狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

歴史探訪『 アメリカ建国に重要な役割を果たした大河川と鉄道』ー第8回ー

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第8回 USAの国家形成と大河

1651年10月9日、イギリス王国・議会は 航海条例を可決して、アメリカ植民地のイギリス以外との他国貿易を禁止しました...

これは結果的にイギリス本国と民間開拓会社の政治的摩擦を引き起こしました...

1675年から1678年にかけて起こったnative peopleのresistance(抵抗活動)フィリップ王戦争ではイギリス帝国の軍事支援が無く、入植者独自のidentity(主張)が生まれました。《英語版Wikipediaより引用》

第1項 アメリカ独立戦争

アメリカ独立戦争(1775年4月19日- 1783年9月3日)は、Revolutionary War(革命)またはAmerican War of Independence(アメリカ独立戦争)としても知られ、USAがイギリス帝国からの独立を果たす働きをしました。

戦闘は1775年4月19日に始まり、1776年7月4日の独立宣言に繋がりました。

アメリカ人はフランスとスペインに支援されて、北アメリカ、カリブ海、大西洋でも紛争が起こりました。

そしてTreaty of Paris (1783)(1783年のパリ条約)でイギリス帝国がUSAの独立を受け入れて1783年9月3日に停戦しました...《英語版Wikipediaより引用》

しかし、その後もnative peopleのAmerican indian各種族のresistance(抵抗活動)が続き、条約に記されたミシシッピー川、五大湖、セントローレンス川で囲まれた、USA territory(領有地)の平定?(占拠)を終えるにはさらに数年を要しました。

なのでUSAでは1783年9月3日のパリ条約締結を独立戦争の終結とは考えずに、American indian討伐?Northwest Indian Warの停戦した1795年8月3日のTreaty of Greenville(グリーンビル条約)をもって独立戦争の終結と主張する共和党War hawk

を支持する人たちも多数います!

Revolutionary Warの背景と経緯

1680年代にチャールズ2世は航海条例をたてに植民地会社に迫り、従わない植民地会社のCharter(憲章:認可状)を無効としました。

1686年に後継者ジェームズ2世が各地の会社組織のcolony(植民地)を王家直轄のdominion(領地、自治領 )としました。

しかしイギリス王家のdominion(海外領地、自治領 )施策は入植者独自の入植者独自のidentity(自立心)と激しく衝突して、ジェームズ2世が事実上退位し本国の政権が交代すると、イギリス王国に対する反乱1689年4月18日の Boston revoltに繋がりました。

その後のイギリス帝国内閣は...特定の商品に課税する行為を続けました...1733年の糖蜜法(課税)はNew England経済に深刻な打撃を与え、密輸、賄賂、税関職員への脅迫などにも波及しました...《英語版Wikipediaより引用》

更に、1744年から1748年にかけてアメリカとフランスとのterritory(領有地)争いKing George's Warの戦後処理もNew England植民地の不満要素となりました。

戦争中にNew England民兵が多くの血を流して奪取したルイブール要塞をイギリス政府は、Treaty of Aix-la-Chapelle (1748)アーヘン和平条約でFrontier(縄張りライン)を明確にしないままにフランスに返還してしまいました!

さらには、つまりは北アメリカ大陸でのterritory問題は解決しなかったわけです。

さらに、1764〜 11775年にかけて砂糖法、通貨法、四半期法、印紙法1765、タウンゼンド諸法と茶法など次々に新たな課税と更にはQuebec ActIntolerable Actsがもうけられて、プロテスタントへの弾圧、Boston revolt首謀者に対する「落とし前!粛清」等次々とイギリス本国の締め上げが厳しくなりました。
これ等の圧政がAmerican War of Independenceに繋がりました。
※おとぎ話が大好きな日"教祖"の患部たちは、 Boston revoltなどを面白おかしく?強調して、"民衆の勝利"おとぎ話をでっち上げたわけです。実際には「商人共の利権争い」が主流を占めていたわけです。

★第9節 riverは大事なFrontierだった

(※地図は面白い事(地政学?)を学ばせてくれる!)

このRevolutionary Warの注目すべき点は「riverが死守すべきFrontier」とされたことです。

セントローレンス川、五大湖、ミシシッピー川は勿論、ハドソン川、ポトマック河、オハイオ川、St. Croix River (Nova Scotia)、セントメアリーズ川などが大事なFrontierとして流域で戦いが繰り広げられたわけですが...

これは後の南北戦争でも同じで、Potomac River(ポトマック川)を挟んだWashington, D.C.(ワシントンDC)& Maryland(メリーランド州)とが対峙した Virginia(バージニア州)の州境は、

Potomac Riverの中央ではなく右岸沿いに設定されています!

これは、戦時中にVirginiaと袂を分かちUSA側(北軍)となったWest Virginia(ウェストバージニア州)とMaryland(メリーランド州)の州境North Branch Potomac River(ノース・ブランチ・ポトマック川)も同様ですが、つまりConfederate States of America(CSA;アメリカ連合国:南軍)と対峙していたUSA(北軍)勢力としては、Frontier防衛がしやすかったからでしょう!

つまり、USA防衛隊は川船で巡視して、イギリス軍(or CSA軍;南軍)が渡河しようとしたら、対岸にUSA軍を配備して、速攻が可能だったからだと推測できます!

