狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

Historia『大陸国家の"imperialism (ご都合主義!)" とは...』ー第5回ー

ここをクリックするとこの Content の Opening に戻れます!

★第6節 亜細亜では...

第0項  東洋における冊封国(さくほうこく)の概念

China(中国)では、三国志で有名な光武帝(BC6→西暦57年)が建国した後漢(25年→220年)以来、

14世紀(1368年)の明(みん)どして清に至る中華王朝の歴史の中で、"宗主国"として蒙古・インド・と南アジアの島国を除く、(現ロシア・Приморский край極東シベリアまで含む)東亜細亜ほぼ全域冊封国(さくほうこく)"属国"として実効支配してたわけです。

第1目 冊封国とは...

"冊"=Frontier!

そして、"冊"(柵)とは Frontier "つまり Territory のboundary(を表す言葉です!

冊封国(さくほうこく)とは属国!

つまり、冊封国(さくほうこく)とは、"冊"=Frontier!で封じられた zone にある宗主国のNation(organization)傀儡政権の District !

別の言い方をすれば、"冊"=Frontier!で守られた!大国の「虎の威」を借りた、自治国・自治領・小国ということです。

具体的には"朝貢使"(使節団)を派遣して「朝貢」を行い「臣下の礼」をとった属国!の事です。

なので基本的(国際的)には属する」「宗主国(帝国)以外の国」と直接国交を結ぶ主権(外交権)は無い!訳です。

そしてこの"冊"=Frontier!をめぐり、那の倭国"金印"を印綬()されて、日本列島唯一の政権?である「お墨付き」を得た、「那の倭国」連邦が、「蝦夷の倭国」と激しいTerritory争いを行い、"冊"=Frontier!が奥州(秋田県・山形県域)を迷走!したわけです。(※51)

参※52)当サイト内関連記事 東北にみる"シャーマン伝承文化"の先住民・蝦夷と"文字・宗教文化"の新生弥生人の鬩ぎあいとは... はこちら。

第2目 近世中国では

その後1616年に満州に誕生した後金国(amaga aisin gurun)が勢力を伸ばし、この時点で、李氏朝鮮を弱体化した明(みん)に取って代わってterritory(実効支配地)に加えて、1644年に大清帝国が誕生したわけです。

しかしこの清国(清王朝)も19世紀末になり、当時の"虐め集団"(ヨーロッパ列強)の"虐め・タカリ"の餌食になり、各地に"不良共"のcolony(租借地)が開設されて、列強に蹂躙されていたわけです。

最も悪かった"悪ガキ"はイギリス帝国で、三角貿易により清国にアヘンを大量に持ち込み中毒患者を蔓延させて、これがアヘン戦争(1840年-)のきっかけともなりましたが...

広大な国土のChinaでは、日本と違い鎖国政策も徹底し辛く、アヘンの代金として銀が大量に流出して国力が急速に衰えていったわけです。

さらにややこしいのは、清国そのものが前途したように「満州民族が征服した傀儡政権」だったので、本来の漢民族?の中国とは違ったわけです。

このことが大日本帝国の軍部と産業界が、枢軸国を後ろ盾に、清国王朝の末裔・愛新覚羅溥儀を担いで、傀儡国家「満州国」を樹立した根拠にもなるわけですが...

第3目 嘗ては殺戮より共存共栄政策で臨んだ中華王朝

後金国の傀儡政権?だった王朝は、圧倒的多数を占める漢民族を排斥・追放・"粛清"するのではなく、満漢偶数官制 更に爆発する人口を賄うために辺境部の開墾などを奨励して、全土の振興策を取りました!

人口の爆発的増加の最大の理由は南米原産の作物トウモロコシ・サツマイモ・落花生などが導入された事...水がそれほど豊富でなくとも痩せた土地で育つ作物で...灌漑が不可能なるがゆえに見放されていた山地に漢人が進出できるようになった...農業が労働集約的であり、生産性向上の為に小作人を低賃金で大量に雇った方が利益を得られやすいという...、地主階級が貧しい農民の人口が増えることを歓迎していた...《Wikipediaより引用

つまり、中國には朝鮮半島のような"農奴"制度は無かった訳です。

更にロシア帝国や西欧列強が行っていた、殲滅作戦(粛清)・強制移住(僻地幽閉)・迫害(による難民)などが存在しなかったわけです。

辺境部の政策の違い

現在においても辺境部の政策の違いとして明確に表れています!

例えば旧CCCP内の共和国だったカザフスタンを流れるイリチェイシュ川の国境付近の支流部では...Google earth(航空写真mode)でご覧になれば一目瞭然、CCCP時代に"粛清"の対象となり、多くのシベリア送りの強制労働者・強制移住者を出したカザフスタン側は、寒村や人気のない廃村!が続いていますが、対岸の中国側の沿岸は、縦横無尽に巡らされたditch(排水溝・通水路)で、排水され豊かな耕作地が広がっています!

第2項 日露戦争後の朝鮮半島は

大日本帝国が行った朝鮮半島併合については当事国(現韓国)も含めて"異論!(いろん)"な見方が諸説噴出していますが...

当時の朝鮮総督"伊藤博文"は「最下層階級の"賤民(農奴)"の解放」や、教育制度の確立で「善政を施行」して「♥当時の朝鮮一般庶民に支持されていた」ことは、当時の生き残り老人の証言でも明らかです!

第0目 労働蔑視の世評!

日露戦争当時は、高学歴の搾取階級両班(ヤンパン)の間で、

『体を使う労働を下品!』とする(未だに続く)労働蔑視!が定着していて、

両班共が宗主国だったロシア帝国側に回り!その後の日韓併合時代も「搾取階級両班金でテロリストを反日運動?を煽動していただけで...

