狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

京阪電車魂!近畿の数多くの鉄道建設に関わった " おけいはん " の歴史...

副題 近畿の数多くの鉄道建設に関わり、理想を追い求めたインテリ集団!

《要約》

創業以来、市内中心部乗り入れを阻まれ続けてきた「京阪電車」がやっと大阪市の居城 "中之島" に上陸!できたましたが...

共存共栄を尊ぶ「はんなりした京都の旦那衆」とは異なり大阪市を牛耳ってきた「転入組あきんど・町衆」は狡猾で「鉄道オタク?」で有り続けてきた"お京はん"には分が悪い!ようですが...

"おけいはん"の歩んだ鉄路とは正しく、"崇高な理念"を貫こうとする『理想家集団』おけいはんと、"利権主義(市営モンロー主義)"を掲げる『なにわ町衆(まちしゅう)』の抗争の歴史だった...といえるのではないでしょうか!

京阪電車 魂!近畿の数多くの 鉄道 建設に関わり経営理念を貫き通し続けた " おけいはん " の歴史...   の目次

※本記事は2007年11月6日に初稿を公開したコラムに新たに最新情報を補筆してリニューアルして「令和元年」版としたコラムです。

※ハイパーリンク、その他についての御断り

直接 hyper-link は、当事者・関連団体の Official website 若しくは、関連当事国の Wikipedia 言語版へリンクしております。

但し(参※xx) は当サイト内の参照関連記事へのリンクです。

各国版"まとも"!なGoogle 人工知能翻訳を推奨

"日本語ウィキペディア"は政治色が濃く!偏った異見!が蔓延っています。

外来文化!?についても、USAの主張が色濃く出ている米語版の"直訳版"が多く、

更に「翻訳者の主観」も強く表れている content が殆ど!なので...

オリジナルの各国語版・原典版!にリンクしています。

英単語優先!表記について

更に"曖昧で不明朗"な日本語(行政用語・表現)は用いずに、できるだけ「論点・観点が明確」に示せる「端的・明解」な英単語を用いるようにしております。

※本ファンタジーについて

本レビュー記事は、出来る限りの"記録(時系列)に下ずいた史実に、地政学的!・工学的 検証"を行ってるセミドキュメンタリー!ですが...

筆者の億測を交えたファンタジー?でもあります。

後述する各団体とは直接関連はありません。

また各団体では"答え難い大人の事情、あまり触れられたくない内容!"も含まれています。

本件に関してのお問い合わせはご無用に願います。 \(^_^ )( ^_^)/

★前書き 旅客鉄道事業単独では利益を生み出せ無い!時代に...

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今や大昔!? の様にチンチン電車が3・40㎞/hぐらいで「ノンビリ走っていた時代」ではありません!

通勤電車が100㎞/h以上の猛スピード!で大勢の乗客を安全に運ぼうとすると、

安全確保(軌道設備、保安施設などの設備維持管理設備更新運行管理業務)に莫大な経費!必要な時代なのです。

おまけに、freight forwarding(貨物輸送)が衰退して、full service(貨客営業)を断念せざるを得なくなった旅客鉄道事業専業では、簡単に(黒字化)利益を生みだせ無い時代なのです。

つまり、一匹狼の3セク鉄道(ボランティア営業の保存鉄道?)や地下鉄協会加盟の公営軌道以外の、JRグループ(※001)、民鉄協会加盟の私鉄、などの軌道会社鉄道事業は単なる看板・表札!にすぎなくなったわけです。

参※001)当サイト関連記事 完全民営化を契機にJR各社は「ポッポ屋」が本業の時代は終わった! はこちら。

第1項 首都圏では通勤通学対応(波状運輸対策)が最大の難題!に

首都圏で盛んにおこなわれているJR⇔民鉄間の相互直通運行が、何故(一部の例外を除き)地方では少ないのか?

考えて見られたことがありますか...

更には、京阪神間では当たり前のように特急料金不要の130㎞/h運転が行われている!のに...

