鉄道育ての親 アメリカ 鉄道網から学ぶべき持続可能な鉄道事業とは ...
前書き(要約) 北海道鉄道網のひな型となったコロラド州開拓鉄道史から眺めた日本の交通政策の未来像...
日本の交通政策は再度の Reconstruction が必要では
空路も、自動車専用道も無かった時代には戻れません!
(地政学と現代史から眺めた)USAのTransportationの歴史を参考に、鉄道神話の呪縛を解き放って、
日本の交通政策を抜本的に見直す時期!に来ているといえるのではないでしょうか...
USA での Transportation の変遷・発達史から学ぶべき点とは 《持続可能な鉄道事業》 の目次
目次をクリックすれば各メニューにジャンプできます。
- プロローグ 歴史から何も学べなかった日本の Railway mania!
- 第1節 交通機関に要求されるneedsとは...
- 第2節 単純には語れない economy(経済性)と利便性(convenience)
- 第3節 米国における大陸横断運輸の変遷
- 第4節 パナマ運河と大西洋・太平洋を結ぶinter-ocean cargo transportationの変遷
- 第5節 嘗てコロラド州に張り巡らされていた 生い立ちの異なる4つの鉄道網
- 第6節 Denver and Rio Grande Western Railroad のTennessee Pass routeの終焉は...
- 第7節 コロラド州に見るロッキー越えの passenger traffic(旅客輸送)の栄枯盛衰
- エピローグ アメリカのTransportation の変遷・発達史から学ぶべき点とは
- 第1項 広大なアメリカでは、passenger traffic(旅客事業)は空路に
- 第2項 鉄道と言えども"地勢"まで変えてしまう力はない!
- 第3項 日本においてもinternational Airport,Regional Airportの更なる充実が望まれる
- 後書き 《アメリカ交通発達史から学ぶ持続可能な鉄道事業とは》シリーズについて
- 脚注 関連団体 問い合わせ先リンク集
※リンクについて
(参※xx) は当サイト内の参照関連記事リンクです。
但し、その他の直接 hyper-link は当事者・関連団体の公式サイト若しくは各国語版Wikipediaへ直接リンクされています。
※本ファンタジーについて
本レビュー記事は、出来る限りの"記録(時系列)に下ずいた史実に、地政学的!・工学的 な検証"を行ってるセミドキュメンタリー!ですが...
筆者の億測を交えたファンタジー?でもあります。
後述する各団体とは直接関連はありません。
また各団体では"答え難い大人の事情、あまり触れられたくない内容!"も含まれています。
本件に関してのお問い合わせはご無用に願います。
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「人は歴史から多くのことを学んだ」と言われていますが...
『学習能力の欠如した!railway mania(鐡道建設妄信族・鉄道狂!)達は同じ失敗を繰り返している』といえるのではないでしょうか。
第1項 アメリカ開拓当初は"大河を利用した水運"が traffic の主役だった
ミシシッピー川とその支流は重要な交通路だった
アメリカ開拓を支えたのは「母なる大河ミシシッピー川」などの"大河"の存在でした。
Mississippi Riverは日本人にとっては、アメリカ大陸を「南北に縦断」する大河としての認識しかないでしょうが...
"英語版Wikipedia"の添付地図をご覧になればお分かりのように、アメリカを3分する、南北に連なる西のRocky Mountains(ロッキー山脈)とSierra Nevada(シェラネバダ山脈)東のAppalachian Mountains(アパラチア山脈) にはさまれた、中西部のほぼ全エリアを支流と共にカバーしています。
「母なる大河ミシシッピー川」が豊富な水量に恵まれているのは、この両山系から発した、「雪解け水」の恩恵によるものです。
そしてアメリカ開拓以来長年このエリアの重要な交通路となっていました。
Mississippi Riverは、鉄道が出来るまではこのエリアのcargo transportationのpassenger transportationの双方を受け持つ重要な交通路でした。
explorer(探検家)達が、ミシシッピー河とその支流を遡り、新天地を見つけ、Pioneer( 開拓者)が彼らの情報をもとに、「未開の地」に入植して川沿いに開拓拠点となる町々が生まれて、その後に各町を最短距離で結ぶtrail(幌馬車道)が出来て、新たなる入植者たちが、Wagon Train(幌馬車隊)を組んで入植し、各町々を結ぶtrailにstagecoach(駅馬車)が開設されて人の往来が盛んになり、trailに沿って鉄道が敷設されたわけです!
そして、蒸気機関!による大型建設機械の誕生で、旧trailが立派な舗装道路(※21)に改修されて、モータリゼーションの激流が流れ出して...
登場当初は複葉機による郵便輸送だった空路も、エポックメイキングとなったDouglas DC-3の登場で、1936年9月のAmerican Airlines(アメリカン航空)での就航を機に、全米各地に広がり、次第に空路が中・長距離のpassenger traffic(旅客事業)の主流になっていったわけです。
参※21)舗装と言っても、アメリカでは当初はレンガ道でその後は長年コンクリート舗装の時代が続き、アスファルト舗装が一般化したのは、Paver (アスファルトフィニッシャー)が実用化された1938年年にBarber Greene Coが特許を取得して生産に乗り出してから以降のことです。
当サイト内関連記事 実は一般道の舗装率と深い関係がある「モータリゼーションの激流!」 はこちら。
第2項 passenger traffic とcargo transportation それぞれの歩み
passenger traffic(旅客輸送)とcargo transportation(貨物輸送)夫々のRoadを辿る結果となったわけです。
passenger traffic(旅客輸送)
passenger traffic(旅客輸送)は河川→駅馬車→鉄道→自動車・航空機と変遷した。
cargo transportation(貨物輸送)
日本ではロジスティクス(logistics;兵站)という"カタカナ英語"が好んで用いられる、貨物輸送(cargo transportation)は、水運(河川&運河)→鉄道→トラック輸送と変化。
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交通機関への要求事項とは、営利企業・商売にとっては流通コストの削減が最大の要素であり、
personal useではinterestを"何に置くか"で、利用するtransporter(移動手段)が決まるといえるでしょう。
第1項 passenger traffic では
passenger traffic(旅客輸送)つまり旅客利用者にとっては、interest(興味)目的ごとのconvenience(利便性)と言うことになるでしょう。
つまり旅客では、「2点間の移動」だけが問題になるのではなく、経路のsightseeing(観光)も重要な要素の一つとなるわけです。
中長距離の移動で比較すれば
ビジネス用途の移動だけなら空路、旅行者などのsightseeing(観光)に絞れば鉄道・高速バスなどの地上公共交通と言うことになり。
近距離の移動では
local(地元・生活圏)での個人用途(personal use)の利便性(convenience)を求めればaotomovil(マイカー)と言うことになるわけです。
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★紫色で示したラインがErie Canalです、但し開業当初のOld Erie Canalの経路で現行の経路とは異なります。拡大してみてください!
第1目 wagon(荷馬車)かcargo boat(小舟)しかなかった開拓当初のアメリカでは
transporterがwagon(荷馬車)かcargo boat(小舟)しかなかった開拓当初のアメリカでは、canal(運河) や急流部を避けるditch(流水路)が重要な輸送路となっていました。
"小規模な迂回路"のditchではない、アメリカ最初の"本格的なcanal"は、1825年に開通したErie Canal(エリー運河)と言われています。
ニューヨーク州最初の砦ハドソン川沿いの町Albanyと、エリー湖に面するBuffaloの間を結ぶ全長363マイル(約581 km)の大規模な運河です!
第2目 Erie Canalの完成で輸送コストの大幅節減に
このOld Erie Canalの完成で、ニューヨークとバッファローの距離短縮により、輸送費がは劇的に安上がりとなりeconomyが達成できました。
それまで当時の金額で、100ドル/日X20日つまり$20,000/tonだった1トンあたりの輸送費が、$5ドル/日X6日=$30/日と、トータルで約700分の1までコストダウンになった訳です!