この州境配置は、当初New York (state)ニューヨーク植民地とNew Hampshire(ニューハンプシャー植民地)との間で争奪戦のあったVermont(バーモント共和国)とNew Hampshireその州境を流れるConnecticut River(コネチカット川)でも同様に設定されています。

USA側についたSpanish territoryのLouisianaと分かつミシシッピー川では、その後のFrench territory(Louisiana)買収時の旧河川の流れに忠実なラインとなっていて、独立戦争当時は緊張が無かったことを物語っています。

但しオハイオ川では旧British territory側つまり右岸に州境が設定されていて、イギリス軍とUSA独立軍の両陣営が対峙していたことを物語っています!

第1項 1803年 French territory(Louisiana)を買収してさらにterritory(領有地)を拡大

第1目 Mississippi RiverとFrench territory(Louisiana)だった各都市

フランス人たちは、5大湖に辿り着くと、南下して、ミシシッピー川の支流に辿り着き、多くの支流域を探検し、スペイン王国の脅威が及ばない流域に、Fortとcolonyを展開して、地道に!開拓をはじめ、ミシシッピー川流域にFrench territory(Louisiana)を展開しましたが、スペインに目を付けられて、Spanish territory(Louisiana)に組み入れられ、北部のセントローレンス川に押し戻されてしまいました。

1800年10月1日にナポレオンが武力を背景としたサン・イルデフォンソ条約西部ルイジアナとニューオーリンズをスペイン王国から取り戻しました。

権力者となったナポレオン・ボナパルトが国力(武力)による政治圧力でスペインからSpanish territory(Louisiana)を"奪い返し!"て、その後ヨーロッパ統一に向かい、強大な海軍力で大西洋のterritory(制海権)を手中に納めていたイギリスとの軍事費捻出の為に、1803年に新生USAに売り飛ばしたわけです!

また1808年には ナポレオンがスペインで、武力を背景に「兄ジョゼフをホセ1世」とした傀儡政権を樹立しましたが、ナポレオンの失墜と共に1814年にブルボン朝のフェルナンド7世が再びスペイン国王に返り咲きましたが、時すでに遅し。

French territory(Louisiana)はAmerican territoryとなっていました。

District of Louisianaが誕生

更に1805年にAmerican territoryのLouisianaが誕生しました。

第2項 ここまでの主だった出来事まとめ

1775年4月19日(から1783年9月3日) 独立戦争

1789年3月4日アメリカ独立宣言

参)独立宣言に参加した13植民地

ニューハンプシャー植民地(ニューハンプシャー)
マサチューセッツ湾直轄植民地(マサチューセッツ)
ロードアイランド植民地(ロードアイランド)
コネチカット植民地(コネティカット)
以上は後に「ニューイングランド」と総称されるようになる各地域。

ニューヨーク植民地(ニューヨーク)

ニュージャージー植民地(ニュージャージー)

ペンシルベニア植民地(ペンシルベニア)
デラウェア植民地(デラウェア)

メリーランド植民地(メリーランド) en:Chesapeake Colonies
バージニア植民地(ヴァージニア) en:Chesapeake Colonies
ノースカロライナ植民地(ノースカロライナ)
サウスカロライナ植民地(サウスカロライナ)
ジョージア植民地(ジョージア)

1783年大英帝国がUSA独立を承認

1783年 パリ条約で大英帝国とUSAの"休戦"が成立して大英帝国がアメリカ合衆国独立を承認。

1783年のパリ条約大英帝国がUSAと停戦して主権国家として承認した時点で、大西洋岸からミシシッピー川までの先住民族が暮らしていたエリアを「アメリカ合衆国のterritory」として密約を交わしました。

この時点で、大英帝国との米英戦争は終結しましたが、ネイティブ民族アメリカインディアンとの間でterritoryをめぐる小競り合いが?その後も繰り広げられたので...

1789年5月4日アメリカ合衆国憲法 施行以降

1789年5月4日アメリカ合衆国憲法 施行

1791年3月4日、バーモント共和国が大英帝国を離脱してアメリカ合衆国14番目の州としてUSA加盟

参※)イギリス帝国に対する反乱(独立戦争)を開始した発起人?のcolony(植民地は)は前途したようにアパラチア山脈以東の13colonyでしたが、バーモント共和国が大英帝国を離脱してアメリカ合衆国14番目の州として加盟しているので、建国時の元祖USAHは14州となります。

1795年「独立戦争の終結」

1795年に北西部を制圧してミシシッピー河以東のterritoryを確定する。

大英帝国との独立戦争は終結しましたが、ネイティブ民族・アメリカインディアンとの間でterritoryをめぐる小競り合いがその後も繰り広げられたわけです。

正に、大国のご都合主義の象徴的出来事です!

1795年独立戦争停戦後に昇格した州

ケンタッキー州  15番目1792年6月1日(バージニア州より分離)現州都;フランクフォート

テネシー州 16番目1796年6月1日(USAのテリトリーから昇格)現州都;ナッシュビル

1803年フランス領ルイジアナ買収でterritory拡大

オハイオ州がルイジアナ買収後の最初のstate(州)として1803年3月1日17番目の州に。州都コロンバス

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公開:2021年10月19日
更新:2024年4月 5日

投稿者:デジタヌ

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