首都圏では、茨城方面の"常磐線"と"つくばエクスプレス"以外では、"特別料金不要の通勤特急!"が運行されていない理由を考えられたことがありますか?

第1目 首都圏方式"直通運行"と大阪方式"乗り入れ運行"

労組関係!の鉄道 journalist?が百葉1包めで用いる"乗り入れ"は英語ではTrackage rights といい鉄道事業法では第二種鉄道事業と呼ばれる営業契約(形態)で、他社の保有する第一種鉄道事業路線や、第三種鉄道事業路線に、乗務員込みで直通する営業形態(運行方式)のことで、関東ではJR貨物(第二種鉄道事業者)のみにみられる営業形態です!

参※)当サイト関連記事 労組系!翻訳者が態と誤訳!する重要な慣用句 はこちら。

第2目 首都圏に見る" 通勤5方面作戦 "と持ちつ持たれつの補完関係!

  • ●どうして"JR藤沢駅構内"に並行路線小田急江ノ島線の利用促進を促すコピーが所狭しと掲示されているのか...
  • ●上野東京ライン・新宿湘南ライン(東海道線)で130㎞/h運行が行われていないのは...
  • ●中央快速線が増線(完全複々線化)しない本当の理由は...

特に東京23区を中心とする首都圏では36,848,516人つまり全国民の30%!(2023年4月現在)もの人が暮らしています。

JR東日本一社の負担では無駄な重複投資に繋がる!

Federation全体としてみた場合...

JR幹線への乗客集中を避けて、波動需要(通勤・通学需要)対策の過剰投資(過剰車両・過剰要員!)を避けたいからです。

ラッシュアワーに集中する割引定期券利用者の為に、過剰設備投資(通勤車両増備)を行っても、大半の車両に「昼間(留置場!で)お昼寝!」されていたのでは、たまったものではないのです!

通勤客を分担!してくれる"相棒"がいれば「無駄な過剰投資をしなくて済む」わけです。

第2項 『鉄道は一家、事業者みな兄弟』時代の自己矛盾!

別項(※001)に記しましたように、今や財務省所管の投資ファンドが構築した trust 体制で、

『鉄道は一家、事業者みな兄弟』となった訳ですが...

参※001)当サイト関連記事 運輸業は一家!事業者はみな兄弟! はこちら。

第1目 "公益重視"vs"受益者負担原則"という新たな"矛盾と対立が...

財務省主導でpatronである投資ファンドが、「交通事業者の生き残り」をかけて組織した全国運輸事業者Federation ( trust) ですが、新たな問題も引き起こしました。

つまり、都市近郊路線での鉄道事業者と沿線利用者(受益者)との相反する利害関係の矛盾!

"公益重視" vs "受益者負担原則"の矛盾です。

財務省(投資ファンド)サイドは...

財務省主導で行われている政策投資ファンド が取り組んでいる 全国運輸業 Federation (trust 陣営)側は、

あくまでも第一種鉄道事業相互直通策で、利便向上に対する受益者!の応分の対価!(割増運賃)初乗り運賃2重取り!つまり受益者負担を主張!しているのです!

なので、先頃2023年3月18日に開業した東急新横浜線、相鉄新横浜戦延伸開業区間でも、

新横浜経由の東急・相鉄直通!ルートと、横浜駅経由の相鉄・東急の乗り換えルートでは、(距離も所要時間も短い)直通ルートのほうが高額運賃!などという馬鹿げた事態が生じるわけです!

  • ●いずみ野←(相鉄)→西谷←(相鉄)→新横浜←(相鉄)→日吉←(相鉄)→渋谷 ¥730- !/35.3㎞
  • ●いずみ野←(相鉄)→西谷←(相鉄)→横浜(徒歩連絡)←(東横線)→渋谷 ¥610- /40.7㎞
経済産業省は...