Old Erie Canalは
ハドソン川の支流の一つ、モホーク川はexplorer(探検家)が見つけてPioneer(開拓者)が遡った重要な交通路でしたが、アパラチア山系を流れる両河川は共に急流があり、trail(幌馬車道)を走るwagon(荷馬車)を併用する以外に、交通手段はありませんでした、
モホーク川に沿ってcargo boatのditchと水門で繋いで、cargo boatの運行を容易にしたものでした。
第3目 その後同じ経路に輸送力に勝る鉄道が開通して
その後、同じ経路に鉄道が敷設されて一部は鉄道、更にInterstate Highway州間高速道路690号に用地を譲り、一部ルートは変更されましたが大型船舶が運行できるように(※11)改修されて現在もローカルエリアの水運の用いられています。
参※11)大型船と言ってもcargo boatよりは大きいという意味でミシシッピー川で運行されている様なPusher bargeによる数百トン程度の運行です。
第2項 Old Erie Canal誕生の背後にあった大人の事情とは
つまりOld Erie Canalが完成した1825年当時は、カナダが独立国としての主権を認められていない、大英帝国のterritoryであり、しかも1846年6月15日のオレゴン条約締結以前で、"大英帝国"領国領 カナダとは今ほどには親密ではなかった!わけです。
更に
態々Erie Canal でエリー湖に面したBuffalo迄運河を建設したのは途中のRochester辺りでジェネシー川を運河に改修してオンタリオ湖に出てもBuffaloの北方に有名なNiagara Fallsがあってエリー湖に出られない為です!
更に、エリー湖が運河代わりに使えるDetroit、 Cleavlandなどへの中継港としてニューヨーク州内にあるのBuffaloが選ばれたのでしょう?
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第1項 cargo transportation では
cargo transportation(貨物輸送)では、customer(荷主)にとっては、economy(経済性)輸送コストの低減!が最大の関心事すなわちneedsとなりますが。
海運(水運)の場合は、港湾設備、航路整備(浚渫)などは公共事業に頼れますが...
船長以外にも、(航海士、機関士、船員、など)、多数の船員を必要とします!
運行経費としての、$燃料費/ton・時間、$人件費/ton・時間は、必ずしも良いとは言えず、トータルでの運行経費は$/ton・時間X所要時間(日数)が基本となるわけですが...
第1目 物流では on demandも重要に
customer(荷主)にとっては、「輸送コスト¥/ton・時間」と「輸送時間(即時性)」のバランスも重要な要素となります。
つまり、いくらトータル運賃が安くても、「鮮度が要求される」生鮮品の輸送では「輸送時間」も大事な要素となるわけです。
つまり、積載量千トン未満の2・3人で運行できる艀(ハシケ)+プッシャーボートでもバルク積の、石炭・鉱石・土砂などの原材料や工業製品以外ではあまり魅力が無いわけです。
第2項 鉄道は大量高速輸送にて適している!
鉄道輸送のならばDL10両を含む100両編成近い"マイルトレイン"でも、機関士で1名で総括制御が出来て、しかも同乗の整備士1名の計2名で"1万ton!"程度の貨物輸送が可能で、しかも2点間の最短経路をとれるので、移動時間(燃料費)も節約できて、$運行経費/ton・時間・人数 X所要時間で水運よりも断然有利!となるはずですが...
第1目 輸送量さえ確保できれば
事業者にとっての運行経費・直接経費は燃料代(電気代)乗務員の人件費、となるわけで、第3種鉄道事業者のJR貨物では、プラス「路線のレンタル代」となり、輸送量さえ確保できれば、アメリカのように鉄道事業だけで利益を出せるはずなのですが...
残念ながら現状のわが国、とりわけ北海道では、1列車1万トンの需要はありません!
第2目 鉄路・車両の、維持管理・設備更新費用が大きな重荷に...
更に、裏方さんの車両整備士、第一種鉄道事業者のJR北海道では、更に保線要員、運行管理要員(CTC要員、駅員)の人件費などが、そして両者ともに車両の維持管理のための補修部品、使用車両の更新費用、JR北海道では更に線路、信号・通信設備などの設備維持管理のための補修費、設備更新費など「莫大な間接経費」が必要となるわけです!
見かけは、ワンマン運行している、ディーゼルカーや貨物列車も、相当数の裏方さんに支えられているわけで...
前途したように、鉄鉱石・石灰石、パルプ原料チップ、燃料などの原材料関係のバルク積載(バラ積)では水運が有利となっているわけです!
アメリカでは南部・西部などのミシシッピー川流域や、多くの河川の下流域では原料輸送は水運が、鮮度が必要な"農産物は鉄道"と言う住み分けが出来ているわけです!
第3項 21世紀の現代は地球温暖化対策が問われる社会情勢にも...
Double-stack rail transport (複層鉄道輸送)のマイルトレインが走るアメリカでは、地球温暖化対策としてのCO2削減問題、ゼロカーボン社会実現を考えると、鉄道、水運(船舶輸送)共に多少の問題を抱えています。
大陸横断鉄道は動く"ディーゼル発電所"であり、その燃料使用量(排出ガス)も馬鹿にはなりません!
但し一級鉄道の5社だけでも15万キロメートルを軽く超え、現在営業中の路線総延長が225,500km!にも達するアメリカの鉄道網を"電化"するとなると、想像を絶する膨大な設備投資額と電化設備維持管理費の問題が生じます!
第1目 今後USAではゼロカーボン社会に向けての技術開発が...
今後「よりクリーン(高効率)なガスタービン発電ハイブリッド方式」や、「metal hydrides(水素吸蔵合金)」の研究促進と高出力燃料電池の開発などで、安全かつクリーンな動くpower plantを実現するか、場合によっては原子力機関車への再チャレンジ?なども必要となるかもしれません!
第4項 日本の場合は
日本の場合は"交流電化(DC1500V→AC1.5Kv化)の促進でELの高出力化(同じ電流なら10倍の電力が供給できる)などが課題となるでしょう。
第1目 但しJR各社では"非電化改修"の動きも...
但し第一種鉄道事業者であるJR各社では"不採算電化区間の"非電化改修!"も検討しており、「大人の事情」同士の鬩ぎあいとなるでしょう!
つまり某YoutuberにT坊主などの、運輸族親派の「素人考え!」のように、単細胞直情的な安直な解決策はあり得ません!
第2目 世界に先駆けて貨客混載新幹線車両の開発も必要に
更に、国交省と"経済産業省"協力の下に鉄道車両メーカー、JR各社が航空貨物輸送を参考に、専用コンテナと専用積載車両、専用荷役機械(システム)の技術開発を行い、新幹線の新時代を切り開く必要があるでしょう!
特に、低輸送密度の想定される北海道新幹線では、短編成(6両編成?)化を行ってもpassenger traffic(旅客輸送)だけでは、運行経費、維持管理費、設備更新費の捻出が困難な状況なので、全天候型ライフラインとして大事な青函トンネルを守る意味合いでも、小荷物(宅配便)の混載事業は避けて通れないでしょう!
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第1項 アメリカ大陸横断の歴史
前途したように、最初の大陸横断鉄道は1855年にパナマに開設されたPanama Canal Railway(パナマ地峡鉄道)で、
それまでトレイル(幌馬車隊)と駅馬車に頼っていた、東海岸(アメリカ建国時の13州)と西海岸の準州(カリフォルニア州など沿岸属州)を結ぶ、閉じスティクス、トランジットが一気に活発化したわけです。
そして、1914年のPanama Canal(パナマ運河)開通(全長約80)に繋がり、それまでのマゼラン海峡回りから、大幅に距離時間が短縮できcargo transportationでも大変革をもたらしたわけですが...
そして、リンカーン大統領の掛け声でPacific Railroad Acts(太平洋鉄道法)が制定されて、国策企業Union Pacific RailroadとCentral Pacific Railroadが(Omaha, NebraskaからSacramento, Californiaまでの 1,756マイル(2,826キロメートルを結んだ)が繋がり第2の転機となった訳です!
第2項 最初の大陸横断鉄道ユニオンパシフィック鉄道と統廃合の歴史
日本でもなじみの深い?鉄道会社ですが、Union Pacific Corporation(ホールディングス)の現業部門の子会社です。
元々は前途したようにリンカーン大統領の功績で、1862年に制定されたPacific Railroad Acts(太平洋鉄道法)で起業した"国策企業ユニオン・パシフィック鉄道とセントラル・パシフィック鉄道"が一つになり、その他サザンパシフィック鉄道などを吸収合併してアメリカ西部をカバーする巨大鉄道事業者!となっているわけです。
※以下に同じ名称の鉄道が何度も登場しますが、これらは直接関連はありません!
日本でも嘗て、「大阪鉄道」が何度も鉄道史に現れたように、本社の登記場所が異なった自治体だったり、同じ登記場所でも同時期に重複しなければ「同一社名」で会社を登記(設立)することが可能なわけです。
第1目 Union Pacific Railroad
現在、Union Pacific Corporationが所有する北西部を網羅する鉄道網の、鉄道事業の中核企業としての役割を果たしています。
自社所有26,354マイル(42,413km)、アライアンス各社の路線を使用した、営業距離32,205マイル(51,829km)
第2目 Central Pacific Railroad
生い立ちと経路
Sacrament⇔Winnermucca⇔Ogden
1862年に、Pacific Railroad Actsで最初に設立された国策鉄道事業者で、Sacramentoからユタ州のPromontory, Utahまでの建設を行ないました。
Scramentoが終着点となったのは、Sacramento Riverが,ミシシッピー河同様に、河口から180mile(約290km )上流まで、船舶の航行が可能で、かつAmerican Riverとの合流点に出来た新しい町は、サクラメントの住民は1849年に市憲章を採択し、1850年に州議会によって承認されました。、1850年2月27日にカリフォルニアで最も古い地方自治体となりました。(そしてその後も発展を続け1879年に州都となりました。)
なので、Pacific Railroadの西の起点とされたわけです!
