連載《親露派の売国奴!が信奉する世界最大規模の" 鉱山鉄道"シベリア鉄道 とは...》ー第6回ー
第1項 最初のТранссибирская магистральは
小生がТранссибирская магистральを世界最大規模のMining-railway!と呼ぶのは、
その建設目的が東西交通ではなく!ロシアの金蔵シベリアから「隠し財宝」を、Москваに導くためのexploitation railway(開拓鉄道)、mining railway(鉱山鉄道)が見え見えだからです!
第1目 "金蔵"への passageway から始まる
Железнодорожный транспорт в Российской империи(ロシア帝国の鉄道輸送)は...
西シベリアのentrance(と言うよりDrawing room:応接室)であるモスクワから、Russian territory(領有地)の"座敷蔵"に当たる中央アジアにあるЧелябинск(チェリャビンスク)へのpassageway建設が始まりでした。
Транссибирская магистральはこの鉄道を延伸する形で、現カザフスタンのПетропавл(ペトロパブル)を通りИркутск(イルクーツク)まで路線を伸ばしています。
なので開業当初のシベリア鉄道の正式な起点(0mile post)はЧелябинск(チェリャビンスク)にあるわけです!
この当時は、中央アジアのRussian territoryのほうが開発しやすかったわけです。
第2目 Екатеринбургが金蔵のentranceに
その後、鉱山技術・鉄道技術も進んで、(1723年開村!)のЕкатеринбург(エカテリンブルグ)がより一層に重要となり西シベリアの表玄関・開発拠点がモスクワからЕкатеринбургへ移り?Екатеринбургを中心に四方・八方に鉄道網が建設されて、ロシアの重要な hatchway(ハッチ)として地下資源をhatch(孵化)させたわけです!
第2項 American Mining railwayとの共通点が随所に
第1目 シベリア鉄道がアメリカ・北海道のmining railwayと似通っているのは
Russian railway systemと、北海道の鉄道網、アメリカのmining railwayの代表格 旧Denver and Rio Grande Western Railroad(現Union Pacific Railroad)が似通っているのは、共にアメリカ人鉱山技術者・鉄道技術者が建設に係わったからです!
前途したRussian railway systemの始祖となった、Царскосе́льская желе́зная доро́гаはフランス人技術者が建設指導しましたが、それ以降に"ニコライ2世"(※31)がRussian National Gaugeを制定して以降に建設された鉄道は、
1867年3月30日に建設資金捻出の為にアラスカをお買い上げ頂いた!USAの鉱山技術者・鉄道技術者の指導の下に建設が進められました。
なので、ルート設定も似通っているわけです。
参※31)皮肉なことに、ニコライ2世は多大な犠牲を払って自らが完成させた"シベリア鉄道"でシベリア送りとなり、ぺテルブルクを遥かに離れた地で、「裁判も受けられずに革命軍により半ば"リンチ状態"で家族諸共処刑」されたわけで...何とも皮肉な結果となった訳です。
第2目 開業当初随所に見られたTimber trestles
特に、当初の官営幌内鉄道でも使用されたTimber trestlesはアメリカ人鉄道技師お得意の手法で、北海道同様に?シベリア杉が使い放題の!Транссибирская магистральとそのbranch lineでは大いに活用されました!
第3目 高度を稼ぐΩループ
沢の形に添って高度を稼ぐΩループの連続は、正にそっくりです!
当時、はトンネルを掘削するより手っ取り早かったわけですが、その後鉄橋に架け替えられてからも、依然として「線形は保持」し続けられています。
第3項 路線が曲がりくねる元となる河川の蛇行原因は
1)三日月湖が残る平野・盆地
平地、平野部の穏やかな部分では、河川は蛇行しだして、メインストリームは始終変化して、曲がりくねり、コーナーで、新たな流れ(短絡路)が生まれ、取り残された旧河床が"三日月湖"となって残されます。
つまり三日月湖が多くみられる場所は平野・盆地などの平坦部を示しています。
2)山間部の渓谷などでは
一方、山間部のpassと呼ばれる部分では、河川が「峰と峰との沢」に沿って流れているために、ユーラシアプレートと、アジアプレートがぶつかり合うウラル・アルタイ山系では、造山活動により、山系が複雑に褶曲した結果、間を流れる渓流が蛇行しているわけです。
元祖Транссибирская магистральでは
日露戦争後に大急ぎ建設された、現Транссибирская магистраль(シベリア横断鉄道)はPioneer(開拓者)達が通ったexploitation railway(開拓鉄道)であり、世界最大規模のMining-railway(鉱山鉄道)と言えるでしょう。
山間部のpass(では、河川が「峰と峰との沢」に沿って流れているために、ユーラシアプレートと、アジアプレートがぶつかり合うアルタイ山系では、複雑に曲がりくねった河川に沿って典型的なMining-railwayとなっているわけです。
しかし、1970年代以降は土木技術が発達して、長大トンネルが掘削できるようになり、複雑に地層が重なり合った"破砕帯"ですらもぶち抜くことが可能となり、山脈をぶち抜く長大トンネル建設も余り問題ではなくなっていました。
第4項 Байкало-Амурская магистраль(バム鉄道・第2シベリア鉄道)
1970年代に工事が再開されに仮開業したБайкало-Амурская магистраль(バム鉄道・第2シベリア鉄道)では、全長15,343mのSeveromuiskトンネル(2003年12月5日正式開通)のように 、多くの断層を持つpass(峠)を通過する長大トンネル掘削も可能となっています。
つまり、ヨーロッパと太平洋を結ぶtransfer line(輸送路)としてのtranscontinental railroad(大陸横断鉄道)として眺めたばあいは、"不完全"と言えるでしょう。
Байкало-Амурская магистральが後年建設された訳は
Байкало-Амурская магистраль(バム鉄道・第2シベリア鉄道)が建設された訳は
Google earthを拡大して見れば一目瞭然、大急ぎこしらえたТранссибирская магистральがLogistics (兵站)としてはborder (国境)に近すげたからです!
1984年10月1日に暫定開業( 1989年正式開業)したБайкало-Амурская магистраль(バム鉄道・第2シベリア鉄道)では、1947年既に開業していたアンガラ川流域のブラーツク辺りが典型でしょう、更にこの辺りには平地の証明ともなる、数多くの排水路ディッチが開削されています。
つまりこの辺りの Siberia roadは直線に近い形でも敷設できない事は無かった訳で...
なのでその後に建設されたR491などhighway(幹線道路)はあまり曲がりくねっていません。
公開:2021年11月10日
更新:2024年3月21日
投稿者:デジタヌ
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