狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

帝国主義とは(大陸の)権威主義・国家で芽生えた為政者の"ご都合主義!"ー第4回ー

第4回 16世紀に起こった宗教改革カソリック世界は崩壊!した

しかし、16世紀に起こった宗教改革で、プロテスタントの国や、それに影響を受けたイギリス国教会の誕生で、更には18世紀後半の1760年代からイギリスではじまった産業革命で、カソリック世界は崩壊したわけです!

つまり、経済力に裏打ちされた強大な軍事力(海軍力)が、territory(実効支配域)を決めて、2国間の契約(条約)で明確にterritory、borderを決する時代が到来したわけです。

第1項 territoryは主権国家間の"大人の事情"で決する時代に

つまりヨーロッパ(東欧・ロシア)以外の、アフリカ大陸、中東、亜細亜、インド、東南アジア、南太平洋諸国、南北アメリカ大陸、では、日本における先住民族・縄文人(蝦夷民族)同様に「先住民のterritoryは、国際間(西欧列強)からは国家としては認められていなかった!」わけです。

USAが主権国家としてイギリス帝国に承認されて以来、(大和朝廷の蝦夷討伐!と同じように)「先住民族を無視」して、常にUSA政府と西欧列強との「大人の事情(利害・思惑)」で、territoryとFrontierが決められていったのはこの為です!

何故ナポレオン率いるフランス軍とスペイン王国軍が連合できたか?

フランス独立のメロヴィング朝フランク王国は5世紀末にカトリック国となり、

その後王家は変遷しても、カトリックの国で、15世紀にシャルル7世がほぼ現在のフランスをterritory(支配地域)としたわけです。

"日教祖"の患部指導者が祀り上げた迷信・都市伝説!トラファルガーの海戦ファンタジー!

つまり、スペイン同様にカソリックの国なのです、だから19世紀初頭の1805年のトラファルガーの海戦でナポレオン・ボナパルト率いるフランス海軍とスペイン海軍が合同で、イギリス海軍との一戦を交えて、その後に世界縫い影響を与えたことになっていますが...

これも"日教祖"患部の先生方が"でっち上げたおとぎ話"にすぎません!

実際には(1713年4月~)順次結ばれたユトレヒト条約産業革命が...

18世紀後半から始まった産業革命は、英国を軍事大国にするには十分な"軍事費"を稼ぎ出しました。

さらに、16世紀に有名なマルティン・ルターが1520年に相次いで発表した論文で宗教改革が起こりプロテスタントが分派して急速に広まったわけですが、東インド会社で有名なネーデルランド共和国の独立戦争(1568年~)にも影響を与えて同国の海外進出にも繋がり、これとは別に1534年にヘンリー8世が、ローマ教皇の臣民から、独立してChurch of England(イギリス国教会)の長になって以来、イギリス帝国は積極的に海外進出を計り、その結果西欧各国が世界の大洋で覇権争いをしていたわけです。

第2目 ネーデルランド共和国の独立戦争

そして阿蘭陀が80年間の独立戦争の間も、海外進出を続けたのも...

つまり海外進出を伺っていたオランダにとっては、前途したカトリック体制下で1494年6月7日にスペインとポルトガル王国の間で結ばれたトルデシリャス条約が足カセになっていたわけですが...

商人・領主たちが、プロテスタント運動に飛びついたわけです!そしてこれが1602年3月のオランダ東インド会社の設立に繋がり莫大な利益生み、海洋国家(海軍)を築いて、西欧列強に伍して世界の海で覇権争いを行えたわけです。

鎖国時代の日本の海外貿易!など

つまり1541年7月27日、ポルトガル船の漂着以来、有名なフランシスコ・ザビエルなどが来日して、カソリックの布教を始め数多くの悲劇(殉教)に繋がったわけですが、

1571年5月30日に開港した長崎も...

当初はポルトガル船の寄港地となり貿易を始めたわけですが、江戸幕府になった1641年からはオランダ貿易(東インド会社)に代わったわけです。

第3目 オランダが鎖国時代の日本と交易できたのはプロテスタントだったから...

これは、豊臣秀吉のキリシタン禁止令の基となったポルトガル人カソリック宣教師の活動とは違い、プロテスタントのオランダ人は、積極的な布教活動を行わなかったからにほかなりません!