1862年創設→1885年Southern Pacific Transportation Companyに買収される→1988年リオグランデインダストリーズ(ホールディングス)傘下→1996年ユニオンパシフィックコーポレーション(ホールディングス)傘下→1998年Union Pacific Railroadとして事業統合。
第3目 Western Pacific Railroad
初代 Western Pacific Railroad (1862-1870)。
1885年、Southern Pacific Transportation Companyの子会社→1959年Southern Pacific と事業統合(合併)→1996年Union Pacific Corporationの傘下→1998年Union Pacific Railroadとして事業統合。
ミシシッピー河同様にサクラメントと河口部のSuisun Bayの間約42マイル(68 km)は大きく蛇行しており、この間の大型船による水運はeconomyではありませんでした。
そこで、輸送コストの削減を図るために、Pacific Railroadが建設開始されるのに合わせ、カリフォルニア州サクラメントで Western Pacific Railroadが起業されて1852年にすでに完成していた、オークランド河口の輸送埠頭とサクラメント間を結ぶ鉄道を起工したわけ!
この間に、大型船が航行できるSacramento Deep Water Ship Channel(運河)が完成したのは20世紀後半の1963年になってからのことです。、
そして、1869年5月10日Pacific Railroadが開通して、運行を開始した翌年1870年にCentral Pacific Railroad に吸収合併されました。
オークランドが本格的な貿易港となったのは1874年に浚渫が完成して、外洋航路の大型船舶が着岸できるようになってからのことです。
2代目 Western Pacific Railroad(1870年→1916年)
この会社が、後述するDenver and Rio Grande Western Railroadの資金援助を得て、もう一つのロッキー越えラインの1909年開通のFeather River Routeを完成させて、初代CaliforniaZephyr(1950年→)の運行ルートとなった訳です。
3代目 Western Pacific Railroad(1903年→)
1903年設立→1916年2代目Western Pacific Railroadを買収合併、1982年ユニオンパシフィックコーポレーション子会社→1998年Union Pacific Railroadとして事業統合。
第4目 Southern Pacific Transportation Company
変遷
1865年設立→1988年リオグランデインダストリーズ(ホールディングス)傘下→1996年ユニオンパシフィックコーポレーション(ホールディングス)傘下→1998年Union Pacific Railroadとして事業統合。
生い立ち
1865年に設立された会社ですが...1885年にセントラルパシフィック鉄道を傘下に収めるまでは鉄道事業は行っていませんでした。
(※いわば、日本の泉北高速鉄道の様な生い立ちです、当サイト内関連記事 何故 泉北高速鉄道 は御堂筋線の 延伸 ではなく南海高野線と繋がったのか... はこちら。
New Orleansからカリフォルニア州へは
これ以後19世紀中に、ルイジアナ州のAlgiers(New Orleans)⇔Lafayette を結ぶTexas and New Orleans Railroadをはじめ、多くの小規模な鉄道会社を次々に買収・総合して、El Paso⇔Tucson⇔Los Angeles⇔San Francisco、Sacramento間を結ぶ路線網となり,
(※San FranciscoとSacramentoへはLos Angelesで分岐していました。)
東部へは
テキサス州のTylerからSt. Louisへ伸びていたSt. Louis Southwestern Railwayを吸収して、別会社SPCSLCorporationの路線を経てChicagoとも繋がりました。
第3項 現在アメリカの鉄道網は共存共栄の時代に!
嘗てアメリカ全土に40万Kmの路線網を誇っていた鉄道網は
嘗て最盛期の1916年当時は総延長40万Km!にも達して隆盛を極めたアメリカ鉄道網ですが、後述するように空路の発達などで衰退を辿りました。
そこで20世紀後半に大型合併が行われて、以下に示すような、8大鉄道網(と一部の地域鉄道)に集約されたわけですが...
- ●BNSF鉄道 BNSF Railway (BNSF、旧バーリントン・ノーザン・サンタフェ鉄道)
- ●グランド・トランク社 Grand Trunk Corporation (カナディアン・ナショナル鉄道の子会社)
- ●スー・ライン鉄道 Soo Line Railway (カナディアン・パシフィック鉄道の子会社)
- ●CSXトランスポーテーション社 CSX Transportation (CSX)
- ●オムニ・トラックス社 OmniTRAX incorporated (OTI)
- ●カンザス・シティ・サザン鉄道 Kansas City Southern Railway (KCS)
- ●ノーフォーク・サザン鉄道 Norfolk Southern Railway (NS)
- ●ユニオン・パシフィック鉄道 Union Pacific Railroad (UP)
この際に各鉄道会社間のアライアンス(※31)によりRestructuring( 再構築)を行い、"共有区間"を設けて無用な"重複区間"を大幅に削減して、総路線長225,500km(2006年現在)迄路線の断捨離を行いました!
嘗て、 (UP)、Denver and Rio Grande Western Railroad(以降D&RG)、が並走していたOgden⇔Solt Lake City間では共有路線化され、BNSF(Colorado Midland Railway)とDenver and Rio Grande Western Railroad(Union Pacific Railroad)が並走していたDenver⇔Pueblo間では、お互いに行き来できる単線並列区間となり、一部区間はお互いに路線の維持管理・設備更新を折半しあう共有区間にも、Denver⇔Ogden間のD&RGW(Union Pacific Railroad)やOgden⇔Keddie Wye間の旧Western Pacific Railroad(Union Pacific Railroad)などではBNSFの貨物列車がレンタル利用(日本で言う第二種鉄道事業)したりして、競合するのではなく共栄を図っています。
参※31)当サイト内関連記事 広範囲にわたる企業提携(アライアンス)関係とは? はこちら。
日本の鉄オタは"競合関係"が大好きなようですが...
(仙台鳥鉄?)などの日本の「お子ちゃま鉄オタ」は"ライバル関係"という"お言葉が大好き"なようで、日本語版Wikipediaを起筆(翻訳)した「お子ちゃま鉄オタ」も米国鉄道網を理解できないようで、日本で言うところの第二種鉄道事業者区間すなわち「路線レンタル営業区間」区間や、日本にはない"共有区間"(共同所有・共同維持管理区間)の存在に理解が追い付いていないのが読み取れて面白くもあります...
「お子ちゃま鉄オタ」には理解できないのでしょうが、嘗ての西部開拓時代!のような"キョーゴー関係"等は大昔のお話で、今や「無駄を省いて共存共栄(※32)を図る」方向になったわけです!
典型例として、シャイアン郊外に"親切"された、貨物取扱ヤードを"航空写真"をもとに図中に記入しておきました。
サイドバーのCheyenne Cargo Distribution Centerをクリックして拡大してみてください。
広大な敷地に、Union Pacific Railroad、BNSF Railway 共通のDistribution Centerが設けられていて、両社の路線網をconnectしている様子がよくわかります!
参※32)当サイト内関連記事 鉄道事業者 同士が覇権を争うライバル 関係の ご時世 では無くなっている! はこちら。
※ここをクリックするとこのページの"目次 Topに戻れます!
東西の海の玄関口ニューヨーク⇔オークランド(サンフランシスコ)間が直線距離(大圏距離)にして約4,100km (4140km )、cargo transportationの主要都市、シカゴ⇔オークランド間で約3000㎞(2,980km )にもなります。
第1項 米国の"陸蒸気"海上コンテナ輸送について
アメリカの鉄道が、再生できた要因はズバリ、船舶輸送(貿易)との連携、複合貿易貨物輸送システム(land and water combined transportation)に尽きるでしょう。
★ローッキー越えのFeather River Routeの有名なKeddie Wyeを走行中のDouble-stack rail transportのマイルトレーン!
