狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

LRTなら勝田線廃線跡の"もったいない"遊歩道も鉄道復活 !できる...

前書き(要約) 糟屋郡の住人が尽力すれば、勝田線の復活も夢では...

福井県では一度完全廃止された京福電鉄が、3セク えちぜん鉄道 として見事に復活!を...

勝田線が無くなって志免町が鉄道不毛地帯になった事実を、当時の関係者が、旧国鉄本社に責任転嫁して嘆いているだけでは、志免町の通勤通学状況は良くなりません!

志免町・宇美町!に住む住人が力を合わせて、第3セクター"志免・宇美シティーLRT"を設立して"令和志(こころざし)ライン"として、勝田線の復活を図るべきではないでしょうか?

福井県では、住民運動で復活劇を成し得た"えちぜん鉄道"が日常の足として大活躍しています!

LRTなら勝田線廃線跡の"もったいない"遊歩道も鉄道復活 !できる... の目次

※リンクについて

(参※xx) は当サイト内の参照関連記事リンクです。
但し、その他の直接 hyper-link は当事者・関連団体の公式サイト若しくはオリジナル各国語版Wikipediaへ直接リンクしています。

※本ファンタジーについて

本レビュー記事は、出来る限りの"記録(時系列)に下ずいた史実に、地政学的!・工学的 検証"を行ってるセミドキュメンタリー!ですが...

筆者の億測を交えたファンタジー?でもあります。

後述する各団体とは直接関連はありません。

また各団体では"答え難い大人の事情、あまり触れられたくない内容!"も含まれています。

本件に関してのお問い合わせはご無用に願います。  

プロローグ  旧・国鉄勝田線が廃線になったのは...

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勝田線がabandoned road(廃線)になったのは、元国労組合員家族のYoutuber(※00)が唱えるような、「旧国鉄本社の地方支社への合理化策押し付け」が原因などではありま線(せん)!

勝田線が無くなって、転入組の現・志免町町民が難儀しているのは、未だに町政を牛耳っている、当時の志免町町議会・町役場長老達の失策が最大の原因でしょう!

石炭産業消滅と福岡都市圏拡大の狭間で翻弄されて、「なすすべもなく時代に流された」当時の志免町町議会・町役場長老達の判断ミスが「原因の失政の犠牲」になっただけなのではないでしょうか!

参※00)当サイト内関連記事 今どきの 鉄道系Youtuber・鉄オタ・フリーター , ゴーストライター , 鉄道コラムニスト,マスコミとは?... はこちら。

第0項 勝田線はcolliery railway(炭鉱鉄道)だった

最初に認識しておかなければならない事実は勝田線の役割は、colliery railway(鉱山鉄道)つまりはRural line(田舎路線)!だった事実です。

元々、博多中心部から伸びたInterurban(高速電気軌道)とは違った!わけです。

なので、後述する"LRT復活"も鹿児島本線直通を目指すと"大失敗"つまり事業破綻して再度廃線となってしまうわけです!

判りやすく言うと、鹿児島本線に直通しても、omnibus(西鉄乗り合いバス)やMetro(地下鉄路線)に乗換では無意味!なわけです。(※00)

参※00)当サイト内関連記事 盲腸線は多く(本線直通)を望まないこと はこちら。

第1節 勝田線 LRT化 復活プロジェクトとは...

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福井県では、かつて1時期"廃線となっていた京福電鉄線"が住人運動によって復活を果たして"えちぜん鉄道"として沿線住人の強い支持を得て成功しています!

  • ●赤い電車マーク は結節駅
  • ●緑の電車マークは 旧駅(&親切駅)
  • ●工場マークは車両基地&本社CTC総合指令所

第1項 "単線復活"なら低予算で今すぐにでも!実現可能なLRTプロジェクト

旧勝田線区間(柚須⇔宇美⇔筑前勝田間11.3㎞)は殆どの軌道敷地が遊歩道などに整備されて残されており沿線自治体の宇美町・志免町・福岡県・JR九州・西鉄で"第3セクター"を設立すれば"単線LRT"路線として復活出来て、公共交通不毛エリア!となり果てた宇美町・志免町が交通至便エリアに返り咲けるでしょう!

計画概要

軌道整備費 約42億円

(※22)3.7億円x11.3㎞≒42億円

路線 柚須⇔宇美⇔筑前勝田間11.3㎞

軌間 1,435 mm (4 ft 8 1⁄2 in)
電化 直流600 V 架空電車線方式
運行速度 最高60 km/h (37 mph)

所要時間
表定速度 22㎞/h(※23)として 11.3㎞÷22㎞/h≒31分!

参※22)旧富山ライトレール 奥田中学校前⇔富山駅前間の併用軌道親切実績より算定。

参※23)富山地方鉄道富山港線(旧ポートラム)奥田中学校前⇔岩瀬浜間6.5km全11駅!(最短駅間距離400m!平均駅間距離650m!)の"鉄道線・単線区間"の運行実績より算定。

超低床トラムカーは高加減速なので一般道を渋滞に巻き込まれながらのろのろ走る「西鉄高速バス?」等よりはよほど"高速"です!

車両整備費 合計20億円

ラッシュ時必要編成

10分間隔運行で 終点返し駅停車時間込み 上下合わせて7本!

2編成連結運転として 14編成 

整備編成数 予備編成2編成込みで 16編成

車両購入費 約1.2億円X16編成≒ 19億円

予備部品 1億円

総事業費 約62億円!(多くても100億円以内)

※車両基地は旧志免駅近傍の旧志免鉱業所跡地にを利用。

※変電設備は途中3ケ所の停車場付近に設置。(直流600V電化なので、小さな変電小屋!程度で事足りる!)

現状発展を阻害している「通勤通学渋滞」を躱すには勝田線の復活LRT化を行う以外に(鉄)路は残されていないでしょう!

第2項 超低床車両使用は絶対条件!