経済産業省所管の(旧関西財界系)"軽罪怪"は第三種鉄道事業を全国展開!する♥"公益重視"?(地元経済活性化!重視)を前面に押し出しているわけです。

(※実際に、3セク青い森鉄道でも、東北新幹線(JR東日本運賃規定)より高額なボッタくり料金設定!で、沿線のCommunity、Municipality 経済圏(生活圏)内での交易を阻害!しており、地元経済にブレーキをかけている!わけです。

厚生労働省所管の労働組合(患部活動扇動家)は

そして、労働組合(と支援するTVマスコミ各社)は、合理化反対!をslogan、鉄道事業者(経営者)が示す Refinancing(再投融資)reconstruction(統廃合)案には断固として"抵抗"する協力拒否!姿勢を貫き...

第3項 全幹法をはじめとする鉄道関連法は"大日本帝国憲法"の申し子!

第0目 軌道法!は今も生き続けている

"特許"に縛られ、お伺い!(廃止許可申請)が必要な軌道法!と、"廃止届"で済ませる、"鉄道事業法"の違いは、遵守する constitution(憲法)の違いなのです。

つまり敗戦後の民主主義の日本国憲法(1947年5月3日施行)以後に制定された、鉄道・軌道関連の法令は極限られているわけです

JNR;日本国有鉄道の礎となった日本国有鉄道法(1949年6月1日施行)。

JR各社と民鉄の礎となった鉄道事業法(1987年4月1日施行)など極僅かでしかありません!

なのでJNRには president(総裁)がいたわけです。(但し民主的(選挙)には選ばれてはいませんが...)

敗戦後の民主憲法日本国憲法を完全に遵守した法律は少ない

稀代の悪法全幹法(1970年6月18日施行全国新幹線鉄道整備法)(※00)に繋がる日本鉄道建設公団法(1964年3月23日施行)も国家公務員法、国家行政組織法の(不備)を突き明治大日本帝国憲法1890年11月29日施行)以前からあった!官吏の分類(1886年)親任官制度)を引きずる封建的悪習・慣例恣意的独裁!(権限)を、大幅に認めた憲法違反の法令です!

参※00)当サイト関連記事 三無い!整備新幹線"神話"は「憲法違反!の全幹法」を盾に取る"建設推進派のペテン" ! はこちら。

第1目 大東亜戦争は一部の"highbrow,wealthyが...

官僚・政治屋・経済怪の癒着構造は今に始まったことではありませんが...

明治維新後の「議会制封建主義?を目指した大日本帝国憲法制定で顕在化した」といっても過言ではないでしょう!

大東亜戦争(侵略戦争)も、「軍部が起こして軍部が継続させた???」のではありません!

をつけて焚きつけた!」のは"一部のhighbrow(財怪人)と当時のwealthy(Officer)官僚・行政官です!

1945年の敗戦後、彼らは戦争責任を全て軍人に押し付けて、自らは「USAお得意の司法取引!」で極刑を逃れ!世界の警察???USAの腰巾着!、自由圏?の斥候!、そしてバックヤード要員として。

USAの恣意的戦争朝鮮動乱、ベトナム戦争、中東戦争」を支え続けてきたわけです。

第2目 敗戦後も governing classes 共に踊り続けさせられてきた一般庶民

敗戦後、司法取引?で戦争責任を回避して生き延びた、highbrow,wealthy共つまりgoverning classes(支配階級)the exploited classes(搾取階級)の悪人共は、米国(経済怪)と結託して、私達 citizen(庶民)に戦後復興期・高度成長期というDelusion(妄想)を抱かせて「踊り続け!」させたわけです...

つまり20世紀末に訪れた、バブル景気崩壊による暗黒の十年間???ではなく

敗戦後の半世紀が、「悪魔の齎した幻想・虚構だった!わけです...

プロローグ "市営モンロー主義"旗揚げ以前に?『 おけいはん 』は生まれていた! 