険しい山岳地帯を踏破する大陸横断鉄道でさえ、全長約3㎞!総重量約1万ton超!のマイルトレインが運行されているわけです。
パナマ運河開通後も、米国での東西沿岸都市を結ぶ物流は各都市の発展と共に増加して、特に近年は輸送コスト低減のためにコンテナ船は年々大型化して、パナマ運河を通れないオーバーパナマックス船が一般化して、アジアから東海岸への物流(貿易)を賄うために、貨物を西海岸から内陸部や東海岸に運ぶ手段として複合貨物鉄道輸送(land and water combined transportation)が必要になりました。
Southern Pacific Transportation Companyは、大手コンテナ船会社シーランドの創設者マルコム・マクリーンと共同で、...1977年に初めて二段重ね貨物列車のアイデアを発表した。
現在Union Pacific Railroadの傘下に入ったSouthern Pacific Transportation CompanyはACF Industryと専用台車を共同開発してその後 アメリカンプレジデントラインズと提携(アライアンス※41)して、1984年に最初の総二段重ね貨物列車がSouthern Pacific Transportation CompanyからConsolidated Rail Corporationに直通してロサンゼルスからKearny, New Jersey間に"Stacktrain" rail serviceの名前で運行開始されました。
参※41)当サイト内関連記事 広範囲にわたる企業提携(アライアンス)関係とは? はこちら。
第2項 キーワードは1万トン輸送!と、Double-stack rail transport
アメリカ鉄道網(鉄道事業者)の再生には、1列車当たり1万トン!の貨物輸送と、それを実現するためのDouble-stack rail transportが欠かせない必須条件となっていたわけです。
つまり結論から言ってしまえば、現状のJR貨物のMax1,300 ton輸送体制では、"速達性"以外は内航航路の船舶(フェリー※)に対抗できず、最低でもかつて目指したEF200形電気機関車による1,600 ton輸送体制が必要なわけです!
参※)燃料やセメントなどの粉・液輸送や原料関係(鉱石、石炭、原油、木材チップ(製紙原料))などのバラ済み輸送はバルク船やタンカーが主体で、その他の製品・生活物資輸送も大型化した長距離フェリーにトレーラー(コンテナ)部分だけを乗せて、積み込み・積み下ろし港からは地元営業所のトラクター(牽引車トレーラーヘッド)が港⇔customer(荷主)間を輸送するシステムが定着しています!
第1目 Double-stack rail transport
Double-stack rail transport (複層鉄道輸送)とは海運と鉄道を一体運用して、アジア⇔ヨーロッパの東回りの東西貿易を維持するために考えられたシステムでいわば複合貿易貨物輸送システム(land and water combined transportation)と呼んでも差し支えないシステムです。
第2目 海上コンテナの規格
基本となる海上コンテナには,色々な、形状、サイズ、種類がありますが...
一般的(米国内)で流通しているコンテナは、
長さX巾 X高さX最大積載重量が以下の数値で
○ [1AAA] 12,192 mm (40 ft) 2,438 mm (8 ft) 2,896 mm (9 ft 6 in) 30,480 kg (67,200 lb)
○ [1AA] 12,192 mm (40 ft) 2,438 mm (8 ft) 2,591 mm (8 ft 6 in) 30,480 kg (67,200 lb)
○ 1CC 6,058 mm (19 ft 10-1/2 in) 2,438 mm (8 ft) 2,591 mm (8 ft 6in) 20,320 kg (44,800 lb)
のISO 668コンテナ規格と
アメリカ国内規格 14,630 mm (48 ft) 2,591 mm (8 ft 6 in) 2,908 mm (9 ft 6 in) 重量制限無し!
APL 13,716 mm (45 ft) 2,438mm (8 ft) 2,908mm (9 ft 6 in) 重量制限無し!
マトソン 7,315 mm (24 ft) 2,438 mm (8f t) 2,603 mm (8 ft 6-1/2 in) 22,680 kg (50,000 lb)
シーランド 10,688 mm (35 ft) 2,438 mm (8 ft) 2,603 mm (8 ft 6-1/2 in) 22,680 kg (50,000 lb)
が一般的に鉄道輸送されています。
つまり、最大で、総重量100ton,(軸重25ton)長さ18m
積載重量60ton(又はそれ以上!)の貨物が自重40ton 近いキャリーに積まれて,時には10両のDLと合わせて170両以上!、全長約3㎞!編成重量10000ton以上!の貨物列車が最高時速80mile/h(約120㎞/h)で大草原をつっ走っているわけっです!
第3項 正しく陸上を走る、"陸蒸気"そのもの!
しかしこのシステムが他の鉄道会社にも普及して一般化し、鉄道事業そのものが復活するには更に長い年月を要しました!
♥以下はBNSF鉄道の先頭牽引x4両、中間x3両、後押しx3両 合計10両!DL編成の例 4,400hpX10=44,000hp≒33,000Kw!
第1目 実現までには莫大な再投資も
米国CSX社ではレール上の車両限界として、以下を規定しています。
- Doublestack 1 -- 18 ft 2 in (5.54 m)
- Doublestack 2 -- 19 ft 2 in (5.84 m)
- Doublestack 3 -- 20 ft 2 in (6.15 m)
つまり電化した場合、米国、オーストラリア大陸同様にトンネルの必要ないインド大陸?では、架線の高さは6.5m(日本では4.5m)、(新規の3段積対応路線として7.45mも)が設定されています。
これ以外に積載量が倍増するための軌道強化策、として橋梁の架け替え!、重軌条化(60㎏→80㎏)(※42)
(※42)日本国内では、新幹線で使用されている60kg軌条が一般的には最大で、80kg軌条の規格(ISO,ASME,JIS)はあっても、製鉄所のトーピードカー用の構内軌道ぐらいでしかお目に掛かれませんが、多層化の進む米国では一般幹線(maine line)でも使用されだしています、しかも皮肉なことに、嘗てカーネギー製鉄所からの輸入レールに頼っていた「日本でしか製造できない(されていない)」ので、米国の鉄道は日本製レールで成り立っているわけです!
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コロラド州の鉄道網を語る上で大事な点は、鉄道網が北海道同様にexploitation railway(開拓鉄道)"殖産鉄道"&Mining-railway(鉱山鉄道)として拡張されてきて、inter-Cityとしてのpassenger traffic(旅客輸送)が全く考慮されていない経緯によります。
第1項 コロラド州の鉱山鉄道・森林鉄道とは
夫々のMining-railway(鉱山鉄道)が人気のない山中を「さ迷って」路線を拡大していったのは、鉱山開発のためであり、このエリアのpassenger traffic(人の往来)を念頭に置いたものではないのです!
西部開拓時代の州に昇格する以前の、準州時代も含め隣接準州のterritory(領有地)時代には、鐡道の事業免許には地権つまり沿線一帯の所有権(鉱山開発権)も含まれていました!
なので、Denver and Rio Grande Western RailroadとDenver, South Park and Pacific Railroadが別別の経路を辿らざるを得なかったわけです!
州に昇格した1876年8月1日以降の1883年に開業した、最後のMining-railway(鉱山鉄道)Colorado Midland Railwayは、鉱山開発権とは分離されたcargo transportation(貨物輸送鉄道)を主要目的とする鉄道事業免許だったので、一部区間をDenver and Rio Grande Western Railroadと共有したりもできました。
いずれにせよ、運ぶもの(鉱物資源)が枯渇しては、「収益の柱が無くなり」事業継続が困難になった訳です!
現在、旅客事業を行っていない岩手開発鉄道はいわば主要出資者の太平洋セメントの専用線であり、鉱山が閉山しない限りは事業継続するわけですが!...
第2項 嘗てプエブロはコロラド州経済をさえるコロラド州第2の人口を誇る"製鉄"の町だった
Puebloは米国有数の製鉄所 Colorado Fuel and Ironの町でした。
北海道で言えば、室蘭にあたる街です。
有名なロックフェラーの財閥の拠点となっていたのがColorado Fuel and Iron(1881年創業コロラド製鐵)でした。
アメリカ人ならよく知っていることですが、Puebloは、ロッキー山中の豊富な鉄鉱石と良質な石炭でピッツバーグのカーネギー製鉄と並ぶ、製鉄の町となりましたがその後...
第2次大戦後の1949年にDenver South park and Pacific Railroad(後のColorado and Southern Railway)は最後の旅客営業を終えて、ミッドランド駅(コロラドスプリングス)は廃止されました!
つまり日本より半世紀以上も前に、ルーラルエリアでは、貨物輸送無くしては鉄道事業が成立しないことが証明されていたわけです!
しかし北海道ではいまだに...
第1目 Puebloに至った最初のインターシティーは
Pueblo, Colorado はColorado Fuel and Iron(1881年創業コロラド製鐵)により、米国有数の製鉄の町に発展していましたが...
Denver and Rio Grande Western Railroadが開業した当初は、東部と結ぶインターシティー鉄道は存在していませんでした!