本線乗り入れを考慮しないで良い「盲腸線」ならば、筑豊電鉄のように「超低床トラムカー」が使用できます。

つまり、ナチュラルバリアフリーの「超低床トラムカー」なら大都市近郊ローカル線の最大の障壁「ホームドア」、橋上駅舎・エレベーター・エスカレーター、が一切必要なく!しかも安全運行が確保できます。

つまり先々巨額の設備投資に苦しめられる心配がありません!(※22)

参※22)当サイト関連記事 大都市ローカル線を"廃線"の危機から守るには...《 LRT Watch》第16回 ホームドア設置圧力!を回避する"超低床車両"の導入しか...はこちら。

第1目 通勤型車両との比較

JR九州BEC819系電車

編成 2両固定ユニット構成

起動加速度 非電化区間 1.5 km/h/s

減速度 非増圧時 3.6 km/h/s
編成定員 264人
車両定員 133人(Mc)
131人(Tc)
自重 35.5 t(Mc)
36.6 t(Tc)
編成重量 72.1 t
全長 20,000 mm
全幅 2,950 mm
全高 4,096 mm
(パンタ折り畳み高さ 3,980 mm)
車体 アルミニウム合金(A-train)

編成出力 95 kW ×4 = 380 kW

定員乗車時 パワーウエイトレシオ 227.7kg/Kw

※定員乗車時積載量 55kgX264名=14.5ton 総重量86.5ton

※乾燥重量には乗員1名分の体重が含まれていて、戦前から55kg/乗客1名、許容積載量は定員X155%を設計基準値としています!

筑豊電気鉄道5000形電車

編成  3車体2台車固定編成

起動加速度 2.5 km/h/s !※断然高加速!

減速度(常用) 4.4 km/h/s
減速度(非常) 5.0 km/h/s
編成定員 87人(座席34人)
編成重量 約23t
全長 17,600 mm ※ほぼ「DENCHA」1両分の短さ!
全幅 2,380 mm
全高 3,970 mm
主電動機 三相かご型誘導電動機
主電動機出力 85kW 編成出力 170kW ※省エネルギー

定員乗車時 パワーウエイトレシオ 163.4 kg/Kw ※加速性能が良い!

※定員乗車時積載量 55kgX87名≒4.8ton 総重量27.8ton!

定員が少ないように感じるかもしれませんが、朝夕は3連、10分間隔で、昼間でも単行

15分間隔運行となれば、当てにならない"高速バス?"等よりよほど頼りになるトランスポーターとなります!

第3項 論点を「鉄道路線の復活!」で押し通すこと!

肝要なのは国交省と気長に交渉を続けること!です。

あくまでも「鉄道路線の復活」というコンセプト押しとおせば...

1)踏切平面交差も特認される!

「親切踏切禁止令」を"跳ね上げ"て、低予算でプロジェクトを遂行できます!

つまり、既存の幹線・地方道との踏切も復活できます!

※これも旧富山ライトレールや、"復活劇を果たしたJR可部線再延伸"時に行われた"特例処置"の一つです。

2)鉄道線復活なら全長30m制限も受けない!

鉄道線復活なら鉄道事業法適用なので、軌道法(路面電車)とは違い道交法の全長30m規制を受けません!

つまりラッシュ時対応の増結が可能となります。

※シドニー2編成併結運転の例

第2節 黒いダイヤで沸いた糟屋郡の明るい過去が?...

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第1項 嘗ての栄華が志免町の町政の驕りと失政を

第1目 嘗てあった周辺自治体との"縁談話"

嘗て周辺自治体との合併話が持ち上がった際には、夢よもう一度で単独市制を待望する(地元で育った)長老達が占める町議会が、満場一致の否決で合併話を蹴飛ばしたそうですが...

今や、よそ者?転入者が大半を占めるようになった状況では、石炭景気の頃に「毎夜料亭でドンちゃん騒ぎの接待」を受けていた?長老組の夢に付き合っている場合ではなくなってきているのも事実です!

今のままで単独市制を敷いても、インフラ整備に莫大な"お金"が必要で、それに見合った税収(地場産業)が期待できない現状では債務超過で借金・市債がかさむだけで夕張市同様に財政破綻を招くのは必定です!

第2目 転入組からニューリーダーの登場が

「死ぬまで待とう長老鳥?」ではなく、転入組からニュージェネレーションのリーダー(町長)を選出して、積極的に周辺市町村との合併話を進めたほうが、得策ではないでしょうか?

しかし嘗ての状況とは異なり、嫁入り先を当て込む!福岡市はコンパクトシティー(※21)を目指しており、その気(市域拡大のつもり)は全くありません!

参※21)当サイト内関連記事 コンパクトシティー 構想は"痛み"と"都市災害"が内在する大博打! はこちら。

第2項 「黒いダイヤ」で栄えたいた頃は、福岡市なんぞに媚びる必要もなかった?が...

嘗て「黒いダイヤ」で栄えた頃は、福岡なんぞ?に媚びる必要もなかったかもしれませんが...

福岡都市圏の一部として転入者で人口増加している現状を考えると、(各種インフラ整備、上下水道や教育施設などの)公共サービスに膨大な公共投資が必要となってきている状況では、そう言っては失礼ですが、意地を張って「痴呆自治?」を続けることに無理があるのではないでしょうか?

第1目 第3セクターに転換するチャンスもあった勝田線!

※特定地方交通線(※7) 廃止に関する関連法

営業キロ1kmあたり3,000万円を上限とする転換交付金(補助金)を地元市町村に交付する(特定地方交通線転換交付金制度)。
転換後5年間は赤字(バス転換は全額、鉄道での転換は半額)を事業者に対して補填する(特定地方交通線転換鉄道等運営費補助制度 )。
特定地方交通線対策協議会を開始した日から2年以内に協議が調わないと認められる場合には、国鉄は対象路線の廃止とバス転換を行うことができる(国鉄再建法第10条第3項,第4項のいわゆる「見切り発車」条項)。<Wikipediaより引用>

1980年国鉄再建特別処置法が発布された旧勝田線は第3セクターに転換するチャンスもありました!が...

当時相次ぐ炭鉱閉山により、税収が激減していた志免町・宇美町の町議会・町役場当局の長老たちは、一時激減した町人口も回復してきた中で、公共インフラ(水道・教育環境)の整備に追われて、住人の交通アクセス手段確保は"後回し"?にされて、勝田線の第3セクター化などは「夢のまた夢?」の状態でもあったのでしょう。

本当に特定地方交通線転換交付金制度で、廃駅周辺をバス停に改修するのがやっと?の状態だったようで?...1982年にはバス転換を受け入れざるを得なかったのでしょう...

※参7)バス転換が適当とされた旅客輸送密度4,000人未満の日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線。

第2目 福岡市のベッドタウンに変貌してきている状況を受け入れられなかった町当局

異なった見方をすれば、福岡市のベッドタウンに変貌してきている状況を受け入れることができずに、過去の栄光に縋り、せっかくの消化ポンプ「特定地方交通線転換交付金制度」 の適用を誤り、バス路線転換を選んだ町役場幹部・町議会議員の「長老」たちの「施政の過ち」こそが追及されるべきではないのでしょうか?

