嘗ては手軽な輸送手段だった?"鉄道"《 電気軌道・軽便鉄道・森林鉄道 第3回 》
※当サイトで用いた廃線ルートは、全て国土地理院の公開航空写真データに基づいています。
但し数m程度の誤差があることはご了承願います。
(※以下 直接リンクは事業者公式Website、Wikipedia該当項にリンクしてあります。)
第0項 黎明期には道路建設よりもお手軽だった軌道事業
第1目 鉄道法整備の歴史
- ●1868年6月11日(旧暦明治元年4月21日) 明治新政府誕生
- ●1887年(明治20年)5月18日) 私設鉄道条例公布(勅令第12号)(1900年廃止)
- ※1889年2月11日 大日本帝国憲法施行
- ※1890年8月25日 軌道条例公付(1924年廃止)
- ●1900年10月1日 私設鉄道法施行(1919年廃止)
- ●1906年4月20日 鉄道国有法施行
- ●1910年8月 3日 軽便鉄道法施行(1919年廃止)
- ●1919年8月15日 地方鉄道法施行(私設鉄道法・軽便鉄道法廃止!)
- ※1924年1月 1日 軌道法施行(軌道条例廃止!)
- ♥1941年3月7日 帝都高速度交通営団法施行(2004年廃止)
0-1-1 民営事業として発展した鉄道
明治憲法(明治22年!施行)はおろか、"民営鉄道"事業の拠り所となる私設鉄道条例(明治20年公布)すら無かった明治14年(1881年)に、"特許"で日本初の"民鉄"日本鉄道㈱が生まれ、1883年7月28日に上野⇔熊谷間が開業しました。
0-1-1-1 黎明期には道路建設よりもお手軽だった軌道事業
(黎明期には)で道路建設よりもお手軽に"人力"のみで敷設が出来て、
大量の貨物を運ぶことができる、軽便鉄道・軽便軌道がもてはやされ、
日本各地の主要都市(幹線私鉄)と、港や鉱山を結ぶ"支線!"として、"人車軌道"や"馬車鉄道"として盛んに建設(敷設)されたのです
★そして、軌道条例(1890年公布)以前の、1882年3月20日に宮城県の特許により営業開始した人車軌道"木道者(もくどうしゃ)"が本邦初の"軌道"事業とされています。
参)当サイト内関連記事 森林鉄道・軽便鉄道・路面電車が日本各地から消えた理由とは? はこちら
1-1-1-2 その後幹線直通!の為に狭軌に改軌され...
その後「貨車を幹線(私鉄!)にそのまま受け渡し!」出来るように軌間 ;3 ft 6 in(1067mm)の♥Empire of Japan Standard gauge(狭軌)に改軌されて、二軸貨車が港⇔主要都市間の♥freight transportation を担うようになったのです。
参※)当サイト関連記事 3 ft 6 in Narrow Gaugeは♥Empire of Japan Standard gauge はこちら。
第1目 1910年の軽便鉄道法で更に
軽便鉄道と言えば、直ぐに思い浮かぶのが軌間762㎜を代表とするナローゲージの簡易鉄道!を、思い浮かべる方も多いでしょうが、
軽便鉄道とは軌間をうんぬんするものではあり魔線!。
当初から、軌間 3 ft 6 in の狭軌路線として、官設鉄道への貨物車両直通を狙った路線も多かったのです。
更に、1910年に軽便鉄道法が立法化!されてからは、
西武鉄道のように態々!『鉄道路線から軽便鉄道に登記変更!』する鉄道会社も現れたました。
第2目 天候・自然災害に左右されない安全な「陸上輸送手段」としての鐡道
当時物流を支える陸上輸送手段と言えば「大八車」や、「背負子(しょいこ)」すなわち"人力"がメインでした。
河川を利用して川船を用いた水運も盛んでしたが、日本は南北に背骨が貫いた細長い島国です。
当然一部の地域の平野部を除き河川は海にそそぐ「列島横断」に限られていて、列島を貫き大量の物資輸送を行うには北回りや南回り廻船の海路を利用する以外には"路"(みち)はありませんでした!