プエブロに、東部と結ぶインターシティー鉄道が開通したのは1876年になってからのことです。
これは、、後述する協定に下ずきAtchison, Topeka and Santa Fe Railwayが州境のRaton Passを通らないルートで、Puebloへのルートを建設したためです。
第2目 Denver and Rio Grande Western Railroadと、Southern Pacific Transportation Companyが合併しなかった当たり前?の理由とは
フィリップ・アンシュッツ (Philip Anschutz) 率いるD&RGWの親会社、リオグランデ・インダストリーズ (Rio Grande Industries) は1988年にサザン・パシフィック鉄道 (SP) を買収した。《Wikipediaより引用》
但し事業統合・合併はしませんでした!
アメリカの鉄オタ?も残念がる件ですが...
つまり、完全に合併してしまうと、"運賃体系""労働条件"を同一にしなくてはならず、経営者にとっては不利となるわけです!
つまり、Southern Pacific Railroadとして"共通ブランド"で営業を行いながら、実際は第1種鉄道事業としては分離したほうが金儲けには都合が良い訳!わけです。
現在の巨大企業アムトラックの問題点はここにあるともいわれており、巨大企業(事業体)では、労働条件、料金体系が問題となってきて、企業として収益を上げるのが厄介になってくるわけ!です(※51)
なので、株式非公開・非上場の子会社でありながら、社内カンパニーのような形で、泉北拘束?鉄道(※52)が存在しているわけです!
参※51)当サイト内関連記事 ホールディングスとは はこちら
参※52)当サイト内関連記事 何故 泉北高速鉄道 は御堂筋線の 延伸 ではなく南海高野線と繋がったのか... はこちら。
日本でも嘗ての国鉄が解体された理由の一つに
つまり"独立採算"企業内カンパニーの考え方は、起業家・投資家にとっては魅力的な経営方針ではあるが...
受益者であるcustomer(取引先・荷主)とpassenger(上客?)、worker(従業員)にとってはあまり有難くはない訳!
嘗ての国鉄を懐かしむ人が多いのはこのためで、超巨大事業体だった日本国有鉄道では、"基本"全国一律運賃・一律賃金体系であったことが、"事業"としての"採算性"を圧迫して、トータルでの事業メリットを阻害していたといえるでしょう。
つまり、事業化、投資家にとっては、ホールディングス組織や、社内カンパニー制度は、企業存続(利益を守る)を計るためには、良作となりますが...
鉄道利用者(一般利用客)にとっては、断捨離(リストラ)による路線統廃合で、"面白みのない鉄道"となり...荷主にとっても、"高額運賃"に繋がりeconomyではなくなるわけです
第3項 生い立ちの異なる4社
Pacific Railroad Actsで大陸横断を目指したKansas Pacific Railway(現Union Pacific Railroad)と、地元勢力のDenver and Rio Grande Western Railroad、Denver, South Park and Pacific Railroad、Colorado Midland Railwayでは大きく生業(なりわい)が異なりました。
つまり、Pacific Railroad Actsに下ずくTranscontinental Railroad(大陸横断鉄道)を目指したKansas Pacific Railway は inter-ocean 運輸を狙っていましたが...
他の3社は、"開発鉄道"鉱山鉄道を目的に開業しました。
第1目 州都Denver に到達した最初のpassenger traffic(旅客輸送)はDenver Pacific Railway and Telegraph Company
Cheyenne(Wyoming州)に先手を取られたコロラド州!
1862年に制定されたPacific Railroad Acts(太平洋鉄道法)により、1869年5月10日にFirst transcontinental railroadとして知られる "Pacific Railroad"がマディー川・ノースフォークマディー川・クロー川を遡ったCheyenneを通り開通したことにより、
Wyoming州は "Pacific Railroad"の東側を担当するUnion Pacific Railroadが、Cheyenneに1867年に到達したことを踏まえて、1868年7月25日に、連邦政府が確立ワイオミングを準州に昇格させて、Cheyenneを州都としました。
当時カンザス準州、ネブラスカ準州のterritory(領有地)だった現コロラド州Front Rangeの要衝デンバーの有力者・財界人たちは危機感を覚え、
- ●Cheyenne⇔Denver間に Denver Pacific Railway and Telegraph Companyを1870年6月24日に開業して、
- ●更に1870年8月15日に(transcontinental railroadを狙って)Denver⇔Kansas City間に両都市から鉄道建設を始めたKansas Pacific Railway(現Union Pacific Railroad)がStrasburg(Colorado州)で繋がり。(1869年に完成していた)Hannibal BridgeでSt.Louisとも結ばれ、
- ●1874年にMississippi River に掛かるEads Bridgeが完成して、Denver⇔Chicago 間に♥直通ルートが完成して、東部と西部を結ぶ第2の直通鉄道ルートとなりました。
第2目 コロラド州誕生とコロラド・シルバーブーム
そして1876年8月1日(アメリカ合衆国建国100周年から28日後)、コロラド州が合衆国第38番目の州として昇格して、同時に1878年にLeadville近くで大きな銀の鉱脈が発見され、コロラド・シルバーブームが始まったわけです!
つまりこの鉄道Kansas Pacific Railway(現Union Pacific Railroad)は、Pacific Railroad同様にtranscontinental railroad(大陸横断鉄道)を目論んだpassenger traffic(旅客輸送)が目手だったわけです。
参※)当初のPacific Railroadが東の起点(終点)をOmaha としたのは,ミシシッピー川の支流Missouri Riverを渡河する橋が1872年3月22迄完成しなかったためです。
第4項 Denver and Rio Grande Western Railroadの生い立ち
嘗ての官営幌内鉄道とよく似たexploitation railway(開拓鉄道)&Mining-railway(鉱山鉄道)が1871年7月28日に営業開始した、Denver and Rio Grande Western Railroadです。
Denver and Rio Grande Western Railroadは、1870年にFront Rangeに沿って開拓された町々(砦)を結んで、DenverとEl Pasoを結ぶ,exploitation railway(開拓鉄道)として起業されました。
結局は、BSNFの起源の一つAtchison, Topeka and Santa Fe Railwayとの戦いに敗れ、Mining railway(鉱山鉄道)としてコロラドローカルエリアの振興に向かったので、大陸横断旅客ラインを目指した各ラインとは異なり、旅客はあまり考慮されていませんでした。
ミシシッピー河の支流サウスプラット川を遡って、西部開拓、鉱山開発の拠点となったDenverですが、
1870年当時はFront Rangeにあるワイオミング州、コロラド州、ニューメキシコ州はいずれも準州で、西部開拓の真っ最中でした。
第3目 exploitation railway(開拓鉄道)を目指したDenver and Rio Grande Western Railroad
前途したようにDenver and Rio Grande Western Railroadは Cheyenne⇔Denver間の Denver Pacific Railway and Telegraph Companyの完成を受けて、Front Range(※53)」山脈に沿って南端のElPasoまでを結ぶFront Range回廊を目指したわけです。
1870年当初はデンバーとニューメキシコ州のサンタフェを結ぶexploitation railway (開拓鉄道)を目指して起業されましたが、その後、ロッキー山中に眠る、豊富な鉱物資源(鉄鉱石、良質な石炭)開発を目的とする典型的なMining-railway(鉱山鉄道)としての鉄路を辿り、Puebloの発展とコロラド州の経済を支える原動力となった訳です。
つまりDenver and Rio Grande Western Railroadは典型的なMining-railway(鉱山鉄道)として成長したわけです。
参※53)Front Rangeとは正しくローキー山脈の前縁山麓!に当たる部分で、南北千キロ以上にわたって続くロッキー山脈が西部の大草原から立ち上がる?山麓部分で、現在でも南北交通路の重要な回廊の一つとなっていて、Interstate 25号(州間高速道路)が貫いています。
2番目の大陸横断鉄道 Atchison, Topeka and Santa Fe Railwayとの壮絶な死闘!
ニューメキシコ州のDemingで1881年3月にSouthern Pacific Railroad(SP)と接続して2番目の大陸横断鉄道ルートを開設したAtchison, Topeka and Santa Fe Railway(サンタフェ鉄道)との間で(殺し屋!迄動員する)壮絶な争いとなり、結局サンタフェ鉄道と和解してRatonまでの州境を越境するルートを譲り、ミドル川に沿って渓谷をさかのぼり、Fir Summit Amphitheater(La Veta passs)を超えて、ワゴン川沿いに下って鉄鉱石の産出地Alamosaを目指しました!