第3項 行政当局者の失策!が町民に「高額運賃」と「バカげた所要時間」を強いる事に

当時の行政当局者の判断ミスが結果として「法外な運賃?」と「常識外れの所要時間」の現状を招いたのではないでしょうか?

第1目 令和元年10月現在の博多駅までの通勤時間帯時間・料金 比較

西鉄バス

JR宇美駅前⇔博多バスターミナル(08:32着) 49分!510円!

※志免⇔博多バスターミナル(08:32着)36分 440円!

JR九州

現香椎線宇美駅⇔(長者原)⇔博多(08:32着) 13.7㎞ 32分(乗り換え待ち6分含む) 280円

同じくらいの距離のお隣須恵駅の場合は...

須恵⇔(長者原)⇔博多(08:32着) 10.2㎞ 25分(乗り換え待ち6分含む)280円

※JR九州が大出血・ボランティア価格なのか?、西鉄バスがボッタくりすぎなのか?

第3節 勝田線と沿線自治体が辿った Road とは

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第1項 『旧・国鉄勝田線廃止バス路線転換の喜劇?』は時代の流れに抗しきれなかっただけ!

誰が考えても「当時の旧国鉄勝田線」は不要不急路線の代表格?であり、旧国鉄勝田線は、テコ入れしてどうこうなる代物ではありませんでした!

元国労組組合身内を巻き込んでまで、赤字路線廃線反対キャンペーンを繰り広げる「Communist共」(※31)のプロパガンダに、"なんだか訳のわからない不気味さ"を感じるのは筆者だけでしょうか?

参※31)当サイト内関連記事 廃線か?存続か?極・赤字路線は生活の足と言えるか? はこちら。

第1目 "地方公共路線"ではなく殖産鉄道だった生い立ちが...

今となって見れば...

(※JRのnode station(結節駅)、西鉄のterminal station(終着駅)を中心にOmnibusを構築する現在の手法では)勝田線を残して、香椎線を廃線にすべきだったかもしれませんでしたが...

しかし1980年当時は、1968年5月25日 篠栗線(新線区間)篠栗 ⇔桂川が延伸開業して10年以上経過していたとは言うものの、1987年4月1日 国鉄分割民営で生まれたJR九州によって篠栗線が大躍進するなど、まだまだ未知数の状況でした。

同じエリアに2本の鉄道は不要だった

廃止当時は、同じエリアに2本の鉄道は不要であり、バス転換のほうが便利良い?ように思えた勝田線は、廃止しても問題なさそうだった?ので、第1次廃止対象に抜擢されたのでしょう。

しかしその後の状況は前途の通り...。

古塚⇔筑前勝田駅 13.8㎞ (前7駅)

開業1919年5月20日 全線開業(古町⇔柚須JC(信号所・現・柚須駅)間は篠栗線と共有)

1985年4月1日全線・全駅廃止廃線当時途中駅4駅

後述するように元々は沿線の粕屋炭田(※1)から産出される石炭輸送のために筑前参宮鉄道(ちくぜんさんぐうてつどう)が敷設した貨物専用鉄道。

つまり誕生当時、全国各地で「地域住人の足」として相次いで誕生した軽便鉄道(※2)とは異なり、北海道などと同様に"黒いダイヤの輸送路"として誕生した路線です。

つまり旅客輸送は目的ではなかった!のです。

元は沿線の粕屋炭田から産出される石炭輸送および宇美八幡宮参詣客の輸送のため筑前参宮鉄道(ちくぜんさんぐうてつどう)が敷設した鉄道路線で、1918年(大正7年)に末端部(宇美 - 筑前勝田間)が貨物線として開業、翌年5月20日に全線が開業し旅客営業を開始した。1942年(昭和17年)には、陸上交通事業調整法により九州電気軌道(現在の西日本鉄道)に合併され、同社の宇美線(うみせん)となったが、1944年(昭和19年)に戦時買収により同社の糟屋線(香椎線)とともに国有化され、勝田線となった。<Wikipediaより引用>

※参1)糟屋炭田は軍港に近かった関係から、艦船の燃料確保のため海軍が開発した...通称で海軍炭鉱と呼ばれた。1889年、須恵町に最初の...新原採炭所を設けた。その後、同組織は海軍燃料廠採炭部と名を変え、良質の無煙炭を多く産出したため国の奨励...。後に、糟屋炭田の主力となる第五坑の志免鉱業所を開発。ピーク時の1928年(昭和3年)には年産38万トンを産出する(全国19位)規模にまで発展した。...(敗戦後)軍部組織は解散したことで国鉄が事業を引き継ぐ ...、主として蒸気機関車の燃料確保 のため採炭...、エネルギー革命の影響によって1964年、国有志免炭鉱を最後に大小50を数えた炭田は、糟屋郡からすべて姿を消した ...<Wikipediaより引用>

第2目 志免町内にあった旧勝田線の駅

御手洗駅(3.4㎞)

1941年4月開業1985年4月1日廃止

上亀山駅(4.5㎞)

1919年(大正8年)5月20日 吉塚 - 新宇美間 (10.6 km) 貨物専用鉄道(1985年1月1日 旅石駅とともに廃止)を延伸開業とともに開業(開通当初旅客扱の無い貨物専用駅!)

※南里駅(5.4㎞)

1918年9月19日開業1944年廃止!

志免駅(7.3㎞)

1909年(明治42年)8月1日 - 博多湾鉄道(後の香椎線)酒殿駅 ⇔志免駅間香椎線貨物支線(通称旅石線)開設

第3目 宇美町内にあった旧勝田線の駅

田富駅(9.5㎞)

1918年9月19日開業1944年廃止!