天候・自然災害に左右されない安全な「陸上輸送手段」が求められていたわけです。
(黎明期には)で道路建設よりもお手軽に"人力"のみで敷設が出来て、
大量の貨物を運ぶことができる、軽便鉄道・軽便軌道がもてはやされ、
日本各地の主要都市(幹線私鉄)と、港や鉱山を結ぶ"支線!"として、"人車軌道"や"馬車鉄道"として盛んに建設(敷設)されたのです
★第2項 富国強兵政策の明治期には最適の Logistics でもあった
USAの南北戦争で証明されたように、鉄道は重要なLogistics(兵站)であったのです。
つまり「一般人のaccess」よりfreight transportation(貨物輸送)が主目体!だった「富国強兵時代の明治期」においては、
鉄道敷設はお手軽に大量の兵力を輸送できる Logistics だったわけです。(※軍隊の兵は兵力の一部で"人"とは思われていなかった?)
第1目 鐡道時代が長く続く
官鉄・私鉄の旺盛な路線拡張で「ほゞ全国に主要幹線が完成」したこの時期、
地方交通においても幹線の主要 Hub station から zone 内へのアクセス手段として敷設が容易な「軽便鉄道」が持てはやされ、日本各地でご当地鐡道が敷設されていきました。
中でも福島県の(旧・日本鉄道(東北本線)敷設当初案が現在に蘇った)阿武隈急行沿線における「大日本軌道」(現福島交通)が構築した「日本初のトラム網」や、
同じく北陸石川県で広域トラム網?を構築していた北陸鉄道 、北海道東部で発達?した「殖民軌道」などが、戦前の貧弱な road network に代わって地域の産業振興に果たした役割は大きいといえます!
★第3項 ゴールドラッシュに沸いたアメリカでは
広大な国土を持つアメリカでは、インターシティーは鉄道で、そして各州のローカルエリアが道路交通といった住み分けが、西部開拓時代(馬車時代)から定番となっていましたが...
第1目 Colorado Midland 鉄道と、 Denver South park and Pacific Railroadの例
3-1-1 20世紀に入ると炭鉱が閉山となり...
大陸横断鉄道の一部でもあった Colorado Midland Railway と、1873年から建設を始めれて19世紀末には全通した Denver South park and Pacific Railroad 共に、1910年代には頼りにしていた炭鉱が枯渇してしてしまい...
もう一つの柱『Transcontinental railroad(大陸横断鉄道)』のメインラインがデンバー経由となり、頼みの freight transportation(貨物輸送)がほとんどなくなり...
3-1-2 第1次大戦後に再投資されましたが
第1次大戦後に再投資され、その後も"郵便配達"や"レールバス"等で何とか苦境を乗り越えようとしましたが、
観光客も整備されだした道路網を使ったマイカー利用に移って行き、ビジネスとして成立しなくなり1918年8月にColorado Midland Railway は廃止されました!
1-2-3 第2大戦後には鉄道意地が困難に
さらに第2次大戦後には無くなった"金鉱"の後釜に製粉工場が建設されましたが、もはや鉄道を維持できるほどの輸送密度は確保できませんでした。
そして平和が戻った1949年に Denver South park and Pacific Railroad は最後の旅客営業を終えて、
ミッドランド駅(コロラドスプリングス)は廃止されました!
つまりアメリカでは日本より半世紀以上も前に、開拓鉄道の末路は示されていたわけですが、北海道では...
参※)当サイト関連記事 北海道鉄道網のひな型となったコロラド州の鉄道史から得られる教訓とは... はこちら。
公開:2019年10月14日
更新:2025年7月18日
投稿者:デジタヌ
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