狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

帝国主義とは(大陸の)権威主義・国家で芽生えた為政者の"ご都合主義!"ー第5回ー

第5回 主権国家の Frontier と border とは

territoryとは、前途したようにcolony(植民地)dominion(領土、領有地、自治領 )などの実効支配域を示します。

第1項 Frontier とは主権国家の territoryのBoundary(境界)

第1目 colony,dominion,Viceroyalty(副王領)には主権は無い!

Viceroyalty(副王領)とは王国の領民が暮らす、州、県などの王国の構成要素で、連邦国家の共和国に相当する独立した国家ですが、対外・外交政策に関する「主権はありません!」つまり、独自のパスポートは発給できません!(※21)

更にUSAでは、例えば嘗てのHawaii territory(ハワイ準州)のように 国政への参加を認めていない"「自治エリア(準州)」も、territoryと称していました。

参※21)後述する北アメリカ大陸の古くて新しい?独立国家カナダは、1931年まで国際社会から主権国家としては認められてなく!したがってカナダ人(パスポート)は存在していませんでした!

第2項 territoryの前提となる colony & Viceroyalty

第1目 colony、dominion

colony(植民地)とは、日本語では"荘園"(※22)となり、 極端な言い方をすれば搾取領域と言うことになります。

参※22)嘗て、日本国が弥生人率いる大和朝廷により統一?されたころ、討伐される側の、蝦夷(エミシ)・熊襲(クマソ)、隼人(ハヤト)などの先住民・縄文人の支配地で大和朝廷の派遣した国司(総督)による搾取階級・"公家"共の荘園が営まれて、「日ノ本連邦」(※22)を潤したのと同じです。

参※22)当サイト内関連記事 邪馬台国は統一国家ではなく「女系シャーマン率いる小国の寄り合い所帯 "那の倭国連邦!"だった はこちら。

第2目 colony とも異なる Viceroyalty?

colonyとも異なるViceroyalty(スペイン語virreinato)副王領とは、7世紀の中国唐朝の律令をまねて、スペイン帝国が考案した制度で、state(州)、Prefecture(県)と同様な「帝国の領土」その物です!

したがって、state、Prefectureと同様の自治権(民権)はあっても、「他国との外交に関する権限=主権」は無い!わけです。

つまり世界を「律令制以来の"日ノ本"」に例えるならば...

"武蔵の国" 等のXX国に相当して、そこを収める中央政権から派遣された「国司が副王」と言うことになります。

つまり王政に基づいた帝国は、"共和国が集まった連邦"では無い!ので、republic(共和国)とは呼ばずに、Viceroyaltyという呼び方をするわけです。

つまり、そこを統治(支配)するのは"Governor"(総督・知事)=virrey(副王)であり、本国王家の臣下であり王家とは直接縁が無い!たちが殆どです。

第3目 総督(軍司令官)と副王(知事)の違いは?

嘗ての大日本帝国も、朝鮮総督府を設置して、総督を置きましたが...

英語では同義語

英語では、Governor(総督・知事)とvirrey(復王)はsynonym(同義語)とされています。

スペイン王国では別建て

しかし、スぺイン本国では各県の"Gobernador"(知事)とvice reyは、権限・身分が異なっていたようです?

同様のシステムは、同時代にカソリック世界を2分していたポルトガル帝国、その後のイギリス帝国、ロシア帝国でも採用されていました。

ポルトガルでは、Portuguese territoryだったBrazil Viceroyalty(ブラジル副王領)などがあります。

万国共通の定義はない!

植民地政策をとっていた各国ともに、身分・権限に関する共通の定義はなく!

各王国にとっての特権階級(貴族制度)の身分・階級を表す称号でも無く、かといって武官・軍人の・階級でも無く、適当に使っていたようです!

各国の法制度(法的根拠)も異なり、更には肩書・称号はあっても、根拠(任官制度・法整備)が無い代理職制度だったので、適当に、使い分けていた?ようです。

つまり、「実質的にはnearly equalのsynonym(同義語)」なのです!

日本語では...
総督は

日本語の総督は、明・清代の中国の、地方長官の職名(武官の階級)が由来とされています。

更に副王は

原語のvirrey, viceroyがラテン語の接頭辞 vice- (代理)と rex (王)から来ているので、"副王"と言う造語・熟語になったようです。

なので日本では、武官(統治軍関係職)は総督=総司令官、行政官(文官)は副王・知事と言う風に、大まかに分けていたようですが...

海外の公文書翻訳では

嘗ての大英帝国のように、総督と副王が並立していた国家もあり、海外の公文書翻訳では、面倒なので各国言語の直訳を重視していたのでしょう?

一般企業の場合のXX代理職と同じ?

まあ、前途したように「万国共通の定義は無い!」ので、部長代理や課長代理同様に、国王代理!でも何でもよいわけですが。

現代企業のXX代理の場合は、本物の代理?と、職制(身分)上の区分で部下(配下)無しの"名目部長"(スタッフ)もいるので...

国王の代理で「地方のgovernment(統治)するagent(代理人)」と言う意味では、長ったらしくてもGovernor("地方長官")が...