下宇美駅(10.2㎞)

1919年(大正8年)10月12日開業(開通当初旅客扱の無い貨物専用駅!)1950年旅客営業開始

宇美駅(11㎞)

1918年(大正7年)9月19日 - 博多湾鉄道(現香椎線)の宇美駅から約150m離れた所に筑前参宮鉄道の貨物専用駅として開業 

1919年5月20日 - 筑前参宮鉄道(旧勝田線)の宇美駅を新宇美駅に改称して終点筑前勝田駅⇔新宇美間でのみ旅客営業開始。

同年12月1日 - 新宇美駅を上宇美駅に改称。

1942年9月19日 駅名を宇美駅に統合(場所は別)

筑前勝田駅(11.2km)

1918年9月19日 - 筑前参宮鉄道の貨物専用駅として開設。

1919年5月20日 - 上宇美駅⇔当駅間で旅客営業開始。

※参2、当サイト内関連記事 交通アクセスの変遷《 鉄道ヒストリア 》日本各地から森林鉄道・軽便鉄道・路面電車が消えた理由はこちら。

第2項 平行路線・篠栗線(福北ゆたか線)香椎線(かしいせん)3線の生い立ちとその後

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第1目 3線の関連

1889年(明治22年)7月 新原採炭所第一坑開坑 (現・新原)

1904年(明治37年)1月1日 博多湾鉄道(旧・西鉄糟屋線、現JR香椎線)が西戸崎 ⇔ 須恵を開業。

同年6月19日 九州鉄道(旧・国鉄、現JR篠栗線)が吉塚 -⇔篠栗を開業。

1905年(明治38年)2月16日 九州鉄道 鹿児島本線と並行する単線を併設して博多 ⇔吉塚を延伸開業

同年12月29日  博多湾鉄道 新原 ⇔宇美を延伸開業し全通。

1907年(明治40年)7月1日 鉄道国有法により九州鉄道が買収され官設鉄道となる

1909年(明治42年)10月12日 国有鉄道線路名称設定により博多⇔ 篠栗を篠栗線とする

1911年(明治44年)5月5日  篠栗線 博多 ⇔吉塚の単線を鹿児島本線の複線化に転用し、起点を吉塚に変更

1918年(大正7年)9月19日   筑前参宮鉄道(旧勝田線)が貨物線として宇美⇔ 筑前勝田間 (2.8 km) を開業、宇美・筑前勝田の各貨物駅を開設。

1919年5月20日   筑前参宮鉄道 吉塚⇔新宇美間 (10.6 km) を延伸開業し全通。新宇美⇔ 筑前勝田間 (2.8 km) で旅客営業を開始、上亀山・新志免の各駅を新設、宇美を新宇美に改称。
同年10月12日  筑前参宮鉄道 南里・下宇美の貨物取扱停留場を新設
同年12月1日  筑前参宮鉄道 新宇美を上宇美に改称。

1920年3月25日 博多湾鉄道を博多湾鉄道汽船に社名変更

1942年9月19日 筑前参宮鉄道と博多湾鉄道汽船が九州電気軌道に合併し宇美線 と 糟屋線(現香椎線)となる。

博多湾鉄道汽船糟屋線の志免駅を併合し、新志免駅を志免駅に改称

1942年9月22日 九州電気軌道が西日本鉄道に社名改称

1944年5月1日 戦時買収で国有化されて吉塚⇔ 筑前勝田間の宇美線が勝田線となり、糟屋線が国鉄香椎線と改称し。旧宇美線・上宇美駅を香椎線宇美駅と業務統合して勝田線・宇美駅と改称

敗戦後の1950年(昭和25年)1月10日 勝田線 下宇美信号場を駅に昇格

1964年(昭和39年) 6月30日 志免鉱業所閉山

1965年10月1日 勝田線 宇美 ⇔筑前勝田間 (2.8 km) の貨物営業を廃止

1968年(昭和43年)5月25日 篠栗線(新線区間)篠栗 ⇔桂川を延伸開業、筑豊本線と連絡。開通時は旅客営業のみ。筑前山手・城戸・九郎原・筑前大分の各駅を新設

※桂川延長後は福岡の近郊路線、また福岡と筑豊を従来の鹿児島本線・筑豊本線経由に比べ短距離で結ぶ路線として発展している!

1970年(昭和45年)4月15日 篠栗線 新線区間 篠栗 - 桂川の貨物営業を開始!

1981年7月30日 勝田線 志免 - 宇美間 (3.7 km) の貨物営業を廃止、香椎線  酒殿 ⇔宇美間の貨物営業を廃止。

1984年(昭和59年)2月1日 篠栗線 全線と香椎線 西戸崎 ⇔香椎間の貨物営業を廃止。

1985年1月1日 勝田線 吉塚 - 志免間 (7.3 km) 、香椎線 酒殿 ⇔ 志免の、香椎 ⇔酒殿の貨物取扱を廃止


同年4月1日 勝田線 全線 (13.8 km) を廃止し、西日本鉄道のバス路線へ転換

1987年4月1日 国鉄分割民営化

1988年3月13日 篠栗線 柚須駅を新設、香椎線・篠栗線 両線連絡駅長者原駅を新設

1991年(平成3年)3月16日  篠栗線 鹿児島本線の吉塚 - 博多間が三線化され、全列車が博多駅直通開始!「赤い快速」も転開始

2001年10月6日 篠栗線 全線電化し「福北ゆたか線の路線愛称」で運行開始

2019年(平成31年)3月16日 香椎線 蓄電池駆動電車BEC819系「DENCHA」運行開始。

第2目 香椎線(かしいせん)と沿線自治体

路線距離(営業キロ):西戸崎駅 - 宇美駅25.4km(16駅)

1904年1月1日 博多湾鉄道(旧西鉄、現JR香椎線)が西戸崎 ⇔須恵間を開業。

糟屋炭田から産出される石炭を当時の積出港西戸崎港に輸送するため、博多湾鉄道(後の博多湾鉄道汽船)により建設された鉄道路線。

2017年度平均通過人員(人/日)

西戸崎 - 香椎 4,858人/日

香椎 - 宇美(10駅) 7,860/日 5時~23時 90本/日(通勤帯上下とも3本/時) 1本あたり87人!

※香椎⇔長者原駅間(途中4駅)6.3㎞は短絡線になっているようだが廃止しても問題ないと思われる重複区間?

2018年度利用客(乗車のみ)
福岡市東区内の駅

香椎駅(1904年)1890年開業の九州鉄道(現鹿児島本線)香椎駅に乗換駅として併設・両線合わせて 12.632人/日

香椎神宮駅(1988年3月13日開業) 1,019

舞松原駅(1994年3月1日) 1,040人/日

土井駅(1904年1月1日開業) 1,488人/日

粕谷町内の駅

伊賀駅(1904年1月1日開業) 792人/日

現行・長者原駅 (1988年3月13日開業)3,975人/日 ※香椎線・篠栗線乗換駅 両線合わせて。

以下参考 旧勝田線並走区間

酒殿駅(1904年1月1日開業) 653 人/日 1列車当たり7人!