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京阪電車の生い立ち

京阪電車は官設東海道本線のルートから外れた旧京街道に(現国道1号)沿いに、

大阪市 と京都市を結ぶ「高速電気鉄道」インターアーバンとして、日本産業界の始祖渋沢栄一氏が、自ら説いた合本主義に下ずいて、当時の成田鉄道社長佐分利一嗣を中心とした関東の実業家と衆議院議員岡崎邦輔氏らを集め1901年(明治34年)に起案したことに始まり、

これに呼応する形で翌年1902年に京阪神地区の財界人たちが「軌道条例」に基づく「畿内電気鉄道」として事業化して1906年8月25日に大阪市東区高麗橋詰町 ⇔京都市下京区朱雀町五条大橋東詰間の電気軌道敷設の「特許状」と命令書を下付されて、同年8月30日に創立委員6名と共に渋沢栄一氏が創立委員長に選任されて、され9月3日に畿内電気鉄道㈱創立委員会で定款が決定され、1906年12月21日に起案から6年越し!にしてやっと京阪電気鉄道株式会社が発足しました。

つまり「あきんどモンロー主義」(※10)の旗頭で有る日本最初の公営路面電車「大阪市営電気鉄道」が花園橋(現在の九条新道交叉点)と 築港桟橋(現在の大阪港/天保山)間5.1kmを開業させた1903年以前から、「おけいはん」の事業計画が進んでいたことになるわけです。

参※10)当サイト関連記事 大阪市における" 市営モンロー主義 "の起源と変遷はこちら。

第1節 旧四大区 大阪あきんど町衆の"時間稼ぎ無理難題"との戦いの歴史 

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1901年から計画されながら会社設立が遅れ、会社設立後も大阪市から「時間稼ぎの無理難題」が次々と突き付けられて、大阪市がずるずると大市営電車軌道共用、市内乗入契約締結を引き延ばして、

やっと1908年9月26日に契約が締結できて軌道特許が下され、1909年(明治42年)4月になって初めて大阪市北区東野田網島(現・都島区網島町)の車両工場、車庫の建設にこぎつけたわけです。

1910年(明治43年)3月31日:大阪・天満橋 ⇔ 京都・五条(現・清水五条)間46.57kmの軌道敷設工事が竣工し、同年4月15日になって大阪・天満橋 ⇔京都・五条間を1時間40分で結ぶ現在の京阪本線が開業した。

当時の乗入契約は"路線レンタル"契約に近かった!

大阪市との間で交わされた市営電車軌道共用と市内乗入契約は、巧妙な軌道敷設妨害「嫌がらせの手口」として有名ですが、近年のプロダクション制作番組「鉄道伝説」やそれを鵜呑みにした「ニコニコ動画」迷列車シリーズの「某匿名UP主」達が「軌間1067mmの狭軌軌道」を敷設したというは事実と反する作り話!です。

(※「鉄道伝説」「ニコニコ動画」迷列車シリーズには時代考証が欠如!しているコンテンツが多数混ざっています!)

「大阪市営電気鉄道」開業当初から1435㎜の標準軌で一貫しておりのでしょう!

その1 路線の制約

大阪市営電気鉄道で使用された(8.3m!の2軸車)車両規格(車両限界)が異なり、さらに交差点付近のカーブの最小曲率半径も当時の京阪の中(途半端)型4軸ボギー車両17mでは走行(乗り入れ)不可能?と判断されたことが一つ。

その2 路線レンタル方式をとった当時の乗り入れ契約が

乗り入れ先の運転手と交代する乗り入れ先への「車両レンタル契約」方式の相互乗り入れは、敗戦後になってからの方式で、当時の乗り入れは異なっていました!(※11)

乗り入れ予定区間の天満橋⇔大阪駅前間の料金設定問題がこじれて、実現に至らなかったと考えるのが妥当でしょう。

当時の乗り入れは、まさしく運転手・車掌込みで乗り入れて、後日運行本数に応じて清算する「路線レンタル」形態でした。

大阪市電と京阪電車では運賃設定が異なり、京阪側に無理やり承諾させた片方乗り入れ案(協定)は最初から実現性がなかった!と考えるのが妥当でしょう。

1910年京阪本線天満橋開業時以前から、そのこと(大阪市のペテン)京阪も承知していたと考えられます。

参※11)1921年に同じように片方乗り入れを条件に、南海鉄道上町連絡線(現阪堺電気軌道)の天王寺区内区間が買収されて、戦時中の1943年に大阪市電市内均一料金制が導入されて完全に追い出された!ように...

