狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載《 三重交通 神都線は東京電車鉄道や大阪市電より 先に " 神から授かって " いた...》ー第2回ー

第2回 三重交通 神都線

第1項 1903年8月5日に宮川電気 が日本で7番目の interurban として...

宮川電気 が1903年8月5日 に本町⇔ 二見間7.6kmに interurban (郊外電車)を運行しだしたことに始まります?

東京電車鉄道(後の東京都電)や大阪市電より早い開業で、日本で7番目とされています!

参宮鉄道が開業後にやっと資金が集まり、1897年(明治30年)に下宮の真正面"山田"(現伊勢市)迄延伸されたので、宮川電気は 再度計画(申請)をし直して、当時の駅前の目抜き通り(伊勢神宮下宮参道)をstreet running することに変更したわけです。

そして開業の翌々年に当たる1905年8月4日には、参宮鉄道開業に合わせて着工されていた駅前道路(鳥羽松坂線(1900年4月完成)に、路線を伸ばし、

更に1909年10月には御幸道路の本町 ⇔外宮前 ⇔前田間に新線(南線)が開業して、旧線(伊勢神宮下宮参道)を上り専用、新線区間は下り線として、経路別運行を開始したわけです...

第2項 戦後の航空写真では解明できない事も...

最初にお断りしたように、本項で用いた経路図は、敗戦後に撮影された、国土地理院の航空測量写真に下ずいて、出来るだけ正確を期していますが...

1915年撮影とされる、山田駅(現伊勢市駅)から発車する「花電車」が(伊勢神宮下宮参道)を経由している姿が撮影されているので、当時完全には分かれていなかったのかもしれません!(※01)

その後、宮川電気は東邦電力に合併されて、1939年に国策で鉄道事業が分離されて独立して神都交通となり、大東亜戦争末期の1944年2月11日 に再度国策で、三重県下の鉄道・バス事業の大統合で三重交通・神都線となりました。

そして正月のお伊勢さん詣での"特需輸送"が終わった、1961年1月20日に無事役目を終えて、天に召されたわけです!

(※01)今後三重交通さん自らが、当時の正確な保存データ(測量データ)に下ずいた、路線図を編纂していただくことを期待する次第です!

第3項 乗って見たかった伊勢電気鉄道ラインについて

図中に記入したグレーラインは、陽炎のように短い生涯を終えた伊勢電気鉄道ラインです!

この路線を知ったのは、1967年の夏に部活の吹奏楽部の夏の合宿で大王崎に訪れた時のことでした。

当時すでに名阪国道が開通(1965年12月16日全通)していて、大王崎程度?ならバスで行ける範疇になっていました。

その往路に、道路沿いにあったのがこの路線でした!

1930年12月25日に開業してたった13年足らずしか、使われなかった伊勢電気鉄道の遺構もはっきりとわかる状態で残されていました!

戦時中の1942年8月11日に不急不要路線(※11)として新松阪⇔大神宮前間が廃止となり、鉄橋は撤去され、線路もはぎ取られた伊勢電気鉄道ラインでしたが、当時は"妄想"を搔き立てるには十分すぎる面影が残っていました!

神都線が近くに来てくれなかった?ことも本線が、消えていった理由の一つに挙げてもよいのではないでしょうか?

(※但し同い年生まれの近鉄宇治山田駅も、電停からは離れていましたが...)

参※11)当サイト内関連記事 隔離された 今里筋線 は大東亜戦争中なら間違いなしに不要不急の 廃止路線 !に... はこちら。

 

公開:2021年7月31日
更新:2024年3月29日

投稿者:デジタヌ

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