須恵町内の駅

須恵駅(1904年1月1日開業) 666人/日

須恵中央駅(1989年3月11日開業) 1,399人/日

新原駅(1905年6月1日開業) 公表データなし?

宇美町内の駅

終点 香椎線宇美駅(1905年12月29日開業) 1,890人/日 1列車当たり21人!

ハッキリ言わせていただいて、香椎線はJR九州の慈善事業?(※2)

2両固定編成  定員264人のBEC819系電車がもったいない!定員60人の標準ノンステップバスで十分!

※2)1980年の国鉄再建法成立以来輸送密度4,000人/日がバス路線転換の目安とされており、同時に8000人/日 未満の路線は地方交通線として扱われてきた。

逆説的には、この程度輸送しないと、交通機関としては失格といえます!

つまりは、バスでも採算が難しい路線と言えるでしょう!

参2)JR九州は「駅ナカ包囲網作戦」を敷いており、旅客運輸の本業の収益だけではなく、出来るだけ「駅ナカ施設」でお金を落としていただいて、全体の収益を上げる作戦を取っており、バスに乗客を奪われるくらいなら最初から赤字覚悟で、一人でも多くの乗客・利用客を主要駅に導くビジネスモデル?で、不動産業などに力を入れて会社全体の黒字化を達成しています!

第3目 篠栗線(福北ゆたか線)と沿線自治体

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桂川駅'(筑豊本線)→吉塚駅(鹿児島本線)間25.1㎞ (11駅)

篠栗線は、1904年6月19日に九州鉄道(旧国鉄→現JR)が明治時代に石炭輸送のために建設した吉塚 ⇔ 篠栗間を起源として戦後復興期の1960年代に筑豊地区と福岡市を結ぶ短絡線として篠栗 ⇔桂川間が建設され全通した。

2017年度平均通過人員(人/日)

吉塚 - 篠栗間 32,538人/日 

篠栗 - 桂川間(新線区間)14,439人/日

2018年度各駅の利用状況(乗車人員のみ)

古塚駅(九州鉄道現鹿児島本線に1919年5月20日併設開業)14,886人/日(鹿児島本線と合わせて)

柚須駅 (1988年3月13日駅として再度開業)4,076人/日

※1919年5月20日の旧勝田線開業時にJC(ジャンクション信号所)として開設され、1984年4月1日勝田線廃止と共にいったん廃止。

現・長者原(1988年3月13日開業)3,975人/日 ※香椎線・篠栗線乗換駅 両線合わせて。

門松(1987年3月9日開業)1,385人/日

篠栗 (1904年6月19日開業)4,902人/日

筑前山手駅( 1968年5月25日開業)データ未公表

城戸南蔵院前(1968年5月25日開業)データ未公表

篠栗線香椎線沿線の町は
須惠町

推計人口、28,355人 /2019年6月1日

周辺4町同様に、筑豊炭田地帯にあり、栄え、最盛期1955年頃には人口1万9千人近くの町となっていましたが、その後相次ぐ閉山で1965年には1万2千人台まで減少しましたが、香椎線が残ったために福岡市の発展で1985年代には2万人に回復して以後2000年以降も転入者により微増しています。

沿革

1889年4月1日 - 町村制施行により、須恵村が発足。

1904年(明治37年)1月1日 - 博多湾鉄道(1920年、博多湾鉄道汽船に改称現・香椎線)が開業と同時に終点とし須恵駅開業。

1905年(明治38年)6月1日 - 博多湾鉄道(現・香椎線)須恵→新原間延伸に伴い須恵中央駅開業。

同年12月29日  博多湾鉄道(現・香椎線)新原→宇美間延伸全通

1989年(平成元年)3月11日 須恵中央駅新設開業。

1953年4月1日 - 町制施行で須恵町となる。

粕屋町

推計人口、47,494人2019年6月1日

1988年3月13日に香椎線・篠栗線乗換駅として現・新長者原駅と、1984年4月1日勝田線廃止と共にいったん廃止されたJC(ジャンクション信号所)が柚須駅として開業して、更に2001年(平成13年)10月6日 篠栗線 全線電化により福岡市内から交通至便エリアとなり2000年以降の(団塊の世代大量退職期)に入っても、ヤングジェネレーション・ニューファミリー層を中心に転入者が増え続け九州地方の郡部の町としては最大の"町"、となりました!

沿革

1904年(明治37年)1月1日 - 博多湾鉄道(1920年、博多湾鉄道汽船に改称)(現香椎線)西戸崎 ⇔ 須恵を開業し初代長者原駅(現・伊賀駅)、酒殿駅開業。

同年6月19日 九州鉄道(旧・国鉄)が吉塚 -⇔篠栗を開業し原町が開業

※当初両線の連絡は無かった!

1905年(明治38年)7月21日 酒殿停車場閉鎖。

1908年(明治41年)10月1日 - 初代長者原駅→伊賀駅に駅名改称。

1909年(明治42年)8月1日 粕屋線の支線として酒殿 - 志免間の旅石貨物支線(志免鉱業所積み出し線)が開通(1985年1月1日 廃止)で酒殿停車場復活。

1957年3月31日 - 大川村と仲原村が新設合併し粕屋町発足

1968年(昭和43年)5月25日 篠栗線(新線区間)篠栗 ⇔桂川が延伸開業、筑豊本線と連絡。開通時は旅客営業のみ。筑前山手・城戸南蔵院前が開業

1987年 4月1日  門松駅開業。

1988年(昭和63年)3月13日 篠栗線 柚須駅を新設、香椎線・篠栗線 両線連絡駅長者原駅を新設

篠栗町

推計人口、30,952人2019年6月1日

沿革

1889年4月1日 - 町村制施行により、篠栗村と勢門村(せとむら)が発足。

1904年(明治37年)6月19日 九州鉄道が吉塚 - 篠栗を開業、篠栗駅開業。

1927年1月1日 - 篠栗村が町制施行。篠栗町となる。
1955年4月1日 - 篠栗町と勢門村が対等合併し、新町制による篠栗町が発足。

1968年(昭和43年)5月25日 篠栗⇔筑豊本線桂川延伸開業。町内に筑前山手・城戸駅南蔵院の2駅が開業

第4節 勝田線廃止当時、疲弊しきっていた旧国鉄と志免町・宇美町!...

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当時「組合つぶし?」にあった被害妄想で固まっている旧国鉄労働組合OBコラムニストを利用してまで、

全て「旧国鉄本社体制」に責任転嫁して、責任逃れを図る、夜盗?(よとう)雲助(運輸族)連中の卑劣なやり口には憤りを禁じ得ません!