『理想家揃いのインテリ集団』であった開業時の京阪電車経営陣が正規の手続きにこだわった!

これは京阪国道(旧東海道)沿線という庶民の住む下町?を通過する路線にしては...

"意外とお上品な学者肌のインテリ集団(理想家?)"の「崇高な理念」に下づいた軌道敷設計画であり、中央政権に寄り添った財界が、あくまでも「正義・手続き」を重視した紳士的手法に拘った為に、「旧大阪三郷」が起源の大阪市「北区職員」の計算高い「町衆的嫌がらせ」に屈してしまったのでしょう。

阪神電車・阪急電車などはあくまでも「既成事実」に徹し、軌道特許の発行を待たずに軌道建設を押し進め既成事実(路線)を追認させる手法で阪神間に近郊電車路線網を構築していきました。

1915年2月6日:臨時株主総会において、京都市長と締結した京都市電気軌道鴨東線 三条 ⇔五条間の軌道使用契約(路線レンタル契約)を承認。

同年10月27日:鴨川線 五条 ⇔ 三条間1.5kmが開業。

※つまり、京都市では早くから市営モンロー主義などは行っていないどころか"共存・共栄・はんなり(上品)路線上"を走っていたわけです!

第2節 戦前の新京阪の計画もズタボロに... 

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その後も、当時は淀川以北の未開の荒野?に、インターアーバン「第2京阪線」を敷設して「超特急」を走らせて京都⇔大阪天神橋間を30分で結び、将来は名古屋まで至る計画「崇高な理想」実現に猛進?したのでした。

1919年には新京阪(現阪急京都線)大阪府東成郡榎並町⇔京都府紀伊郡納所村間30.4kmと、その支線東成郡清水村⇔東成郡城北村間、東成郡城北村⇔西成郡豊崎町川崎間、京都府内の枝線4路線合計43.8kmを軌道法に下ずいて特許収得しています。

ただし特許取得条件として既存の大阪市内側起点天満橋とは別の場所に、もう一か所起点駅を設けることが取得条件の一つでしたが。

鉄道省城東線の高架化工事と跡地利用で梅田乗り入れを目指す

そのころ進んでいた城東線(現大阪環状線)の電化・高架化工事計画は、既設の地上線と平行して用地を取得して、そこに高架を建設するという手法が採られていたため、工事完成後は旧線用地が不要となる予定でした。

そこで京阪は、太いパイプで繋がっていた当時の中央政府の鉄道省に働きかけて、その旧線用地の一部を570万円!という当時でも破格の安価で払い下げてもらい取得して、「野江」から分岐して京阪本線と計画中の「新京阪線」を「梅田へ乗り入れさせる路線計画」を作成しました。

※嘗て事業用地まで確保されていた「京阪梅田線」についての詳細はWikipediaの解説記事へ。

しかし、当時市内交通の市営一元化(市営モンロー主義)に下ずく都市計画?を進める大阪市(北区)が、「自治権の侵害」として横やりを入れて、地上線では都市計画の妨害になるなどの、ヤクザ同様の「因縁話」をつけて猛反対に回ったわけです!

1920年に鉄道大臣が直接第6代大阪市長の 池上四郎(4大区出身)への諮問(事情聴取)を行い、翌年市長が鉄道省に京阪の大阪市内部の路線を"高架線か地下線"にして立体交差することを条件に、一応の話し合いはついたかに見えました?

しかし1923年9月1日発生した関東大震災の影響で、(京阪梅田延長の大前提である)国鉄城東線の高架化工事に国の予算が割り当てられなくなり、城東線高架工事の着工時期の目途が立たなくなりました。

1925年1月27日:京津電気軌道との合併が鉄道大臣、ならびに内務大臣から認可。
同年1月30日:京津電気軌道との合併が逓信大臣から認可。

1932年9月:京阪線の車両の集電装置をトロリーポールからパンタグラフへ変更。
同年10月15日:京阪線の全車両のパンタグラフ化が竣工。

1933年12月29日:京阪本線の蒲生信号所 ⇔守口(現・守口市)間を複々線化!国内私鉄初の快挙!となりました。

新京阪の開業

その後、新京阪線は新設区間の建設工事と旧北大阪電鉄線(現千里線)区間の改良工事を経て、

1928年1月に天神橋駅(現在の天神橋筋六丁目駅)⇔高槻町駅(現在の高槻市駅)間で、同年11月には高槻町駅⇔西院駅(仮)間の新京阪鉄道をやっと開業にこぎつけました!