更に前途したように英国では、ヘンリー8世の我儘?からバチカンと「袂を分かち」その後エリザベス1世の時代1559年に大陸から入ったプロテスタント運動を認め、1563年に「イングランド国教会の39箇条」を制定して、イングランド国内の国教会「イングランド国教会」を確固たるものにしたわけです。

つまり、イギリスが世界の海を支配(荒らしまくった)しだしたのはこの頃なわけです。

第2項 軍事力に裏図けられた主権国家間の条約国境を確定する時代に

宗教改革でプロテスタントが台頭すると、"改宗"したネーデルランド共和国(オランダ)、やイギリス帝国が、カソリックの「territoryを荒らしだした」わけです。

この頃から、武力闘争(海軍力)によるterritory(制海権・領有権)の「仁義なき戦い」とcolony(植民地)争奪戦が始まったわけです。

更に、ローマ法王とは関係なく「互いに武力抗争」を行い、その結果「主権を認め合った国同士が2国(領主)間の条約」によりborder(国境)を明確に確定しだしたわけです。

第1目 国境紛争(戦争)を講和条約で終結させて「borderを確定する時代へと...

つまりは、戦争を講和条約で終結させると同時に「borderを確定」しだしたわけです。

これが、同じ言語(方言)のゾーンにある国家間に、日本の自治体同様に"飛び地"(飛び領土)が多い理由です!

現在ヨーロッパでは主権国家の連合体EUが出来て、EU内では実質borderは無効となりましたが...ベルギー・オランダ・ルクセンブルクのベネルクス3国をはじめ、スイス、デンマーク、モナコ王国、などの中小の"主権国家"が犇めき合っているのは前途した理由によるものです。

第3項 近代に入り産業革命が起こると、契約の時代に

最早キリストの教えに従っているだけでは、世の中の秩序が保てなくなってきて...

それまでの「宗教的思想論から、即物的な経済論が世の中を支配するようになり、欧米各国は新たな規範を模索しだしました。

イギリスでは、アダム・スミスなどの、思想家・哲学者が知識人の間で注目されました。

つまり、「契約(条約)により、国家間の利害をすり合わせる時代」になった訳です。

第1目 現代における世界の主権国家のよりどころ United Nations とは

国際連合United Nations(以下ONU)はアメリカ合衆国、イギリス、中華民国が発起人となって結成された「対日戦連合!国51ケ国」が元になった機関です。

1945年の4月から6月にかけてサンフランシスコ会議で"国連憲章"が採択(調印)されて、終戦後の10月24日に正式発足したわけです!

つまり1945年8月2日に対日戦線参戦国のトルーマン(USA)、チャーチル(British Empire)、蔣介石(中華民国)の各国防軍"最高責任者"3名が決議して、ポツダム協定を結び(署名)、付属"議定書"としてポツダム宣言を採択して、1945年8月14日に日本がこの宣言を受諾して、降伏を宣言したわけですが...

実際には9月2日のアメリカ海軍戦艦ミズーリ艦上での降伏文書調印で正式に大東亜戦争が停戦したわけです。(この間、CCCPが北方領土侵攻を続けて多くの悲劇を生みました!但し、日露戦争時には日本軍が、調印までの間に樺太全土を制圧しています!)

UNは紛れもない"対日戦連合国"!

つまり進駐軍・アメリカ軍は対日戦連合軍として日本に進駐したわけで、その年の10月に正式発足したONUは紛れもない"対日戦連合国"なわけです。

(※なのでいつまでたっても安保理の常任理事国入りでき無い訳です。垢にまみれた日凶祖の"お花畑"教育では、"国際連合"と訳して誤魔化しているのはこのためです!)

但し発足当初は今でいう国連軍は存在していないので、サンフランシスコ講和条約(1951年9月8日調印1952年4月28日発効(日本国内公布))の締結で、対日戦線参戦国との間で講和(正式停戦)が結ばれて「日本の主権を回復(承認)」するまで、GHQ(対日戦連合国軍最高司令官総司令部)としてアメリカ軍が占領を続けたわけです。

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公開:2021年9月25日
更新:2024年4月 5日

投稿者:デジタヌ

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