第1項 列島改造論の"付け"の尻ふきを!

"列島改造論に踊らされ"無駄に作った不要不急路線の「国鉄押し付け政策」で、1980年当時日本各地に増殖した赤字ローカル線から「国民の生命線・国鉄」を救うために「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」が施行されて、勝田線も「トカゲの足きり(特定地方交通線対象線」 として指定されて、民営化前の1985年4月1日 に全線廃止されました!

とかく元国鉄労働組合OBコラムニストは民営化前の痴呆?交通線の廃止問題については"急・国鉄本社"サイドの「画一的かつ一方的」な押し付けであったように喧伝していますが...

「列島改造論者」である「運輸族」のマッチポンプ的な、「不要不急路線」増産と当時の「国鉄への路線押し付け」政策こそが最大の原因ではなかったのではないでしょうか!

第2項 路線バスにも転換できない道路整備の立ち遅れが『 悲劇 を招いた...』

簡単にバス路線にも転換できないこのエリアの立ち遅れた交通インフラ整備状況!が...

福岡市は、将来の九州州?の州都最有力候補であり、2000年以降も地味?に成長を続けていて福岡都市圏を構築して九州における一極集中の象徴的存在でもあります!

しかし令和の御代の今でも、道路インフラ整備が追い付いていないのも実情です!

福岡都市圏の道路網整備の立ち遅れが、現状の悲劇を招いているだけで、勝田線の廃止とは直接関係のないお話です!

志免町・宇美町(の住人)が糟屋郡部の周辺自治体と協力して、県・国と掛け合って道路整備に乗り出すべき時期ではないでしょうか?

福岡市民に負担をかけて地下鉄を延伸してもらっても根本的な解決にはなりません!

『狭い県道に土建屋の親方が乗るベンツ』があふれてかえって交通渋滞がひどくなるだけでしょう!

肥満?し続ける福岡都市圏の至る所で動脈硬化状態なのも事実です。

更に、ハブステーション長者原駅を含むこのエリア(篠栗線・香椎線沿線)が、福岡市ではなく隣接糟屋郡部の町(志免町、粕屋町、須惠町、宇美町)であることも災い?しています。

住民の利便、特に交通インフラ整備を考えた場合、県に頼るだけでなく、寄らば大樹の陰「令和の大合併」で政令指定都市・福岡市の一部となった方が、"町民"にとっては得策かもしれないのですが...

第3項 道路さえ整備されれば...

道路事情さえよくなれば...JR九州に迷惑?を掛けなくてもBRT(※2)で十分に対応できますが...

但し増え続ける市民でインフラ整備に毎年膨大な支出を要するようになった福岡市は、前途したように令和元年現在コンパクトシティー(※53)実現に路線変更してこれ以上(周辺自治体の併合・合併して)市域を拡大することは考えていないことを表明しています!

LRT路線復活は無理でも、お国と福岡県が積極的に道路整備事業を推進してくれたら...

※参2、当サイト内関連記事 日本型 BRT バス・レール・トランスフォーメーション?の問題点!とライトレール 擬き?都市型 BRT の違いと可能性 はこちら。

第4項 デジタヌの思い出

小生が嘗て「トラックヤロー」の"凌ぎ"で毎週のようにこのエリアを訪れていた時期がありましたが、

国道2号大宰府バイパス、県道24号バイパス福岡環状線、国道201号線福岡東バイパス 607号バイパス、などの一部分を除き、道路状況が悪く、朝夕は酷い渋滞に巻き込まれて身動きが取れなかった記憶があります。

特に旧勝田線廃線区間の現香椎線並行区間の県道に間違って迷い込みでもしようものなら、もう絶望的!

『シマッタ!...大宰府ICから九州自動車道に回っておけばよかった!』と何度悔やんだことでしょうか?

第5節 勝田線廃止で明暗を分けた糟屋郡の今は

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第1項 鉄道不毛エリアとなった志免町!

推計人口、45,819人!2019年6月1日

志免鉱業所最盛期の1928年(昭和3年)頃から、1939年4月17日 の志免町発足 当時迄は福岡県最大・全国でも屈指の規模を誇る"村"でした、村内は炭鉱従事者とその家族で溢れ、栄華を極めていました!

敗戦後も、復興需要で賑わって戦後の最盛期にあたる1955年頃には炭鉱労働者を主体に2万人近くの住人が暮らしていましたが、1964年(昭和39年) 6月30日 の志免鉱業所と周辺の炭鉱閉山によって大量の離職者が発生して全国各地に転出していき、2万人いた町民が1万7千人程度まで減じていました。

その後福岡市の発展とともにベッドタウンとして見直されて転入者が増加!

1970年代に2万人台に回復して、1985年4月1日の勝田線(全線 13.8 km) が廃止されたころには3万3千人台まで回復していました!

しかしその後は3万5千人台で推移していた人口も2000年以降にまた急激に増加し、2005年頃には4万人を突破して嘗て昭和初期の"黒いダイヤ"でにぎわっていた炭鉱最盛期の頃を凌ぐ"町"となり、単独で"市制"を敷ける程度まで発展しました。

令和の御代の現在も尚人口増加を続けている"町"です。

志免町の生い立ち

1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制度発足により、志免村他6村が合併し、志免村が発足。
1939年(昭和14年)4月17日 - 志免村が町制施行。志免町となる。

1885年4月に勝田線が廃止されて以来現在4町の中で唯一鉄道路線の無いエリア!となった。

第2項 鉄道は残ったが陸の孤島が出現した「宇美町」

鉄道(香椎線)は残りましたが広範囲にわたって陸の孤島が出現した「宇美町」。

推計人口、37,683人 2019年6月1日現在。

嘗て炭鉱で栄えた時期の1950年頃には人口2万2千人を誇っていましたが相次ぐ炭鉱閉山で1965年には人口2万人を割っていました。

1975年からは志免町同様に福岡市の発展とともに宅地開発が進み「転入者の増加」で1980年には以前より多い2万4千人近くとなり2005年には3万8千人まで達しましたがその後は微減に転じています。

転入者の多くは香椎線宇美駅以遠に造成された郊外住宅地に転入しており、1985年4月1日の 勝田線 全線 (13.8 km) 廃止バス路線転換以前から、不便な勝田線は利用していなかったようで、廃線の影響をあまり受けずにその後も人口増は続いていました。

しかしこの時期の人口増を支えてきた転入者の多くは当時40代後半の働き盛りの人たちいわゆる「団塊の世代」の人たちで退職の時期を迎えだした2000年以降は10代を中心に転出者が増加して少子高齢化が進展したようです。

沿革

1889年4月1日 - 町村制実施により、宇美村が発足。
1920年10月20日 - 町制施行。宇美町となる。

第3項 福岡市周辺の粕屋郡部に残された単独町は

近くて遠~町、志免町を筆頭に、(ベッドタウンとして)福岡市の経済圏に取り込まれてしまった?宇美町、須恵町、粕屋町、久山町、新宮町、久山町の7町は、嘗ての栄華を懐かしむのではなく、未来の発展に向かって、福岡市に吸収合併されるか、新たなる自治体を誕生させるべきなのかもしれません?...

