歴史探訪『 アメリカの大発展に貢献した大河川と鉄道』ー第9回ー
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第9回 アメリカ開拓当初は"大河を利用した水運"が traffic の主役だった
第1項 ミシシッピー川とその支流は重要な交通路だった
アメリカ開拓を支えたのは「母なる大河ミシシッピー川」などの"大河"の存在でした。
Mississippi Riverは日本人にとっては、アメリカ大陸を「南北に縦断」する大河としての認識しかないでしょうが...
"英語版Wikipedia"の添付地図をご覧になればお分かりのように、アメリカを3分する、南北に連なる西のRocky Mountains(ロッキー山脈)とSierra Nevada(シェラネバダ山脈)東のAppalachian Mountains(アパラチア山脈) にはさまれた、中西部のほぼ全エリアを支流と共にカバーしています。
「母なる大河ミシシッピー川」が豊富な水量に恵まれているのは、この両山系から発した、「雪解け水」の恩恵によるものです。
第1目 アメリカ開拓以来長年 zone の重要な交通路だったMississippi River
Mississippi Riverは、鉄道が出来るまではこのエリアの cargo transportation とpassenger transportation の双方を受け持つ重要な交通路でした。
explorer(探検家)達が、ミシシッピー河とその支流を遡り、新天地を見つけ、Pioneer( 開拓者)が彼らの情報をもとに、「未開の地」に入植して川沿いに開拓拠点となる町々が生まれました。
waterway から trail へ
その後に各町を最短距離で結ぶ trail(幌馬車道)が出来て、新たなる入植者たちが、Wagon Train(幌馬車隊)を組んで入植し、各町々を結ぶ trail に stagecoach (駅馬車)が開設されて人の往来が盛んになりました。
Wagon から Trainへ
そして trail に沿って鉄道が敷設されたて、開拓者は汽車で長距離を移動するようになったのです。
そして railroad が passenger traffic と Freight transportation(貨物輸送)の主役となりました。
highway(国道)の発達で
蒸気機関!による大型建設機械の誕生で、旧 trail が立派な舗装道路(※21)に改修されて、モータリゼーションの激流が流れ出して、passenger traffic (パーソナルユース)は次第に automobile 利用に代わって行ったのです。
参※21)舗装と言っても、アメリカでは当初はレンガ道でその後は長年コンクリート舗装の時代が続き、アスファルト舗装が一般化したのは、Paver (アスファルトフィニッシャー)が実用化された1938年年に Barber Greene Co が特許を取得して生産に乗り出してから以降のことです。
当サイト内関連記事 実は一般道の舗装率と深い関係がある「モータリゼーションの激流!」 はこちら。
Douglas DC-3の登場で
登場当初は複葉機による郵便輸送だった空路も、エポックメイキングとなった Douglas DC-3 の登場で、1936年9月の American Airlines(アメリカン航空)での就航を機に、全米各地に広がり、次第に空路が中・長距離の passenger traffic(旅客事業)の主流になっていったわけです。
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★紫色で示したラインが Erie Canal です、但し開業当初の Old Erie Canal の経路で現行の経路とは異なります。拡大してみてください!
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第1目 wagon(荷馬車)か Freight boat(小舟)しかなかった開拓当初のアメリカでは
transporter が wagon(荷馬車)か Freight boat(小舟)しかなかった開拓当初のアメリカでは、canal(運河) や急流部を避ける ditch(流水路)が重要な輸送路となっていました。
"小規模な迂回路"の ditch ではない、アメリカ最初の"本格的な canal" は、1825年に開通した Erie Canal(エリー運河)と言われています。
ニューヨーク州最初の砦ハドソン川沿いの町 Albany と、エリー湖に面する Buffalo の間を結ぶ全長363マイル(約581 km)の大規模な運河です!
第2目 Erie Canal の完成で輸送コストの大幅節減に
この Old Erie Canal の完成で、ニューヨークとバッファローの距離短縮により、輸送費がは劇的に安上がりとなり economy が達成できました。
それまで当時の金額で、100ドル/日X20日つまり$20,000/tonだった1トンあたりの輸送費が、$5ドル/日X6日=$30/日と、トータルで約700分の1までコストダウンになった訳です!
Old Erie Canalは
ハドソン川の支流の一つ、モホーク川は explorer(探検家)が見つけてPioneer(開拓者)が遡った重要な交通路でしたが、アパラチア山系を流れる両河川は共に急流があり、trail(幌馬車道)を走る wagon(荷馬車)を併用する以外に、交通手段はありませんでした、
モホーク川に沿って ditch と Old Erie Canal を水門で繋いで、Freight boat の運行を容易にしたものでした。
第3目 その後同じ経路に輸送力に勝る鉄道が開通して
その後、同じ経路に鉄道が敷設されて一部は鉄道、更に Interstate Highway 州間高速道路690号に用地を譲り、一部ルートは変更されましたが大型船舶が運行できるように(※11)改修されて現在もローカルエリアの水運の用いられています。
参※11)大型船と言っても Freight boat よりは大きいという意味で、ミシシッピー川で運行されている様な Pusher barge による数百トン程度の運行です。
第2項 Old Erie Canal 誕生の背後にあった大人の事情とは
つまり Old Erie Canal が完成した1825年当時は、カナダが独立国としての主権を認められていない、大英帝国のterritoryであり、しかも1846年6月15日のオレゴン条約締結以前で、"大英帝国"領国領 カナダとは今ほどには親密ではなかった!わけです。
更に
態々 Erie Canal でエリー湖に面した Buffalo 迄運河を建設したのは途中の Rochester 辺りでジェネシー川を運河に改修してオンタリオ湖に出ても Buffalo の北方に有名な Niagara Falls があってエリー湖に出られない為です!
更に、エリー湖が運河代わりに使える Detroit, Cleveland などへの中継港としてニューヨーク州内にあるの Buffalo が選ばれたのでしょう?
公開:2021年10月19日
更新:2024年11月14日
投稿者:デジタヌ
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