヌ

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