糟屋郡の将来は福岡市に併合していただく"令和の大合併"しか残されていないのか?

前回平成の大合併の際には、住民投票で採択された周辺自治体との合併案が、長老が仕切っていた町議会で否決されたそうですが...

例えば新宮町では

1990年代一時停滞時期はあったものの、2010年3月13日に鹿児島本線新宮中央駅(乗車人員4,946人/日/2018年度)が新規開業して以来、ヤングジェネレーション中心のヤングファミリー層の転入者が更に急増して開業以前20000人に届かなかった人口が令和元年現在32、539人(6月1日現在推計人口)まで膨れ上がっており、長老たちの夢見る単独市制の目安40000万人も夢ではなくなってきていますが...

所詮福岡市のベッドタウンで有り人口の43.9%が福岡市への通勤者で占められる状況をよく理解している現町長は、「寄らば大樹の陰」で福岡市に合併された方が何かと都合がよいと判断して、福岡市編入の条件「公共インフラ整備」を満たすべく熱心にインフラ(上下水道、道路整備、教育環境)整備を推進しています。

第4項 福岡市を当てにせずに公共交通不毛地帯を救う(鉄)路を模索する必要が

福岡市はコンパクトシティー(※21)実現を目指しており、現状では今後ともに令和の大合併の可能性は有りません!

周辺都市からの侵入?を防ぐための防塁「板付け空港」(※22)も無くならないでしょう!

しかし、福岡市の"野望"とは違い今後も福岡都市圏は広がり、糟屋郡の果たす「衛星都市・ベッドタウン化」は衰えないでしょう!

参※21)当サイト関連記事 全国の 中核都市 は コンパクトシティー を目指している!福岡市の場合は? はこちら。

参※22)当サイト関連記事 福岡空港 が 移転 しない理由は 糟屋郡 から攻め入る"倭寇"から守る" 防塁 "?... はこちら。

エピローグ 沿線住民が力を合わせれば 勝田線 LRT化復活は必ず実現できる! 

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当シリーズ 孤立ローカル路線 を救う(鉄)路 "LRT化十ケ条!" を守り 欲を出さないことです!

  • ●マルーンラインは市境
  • 赤いラインは地下鉄
  • ブルーラインはJR九州
  • グリーンラインは 西鉄

第1項 失敗学ではなく成功例(やる気)に学べ! 

失敗する要因は無数にあります!

だから「モグラ叩き」同様に次々障壁が持ち上がり、"出口の見えないトンネル"に突入して計画倒れになってしまいます!

えちぜん鉄道(旧京福電鉄)の復活劇や、生まれ変わった「旧・富山ライトレール」などの成功例を見習い、学ぶべき点(実例)を取り入れたほうが賢明で、それが実現への(鉄)路となります!

第1目 出来ない理由を考えるより、"出来る手立てを考える!"

や、旧富山ライトレールさんに学ぶべきでしょう!

※)失敗例では、東京都葛飾区で、本庁から出向している担当係長が、本庁の交通局に気兼ねして?新金貨物線の旅客化計画(※21)の調査報告を"でっち上げ"てしまいました!

  • ●「親切踏切禁止令!」を強調!したり...
  • ●主要幹線道路との踏切停滞?を強調したり...

※実際には超低床トラムカーは短いので、全く問題とはなりません!

  • ●日に数本しか走らない貨物列車のダイヤに対する影響?を強調!したり...
  • ●「総武本線直通乗り入れ?」の将来構想への影響を強調!したり...

等などの"LRT化つぶし障壁!"ばかりを列挙して、実際にはたった50億円!で実現できる"寅さんの遺言?庶民のゲタ履き路線「チンチン電車の夢」"を5倍の250億円までも膨らませてぶち壊そうと!...

参※21)当サイト関連記事 新金貨物線 は" LRT " なら50億円程度で旅客化が実現できる!《 LRT Watch》第10回はこちら。

LRTなら ホームドアも必要ありません!

※このホームドア20億円!もしていますいったい"誰が"儲けたのでしょうか...

第2項 JR九州は勿論の事ながら西鉄さんにも1枚?んでいただくこと 

第1目 JR九州はこの路線計画に必ず"便乗"する!

JR九州は現在不動産業がメインで「鉄道事業は」余業となっています!(※32)

不動産業つまり駅ビル事業とエキナカビジネスの収益が、鉄道事業を支えています!

なので、香椎線の非電化区間(福岡市内!西戸崎)からから鹿児島本線博多駅に直通快速(※33)を走らせているわけです!

つまり一見メリットがない、勝田線復活も「博多駅」に"利用者を誘導"出来るのであれば...

だから、JR九州の言いなりになろ、このプロジェクトの主導権を明け渡す必要は一切ありません!

参※32)当サイト関連記事 1鉄道事業者から 総合都市開発デベロッパー に成長したJR各社はこちら。

参※33)当サイト関連記事 JR 香椎線 の 博多駅 乗り入れで 地下鉄 箱崎線 と 西鉄貝塚線 相互直通運転の夢は断たれた!はこちら。

第2目 西鉄さんに一口乗ってもらう事

冒頭で述べた通り、勝田線を復活出来ても、所詮は鹿児島本線の盲腸線(支線)でしかすぎません。

つまりは、博多駅に直通できても、市内中心部の職場に辿り着くには、西鉄バス、か市営地下鉄を利用するしかありません!

つまり無理な直通妄想は無意味!です。

現在高速バス?路線という既得権益を手中に収めている西鉄さんに加わってもらえば"JR九州の暴走"をけん制できます!

且つ現行のomnibus(※24)を見直して、LRTと有機的に統合したコミュニティーバス路線にすればさらに便利良くなります!

