狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載《 路面電車・軽便鉄道・森林鉄道が日本各地から"消えた理由!"とは...》ー第3回ー

第3回 嘗ては手軽な輸送手段だった?"鉄道"

※当サイトで用いた廃線ルートは、全て国土地理院の公開航空写真データに基づいています。

但し数m程度の誤差があることはご了承願います。

(※以下 直接リンクは事業者公式Website、Wikipedia該当項にリンクしてあります。)

第1節 お手軽な transportation system だった「鉄道」

道路網が発達していなかった当時は、

お手軽な大量輸送手段だった「鉄道敷設?」

大量の物流を担うには、それに見合う施設・設備が必要です。

"大八車""背負子"に頼る当時の陸運では、いくら道路整備(精々石畳舗装程度ですが)に邁進しても、所詮たかが知れていました。

そこで、当時の貧弱な道路事情とtransporter(輸送機)に代わり、

(当時は)比較的簡単に敷設できて大量輸送が可能な「鐡道」が注目されて、

"お上主導の官鉄"、民間有志・起業家による私鉄建設を問わず、急速に鉄道網の整備が行われたわけです。

(イカダなどによる材木の搬出が行える)適当な河川の少ない北海道での森林開発や、炭鉱開発に、更には(多エリアからの)物資の"移入"を、人手による陸運に頼らざるを得なかった本州内陸地などに、

鉄道網が広がっていき地域経済の活性化に貢献してきたわけです。

第1項 天候・自然災害に左右されない安全な「陸上輸送手段」としての鐡道

当時物流を支える陸上輸送手段と言えば「大八車」や、「背負子(しょいこ)」すなわち人力がメインでした。

河川を利用して川船を用いた水運も盛んでしたが、日本は南北に背骨が貫いた細長い島国です。

当然一部の地域の平野部を除き河川は海にそそぐ「列島横断」に限られていて、列島を貫き大量の物資輸送を行うには北回りや南回り廻船の海路を利用する以外には"路"(みち)はありませんでした!

天候・自然災害に左右されない安全な「陸上輸送手段」が求められていたわけです。

★第2節 富国強兵政策の明治期には最適の Logistics でもあった

USAの南北戦争で証明されたように、鉄道は重要なLogistics(兵站)であったのです。

つまり「一般人のaccess」よりfreight transportation(貨物輸送)が主目体!だった「富国強兵時代の明治期」においては、

鉄道敷設はお手軽に大量の兵力を輸送できる Logistics だったわけです。(※軍隊の兵は兵力の一部で"人"とは思われていなかった?

第1項 鐡道時代が長く続く

官鉄・私鉄の旺盛な路線拡張で「ほゞ全国に主要幹線が完成」したこの時期、

地方交通においても幹線の主要 Hub station から zone 内へのアクセス手段として敷設が容易な軽便鉄道が持てはやされ、日本各地でご当地鐡道が敷設されていきました。

中でも福島県の(旧・日本鉄道(東北本線)敷設当初案が現在に蘇った)阿武隈急行沿線における「大日本軌道」(現福島交通)が構築した「日本初のトラム網」や、

同じく北陸石川県で広域トラム網?を構築していた北陸鉄道 、北海道東部で発達?した「殖民軌道」などが、戦前の貧弱な road network に代わって地域の産業振興に果たした役割は大きいといえます!

★第3節 ゴールドラッシュに沸いたアメリカでは

広大な国土を持つアメリカでは、インターシティーは鉄道で、そして各州のローカルエリアが道路交通といった住み分けが、西部開拓時代(馬車時代)から定番となっていましたが...

大陸横断鉄道の一部でもあった Colorado Midland 鉄道と、1873年から建設を始めれて19世紀末には全通した Denver South park and Pacific Railroad 共に、1910年代には頼りにしていた炭鉱が枯渇してしてしまい、第1次大戦後に再投資されましたが、もう一つの柱大陸横断鉄道がデンバー経由となり、頼みの貨物輸送がほとんどなくなり、観光客も整備されだした道路網を使ったマイカー利用に移って行き、ビジネスとして成立しなくなり1918年8月にColorado Midland鉄道は廃止されました!

渓谷沿いの鉄道は、その後も"郵便配達"や"レールバス"等で何とか苦境を乗り越えようとしましたが、

さらに第2次大戦後には無くなった"金鉱"の後釜に製粉工場が建設されましたが、もはや鉄道を維持できるほどの輸送密度は確保できませんでした。

そして平和が戻った1949年にDenver South park and Pacific Railroadは最後の旅客営業を終えて、ミッドランド駅(コロラドスプリングス)は廃止されました!

つまりアメリカでは日本より半世紀以上も前に、開拓鉄道の末路は示されていたわけですが、北海道では...

参※)当サイト関連記事 北海道鉄道網のひな型となったコロラド州の鉄道史から得られる教訓とは... はこちら。

 

公開:2019年7月23日
更新:2024年3月21日

投稿者:デジタヌ

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