このルートは pioneer(開拓者)達がtrail(幌馬車道)として開拓した路で、途中に、石炭、鉄鉱石などの鉱脈(鉱山)も発見されていたルートです。
Veta pass 付近の現在Forbes Park,Coloradoとして知られている谷間の高原には、森が広がっていて木材の伐採地となっていて、森林鉄道としても貢献しました。(※71)
New Mexico準州(※72)のRaton,に石炭層が発見されて、Ratonに向かいましたが...
参※71)北海道にあった、嘗ての武利意森林鉄道についての、当サイト内関連記事 森林鉄道《鉄道人気スポット ナビ》まるせっぷいこいの森 はこちら。
参※72)New Mexico州はまだ生まれておらず、州境は未確定の状態でした。New Mexico州が準州から47番目の州として昇格したのは1912年1月6日。
第5項 後発組の2つのMining-railway(鉱山鉄道)
第1目 最初からMining-railway(鉱山鉄道)として歩んだDenver, South Park and Pacific Railroad
1872年に開業して、1893年に倒産し!1894年に Colorado and Southern Railwayに買い取られたDenver, South Park and Pacific Railroadは最初からMining-railway(鉱山鉄道)の鉄路(みち)を走り出しました。
現在Leadvilleからの一部区間が保存鉄道Leadville, Colorado and Southern Railroadとして不定期運行しています。
また、Georgetownでは観光保存鉄道Georgetown Loop Railroadとして季節運行されています。
※いずれもGooglemapのサイドバーの地名をクリックすると周辺が拡大されます。
第2目 Mining-railway後発組Colorado Midland Railwayはシルバーブームの衰退と運命を共に
更に、1876年8月1日のコロラド州成立後の1883年に開業した最後発のColorado Midland Railwayは、ズバリMining-railway(鉱山鉄道)を生業としていました!
なので態々険しい「人気のないロッキー山中を"さ迷って!"leadvillを通過して鉱山町Aspenを目指したわけです!
この会社は1890年9月にAtchison, Topeka and Santa Fe Railway,(現BNSF)に売却されて、Puebro⇔Denver間が組み入れられて、その他の区間は廃止!されて、同じくDenver and Rio Grande Western Railroadを買収したUnion Pacific Railroadとダブルトラックでこの間の貨物営業を行っています。
シルバーブームがさり沿線の銀山、金山、鉄鋼・石炭鉱山町が衰退して、Old Coloradd City(現Colorado Springs) の"鉱石市場"がすたれて町が衰退した時に、人気のない渓谷を結んでいたColorado Midland Railwayは運ぶものが無くなり!使命を終えたわけです!
第3目 コロラド鉄道協会の公式コンテンツについて
「アメリカの鉄オタ」もこの辺が理解できないようで、懐古趣味に満ちた「公式コンテンツ?」を制作するのでしょうが?...
先ず、Denver and Rio Grande Western Railroad、Denver, South Park and Pacific Railroad、Colorado Midland Railwayの3つの異なった事業者をMining-railway(鉱山鉄道)として一括りにして、紹介しています。
これでは、夫々の存在した理由の説明にはなりません!
更に、Mining-railway(鉱山鉄道)の使命cargo transportationと、開通当初のtranscontinental railroad(大陸横断鉄道)の果たしたpassenger traffic(旅客輸送)の役割をあやふやにして、混同して説明しています。
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第1項 西部を縦貫する3つの山脈
日本人の概念(受けた教育)ではロッキー山脈は南北に連なる巨大な山脈と考えられがちですが、アメリカ大陸がプレート異動で誕生した際に、太平洋プレートにぶつかりできた"大きなシワ"が西海岸を南北に貫く、ロッキー山脈、シエラネバダ山脈でロッキー山系は、日本アルプス同様にいくつもの連峰が複雑に折り重なっていて、全体として巨大な山系を形成しているわけです。
ミシシッピー川水系を西に辿ると出くわす山系がロッキー山脈でその山麓に広がった南北に広がる一帯がFront Rangeと呼ばれるAreaです。
ロッキー山系の山麓に沿って南北に伸びるFront RangeがFront Range urban corridor と呼ばれる都市回廊を形成しているわけですが...
後述するDenver and Rio Grande Western Railroadは、このFront Rangeに沿って開拓されたた、町々(砦)を繋ぐ縦貫ラインとして発想されたわけです。
日本で言えば、日本鉄道(東北本線)に当たる"殖産鉄道"と言うことになります。
現在はInterstate 25号(州間高速道路)がニューメキシコ州の国境の町El Paso(Las Cruces)(※14)からコロラド州を通り、北部のワイオミング州のBuffaloまでFront Rangeに沿って貫いています。
参※14)正確にはEl Paso⇔Las Cruces管はInterstate10号(州間高速道路)
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Colorado Midland Railwayが自滅!した後の第2次大戦後も、標準機に改軌したDenver and Rio Grande Western RailroadのMissouri Hill routeが生き延びれたのは、前途したPuebloのColorado Fuel and Ironがまだ元気だったからです!
つまり、北海道の室蘭と違って海路(海運)による原料・製品輸送が出来なかったColorado Fuel and Ironにとっては、「陸蒸気の存在は欠かせなかった」わけです!
しかしその後訪れた鉄鋼不況でColorado Fuel and Iron自体が衰退して、原料輸送のMining-railway(鉱山鉄道)Tennessee Pass routeの使命も終わったわけです!
更にMoffat Tunnel route が現在生き残っているのは旧Denver and Salt Lake Railway(Moffat Tunnel route)沿線にいまも鉱山が操業を続けており、需要があるからです!
第2項 Tennessee Pass routeがeraseされた理由とは
Tennessee Pass routeが早晩廃止されたのは、Moffat tunnel line沿線にある石炭鉱山から、前途したプエブロにあるColorado Fuel and Ironへの石炭輸送の必要が無くなったことが最大の理由でしょう!
更に
大陸横断貨物のneedsに合わなくなった
transcontinental transit cargo transportation(大陸横断貨物)を賄うには前途したDouble-stack rail transportが不可欠となりますが...
Tennessee Pass Railway tunnelはDouble-stack rail transportへの対応はしていない!
Tennessee Pass Railway tunnel をDouble-stack rail transport対応に改修するには膨大な費用が!必要となります!
第3項 Moffat tunnel lineの将来は...
Moffat tunnelラインの問題点も Double-stack rail transportに対応していない事です!
videoでBNSF が走っているのはこの区間は前途した共有区間(アライアンス)区間になっているためで、鉱石運搬貨車が写っているのもこの路線性格であるMining-railway(鉱山鉄道)を良く表しています。
地図中にピンク色で示した区間は、要所要所に設けられた2Km前後の待避線区間で、マイルトレインに対応していることがわかりますが...
延長10Kmにも及ぶMoffat tunnel と3つの長大トンネル群はいずれもDouble-stack rail transportには対応していないので、沿線の石炭鉱山が閉山されると、Tennessee Pass route同様に廃止されるでしょう。
第4項 険しいFeather River Route!が残ったのは
Williams Loopや随所のΩラインで有名なFeather River Route!が残ったのは、後述するMoffat Tunnel route やTennessee Pass routeのように長大トンネルが無かった!ので、Double-stack rail transport対応の改修が容易だったからです。
第5項 大事なポイントは
日本に限らず"鉄オタ"は、「やれ標準軌が、スピードが...」と枝葉末節に拘りたがりますが...
これら3つのロッキー越えのMining-railway部分が無くなったのは、"運ぶ資源が枯渇した"からにすぎません!
つまり北海道も同様に、「黒いダイヤ」を必要とし無くなった現在、ほとんどの元Mining-railwayは必要なくなったわけです!
某土建屋傾Youtuber「鉄某頭?」が、『自然災害に強い路線を作れば...』などと嘯いていますが、
自然災害は防げても、"人災?"(需要の変化)は防げません!
アメリカの「鉄某頭?」さんもTennessee Pass復活の可能性云々(うんぬん)を言っていますが...
資金面で再投資は不可能!でしょう。
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前途したように、当初はexplorer(探検家)が発見した"川"に沿ってPioneer(開拓者)が拠点の町々を開拓して各町を結ぶtrail(幌馬車道)が出来て、Pioneer(開拓者)がカリフォルニアを目指し、町々を駅馬車が結ぶようになり、trailに沿って"快適な移動手段"としてtranscontinental railroad(大陸横断鉄道)が敷設されて、"黄金渓"カリフォルニアへの開拓者が利用するようになったわけです。
つまりtranscontinental railroadはパナマ鉄道に代わる、大西洋と太平洋を最短時間で結ぶinter-ocean railway(大洋間鉄道)でもあったわけです!