また、運行・保全両面で西鉄傘下の100%子会社筑豊電気鉄道株式会社 の支援が受けられて、乗務員養成、整備技術者養成の心配がいらなくなります!

※24)旧・富山ライトレールさんはこれで、LRT事業を成功(市民の足として定着)させました!

西鉄は乗ってくる!

現在独占状態の「拘束バス?」運行が無くなればこのエリアでの西鉄バス路線網を見直す必要に迫られますが...

福岡中心部への、到達時間でかなわなり、かといって利用者減につながる再値上げはしたくないし、更に敵(JR)に塩を与えるような「路線バス網」にもしたくないし...

という事で、出資者になれば、勝田線の駅をnode (結節点)にしたバス路線網に再構築しても、自らの不利益にならないのせ、「"志免・宇美シティーLRT"(粕谷令和電気鉄道?)」に喜んで出資するでしょう!

第3目 多く(本線直通)を望まないこと

多くを望まないとは、『本線乗り入れを望まない』ことです!

本線乗り入れを考えると必ず"JR九州のエゴ"に巻き込まれて、DENCAを押し付けられて!実績のある筑豊電気鉄道(軌間1435㎜の標準軌)の超低床車両が使えなくなり"計画だおれ"になります!

1)便利なダイヤが組めなくなる

本線ダイヤを口実に結局1時間に2本程度の「役立たない」乗り物になってしまいます!

2)車両共通化の為と称して「DENCHA」を押し付けてくる!

これでは、駅増設による住人の利便性と速達性が失われて、更に車両重量増加で省エネ効果も失われる上に、軌道設備も耐荷重の大きい50㎏N型軌条が必要となり、40kgN型軌条で済むLRTに比べて、軌道設備の維持管理・設備更新費用が膨れ上がって終い「運営圧迫」→「経営破綻」の"末路!"を"突っ走る"ことになってしまいます!

第2目 計画メンバーに旧鉄労OBを加えないこと!

OBとは、旧国鉄本社に(リストラ)されて恨みを持つ旧国鉄OBの事です!

彼らを加えると、懐古趣味丸出しで「本格的3セク鉄道」を主張して、実現しても利便性の悪い"鉄道事業"では経営破綻します!

第3項 キーを握るのは経験豊富な福岡県(知事)さん!

キーを握っているのは「調停役」をお願いする福岡県(知事)さんで、自治体、JR九州、西鉄3社の間に立って、それぞれの「大人の事情(思惑・エゴ)」をいかにうまく調整していただけるかに掛かっているでしょう!

取り敢えず、志免町、宇美町両町は「令和志ライン設立連絡協議会」を発会して、住民の意見を調整して、署名を集めて、福岡県に嘆願書!を提出するところから始めるのが良いでしょう。

但し両町ともに地元出身の無気力な「長老有力者達」が仕切っている町なので...

「えちぜん鉄道」復活劇と同じように「町の垣根を超えた若い世代の沿線住民が"手弁当の市民団体"を設立して署名運動を行い」県(知事)に直訴するほうが手っ取り早い!かもしれません。

第59代 現福岡県知事 小川 洋県知事は元中央省庁のキャリア出身!

  • 2018年再選 任期2022年

現小川県知事は旧通産省・現経済産業省のキャリア組出身のお方で"中央省庁"に顔が聞きます!

なので、国交省とも縁があり、九州新幹線鹿児島延伸時も強い影響力を発揮なさいました!

4選を視野に置かれている昨今、いう事を聴かない?福岡市より、周辺糟屋郡部の町村が望むなら"令和志ライン"の復活に尽力していただける!でしょう。

略歴 
  • 1973年4月 - 通商産業省入省(キャリア組)
  • 1996年7月 - 通産大臣官房企画室長
  • 2001年1月 - 内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)
  • 2007年11月 - 内閣広報官
  • 2011年4月10日 - 福岡県知事選挙初当選
  • 2015年4月12日 - 福岡県知事再選
  • 2019年4月7日 ‐ 福岡県知事3選

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《Traffic problems in the Fukuoka metropolitan area》関連特集記事のご案内 

福岡都市圏の交通問題と Solution proposal をまとめています。

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後書き《 abandoned Road から得られる教訓》シリーズについて

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第1項 abandoned Railroadから学ぶべき教訓

多く歴史ある鉄道がabandoned railroad(廃線)となって"天に召された"ましたが...

第1目 鉄道黎明期の LRT ?ブーム

明治維新後の文明開化で訪れた陸蒸気幹線の発達と共に、日本各地で民間資本による"軽便ブーム"が起こり、その多くが昭和に至るまで大活躍していました。

今風に言うなら LRT 網と言うことになります!

全国にあった軽便軌道の栄枯盛衰は

(※参 詳しくは当サイト内関連記事 嘗ては手軽な輸送手段だった?"鉄道" はこちら。

これらは、軌道法軽便鉄道法に下づいていたり、いずれにも属さない"簡易軌道"として、

市街地を駆けまわる"チンチン電車"網、都市圏交通を担うInterurban(都市圏電気軌道)、鉄道幹線(大都市)と港町を結ぶ臨海鉄道・臨港鉄道、山間部を縫う森林鉄道、そして北海道で1960年代!まで大活躍した殖民軌道などなどでした。

更には、準LRTと言っても過言ではない旧地方鉄道法準拠のrural line(肥えタゴ路線)の地方私鉄も含まれるでしょう。

第2項 "持続可能な鉄道事業"を目指すには...

これらのabandoned railroad達にスポットを当てて、陸上交通におけるregional line"地方交通線"が担ってきた役割と、その"生い立ち"、更には"消えていった背景"を考察して、「トランスポーター」の一つとしての「持続可能な鉄道事業」の姿を模索してみました

♥RTD(Regional Transportation District,デンバー地域交通事業団の例

赤字路線を再生するには、更にはabandoned railroadを蘇らせる!には...

これらのabandoned railroadにスポットを当てて、陸上交通における"地方交通線"が担ってきた役割と、その"生い立ち"、更には"消えていった背景"を考察して、現行の廃止対象路線がトランスポーターとして『21世紀を走りぬく』方法を模索してみました。

狸穴総研 交通問題研究所 出自多留狸

※脚注 関連団体 ♥問い合わせ先 リンク集

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関連団体リンクテーブル 

 

公開:2019年10月22日
更新:2023年2月26日

投稿者:デジタヌ

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