征夷大将軍と国司の関係は

更に異教徒の暮らす、無法地帯?のdistrict(地域),zoneを平定して、カソリックのスペイン王国の海外領土;副王領Virreinato de Nueva España設立に貢献した?征服者コルテスは、日本で言えば軍官:征夷大将軍:坂上田村麻呂 に当たります。

一介の軍官コルテスでは、副王(管理・行政官)になる野望はかなわなかったわけです。

第4目 イギリス連邦と自治領

♥ウェストミンスター憲章(1931年)が制定されるまではイギリス帝国は世界規模の単一国家!だった

嘗て、海洋国家イギリス帝国時代に、世界各国にcolony(植民地)を開いてBritish territory(領土)としてきたBritish Empire(大英帝国)時代は、総督を置きながらも主権を持たないUSAのterritory(準州)に相当するdominion(自治領 )の連邦体制となり、カナダ、オーストラリア、南アフリカなど

"主権(外交権)を持たない"dominionとしてイギリス連邦に属していたわけです。

※なので、第1次大戦(1914年~1918年)ではカナダはイギリス軍として出兵しています!

1926年イギリス連邦の誕生

1926年の帝国会議でイギリス帝国がリニューアルしてイギリス連邦(British Commonwealth of Nations 以下Commonwealth)となりました。

世界中のdominionに暮らす人達の国籍も"イギリス人"だったわけです!

1931年制定ウェストミンスター憲章で多くの♥主権国家に分かれる

更に1931年に制定されたウェストミンスター憲章により、旧イギリス帝国のBritish territoryにある、各dominionの自治権(政府権限)を大幅に認めて、"主権"国家"としての独立を認めたわけです。(但し王室臣下の"総督"は存在し続けました。)

この結果、主権を認められたカナダやオーストラリア、ニュージーランドや南アフリカ連邦などの各国がそれまでの宗主国イギリスと同等の権限(主権)"を持つ主権国家"として独立できたわけです。

この時にそれまでのイギリス国籍(国民)だった人たちがカナダ人、オーストラリア人、ニュージーランド人として誕生したわけです。

そしてCommonwealthは緩やかな連合国・同盟国として経済連合の道を歩んだわけですが...

その後、立憲君主制をよしとしないアイルランドなどが、USAを見習いBCを離脱して、大統領制をとる共和国として"完全独立"の路を選択したわけです!

1950年「イギリス国王に対する共通の忠誠」と言う条件も撤廃

更に第2次大戦後の1950年にインドが共和国とした独立した際に、「イギリス国王に対する共通の忠誠」と言う条件が除外されたために、嘗てBritish territoryの旧colonyから独立した諸国の中には「経済圏としてのBC」に留まる共和国も誕生したわけです。

独立国家ではあるが各国間の紛争は内戦と見做される

更に前途したONUの下部機関とししての国際司法裁判所に関する権限(効力)についての条項には、

「コモンウェルス留保」と言う紹鷗があり、Commonwealthに加盟している諸国間の紛争は、提訴できない!(内戦扱いで取り扱わない!)事になっています。

つまり、国連では内戦!には関与しない決まりになっているのです。

なので各地の内戦には、世界の警察?を自任するUSAが、主体となって国際平和維持軍?を募り介入するのです。

(大国の正義・ご都合主義は本当にアアヤヤコシ!

★第3項 borderとは

現在border(国境)は基本的に「相互に独立国家としての 主権を認め合った2国間の条約」で決まるものです!

国際間の、border(国境)はUnited Nations(ONU;対日戦!連合)が決めるものでも、それ以前の国際連盟(1899年8月29日設立)の礎となった、常設仲裁裁判所(※31)が決める事でもありません!

参※31) 戦前の大日本帝国や清国も参加した1919年6月28日万国平和会議で採択・締結されたハーグ条約・国際紛争平和的処理条約で設置された。

第1目 borderとは"主権国家"間の境界線

border;国境とは文字通り"主権国家"が認め合ったBoundary(境界)のことです。

近世以降は基本的に互いに 主権を認め合った「2国間の条約」で決まるものです!

第2目 嘗てのヨーロッパでは Frontier も border も曖昧...

前途したように、嘗て神教(多神教)の異教徒?の国だったローマ帝国や、イスラム教徒のオスマントルコが、勢力を伸ばしていたころは、Frontierもborderも曖昧でした。

カソリック(ローマ法王)がヨーロッパ全土を取り仕切る時代になり、

「主権国家(皇国)」を「ローマ法王」が"認証"する仕組みとなりましたが、依然としてFrontierもborderも曖昧でした。

第3目 大海原!のterritoryは

現在各国のterritory(領海)に関しては、第2次大戦終戦の1945年10月に「リニューアルした対日戦連合!国連United Nations(以下ONU)」で、1958年2月から4月にかけて当時の加盟国が採択した、4つの条約領海条約、大陸棚条約、公海条約、公海生物資源保存条約で規定されて、「条約を批准したONU加盟国が友好国?として公海の通行権(自由通行・安全航行)を得ているわけです!

ONU以前は慣例(暗黙の了解)で

勿論、この条約が成立するずっと以前から「航行の自由を保障された公海」は(暗黙の了解・既成事実として)慣例的に存在しましたが、

基本的には「主権を認めあった?主権国家間」のterritory(制海権)が基本になっていました。

大航海時代になり各国間の通商条約が基本に

大航海時代になり、世界各地に進出した海洋立国がcolony(植民地)を開き、武力によるterritory(制海権)を主張しだすと、各国間で通商条約に下づく"海峡"の自由航行権(公海)が定着して、その後はterritory(制海権)を持つ大国と条約を締結していない国家、若しくは交戦中の敵国は"攻撃"されたわけです!

(なので、船舶には戦籍を示す国旗を掲揚するわけです)

 

公開:2021年9月25日
更新:2024年4月 5日

投稿者:デジタヌ

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