(負け惜しみの強い)その後の政権も、国内の不平不満をかわすために「鬼畜日本」Propaganda しているにすぎません。

第1目 負け惜しみが強い朝鮮は

前途したように信長が1576年に安土城を築城して日ノ本再統一を画策し、その後豊臣秀吉が(旧暦)1591年9月に再統一を成し遂げて、

旧暦1592年3月に、16万?の軍勢を率いて朝鮮出兵したころの隣国は...

最後の統一王朝李氏朝鮮(1392-1897)の時代でしたが、主権国家ではなくの(冊封国朝貢国)属国!にしかすぎず、明のterritory(実効支配域)内にある傀儡政権 colony(植民地)にすぎなかった!のです。

つまりは、統一王朝李氏朝鮮は西欧列強から見ればState(主権国家)ではありませんでした!

1897年に、清国の弱体化で旧帝政ロシア(1721年→1917年)が、清国から旧満州国(マンジュコク) territory(領有地)を分捕りRussian territory(領有地)とした際に、

「一緒に?territory(実効支配地)・colony(植民地)」となり、国号を大韓帝国(だいかんていこく)と改めて、Russian territory(領有地)のdominion(自治領 )となり、

日露戦争停戦を契機に国際社会から主権国家として認められた「大日本帝国」のterritory保護国)となり、1910年8月の日韓併合で正式にJapaneas territory(領有地)のdominion(自治領)朝鮮となったわけです。

李氏朝鮮(大韓帝国)は、明、満州国(マンジュコク)清国と宗主国は変遷しましたが...

(朝鮮最後の統一国家)李氏朝鮮建国以来、国際社会からは「大国のterritory(属国)」であり続け、一度も"主権国家としては認められていなかった!"のです。

第2目 大東亜戦争(太平洋戦争)停戦以降は

大日本帝国が引き起こした大東亜戦争が1945年8月14日に停戦?となり、同年9月2日 大日本帝国政府代表団無条件降伏文書へ調印し、正式に敗戦!国となりましたが...

同日(9月2日)朝鮮総督府も正式消滅!

朝鮮半島は、終戦間際に日ソ不可侵条約を一方的に破棄!して対日戦に加わり8月15日の停戦後も満州国・樺太侵攻を続けた2枚舌のソ連により侵攻され続けていたのですが...

UN"対日戦連合国"を主宰するUSAとの間で南北・分割占領となり、

日本の territory領有地から解放?されたのですが...

現大韓民国では

アメリカ軍が占領した48度線以南の南朝鮮の臨時政府では農地改革を巡りアメリカ寄りの右派、と社会主義を唱える左派の対立が激しく、1948年8月15日、に初代大統領・李承晩が大韓民国政府樹立を宣言して、territory(実効支配地域)を「北緯38度線以南の朝鮮半島のみ」とした大韓民国が独立国家?となりましたが...

対日戦争中に「組織化されていないテロ活動」は行っていても、"イギリスに一時亡命していたフランス軍のような国防軍"は無かったので、

対日戦連軍改めONU(対日戦勝国連合)への加盟は許されず、国際的には"主権国家"としては認められない未承認国家(USAのdominion(保護国 )でした。

1991年になってやっと大人の事情(湾岸戦争)で、対日戦勝国連合!ONUに加盟できて、主権国家として国際社会に認められたわけですが...

ちなみにこの時点で日本国政府と正式に「国交が樹立」出来て当時の政権同士で、戦時賠償問題も(K国側の権利放棄で)解決済みとなった訳です!(※51)

今のままだと、今後はUSA or 中共のterritory(属国)となるでしょう!

参※51)更に現在蒸し返している従軍慰安婦・朝鮮人労働者強制連行問題は、第3者であるUSAの高名な学者により、根拠のない言いがかりであることが証明!されています。

DPRKは

DPRK(北朝鮮・社会主義帝国?)は、1948年9月9日に金日成が元首(帝王)となりソ連軍が占領していた残余の朝鮮半島北部をterritoryとして朝鮮民主主義人民共和国???として独立しました。

その後、1950年6月25日に金日成率いるDPRKが越境して朝鮮動乱が勃発して、

1953年7月27日に停戦ではない「"休戦が成立"」して、現在に至るわけです。

DPRKの今後は

DPRK(北T国)は論外で、C国の目を盗み?イスラム圏に武器輸出と西欧圏に麻薬密輸、そして偽造$紙幣密造を続けている今の「凌ぎでは...

C国に 取って都合が悪くなると、嘗てのチベットのように

後ろ盾と仰ぐ新・ロシア帝国!が邪悪退化(じゃくたいか)した現況では...

いずれ、C国に 取って都合が悪くなると、嘗てのチベットのように併合されてしまうでしょう!

つまり新・露西亜帝国!の極東・沿海地方!諸共に、嘗ての"金"王朝の再来として、遼寧省、吉林省、国吉林省、吉林省、黒竜江省に編入されてしまうでしょう!

回りを「天然の要害"海"」で囲まれていない、大陸民族・平原民族の民族意識・大国主義・imperialism (ご都合主義)とはそういうものです...

続きはこちら

ここをクリックするとこの Content の Opening に戻れます!

 

公開:2021年9月25日
更新:2024年2月21日

投稿者:デジタヌ

Historia『大陸国家の"imperialism (ご都合主義!)" とは...』ー第4回ーTOPHistoria『大陸国家の"imperialism (ご都合主義!)" とは...』ー第6回ー


 

 



▲Historia,Geopolitics & logistics 研究室へ戻る

 

ページ先頭に戻る