連載『 京阪・中之島線 "阪神直通の夢"は何処へ...』ー第1章第2回ー
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★第1節 そのそも京阪中之島線計画とは
オリジナルの計画通りに阪神『野田駅』まで延伸して阪神電鉄と相互乗り入れしたかったはずですが...?
第1項 京阪魂は何処へ
そもそも京阪中之島線とは、京阪誕生当初の創始者のひとり渋沢栄一氏の教えを引き継いだ、東海道・山陽道沿道連絡線「京阪神連絡鉄道路線」構想実現のための第一歩ではなかったのでしょうか?
国道1号線沿道を走る京阪電車と、国道2号線阪神国道沿いを走る阪神電車、とを結ぶ「京阪神第3のアクセスライン」として京阪電車内部で温められてきた構想ではなかったのでは...
渋沢栄一は交通事業においても、自己の経営哲学『"道徳経済合一"説』 に下ずいた『社会資産"としての鐡道』という崇高な"フィロソフィー"を実践してきた鉄道会社のはずです。
しかし今や『富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。』などと言う師の教えは甘っちょろい夢物語となり、
「金儲けの手段・方便としての鉄道経営」が最優先される時代になったのでしょう...
第2項 国道1号.2号線沿道住人の長年の夢「京阪神」直結ラインは...
JR神戸線・京都線(旧国鉄東海道線)も、阪急電車も、北摂つまり淀川の北側を走っています!
しかも京阪神間を乗り換えなしで直結しているのはJR線だけです。
省線(旧国鉄)が敷設されたころの汽車鉄道は、沿道住人から忌み嫌われて川向うに追いやられましたが...
その結果、現状では京阪神エリアで一番人口の多い国道1号線・2号線沿道の住人は、大阪・梅田駅で乗り換えを強いられているわけです!
東西の郊外電車の直結直通運転の有用性は、JR東西線、近鉄・阪神難波線の大成功で証明済みです!
当初の予定通り阪神電車と京阪電車が野田駅で繋がれば、守口市、旭区、都島区、西淀川区、などに住む人達が行き来できるようになり、現在開発から取り残されている?このエリアに再び活気が蘇ることになるのですが...
第3項 時が経ち21世紀に入り
20世紀末当時の大阪市交通局(現大阪メトロ)が、市営地下鉄として目論んでいた沖合3人工島(南港ポートアイランド・夢洲・舞洲)を結ぶ地下鉄計画の一環として計画された此花区地下鉄計画が、20世紀後半に自らの「地下鉄建設事業」の"付け"(建設費)がたまり財政破綻寸前にまで追い込まれて、大阪市が財政ひっ迫の最大の原因である地下鉄建設を市交通局の直轄事業から切り離して、官民共同出資による第3セクター方式による都市鉄道網建設に"路線転換"を図って、それまで敵対?していた京阪電車との協調路線を走り出したわけです。
つまり大阪市(交通局)の独自事業としては、新規路線を建設できなくなり!3セク第3種鉄道事業者を立ち上げて、3セクを隠れ蓑にして新線建設を続けて、業界に貢献する方針を打ち出したわけです(※01)
2001年(平成13年)3月30日:京阪電気鉄道が中之島新線事業への着手を正式決定
同年7月10日:中之島高速鉄道設立。
同日西大阪高速鉄道株式会社(阪神なんば線)設立!
同年9月27日:京阪電気鉄道と中之島高速鉄道が中之島新線の事業許可を申請。
参※01)当サイト関連記事 市営モンロー主義は大阪市都市開発局と共に生き続けている!はこちら。
とんとん拍子にはなしがすすみ...
2002年(平成14年)10月9日:大阪市都市計画審議会が中之島新線を市に答申。(どこが起案したのかは不明?)
2003年(平成15年)5月28日:大阪国際会議場で起工式を挙行。
2006年(平成18年)4月16日:天満橋駅のホーム形態を変更。
同年11月13日:正式路線名と駅名を発表。。
2007年(平成19年)10月31日:トンネルが全線貫通。
2008年(平成20年)3月21日:レールが全線つながりレール締結式。運賃認可申請。
同年8月1日:試運転開始
同年10月19日:京阪中之島線 中之島駅 - 天満橋駅間が開業。
ー続きはこちらー
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公開:2007年11月 6日
更新:2024年2月23日
投稿者:デジタヌ
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