第3節 手を広げすぎて苦境に絶たされた時期に次々と襲い掛かる不運 

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この時期「阪和電気鉄道」(現在のJR阪和線)、和歌山市内線、奈良電気鉄道(現在の近鉄京都線)などにも多額の積極投資を行っていた京阪系列の経営は極端に悪化して...

1927年の下半期には当時の金額で6752万円、1929年の下半期には1億721万円というにも途方もない巨額に達し、(どこかのXXメトロ某路線同様に)旅客収入では利息の支払いすらまかなえない状況となってしまいました!

昭和大恐慌がとどめを

1929年(昭和4年)10月にニューヨークのウォール街で始まった世界恐慌が1930年(昭和5年)には日本へも飛び火し1931年(昭和6年)にかけて"昭和大恐慌"が発生し、チンチン電車なのに「自転車操業?!」であった京阪電車を襲い、もはや新線建設などの余裕はありませんでした。

倒産寸前の京阪は1930年には野江駅からの延伸申請を取り下げ、戦前の1942年には(天六⇔京阪本線間の)関連免許が失効しました!

その後1940年には巨大負債の一因ともなった「阪和電気鉄道」を南海鉄道に売却。

1943年には陸上交通事業調整法で阪神急行電鉄株と戦時統合して京阪神急行電鉄株式会社(現阪急)の一部に組み込まれました。

第4節 敗戦後に『出発信号・進行よし』となっても... 

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1949年(昭和24年)になってやっと京阪神急行電鉄より、京阪本線・交野線・宇治線・京津線・石山坂本線の各路線が分離譲渡される形で京阪電気鉄道株式会社として再出発できましたが、この時に戦前に京阪電鉄が建設した新京阪は、千里線ともども阪急京都線としてそのまま阪急(※41)に分捕られてしまいました!

1962年には共同出資していた奈良電気鉄道(現近鉄京都線)の株式を近畿日本鉄道へ譲渡(売却)

1963年4月16日:淀屋橋駅 ⇔ 天満橋駅間が地下線で延伸開業。

1968年12月には近鉄京都線(旧奈良電気鉄道)の1500V昇圧のために、1945年12月以来23年にも及ぶ長年に渡る近畿初の相互乗り入れ事業、(近鉄西大寺⇔丹波橋⇔京阪三条)(宇治⇔中条島⇔たん丹波橋⇔近鉄京都)は廃止されて、完全に奈良電とは縁切れ?となりました!

1970年11月1日:京阪本線の天満橋 ⇔ 野江間を複々線化。

1976年9月12日: 京阪本線の守口市 ⇔ 門真市間高架完全緩急分離複々線化。

1978年7月30日:京阪本線の門真市 ⇔ 寝屋川信号所間の高架複線を使用開始。

参※41)当サイト関連記事 『絶対に損はしない 阪急 商法』...日本の私鉄におけるフィロソフィー抗争?の歴史はこちら。

京都市交通局とは永年仲良くしており...

同年10月1日 京都市電全線廃止。河原町線 京都駅前 ⇔七条河原町、七条線 七条河原町⇔東山七条、東山線 東福寺 ⇔高野、北大路線 高野 ⇔ 千本北大路、西大路線 千本北大路⇔西大路九条、九条線 西大路九条 ⇔東福寺を廃止し、市営バスに転換。烏丸車庫廃止。

1980年3月16日:京阪本線の土居⇔ 寝屋川信号所間が高架複々線化。京阪本線の天満橋 ⇔ 寝屋川信号所間14.1㎞が私鉄最長(当時)の複々線区間となる。(※42)

1983年12月4日:京阪本線・宇治線・交野線の架線電圧を直流600Vから1500Vに昇圧。

※42)これにより当時私鉄初の試み!として当時私鉄最長だった京橋⇔寝屋川信号所間12.6km区間の完全緩急分離複々線が完成しました!)