その後は、ほぼ一世紀を経過して、"舗装道路"がアメリカ全土を隈なく網羅するようになり、local areaのpersonal useは馬車からAutomobilesに移り、航空機の発達で、inter-ocean passenger trafficは空路の時代になったわけです。
第1項 コロラド州のpassenger trafficは
一方、西部開拓のFrontier(前哨ライン)ともなったコロラド州ではFront Rangeの開発拠点であるデンバーから、後述するexploitation railway(開拓鉄道)"殖産鉄道"としてMining-railway(鉱山鉄道)がロッキー山中に分け入って、山中にある"鉱山"を繋いでいったわけですが...
何れも、cargo transportationが主目的で、各transcontinental railroadのように「旅人にとって快適な乗り物」を目指したものではありませんでした!
但し地元資本が主体となって、1870年6月にはCheyenne⇔Denver間に、そして1870年8月にはKansas Cityと繋がりKansas Pacific Railwayとなり1874年にはMississippi River にEads Bridgeが完成して、Denver⇔Chicago 間の直通ルートが完成しましたが...
transcontinental railroadを目指していたKansas Pacific RailwayもDenverと東部を結ぶアクセス鉄道となりましたが、ロッキー山脈を越えてカリフォルニアとを結ぶtranscontinental railroadには成れなかったので、transit passenger traffic(通過客)利用のメインルートとはなれませんでした!
つまり、Denver and Rio Grande Western Railroad(以降D&RG)がプエブロから、有名な」Royal Goegy を経由してSalidaを通りSalt Lake Cityに至る狭軌路線がRoyal Goegy routeが1883年3月に完成していましたが、Salt Lake City⇔Ogden間はUPが所有しており、Denverから西海岸へは乗り換えが必要でした。
transcontinental transit passenger trafficにも使えるようになったのは1901年になってから
つまりtranscontinental transit passenger traffic(通過客)には役立たなかったわけです。
Tennessee Passを超えてDotseroを経由してGrand Junctionで1889年にSouthern Pacific Transportation Companyとの直通をめざして標準軌に改軌するために分離したUtah Division (D&RGW)とと繋がり2代目Western Pacific Railroadと直通運行を開始したのは1901年
になってからの事で2代目Western Pacific Railroadと直通列車を運行できるようになり、DenverでKansas Pacific Railwayと連絡(乗り換える)ことにより大陸横断のtransit passenger trafficとしても機能しだしましたが...
第2目 空路の発達との関係
何処の国でも「懐古趣味の鉄オタ共」は鉄道に執着しますが...
D&RGWが1931年にDenver and Salt Lake Railwayを買収して、同ラインのBondと南回りルートのDotseroとを結ぶ短絡線(64 km)を建設開始して、1934年にDenver ⇔Dotsero,Glenwood間のバイパス路線が完成して、Denver⇔Salt Lake City 間が繋がり、transcontinental railroadのpassenger traffic(旅客輸送)の主役 Rio Grande Zephyrが経路変更をして、Moffat Tunnelルートに移ったことがTennessee Pass route(コロラドスプリングス・プエブロ経由南回りルート)の終わりの原因だと、鉄オタ共は主張しますが...
Front Range urban corridor(フロントレンジ回廊)の中心地Denverでは、1929年には始祖となる 旧デンバー市民空港が開港していて主に郵便機の為に使用されていました。
戦後になって遅れて誕生したデンバー経由のtranscontinental transit passenger traffic
Denver and Rio Grande Western Railroadが1934年にMoffat TunnelルートにRio Grande Zephyrを移した2年後の1936年9月にはAmerican Airlines(アメリカン航空)がDouglas DC-3の国内線への就航を開始して、Inter-City passenger traffic(都市間旅客輸送)は空路の時代に移ろうとしていました。
空路が整備されだした頃
DC3の登場でアメリカ国内航空路は完備されだしましたが...
当時の、プロペラ機ではまだ、長距離空路は無理で、大陸横断では乗り継ぎが不可欠でした。
つまりConvenience(利便性)が確保されているとは言えない状況でした。
Economical(経済性)を持ち合わせているともいえず、更にものすごい騒音で更に高額運賃の割にはcomfort(快適性)も無く余程忙しいビジネスマンでもない限りは、「態々乗り継いで迄」大陸横断に飛行機を利用する旅人は数少ない存在でしたが...
Front Range urban corridorの交通の要衝デンバーでは空港整備も進んだ
現在のデンバー国際空港が開港したのは20世紀の終わり1995年2月28日になってからのことですが...
終戦間際の1944年には拡張されてStapleton International Airportに改名して、レシプロ大型機DC-6(DC7)の離発着が可能となっていました!
第2次大戦終戦後1947年登場の究極のレシプロ大型機DC-6(DC7)が長距離空路を開拓して
第2次大戦終戦後の1947年に登場した究極のレシプロ大型機DC-6(DC7)が大成功をおさめ、大西洋空路、などの長距離国際線で大活躍しだしました。
最早大西洋横断も太平洋横断も航空機の時代に突入していました、更にアメリカ国内の大都市間を結ぶ中距離・国内線にも就航しだして...、
大陸横断鉄道としてchicago, Burlington and Quincy Railroad(現BNSF)、3代目Western Pacific Railroadの3社で直通便が初代California Zephyr(※51)として共同運航されだしたのは、空港整備が進み快適な大型機が就航しだした1948年になってからのことです。
最早この時期になると、ほとんどの大都市間は空路で結ばれており、しかも大型軍用機で開発された気密構造の機体は騒音も減少して、快適な空の旅を楽しめる時代になっていました!
更にアメリカン航空が1959年1月25日にBoeing 707で初の大陸横断ノンストップ空路を開設して、アメリカは一気に、国内空路の時代に入ったわけです!
参※51)1970年に運行を終了して 1983年4月24日からAmtrakが同じ名称で運行を開始したわけです。
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直線距離(大圏コース)にして東西約4180㎞!(ニューヨーク⇔サンフランシスコ)南北約2630㎞の広大なアメリカでは、東西海岸の大都市間移動に係らず主要都市間の中・長距離移動は空路が常識で、各主要都市には1つ以上の"国際空港"(ジェット機マーク)が備わっていて、直接世界の各都市とも繋がっています。
つまり、ビジネスは勿論、余程の暇人でもない限りは一般旅行客も、長距離移動は空路を使うのが普通です。
例えば、前途したコロラド州の各スキーリゾートへは、デンバーまで空路で移動するのが当たり前で、そこから西方のWinter Parkへロッキー遊覧を兼ねてCalifornia Zephyrを利用することはあても、シカゴや、サンフランシスコから列車で移動する人はいません!
第1目 あったかいカリフォルや砂漠のネバダ州にも多数のスキーリゾートが
あったかい"南国のイメージ"があるカリフォルニア州、そして荒涼とした熱い砂漠のイメージの有るネバダ州ですが...
西海岸から山一つ越えたLake Tahoe(タホ湖)周辺には、巨大なスキーリゾートが沢山あり、勿論近くにはregional airport(地域空港)があり、日本人がイメージしているようなマイカーによる"スキー渋滞"は生じません!
日本各地に出来た、新幹線巨大乗換駅が都心に成長できた例は少ない!
パシフィック鉄道の開業で、ネブラスカ州のterritory(領有地)から準州に昇格して、州都となったシャイアンも、パシフィック鉄道開通当初は、『もはやデンバーの時代は終わった!...』などと嘯いていましたが...
2010年現在ではデンバーの足元にも及ばない人口59,466人のチッポケなrural town!です。
つまり、「鉄道幹線を誘致できても、地勢(地の利)までは変えられない!」という先例です。
新大阪駅がいつまでたっても都心になれないのはこのためです!(※91)
参※91)当サイト内関連記事 周辺オフィス街から隔離された 新大阪駅 では 北陸新幹線 も リニア中央新幹線 もやってこない?... はこちら。
鉄道駅が無くなっても...
アメリカには、鉄道駅が無くなっても、立派に存続している町はたくさんあります!
今や中途半端なインターシティー特急より、point to pointで(世界の)大都市と直接つながった"ジェット機様"のほうが有難いわけで...
コロラド州には嘗ての広大な"鉄道駅の跡地"を利用してジェット機も離発着できる立派な"regional airport(地方空港)を建設して再利用している都市も沢山あります!
直線距離(大圏コース)にして東西約4180㎞!(ニューヨーク⇔サンフランシスコ)南北約2630㎞の広大なアメリカでは、東西海岸の大都市間移動に係らず主要都市間の中・長距離移動は空路が常識で、各主要都市には1つ以上の"国際空港"(ジェット機マーク)が備わっていて、直接世界の各都市とも繋がっています。
つまり、ビジネスは勿論、余程の暇人でもない限りは一般旅行客も、長距離移動は空路を使うのが普通です。
例えば、前途したコロラド州の各スキーリゾートへは、デンバーまで空路で移動するのが当たり前で、そこから西方のWinter Parkへロッキー遊覧を兼ねてCalifornia Zephyrを利用することはあても、シカゴや、サンフランシスコから列車で移動する人はいません!
