狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

帝国主義とは(大陸の)権威主義・国家で芽生えた為政者の"ご都合主義!"ー第3回ー

第3回 国際社会(西欧社会)における"State(主権国家)とは?

第1項 嘗て日本には主権は認められていなかった!

第1目 「主権を持つ統一国家」として認められたのは日露戦争後!

日教祖のでっち上げ歴史教育を受けて育った世代の日本人は、「アッ!と驚く」でしょうが、我が日乃本が、西欧列強から「主権を持つ統一国家」として認められたのは、日露戦争(1904年2月→1905年9月)後!のことです。

日本は西欧から「野蛮人の暮らす未開の地!?と」して見られていた

つまりそれ以前は、耶蘇から見れば異教徒の野蛮人native peopleの暮らす未開の地!でしかなかったわけです。

彼ら"耶蘇"は捕鯨船団の食料補給港、東南アジア植民地貿易船の飲料水補給港としてしか見ていなかったわけです。

明治新政府になっても、各国と結ばれた不平等条約がそのままにされたのはこのためです。

第2目 耶蘇社会における Frontier とは

後述するようにFrontierとはterritory(領有域・実効支配地)を分かつboundary(境界)で、領有地(実効支配地)の

縄張りのことであり「border(国境線)とは異なります!

つまり勢力圏の境、(-_-メ) 893社会の「縄張り」境と同じです?

colony(植民地)やdominion(領土、自治領 )などを含む「帝国のterritory(領有地・実効支配地)同士のboundary(境界)がFrontier」と言うことになります。

そして、これらの、territory(領土)のborder & Frontierを決定する基本となるのが主権国家!です。

第2項 統一国家 と 主権国家 とは別物!

ややこしいのは、Nation(organization)統一国家(政府)と国家間で認め合うState主権国家とは別もの!だという事です。

日本の場合は、第2次大戦敗戦後に当時のGHQ(連合国占領軍;アメリカ軍)の指導で、看板としての「日本国憲法」が起草されて、1947年5月3日に新しい看板「日本国憲法」に架け替え、レストラン「日本国」!としてrenewal Openしたわけですが...

UN(国際間)では1951年9月8日調印のサンフランシスコ講和条約まで「主権国家」としては認められていなかった!

わけです。

第1目 宗教改革以前の中世ヨーロッパでは

前途したように、キリスト教を制度(法律)の規範とするカソリック帝国、神聖ローマ帝国から続くカソリック支配のヨーロッパでは...

教皇に「主権」を認証された支配者(領主)同士が、小競り合いを繰り返しながらも、明確なFrontier & borderを設定せずに、城郭都市を中心とした曖昧なterritory(実効支配域)を設定していたわけです。

なので、ヨーロッパ諸国ではいまだに"飛(トン)でもない飛び地"が存在している訳です!

更には15世紀末の大後悔?時代に、スペインとポルトガルで、「未開(異教徒)?の地を2分」して両国がterritoryを分かち合う??? 絵空事・絵に描いた餅Treaty of Tordesillasトルデシリャス条約などが成立した?わけですが...

日"教祖"の噓 その1 トルデシリャス条約は2国間の密約でしかなかった!

日"教祖"の患部が、持ち上げるトルデシリャス条約ですが、実際には2国間の密約にしかすぎず、英語版にあるように、ローマ法王庁に追認されてからも、両国以外のヨーロッパ諸国からは「完全に無視」されていました!

つまりハッキリ言って、日本の交通政策審議会 答申に書かれている『提言』程度?の"描いた餅"絵空事そのものでした。(※10)

参※10)当サイト内関連記事 交通政策審議会神話(答申)は過去のおとぎ話・迷信にすぎない! はこちら。

第3項 宗教も権力者(領主)にとっては単なるmeans!

ヨーロッパアジアなどのユーラシア大陸に限らず、嘗て栄えた大帝国の支配者にとっては宗教も大事な道具でした。

世界の多神教・ー神教は夫々似通ったルーツから
  • 自然崇拝から生まれた多神教
  • 哲学者が考え出した一神教

宗教に興味を持って調べた人は、「自然崇拝の多神教」と、「philosophy(哲学)に通じるー神教」は、共にほとんど同じ時期に似通ったルーツを持っていることは知られているところです。

哲学者が考え出した一神教と権威主義の結びつき...

philosophy(哲学)から生まれた「一神教」の開祖は、哲学者でしたが、権力者に利用されるようになると、

Authoritarianism(権威主義)に陥り、本来の路を外した?こともよくご存じのとおりです。

迫害される側から迫害する側に回ったキリスト教徒

例えば、一神教の代表格キリスト教の信者たちは当初は迫害され、

権力に寄り添うようになると、迫害する側に回ったのは、ローマ教皇の支配下?の諸侯を見れば明らかです。

fixer!としての絶大な権力を手に入れたローマ教皇!

教皇が、権力を持つようになってきたのは5世紀頃からと言われています。

そして、12世紀になると、領主(国王)の主権を認証?して、つまり支配者・君主の権威を認証して、その領土を独立した主権国家として相互認知させるfixer!にまでなったのです。

更に15世紀のスペイン、ポルトガルの"大後悔?"時代なると、両国の海外におけるterritory(侵略縄張り)を調停出来るほどの絶大な権力を行使できるようになったわけです。

国力に関係なく"異教徒"の国家主権は認めなかった!

と同時に、カソリックの臣下でない"異教徒"の国家の主権は認めなかった!わけです。

つまり、中南米で、「金属の精錬技術」は獲得していなかったものの、「金・銀の加工技術」と高度な文明が発達していた、アステカ、マヤ、インカ、などの帝国・都市国家は、主権どころか国家としても認めていなかったわけです!

彼らキリスト教徒から見れば、当然我が日乃本も、異教徒が暮らす"未開の地"の一つにすぎませんでした。

 

公開:2021年9月25日
更新:2024年4月 5日

投稿者:デジタヌ

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