※43)大手私鉄の中で唯一1500v昇圧が遅れたのは、京都市内で平面交差していた京都市電のが1978年まで運行されていたために京都市電(600v)との平面交差が多く、市電の廃止を待って昇圧が実施されたためです、西鉄さんのように市内線との平面交差部分をデッドセクションとする手段も考えられましたが...

交差部分の、真近に駅が設けられていたために、助走区間が設けられなくてこの手も使えませんでした!

地下線・連続高架事業で立体交差事業に貢献!

1987年(昭和62年)5月24日:京阪本線の東福寺 ⇔ 三条間が地下化(総工費580億円)。

1989年(平成元年)10月5日:鴨東線と三条間⇔ 出町柳間を延伸開業して、叡山電鉄(旧京福電鉄2002年より京阪ホールディングス完全子会社化)とつないで、現在の京阪グループ鉄道網が完成しました。

1997年10月 京津線 京津三条 ⇔ 御陵間3.9km廃止。

京津三条駅、東山三条駅、蹴上駅、九条山駅、日ノ岡駅を廃止して御陵府道東踏切付近 ⇔御陵間を同日開通の市営地下鉄新線方乗り入れに変更しました。

同時に前例が少ない(※44)併用軌道区間もあるLRT路線・京津線の架線電圧を600Vから1500Vに昇圧!して、更に新幹線車両より高価な全長60m!4両連結の登山電車?でstreet running(※45)を行い、京都市営地下鉄東西線京都市役所前まで片方乗り入れするという先進的な事業を貫徹しました。(※46)

参※44)当サイト関連記事 第1節 トラムトレイン方式(カールスルーエタイプ)とは?日本初の嘗ての新潟交通電車線 はこちら。

参※45)当サイト関連記事 日本の私鉄は" street running "ではじまった! はこちら。

参※46)当サイト関連記事 京阪電車 と京都市だからなしえた LRT の 地下鉄 乗り入れ! はこちら。

エピローグ もしも大阪にも?"商都高速度交通営団"が存在していたら... 

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創業以来、市内中心部乗り入れを阻まれ続けてきた「京阪電車」がやっと中之島に"上陸"できたましたが...

もしも大阪にも、帝都と同じように♥商都高速度交通"英断"(営団)が存在していたら、大阪都市圏交通網は今とは大きく異なっていた!でしょう。

共存共栄を尊ぶ「はんなりした京都の旦那衆」とは異なり大阪市を牛耳ってきた旧大阪3郷「町衆組織」は狡猾!で...純真な「鉄ちゃん」で有り続けてきた♥"はんなりした おけいはん"には分が悪い!ようです。

後書き《 軌道 Watch》シリーズについて

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鉄道黎明期において日本各地で幹線鉄道を敷設していったのは、民間資本による"民鉄"でした。

幹線の多くはその後お国に買収されて、官営鉄道になり国鉄を経て現在のJR各社となりました。

現在の大手私鉄の殆どはこの時運よく買収を逃れたましたが、第2次大戦中の戦時統合で合併を余儀なくされて、敗戦後に再度独立して現在に至っています。

また大手私鉄の大半が辿ったLRTや新都市交通、バス路線にもスポットをあてて、離合集散、新線建設・廃線を繰り返しながらも"波乱万丈の路"を走り続けてきた公共交通事業者の過去・現在に焦点を当ててみました。

狸穴総研 公共交通網調査室 出自多留狸

※脚注 関連団体♥ 問い合わせ先リンク集

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関連団体リンクテーブル 

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《市営モンロー主義と大阪メトロ》関連記事のご案内 

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公開:2020年10月 7日
更新:2023年6月27日

投稿者:デジタヌ

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