第1目 あったかいカリフォルや砂漠のネバダ州にも多数のスキーリゾートが
あったかい"南国のイメージ"があるカリフォルニア州、や熱い砂漠のイメージの有るネバダ州ですが...
西海岸から山一つ越えたLake Tahoe(タホ湖)周辺には、巨大なスキーリゾートが沢山あり、勿論近くにはregional airport(地域空港)があり、日本人がイメージしているようなマイカーによる"スキー渋滞"は生じません!
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♥《アメリカから学ぶ持続可能な鉄道事業》関連特集記事のご案内
※以下の♥タイトルをクリックするとシリーズ記事全てにジャンプ!できます。
- ♥《Theme》アメリカ 鉄道 網がどのように 再生 したか?についての考察《 持続可能な鉄道事業 》 の目次
- (summary)日本の"鉄オタ"は maniac の域を超えて正しく鉄道狂(railway mania)となっている方が多い要で...特に鉄道系Youtuberと言われるひとの殆どが...更に独自サイトを展開している"鉄道教"入信者は...、
- ♥《chapterⅠ》アメリカ建国に重要な役割を果たした大河川 ー 前編 ー の目次
- (summary)アメリカ大陸は、コロンブスがアメリカ航路を見つけるずっと以前の11世紀初頭にヴァイキングが現カナダのNewfoundland一帯を発見して、ネイティブアメリカンと毛皮交易を始めたのが最初と言われています
- ♥《chapterⅡ》アメリカ建国に重要な役割を果たした大河川 ー後編ー の目次
- (summary)嘗て、大河・運河に代表される水運は快適な移動手段でもあり、大量貨物を扱える重要な輸送手段でもありました。
- ♥《chapterⅢ》BNSFとMilwaukee Roadから学ぶ「持続可能な鉄道事業」実現のための教訓とは.... の目次
- (summary)嘗て黎明期の動力鉄道は、passenger trafficにしか対応できないtransporterで、public transportationとして利用するには不完全なtransit(交通機関)でした。正しく19世紀の新幹線だったわけです!
- ♥《Appendix Ⅰ》海上コンテナ ( Intermodal container ) の 鉄道 輸送について の目次
- (summary)世界の貿易貨物は Intermodal container 輸送の時代に入っています!アメリカ大陸、ユーラシア大陸ではリスクの大きいcontainer shipからrailroadを利用した cargo transportation に注目が集まっています。
- ♥《Appendix Ⅱ》 運輸族代議士や地方議会議員 が 鉄道 新線を "建設したがる訳!" とは... のTop index
- (summary)某時事Youtuberの 公共投資の在り方を説いたコンテンツに、土木関係者?を装った正体不明の投稿者から「公共投棄」土木事業の必然性をぶち上げた"恫喝"コメント!が寄せられたそうです!...
- ♥《Appendix Ⅲ》 パブリックコメント 制度とは... のTop index
- (summary)パブリックコメントとは聞こえはいいですが...一方的な押し付け Delusion! についての assessment(評価)を求めている?だけで、consensus(総意・協心)を得るための意見聴取ではありません!
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"温故知新"と言う格言があります。
「人は歴史から多くのことを学んだ」と言われていますが、「railway mania(鉄道狂!)は同じ失敗を繰り返している!」といえるのではないでしょうか!
旧建設省派の運輸族は、"鉄拳公団"解体後、羽振りが悪くなり、政治献金・票田確保の為に、"こうそく(拘束?)passenger trafficである"整備新幹線建設推進プロジェクト"に躍起になっていますが...
欧米では
彼ら日本の運輸族(とその"親派")が、"蔑視!"しているcargo transportation(貨物輸送)に基軸を置いたrailway systemやCanal networkが"欠かすことのできない存在"として今も重宝がられています。
また欧米先進諸国では、air lineとrailway systemが競合するのではなく、お互いに補完し合って"共存"しています。
更に発展途上国では高速バス(長距離バス)が、railway systemの活き渡っていないareaをカバーして大活躍しています。
更にさらに...中国では
高鐵(高速新線)とhighway(自動車道)がほぼ同時に並行して建設されて全土をカバーしています!
つまり、highway(自動車道)は鉄道の敵(かたき)ではなく、お互いを♥補完し合う"相棒"なのです。
そんなtraffic networkの代表格アメリカにスポットをあてて、21世紀を行く抜く"鉄道の存在意義"を改めて考え直してみました。
狸穴総研 地域交通問題研究室 出自多留狸
第1項 1795年 USA独立戦争停戦確定時
ニューハンプシャー植民地(ニューハンプシャー)
マサチューセッツ湾直轄植民地(マサチューセッツ)
ロードアイランド植民地(ロードアイランド)
コネチカット植民地(コネティカット)
以上は後に「ニューイングランド」と総称されるようになる各地域。
ニューヨーク植民地(ニューヨーク)
ニュージャージー植民地(ニュージャージー)
ペンシルベニア植民地(ペンシルベニア)
デラウェア植民地(デラウェア)
メリーランド植民地(メリーランド) en:Chesapeake Colonies
バージニア植民地(ヴァージニア) en:Chesapeake Colonies
ノースカロライナ植民地(ノースカロライナ)
サウスカロライナ植民地(サウスカロライナ)
ジョージア植民地(ジョージア)
1791年3月4日、バーモント共和国が大英帝国を離脱してアメリカ合衆国14番目の州としてUSA加盟。
第2項 1803年 旧District of Louisiana買収後
以下に示した"準州"とは、簡単に言ってしまえばAmerican territory(領有地)にあるUSA政府
に属していても、「国政への"参政権"を持たない"自治州"」のことです。
つまり、USA政府のPacific Railroad Actsが有効だったAmerican territory areaです。
ルイジアナ州/ー/1812年4月30日(18番目)
ミシシッピー州/1798年4月7日ミシシッピ準州/1817年12月10日(20番目)
アラバマ州/1817年3月3日アラバマ準州/1819年12月14日(22番目)
ミネソタ州/1849年3月3日ミネソタ準州/1858年5月11日(32番目)
カンザス州/1854年5月30日カンザス準州 /1861年1月29日(34番目)
ネブラスカ/1854年5月30日ネブラスカ準州/1867年3月1日(37番目)
ノースダコタ州/1861年3月2日ダコタ準州/1889年11月2日(39番目)
サウスダコタ州/1861年3月2日ダコタ準州/1889年11月2日(40番目)
オクラホマ州/1890年オクラホマ準州/1907年11月16日(46番目)
テキサス州併合
テキサス州/1836年3月2日テキサス共和国独立/1845年12月29日(28番目)
第3項 1846年6月15日 旧Oregon Country Disputed Area(旧米英間領有権紛争エリア)紛争解決後
オレゴン州/1848年8月14日オレゴン準州/1859年2月14日(33番目)
1862年Pacific Railroad Acts成立以降
モンタナ州/1864年5月28日モンタナ準州/1889年11月8日(41番目)
ワシントン州/1853年2月8日ワシントン準州/1889年11月11日(42番目)
アイダホ州/1863年3月4日アイダホ準州/1890年7月3日(43番目)
ワイオミング州/1868年7月25日ワシントン準州→1868年7月25日ワイオミング準州/1890年7月10日(44番目)
第4項 米墨戦争停戦後 1848年2月2日 旧Virreinato de Nueva España エリア買収後
カリフォルニア州/ー/1850年9月9日(31番目)
1862年Pacific Railroad Acts成立以降
ネバダ州/1861年3月2日ネバダ準州/1864年10月31日(36番目)
コロラド州/1861年2月28日コロラド準州/1876年8月1日(38番目)
ユタ州/1850年9月9日ユタ準州/1896年1月4日(45番目)
ニューメキシコ州/1850年9月9日ニューメキシコ準州/1912年1月6日(47番目)
アリゾナ州/1863年アリゾナ準州/1912年2月14日(48番目)
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むしろ"糞"フラッグが立っているcontent(内容)のほうがfairness(公正)な立場の内容と言えなくもありません!
交通施策に関するcontentは運輸族のプロパガンダの温床に
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Academic(学術亭)ではないcontentに"正当なfairness(警鐘:イエローフラッグ)"を警告している場合もあります。
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公開:2021年9月 3日
更新:2023年2月 6日
投稿者:デジタヌ
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